2022年8月11日 (木)

岩津城、他

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前記事でご紹介した満性寺を辞した後は、岡崎城をぶらぶら散策して、、、

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9年ぶりとなる大樹寺へ移動し、松平氏歴代や徳川将軍14代のご位牌を拝観、松平氏歴代の墓所も参拝しました。

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岡崎公園の「三河武士のやかた家康館」に展示されていた書状などでその名をよく見かけたので、滝山寺にも足を延ばしました。

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滝山東照宮

滝山寺宝物殿では、源頼朝の歯と遺髪(顎鬚?)を胎内に納めたと云う聖観音菩薩立像も拝観いたしました。

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旅の最後は、三河松平氏の嫡流・岩津松平氏ゆかりの岩津城へ。

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主郭へと続く土橋。

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主郭下の横堀。

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主郭

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主郭の一段下、腰郭状の平場に残る枡形。

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主郭の土塁上に建つ城址碑。

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主郭土塁上から土橋方向。

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主郭側から、土橋越しに馬出方向。

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櫓台

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櫓台上から、馬出の土塁を見下ろす。

岩津松平氏は松平氏2代・泰親を祖とします。
3代・信光の頃までは勢力を張っていたものの、次代に及んで駿河今川氏の侵攻を受けて岩津城は落城し、岩津松平氏も衰退します。
その結果、安城に分立していた親忠の安城松平氏が惣領化したため、親忠を松平氏宗家の4代として、後の徳川家康へと繋がっていきます。
いずれも大樹寺に納められたご位牌や、歴代墓所にその名が見えます。

なお、岩津城には天正12年(1584)の小牧長久手合戦の際、徳川家康による改修の手が入っているそうです。

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2022年8月10日 (水)

近衛龍山(前久)の浜松下向

天正10年(1582)6月2日に勃発した本能寺の変織田信長が亡くなると、信長と親交のあった近衛前久は出家して龍山と号します。
佞人讒訴の企てによって秀吉の嫌疑を受けた龍山は嵯峨て逼塞し、やがては京を離れ、徳川家康を頼って浜松へ向かいました。
茶色字部分は石谷光政・頼辰宛 近衛前久書状より抜粋引用

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東岡崎駅からもほど近い、乙川ほとりの満性寺
毎年8月7~8日の2日間、虫干しを兼ねた宝物展示が行われることを知り訪れてみました。

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龍山は天正10年11月7日付で、浜松へ忍びで下向することになったことを伝え、その道中の宿所提供を依頼する書状(上写真)をこの満性寺宛に発しています。

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後に紹介する同月13日付の書状により、龍山は11月12~13日頃に浜松へ到着したことが知れるので、満性寺に宿泊したのは11月10日前後のことと推定されています。

龍山はこの年、甲斐武田家を滅ぼした甲州征伐に参陣しており、4月には信長の凱旋旅にも同行して岡崎を通行した際にか、彼は過去にも満性寺に立ち寄ったことがあったようです。
11月7日付の書状には、その折に交わした雑談などを忘れ難く思っていること、その後にも満性寺から便り(書札)をもらったことなども書かれており、それに続けて;

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(聖徳)太子の次第を信長にもつぶさ(具)に伝え、内々に聴聞に訪れてみようと話していたところに不慮の儀(本能寺の変)が発生して叶わなくなり、是非もない。
といったことも記されています(上写真部分)。

満性寺では聖徳太子が篤く信仰されてきたようで;

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聖徳太子2歳の時の姿と云う「南無仏太子像」(左/鎌倉期)や「聖徳太子講讃孝養図」(右/天正6年頃)、

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「聖徳太子立像」(童形執笏太子像/江戸期)など、聖徳太子にまつわる品々が多く伝えられています。

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また、本堂脇に建つ太子堂にも・・・

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やはり聖徳太子が祀られています。

龍山は浜松への道中、満性寺に宿泊した際には実際に目にした(江戸期作の聖徳太子立像は別として)ことでしょうし、本能寺の変が起こらなければ織田信長も龍山と一緒に訪れて目にしたかもしれない貴重な品々です。

