2020年8月 1日 (土)

7月後半の記録 ~家庭菜園④~

■7月23日(89日目)

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ど根性京みどりの実が、それっぽくなってきました。
これまでの経過から、まさか実をつけるまでになるとは思っていなかったので、感慨も一入です。

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ライムホルンもよく実をつけるようになってくれました。

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この日の収穫(この他にキュウリが1本あり)

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早速、自家製のキュウリとライムホルンをサラダにしていただきました。
ライムホルンはほのかな甘みもあり、良いアクセントになります♪


■7月25日(91日目)

この日は嬉しい発見が2つ。

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鷹の爪が遂に実をつけ始め・・・

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そして、だだちゃ豆にも待望の鞘が☆

どちらも今後の成長が一層楽しみです。


■8月1日(98日目)

8月を迎え、ようやく関東地方にも梅雨明けが訪れました。
一向に明けない梅雨空に、日照不足が懸念されましたので一安心です。

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今季の家庭菜園開始から3ヶ月強を経過した畑Aの様子。
左からキュウリ→アイコトマト→茄子→ピーマン&シシトウ→エンドウ豆の列です。

食用の豆苗を植えてみたエンドウ豆は、手前の1本を残して全滅・・・。
この1本が頑張っているうちは残しますが、来季へ向けて課題を残しました。

キュウリの剪定整備を怠ったため、伸び放題で無法地帯・・・アイコを越えて茄子にまで被さってきています…(;^_^A

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そのキュウリ、ここ数日は収穫できる大きさの実がありませんでしたが、まだまだたくさん花を咲かせ、小さな実がそこかしこに見られます。

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ピーマンも現在、5~6個ほどいい実をつけています。

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苦戦中の茄子は一気に収穫とはいきませんが、辛うじてポツポツと少しずつ実をつけてくれています。

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最近、タバコガの幼虫らしき害虫の被害に苦しんでいたアイコ。
被害に遭っている実を根気よく排除し、天然成分でできた殺虫剤をこまめにふるなどして対策した成果か、この日は無事に育った実を全て収穫できました。

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こちらは畑B。
右列手前から鷹の爪(植木)→ミント(プランター)→オクラ→とげなし茄子→ライムホルン。
左列はインゲン豆で、奥に京みどりを植えています。

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徐々に大きくなってきた鷹の爪の実。

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グングンと背を伸ばしていたオクラにも、待望の実らしきものが♪

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初めての鞘を確認してから1週間が経過した、だだちゃ豆。
まずまず鞘の数を増やしてくれていますが、欲を言えばもう少し増えてほしいところ…(;^_^A

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ライムホルンはもう、背丈が隣りの紫陽花に追いつきそうなほど成長しました。

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そこまで育ってようやく、コンスタントに実をつけてくれるようになりました。

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ど根性京みどり。
まだ1つだけですが、実がじわじわと大きく育ってきています。
京みどりの葉はどういう訳かダンゴ虫に特に気に入られるようで、対策に腐心しています。

それでは最後にまた、この期間の収穫を。

7月21日
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この日は夕方に、キュウリがもう3本追加されました。

7月27日
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7月29日
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この日は、キュウリも3本収穫しています。
葉の食害に苦しみながらも、インゲン豆は順調に収穫できています。
ライムホルンも数が獲れるようになってきました。

7月30日
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8月1日
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この日は、アイコに食害が確認されなかったのが一番の喜び。

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2020年7月26日 (日)

幕末維新展 志士たちの軌跡(津雲邸)

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5年ぶりに青梅の津雲邸へ。

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また幕末維新展が開催されていると知り、前期の最終日に駆け込むようにして拝観してきました。

5年前の「幕末維新展」と似たような構成だったかとは思いますが、個人的に印象に残り、且つ当時の記事では触れていないものを、備忘を兼ねてピックアップしておきます。

三条実美 明治天皇への建言書
木戸孝允、版籍奉還建議書
→5年前の記事でも触れているものと同一かもしれません。

伊藤博文→アーネスト・サトウ宛書状
→漢文。さすがのサトウも、漢文は読めなかったでしょうねぇ…?(笑)