近衛家と満性寺の関係はその後も続いたようで、満性寺には他に;

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近衛前久(龍山)の「詠十首和歌」

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近衛信尹(前久息)の書簡

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近衛家から拝領の品々なども残されていました。

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また、太子堂には歴代徳川将軍のご位牌も安置され、酒井忠次からの書状や寄進状なども展示されていました。
その他にも数多くの寺宝が本堂や庫裏に展示されていましたが、とても一挙にご紹介しきれるものではありませんので割愛します。

ところ変わって・・・

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浜松城の西に位置する西来院

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近衛龍山は浜松到着後、11月13日付で岡崎の満性寺に一宿の馳走を謝した書状を出しています。
その文中で徳川家臣・石川家成の手配により、この西来院入ったことを伝えています。

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西来院には、西方僅か2㎞ほどの佐鳴湖畔で殺害された築山殿(徳川家康正室)の廟所「月窟廟」や・・・

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家康の異父弟・松平康俊の墓所もありました。

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JR浜松駅の南1㎞ほど、龍禅寺仁王門跡。最盛期には、この辺りも龍禅寺境内の一角に含まれていたのでしょう。
奥には大きな松の木が見えています。

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龍禅寺のクロマツ。
第2次大戦の戦火を免れ、市の保存樹に指定された平成7年の段階で、既に樹高が27mもあったといいます。

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龍禅寺山門

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龍禅寺境内

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金光院龍禅密寺の額

西来院に逗留後、龍山はここ龍禅寺に移り、金光院の北の亭に滞在したと云います。
この亭は後に、龍山公の亭とも称されたとか。

その正確な位置はわかりませんが、境内に建つ松永蝸堂の句碑の説明板に気になる記述がありました。

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元亀年間は後水尾天皇の曽祖父・正親町天皇の時代で、後水尾天皇はまだお生まれにもなっていません。
そればかりか、近衛前久が龍山と号したのは既述の通り、天正10年6月2日の本能寺の変後のことですし、徳川和子の入内は龍山没後(慶長17年=1612)の元和6年(1620)のこと。
いろいろなことが全く史実に反しています。きっと、天正10~11年にかけて龍山が滞在した折のことが、その他の諸々と混同して伝えられてきたのではないかと推察します。

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近衛龍山が滞在していた亭の跡地だという、松永蝸堂の句碑(中央)

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龍禅寺の梵鐘
文化11年(1814)の鋳造。第2次大戦時に供出されましたが、戦後、無事に還元されたそうです。

天正11年(1583)6月2日、龍山はここ龍禅寺で織田信長の一周忌追善供養を執り行い、南無阿弥陀仏[な・む・あ・み・だ(た)・ぶ(ふ)]の六字名号を冠した追善の歌を詠んだと云います。
彼は5年後の天正16年(1588)、京の報恩寺に奉納された織田信長肖像画の賛にも、同様の歌を詠んでいます。

徳川家康の取り成しもあって天正11年9月、龍山はおよそ10か月ぶりの帰京を果たしました。


※参考図書
「流浪の戦国貴族 近衛前久」谷口研語(中公新書)

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2022年8月 9日 (火)

旧東海道、御油宿~藤川宿

2022年8月6~7日は、愛知県岡崎市方面への旅。
まず初日は新幹線を豊橋駅で降り、名鉄線に乗り換えて御油駅へ。
御油宿をスタート地点とし、旧東海道を藤川宿まで歩きます。

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御油宿、江戸方の入り口となる音羽川と御油橋。

四月十八日、吉田川乗りこさせられ、五位にて御茶屋美々しく立て置かれ、面入口に結構に橋を懸けさせ、御風呂新しく立てられ、珍物を調へ、一献進上。大形ならぬ御馳走なり。
(信長公記 巻十五「信長公甲州より御帰陣の事」より)

天正10年(1582)、甲州征伐からの凱旋の途にある織田信長は、4月18日、吉田城下を出発し、その日は知立(池鯉鮒)まで進んでいます。
その道中、御油(五位)に差し掛かると表()の入口には結構な橋が架けられ、お風呂も新しく用意され、盛大なもてなしを受けています。
信長一行のために表の入口に架けられた結構な橋・・・きっと、旧東海道が通るこの御油橋辺りに架けられていたのではないでしょうか。

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御油橋を渡り、旧東海道歩きをスタートします。

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東林寺

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東林寺には、飯盛女のお墓が建ちます。
ある晩、飯盛女4人が示し合わせて旅籠を抜け出し、世を儚んで入水自殺してしまいました。
これを哀れんだ旅籠の主人や東林寺の住職らが供養のため、これらのお墓を建てたのだと云います。
なお墓石は5基ありますが、残りの1基については詳細を把握できておりません。

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御油宿は江戸から35番目の宿場で、次の赤坂宿とは僅かに1.7㎞ほどしか離れておらず、東海道の宿駅間では最も短かくなっていました。
飯盛女のエピソードが示す通り、御油と赤坂は歓楽的な宿場としても知られていたようです。

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御油宿を抜けると、国の天然記念物にも指定される御油の松並木が続きます。
これは見事。

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松並木を抜けると、そこはもう赤坂宿。
写真のすぐ先、路面の色が少し変わっている辺りが東見附跡になります。
しかし、東見附は寛政8年(1796)、更に先へ150mほど進んだ・・・

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こちらの関川神社の前に移されたそうです。

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大橋屋(旧旅籠鯉屋)
文化6年(1809)の赤坂宿大火以降に建てられたと考えられており、江戸時代には鯉屋を屋号とする旅籠が営まれました。
その後、所有者の変更もあって屋号を大橋屋と変え、なんと平成27年まで旅館として営業されていました。

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鯉屋に再現された、歌川広重の東海道五十三次「赤阪 旅舎招婦ノ図」に描かれた蘇鉄と石燈籠。

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地面には、失われた建物部分の間取りが平面展示されています。

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なお、近くの浄泉寺境内に、広重が描いた蘇鉄と伝わるものが移植されています。
明治20年頃、道路の拡張工事に伴って移されたそうです。

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大橋屋を辞し、しばらく進むと景色が一変してきました。
写真は岩略寺城跡辺りを写しています。

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正面の標識が示す通り、豊川市の長沢町という地名になるのですが・・・

本坂、長沢、皆道、山中にて、惣別石高なり。今度金棒を持ちて岩をつき砕かせ、石を取り退け、平らに申し付けられ、
(同)

この辺りの街道は「山中」で石や岩がゴロゴロしていたものを、信長一行の通行のために金棒でそれらを打ち砕き、取り除いて平らに整備させたと云います。
実際に東海道を歩いてみると、確かに山深い景観ではあるものの、通行する場所は山間といった風情です。

信長の凱旋旅を追って静岡県の丸子城周辺を訪れた際も;

山中路次通りまりこの川端に山城を拵へ、ふせぎの城あり。
(同)

という信長公記の表現に惑わされましたが、太田牛一(或いは当時の人々)は「山の中」でなくとも、山間のことも「山中」と表現していたのかもしれません。
コチラの記事、4月14日の項参照。

或いは近世以前、中世の主要道でもある鎌倉街道は、上の写真に写る山の中腹を通っていたとのこと。
・・・織田信長らが通行したのは、果たしていずれの道であったのか?

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こういう風情のある旧街道歩きは、本当に飽きることがないのですが・・・

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「関屋」という信号の少し先で、国道1号に合流しました。
ここから暫くは、退屈な国道歩きが続きます。

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岡崎市域に入ったところで本宿に到着です。

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赤坂宿と藤川宿の中間に位置する本宿村は、徳川家康手習いの寺としても知られる法蔵寺の門前を中心に発展しました。

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法蔵寺
個人的には、9年ぶりの再訪となりました。

爰に山中の宝蔵寺、御茶屋、面に結構に構へて、寺僧、喝食、老若罷り出で、御礼申さるる。
(同)