大山巌・捨松→伊藤博文宛招待状
勝海舟の漢詩
→末尾に「戊辰晩夏 海舟 勝義邦」とあり、江戸無血開城(慶応4年=戊辰)遂行後の心情を詠んでいます。

黒田清隆→伊藤博文書状
→「明治14年の政変」に繋がる「開拓使官有物払下事件」に関連する内容が書かれています。

板垣退助 委任状
→後藤象二郎が経営に行き詰まり、岩崎弥太郎の三菱に譲渡することになった高島炭鉱の運営を委任する旨を記したもの。旧土佐藩出身者間の繋がりが見て取れます。

雲井龍雄が人見寧に贈った漢詩
→「平潟湾 勿来関」に始まり、明治政府には屈しないとの決意を詠み込んでいます。

近藤勇直筆借用書(樋口重郎兵衛宛)

また、他に来館者が殆どいないタイミングだったからというのもあるでしょうが、説明を受けている際、係の方から近藤勇の木刀三振や榊原健吉の杖を渡され、この手に持たせていただくという幸運にも恵まれました。

後期展示期間は令和2年9月25日~11月29日。
幕末維新期の歴史にご興味をお持ちの方にはお薦めの展示内容ですので、機会があれば是非、足を運んでみてはいかがでしょうか。
※開館日:金・土・日・祝

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2020年7月21日 (火)

八王子城・滝山城の城ラマ(日本遺産パネル展)

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令和2年6月19日、八王子市が申請したストーリー「霊気満山 高尾山 ~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~」が、東京都では初となる日本遺産に認定されました。
それを記念し、八王子市役所八王子駅南口総合事務所でパネル展が開催されているとのことでしたので、ちょっと覗いてきました。

北条氏照が礎を築き、養蚕や織物といった「絹」を基幹産業として「桑都」と称された甲州道中屈指の宿場町・八王子。
霊山・高尾への信仰と、そこで育まれた豊かな文化と共に歩んできた「桑都」発展の歴史(ストーリー)を構成する関連文化財として;

・高尾山や薬王院、薬王院文書(北条氏照発給文書)など
・八王子城跡や御主殿出土品、八王子神社、北条氏照および家臣墓
・滝山城跡
・小仏関跡(→参照
絹の道
・各種伝統行事・文化

など、計29件が指定されています。
※詳細は八王子市のHPなどでご確認ください。

新型コロナウィルス感染症の影響で遠出もままなりませんので、これを機に地元の歴史を構成するこれらの文化財を一つ一つ、改めて訪ねまわってみるのもいいかなと思いました。

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会場には八王子城と滝山城の城ラマ(ジオラマ)も展示されています。
実は、これが訪れた一番の目的。上の写真は八王子城のもので・・・

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こちらが滝山城。

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私が滝山城の中でも特に好きな、二の丸周辺の造形も見事の一言。
これだけ複雑な縄張にもかかわらず、細かい土塁や堀の一つ一つまで精巧に再現されていました。

自宅から最寄りの城跡で、思い入れも一入な滝山城。是非とも多くの方にご覧いただき、「滝山城ってこんなに凄いお城だったのか!」というのを実感していただきたいところではありますが・・・このような状況では、なかなかそうもいかないですね。。。

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2020年7月20日 (月)

7月前半の記録 ~家庭菜園③~

■7月1日(67日目)

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日中に強い風が吹いたこの日、帰宅してみるとシシトウの苗が根っこから倒れていました・・・。

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すぐに修復し、支柱を立てて補強。
気づいたのが早くて事無きを得ましたが、これからの台風シーズンが心配でなりません。


■7月8日(74日目)

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だだちゃ豆が程よい大きさまで成長したので・・・

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今後は背を伸ばさず、より多くの脇芽を出して枝葉を広げてもらうために摘芯しました。

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だだちゃ豆も枝豆の一種。
その名の通り「枝」が多いほど、収穫できる実も増えるという算段。


■7月11日(77日目)

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ミントの葉を少し摘んで・・・

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お湯で煮出しただけのミント・ティーを煎れてみました。
ちょっと味は薄かったですが、ほのかにミントも香り、サッパリとした風味でした。


■7月17日(83日目)

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植えてから1ヶ月半ほどが経過した豆苗(えんどう豆)。
背丈は150㎝くらいまで伸びましたが・・・あまり元気がない様子。やはり時季的にタイミングがズレたかなぁ~

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ピーマンはようやく実の数が増えてきました。

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シシトウは相変わらず順調。

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茄子もようやくシーズン・イン・・・か?