ここでいう「山中」は、本宿が所在する山中郷を指しています。
門前のこの辺りに、信長のための御茶屋が築かれたのでしょうか。

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再び国道1号に合流する手前にも、松並木がありました。

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既に結構な疲労を感じていましたが、信長たちが向かった池鯉鮒(知立)は、国道1号でまだ25㎞も先。
しかも彼らの出発地は吉田で、私の御油よりも遠い・・・昔の人は凄かった(笑)

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また旧道が復活するポイント。

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名鉄の線路沿いを進みます。

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結構アップダウンのある行程を道なりに進み、国道1号への合流地点手前で再び松並木。

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山中八幡宮
なかなか興味深い歴史もありそうでしたが、どれくらい登るのかわからず、体力の残量も少なかったので参拝は断念。

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道の駅藤川宿まで1㎞の看板があるポイントで、国道を左へ逸れます。
すぐ先で・・・

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歌川広重の東海道五十三次「藤川 棒鼻ノ図」に描かれた藤川宿東棒鼻(見附)に到着です。

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こちらが広重の東海道五十三次「藤川 棒鼻ノ図」

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藤川宿の町並み。

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宿場内も結構距離がありました。

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藤川宿脇本陣跡に建つ藤川宿資料館。
門は脇本陣の現存だそうです。

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藤川宿、西の棒鼻。
このすぐ近くに駅がありますので、今回の歩き旅はここまでといたします。

心配した暑さもこの日だけは若干和らぎ、絶好のコンディションに恵まれて完歩することができ、大満足です。

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2022年7月31日 (日)

本格的な収穫期(家庭菜園2022 ⑥)

■7月5日

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茄子13~14号、ゴーヤ7~8号、ミニトマト。
ミニトマトは品種名は忘れましたが、3種目も初収穫です(右側の赤)。


■7月6日

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キュウリ33~34号、ミニトマト。
茄子同様、ミニトマトも去年に比べて生育が良いように感じます。


■7月7日

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キュウリ35~38号、ゴーヤ9~11号、茄子15~16号、京みどり9~10号、万願寺トウガラシ17~18号、ミニトマト。
ここ数日、キュウリに奇形が目立っています。
京みどりは肌に焼けただれたような痕がありますが、そこを取り除けば食せるだろうということで収穫。


■7月9日

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キュウリ39~40号、ゴーヤ12号、茄子17号、ミニトマト。

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鷹の爪の実が大きくたわわ?になってきました。


■7月10日

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キュウリ41号、茄子18~20号、ミニトマト。


■7月12日

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キュウリ42~45号、ゴーヤ13~14号、京みどり11~12号、ミニトマト。
ゴーヤの生育は順調そのものですが、相変わらずキュウリに奇形が目立ちます。


■7月14日

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キュウリ46~49号、茄子21~22号、ミニトマト。

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この日、ミニトマトの葉が急激に枯れ始めていることに気づきました。
3本共に、それも同時にです。ちょっと原因に心当たりがありません。


■7月16日

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キュウリ50~51号、ゴーヤ15~16号、京みどり13~14号、万願寺トウガラシ19~21号、ミニトマト。

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ミニトマトの枝が1本、やけに葉がなくなっているなぁ~と思ったら・・・でっかいアゲハの幼虫が(;^_^A
苦手な方は拡大しないでください。


■7月17日

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キュウリ52~54号、そしてついにミョウガも収穫できるようになりました。

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鷹の爪も赤くなりだしています。

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しかし、鷹の爪には心配なことも・・・。
小さな実がやたらと落ちていることに気づき、調べてみるとことごとく虫に穴を開けられていました。
こんな辛い実、いったいどんな奴が食べるのだろう・・・?


■7月18日

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キュウリ55号、ミニトマト。
徐々にミニトマトの収穫量が減ってきました。


■7月20日

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キュウリ56号、ゴーヤ17号、茄子23号、ミニトマト。
ゴーヤ、茄子は立派なものが採れましたが、今年はキュウリの出来がとにかく悪いです。

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また、ミニトマトや茄子に実割れも起きていました。


■7月21日

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キュウリ57~58号、京みどり15~18号、万願寺トウガラシ22~34号、ミニトマト。
万願寺トウガラシが再び収穫期を迎えました。


■7月22日

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キュウリ59~60号、ゴーヤ18~19号、ミニトマト。


■7月23日

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キュウリ61~63号、ゴーヤ20号、茄子24~25号、京みどり19~21号、万願寺トウガラシ25~28号、ミニトマト。
そして・・・

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ミョウガもいくつか収穫できました。

またミニトマトの枝に、大きなアゲハの幼虫がいました・・・。


■7月24日

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キュウリ64~66号、ゴーヤ21号。
相変わらずのキュウリの不格好具合よ・・・。

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しばらく放っていたパセリの葉がだいぶ増えていたので、少し多めに収穫して・・・

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ナムル風に仕上げてみました。
収穫した葉を1分ほどレンチンして、あとは胡麻油・醤油・鶏がらスープの素・胡麻で和えるだけの、お手軽な一品です。


■7月25日

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キュウリ67~69号、ミニトマト。
今年のキュウリ、どうやらカメムシに集中的に狙われているようです。不格好なものが多いのも、カメムシに吸われているからかもしれません。


■7月27日

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キュウリ70号、万願寺トウガラシ29~33号、ミニトマト。
万願寺トウガラシにはテントウムシに似た甲虫がたかり、茄子にも虫害が出ていました。

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今年とても優秀なゴーヤ。
まだ前に収穫した実の消費も追いついていないのですが、ご覧の通り後続が鈴なりに。


■7月28日

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キュウリ71~74号、ゴーヤ22~23号、ミニトマト。

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茄子の食害がひどく、壊滅的な状況です。
折角、今年は実のつきが良くて喜んでいたのに・・・。
これまではオーガニックなものに頼っていましたが、農薬の投入も検討したいと思います。


■7月29、30日

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29日、キュウリ75号。
キュウリはまだ形が整っていないものが多かったので、この日の収穫は1本だけに留めておいたら・・・

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案の定、大きくなり過ぎました(;^_^A
キュウリ76~79号、ゴーヤ24~26号、京みどり22~25号、万願寺トウガラシ34~38号、茄子26号、ミニトマト、ミョウガ。
ミョウガは1週間放置していたら、2つ花が咲いてしまっていました。


■7月31日

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キュウリ80~85号、ゴーヤ27~28号。
キュウリはまた1本、極端な奇形が混じっていますが、食べられると判断してカウントに入れました。

さて、7月も早くも月末となりましたので、ここらで今回のまとめを。

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まずは畑A。左からキュウリ、京みどり&万願寺トウガラシ、茄子、ミニトマトです。
茄子は食害によって殆ど実が残っていませんが、また花がチラホラと咲き始めましたので、改めて今後に期待です。
ミニトマトは樹勢も衰えてきており、そろそろ終了が近い感じです。

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畑B。
今年はとにかくゴーヤの勢いが素晴らしいです。職場で配ったり、毎日コツコツと食べていても消費が追い付きません。
謎の黄色いトウガラシや、奥に隠れているオクラも今のところは順調そうです。

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鷹の爪。

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だいぶ赤く色づいてきています。

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アサツキ、パセリ、種から育てている鷹の爪。
アサツキはとっくにシーズン終了しているはずなのですが、一向に枯れる気配がありません。
鷹の爪もそろそろ植え替えてもいい頃合いなのですが、場所が空きません・・・(;^_^A

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最後にミョウガ。
昨年に比べると少し時期が遅れましたが、充分に楽しませてくれています。

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2022年7月17日 (日)

伊豆の国市で北条めぐり

今回は静岡県伊豆の国市で、鎌倉時代の執権・北条氏ゆかりの地をいくつかめぐります。

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まずは、南江間の北条義時館跡。
現在の江間公園一帯にあたります。この地に屋敷を構えたことから義時は「江間小四郎義時」とも呼ばれています。

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義時館跡のすぐ南西に建つ北條寺。

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北條寺は義時によって創建されました。

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境内墓地横、小四郎山と呼ばれる小高い丘を登ると・・・

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北条義時夫妻の墓所があります。
後に名執権と称えられる義時の長子・泰時によって建てられました。