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苗はグングンと成長して大きくなっているのに、一向に実をつけてくれなかったライムホルン。
最近、花が増えてきたと思ったら小さな実をつけ始めました。今後が楽しみです。

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植え替えてからは割と元気な“ド根性”京みどり。
一丁前に花を咲かせ、小さな実らしきものも・・・?

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ミント、鷹の爪も順調です。

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たくさん咲き始めた鷹の爪の花。

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日々の成長っぷりが楽しいオクラとだだちゃ豆。
オクラもグングンと背を伸ばしています。


■7月19日(85日目)

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梅雨の晴れ間で久しぶりに青空を拝んだこの日、モヒート用のリキュールを入手できたので、ミントの葉を少し入れて乾杯♪

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ところで、ここまで順調に収穫してきたアイコ(トマト)に心配な事態が・・・。
ここ数日、穴が開いている実が増えていましたが、この日ついに、実の中で食事中の青虫らしき幼虫を2匹捕獲しました。
(写真はモザイクで自粛…)
調べてみるとどうやら「(オオ)タバコガ」の幼虫らしく、トマトやナス、ピーマンなどを好み、実から実へと移動して食害を広げていくのだとか。
成長して実の中に入ってしまうと薬剤による駆除もままならないため、薬剤による駆除は6月までに・・・とのこと。手遅れ?
実に穴を開けられてしまうまで気づけなかったのだから仕方がない。被害に遭っている実を一つ一つ除去することで、少しでも害虫を物理的に除去し、無事な実は早めに収穫するなどして対処していこうと思います。

最後に、この期間の主な収穫を並べます。

7月2日
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7月5日
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7月8日
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7月10日
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7月12日
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7月14日
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7月16日
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7月18日
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7月19日
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こうして振り返ってみても、ここまではキュウリ・シシトウ・アイコ(トマト)・インゲンが好調。
インゲンは例年、割と苦戦しているので嬉しい驚きです。

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2020年6月29日 (月)

枝豆の収穫と新しい仲間たち ~家庭菜園②~

5月末には緊急事態宣言が解除され、6月中旬には都道府県境を跨いだ移動も自粛解除となりましたが、連日の梅雨空と蒸し暑さに出かける気も失せ、休日は相変わらず家庭菜園に精を出しております…(;^_^A


■6月20日(56日目)

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この日は枝豆を収穫しました。

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まだまだ苗は小さいままだったのですが、かなり早い段階で鞘が現れ始め、鞘の中の実も大きくなっていたので・・・。

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そのため、収穫量はごく僅か…(;・∀・)
もっと多くの収穫を得るにはどうするべきだったのか・・・来年へ向けての課題です。

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枝豆と言えば、やっぱりビール♪
辛うじてコップ1杯分のおつまみにはなりました(笑)
数は少ないですが味も風味も濃厚で、とにかく美味(・ω・)b


■6月21日(57日目)

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さて、枝豆の収穫で空いたスペースには、新たにオクラとだだちゃ豆をお迎えし・・・

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これまでに苗が枯れたりして空いていたスペースには、モヒートミント(写真左手前と奥、右端の3株)を。

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もう植える場所もないのに、どうしても欲しくて購入した鷹の爪は鉢植えに。

収穫できる日が楽しみです。


■6月27日(63日目)

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ミントは繁殖力が強く、一緒に植えると他の作物に良くないらしいことを知り、急遽プランターを購入して植え替え。
野菜栽培のド素人、知らないことが本当に多い・・・(・_・;)

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さて、ミントの植え替えで空いたスペースには、これまで大きく育ったライムホルンと茄子、更には紫陽花にも囲まれて陽当たりが悪く、一時は害虫に葉を食い荒らされたり、誤って母に引っこ抜かれてしまうなどのアクシデントにも見舞われてきた「京みどり」(ピーマン)を移してみました。
様々な困難に見舞われてきただけに育ちは極端に遅れていますが、葉の様子を見る限り、まだまだ頑張っています。
この先どう成長してくれるのか、注意深く見守っていきたいと思います。

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ちなみに、こちらが移植前の京みどり(中央)の様子。(6月12日撮影)
左がライムホルンで、右が茄子。植えた時は同じくらいの背丈だったのですが・・・。

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1週間が経ち、鷹の爪も少し背が伸びたようです。

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6月27日の収穫。
キュウリ・ししとうは、日々順調に収穫できています。


■6月28日(64日目)

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朝起きてみると、未明からの大雨で紫陽花の枝が大きく垂れ下がり、だだちゃ豆の苗を押し倒していましたので急遽、支柱を立ててロープで紫陽花を吊り上げ、苗を起こし直しました。
なんとか事なきを得たとは思いますが・・・これからの台風シーズンも心配です。

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6月28日の収穫。
この日はライムホルンも初収穫。どんなお味なのか、食べるのが楽しみです。
キュウリやししとうに加え、トマト(アイコ)や茄子もだんだんとペースを上げてきました。

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2020年6月13日 (土)

家庭菜園、はじめました。 ~家庭菜園①~

新型コロナ・ウィルス感染症の拡大に伴い、4月上旬には全国に緊急事態宣言が発出され、外出もままならない日々が続いています。
当然のことながら私も、4月以降は一切の史跡・お城めぐりを控え、当blogの更新も滞っておりました。

そんな状況下、“Stay Home”しながらでも何かやれることはないかと考え、例年は家族任せでノータッチだった庭先での家庭菜園に挑戦してみることにしました。
折角なので、その記録をblogにも残しておくことにします。


■4月25日(0日目)

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まずは土を起こして畝作りから。
畑は庭の隅、両サイドに2ヶ所作ります。

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今年の苗たち。
茄子やらミニトマト、ピーマン、etc...今年は初の試みとして、枝豆にもチャレンジ。

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苗植えを終えた畑A。
向かって右の列からピーマン、茄子、ミニトマト、キュウリ。

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同じく畑B。
向かって左の列はインゲン豆で、右列は手前から枝豆、とげなし茄子、ピーマン(畑Aとは別品種)、ライムホルン。

元気に育って美味しくいただける日を楽しみに♪


■5月22日(27日目)

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苗を植えてから一ヶ月ほどが経った畑A。

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ピーマンは早くも小さな実をつけました。

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ミニトマトも。

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畑B

この日は一ヶ月で増えてしまった雑草を除去したのですが、この1~2日後、畑Bのインゲン豆やピーマンの葉を、夜間のうちにごっそり食べられる被害が発生しました。
雑草取りをしている際もダンゴ虫の多さが気になりましたし、日中は姿を見せずに夜のうちに食べられていることからヨトウムシの可能性も・・・。
雑草類を綺麗に除去したから、害虫が苗に集中してしまったのでしょうか・・・?

土に撒く誘殺剤や、葉に散布する天然素材の殺虫剤を購入して対処したところ、以降は現在まで食害もピタリと収まりましたが・・・油断大敵。


■5月30日(35日目)

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畑A
この日は一番右にもう一列作って、食後の豆苗(エンドウ豆)の根を植えてみました。
チョロチョロと土から顔を出しているのがそれです。

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一週間でピーマンがだいぶ大きくなっていました。

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ミニトマトもたわわに。

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キュウリも小さな実をつけていました。

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畑B

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枝豆の苗に、早くも小さな鞘が!?


■6月6日(42日目)

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一週間前に植えた豆苗が、しっかりと芽を伸ばしてくれました。

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さて、この日はいよいよ初の収穫です。
まずは、こちらのピーマンと・・・

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ピーマンだと思って植えたのに、何故か一株だけ混じっていたシシトウに・・・

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更には茄子と・・・

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そして、畑Bのとげなし茄子も収穫しました。

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枝豆は鞘の中に実も入りだしました。

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ライムホルン
残念ながらこの実は収穫のタイミングを逃し、この後傷んでしまいました。

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ミニトマトは数こそたくさんなれど、なかなか色づきません。

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キュウリももう一息、といったところだったのでこの日は収穫しませんでしたが、とても実の成長が早いので、この2日後には食べ頃を迎えました。

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今年初の収穫。
炒め物にして美味しくいただきました。

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2日後の6月8日に収穫したキュウリ。
こちらは生のままスティックにして。


■6月12日(48日目)

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畑A
豆苗用にネットを張ってみました。
4月25日の写真と比べると、キュウリとミニトマトの成長の早さに驚きます。

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畑B
まだ収穫できそうな作物は、しばらくなさそうです。

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畑横の紫陽花も、綺麗に花を咲かせました。

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翌6月13日に収穫したキュウリ、ピーマン、シシトウ、そしてインゲン豆。
キュウリは今年も、ハイペースで実をつけてくれます。
紫陽花は、3年前に亡くなった愛犬ボンに供えました。

今後も引き続き、家庭菜園の様子はtwitterやblogでも更新していきます。
でも・・・早く歴旅にも出かけたいなぁ~

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2020年3月30日 (月)

泰巖歴史美術館

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東京都町田市に開館した泰巖歴史美術館。
そのオープン初日となる3月22日、早速お邪魔してきました。

文書類や甲冑、刀剣、茶器などの展示の他、安土城天主5~6階部分や熱田神宮の信長塀、利休の茶室として有名な待庵のレプリカ展示(原寸大)などもあります。

個人的には一番の目当てだった新史料、武田信玄書状織田信長宛(越・甲が戦になる時はお味方くださるとのこと頼もしく存じます。これからも入懇に・・・云々)を拝観できたのでよかったです。

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2020年3月29日 (日)

季節外れの積雪

令和2年3月29日(日)、関東地方では各地で季節外れの大雪となってしまいました。
我が地元・東京都八王子市も例外ではなく、夜通し降り続いた雨が午前7時前には雪に変わり、みるみる間に降り積もっていきました。

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午前11時の時点で、我が愛車もご覧のあり様。。。

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公園の雑木林もすっかり雪化粧。
思いがけず、雪と桜のコラボも。

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桜雪

どうやら、多摩地方には大雪警報も発令されている模様。
新型コロナウィルス感染拡大の懸念も広がり、外出自粛要請が出された週末。
この季節外れの大雪は案外、天からの援軍なのかもしれませんね。

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大胡城

白井城の後は前橋市へ移動し、大胡城へ。

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大胡城は中世、上野の名族・大胡氏の居城と考えられています。
天正18年(1590)の小田原征伐後、徳川家康の関東入封に伴って大胡城には牧野氏が入り、その牧野氏の越後転封後は前橋藩領に組み込まれましたが、寛延2年(1749)に廃城とされました。

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二の丸に残る枡形。

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水の手門は藪で形状を確認できず・・・。

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二の丸から本丸への虎口。

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横堀もなかなか見事です。

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本丸の北西隅部分。

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本丸
立派な土塁が残ります。

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本丸北側の堀跡には用水路が流れ・・・

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東の根小屋地区の先には、荒砥川が流れています。
荒砥川はおそらく、城の外堀としての役目も担っていたことでしょう。

保存状態もよく、手軽に楽しめる城跡でした。

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2020年3月28日 (土)

白井城と白井宿

最近は自身の体調不良やら仕事上のトラブル、そして新型コロナ・ウィルス問題など、様々なことが重なって休日に出かけることができていませんでした。blogの更新も、気がつけば2月上旬以来滞ったまま。
その間、愛車にもあまり運動をさせてあげられていなかったので、3月後半のよく晴れた週末、思い切って群馬県渋川市までドライブしてきました。

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目的地は旧子持村の白井宿、及び白井城です。

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まずは白井宿の散策から。

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白井宿は白井城の城下町として整備され、利根川と吾妻川の合流点で沼田⇔前橋を結ぶ街道(沼田街道西通り)や、三国街道と連絡する脇往還なども通る交通の要衝として発展しました。

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嘉永2年(1849)に建てられた道標。
説明板には「北へ進むと沼田、南へは日光江戸道へ通じる」とありました。
ここから南へ、前橋の先にも日光街道に通じる街道が通じていたということでしょうか。

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宿場の街道沿いには、多くの井戸も見受けられました。

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白井宿歴史資料館は、どうやらお休みの模様。
これも新型コロナの影響でしょうか・・・?

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それでは、白井城へ向かいます。

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白井城は、利根川と吾妻川に挟まれた舌状台地が、両河川の合流点に突き出す先端に築かれたお城です。
15世紀中頃、関東管領・山内上杉氏の家宰で、上野・武蔵両国の守護代をも務めた白井長尾氏の長尾景仲による築城と伝えられています。
山内上杉氏が後北条氏によって越後に追われた後も、白井長尾氏は甲斐・武田や後北条の傘下に入るなどして命脈を保ちましたが、天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原征伐の際、前田利家・上杉景勝らの北方軍に北曲輪まで落とされて開城し、白井長尾氏による当地の支配は終わりを告げました。
それ以後、徳川家康の関東入封に伴って白井には本多広孝・康重父子が配され、康重が初代白井藩主となります。
康重の岡崎転封後は松平・井伊(直孝)・西尾・本多(紀貞/康重の子)と城主を変え、元和9年(1623)、紀貞が嗣子なくして死去したために廃藩となり、白井城も破却されました。

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まずは舌状台地東側の中腹を、北から南の方向へ進みます。
写真は二の丸東側の横堀。

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奥へ延びるのは、二の丸と本丸間の空堀。

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二の丸と本丸間の堀底から。

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さらに南へ、本丸東側に続く横堀。

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横堀は台地の先端付近まで続いていました。

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白井宿方面を望む。
すぐ直下には、南曲輪や新曲輪などが配置されていたようです。

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それでは台地に上がって、主郭部を見ていきます。
写真は北曲輪跡付近に残る櫓台。現在は城山不動尊が建ちます。

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北曲輪越しに三の丸方向。
前田・上杉軍は、ここまで攻め寄せたのですね。

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三の丸
杉の木が横並びに茂っている辺りが二の丸との境で、空堀が通っています。

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三の丸と二の丸間の空堀、その西側と・・・

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東側。

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二の丸
この先が本丸になります。

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空堀手前から、本丸虎口を望む。
虎口の枡形には石垣の痕跡も見られますが、これは本多氏以降の手によるものだそうです。

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二の丸と本丸間の空堀も見事です。
こちらは西側で・・・

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東側は先ほど、堀底も歩きました。
現地には「三日月堀」との案内標識も。確かに湾曲はしているけど・・・。

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本丸側から、虎口・空堀越しに二の丸。

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本丸
土塁も綺麗に残されています。

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本丸に建てられていた歌碑。
相国寺の僧・万里集九が東国巡歴の途次、長享2年(1488)9月28日に白井城に立ち寄り、“城主”上杉顕定の知遇を受けて城中を歴観した時のことを綴った旅日記に収められた漢詩とのことです。
長尾景仲の孫・景春が、総社長尾氏との主導権争いから山内上杉氏に反旗を翻した(長尾景春の乱)際、白井城は一時的に山内上杉氏のものになっていたこともあるようですが、万里集九の来訪はその間のことだったのでしょうか。

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本丸の先、台地先端に築かれた笹曲輪。

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白井城・・・なかなか見応えのある遺構でした。

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こちらは城下の源空寺。
本多広孝が自らの菩提寺として開いたお寺です。

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源空寺に眠る広孝(中央)・広孝夫人(右)・紀貞(左の宝篋印塔)の墓所。

白井城に白井宿、いい散策になりました。

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