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こちらは室町期、堀越公方の居所兼政庁が置かれていた堀越御所跡。
京の将軍・足利義政の意向を受けて、古河公方に代わる新たな鎌倉公方として下向したものの、享徳の乱で敵対する古河公方方の勢力に阻まれて関東(鎌倉)に入ることができなかった足利政知が構えました。
古河公方に対して、堀越公方と呼ばれることになります。

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御所の背後(南)には、詰め城とも伝えられる守山城。

政知の死後、その後継を巡る混乱に乗じた伊勢宗瑞の襲撃を受け、堀越御所は陥落します(明応2年/1493)。
伊豆から追放された政知の子息・茶々丸は、その後も伊豆奪回の機会を窺っていたようですが、結局は宗瑞に追い詰められ、明応7年(1498)に自害して果てています。

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堀越御所跡のすぐ近く、北条政子産湯の井戸。
政子誕生の折、その産湯の水を取ったとされる井戸です。

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守山の北麓、北条氏邸跡。
鎌倉幕府滅亡後には、8代執権・北条貞時の妻が遺された北条氏の子女救済と一族の供養のため、円成寺を建立しています。

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北条氏邸前から、狩野川越しに江間を望む。

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北条氏邸跡からは建物跡や井戸、池跡などの他、かわらけなども出土しているようです。

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実際に建物がどのようにして建っていたのか・・・そのイマジネーションを助けるための案内板かな?

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北条氏邸跡から守山に登ります。
2~3分ほども進むと、とても気になる平場がありました。左奥は完全に切岸に見えます。

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山頂すぐ手前の分岐点。

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まずは展望台のある山頂へ。

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森山山頂展望台からの眺め。
本来であれば左側に富士山が見えているはずなのですが・・・残念!

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下山は、真珠院方面へ下っていきます。

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どれもこれも、巨大な堀切と見紛うばかりの急勾配なアップダウンが続きます。

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しばらく進んだ先に架かる木橋・・・間違いなく堀切ですね。

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更にその先で、ふと左へ目を向けると・・・ありますね。

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こちらも間違いなく堀切。
守山城がいつの時代まで使用されたのかはわかりませんが、中世の詰城というよりはむしろ、戦国期の限定的な城砦といった印象を受けました。
豊臣秀吉の小田原征伐時に於ける、韮山城攻めに関連しているのでしょうか?

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スズメバチの威嚇攻撃を受け、駆け足で九十九折れの登山道を下り切った後は真珠院へ。

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山門を潜ったすぐ右手、八重姫御堂。

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父・伊東祐親によって頼朝との仲を裂かれ、真珠院の南側にあった真珠ヶ淵に身を投げたと云う八重姫を祀ります。

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書かれてある通り、八重姫が入水した時、せめて梯子があったなら救うこともできたのに、という里人たちの思いから、今日では願いが叶ったお礼参りに小さな梯子を奉納する習わしになっているそうです。

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続いて願成就院へ。
文治5年(1189)、奥州藤原氏征伐の戦勝を祈願して、北条時政が創建しました。

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念願だった運慶作の;
阿弥陀如来坐像
不動明王と二童子の三尊立像
毘沙門天立像(一説には北条義時がモデルとも?)

そして、有名な北条時政肖像や北条政子地蔵を拝観したまではよかったのですが・・・

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暑さにやられ、早く車に戻ってエアコンで体を冷やすことしか考えられなくなっていた私は、あろうことか北条時政・足利茶々丸の墓参をすっかり失念してしまいました・・・この旅で唯一の後悔。

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最後に大河ドラマ館にも立ち寄りました。

付近には他に蛭ヶ小島や山木兼隆の館跡などもあるのですが、数年前に訪問済みなので今回はパスして帰路に就きました。

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2022年7月16日 (土)

江川家住宅と本立寺

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先日、執権北条氏ゆかりの地をめぐって伊豆の国市を訪れたついでに、未訪のままになっていた江川家住宅にも立ち寄りました。

江川家は江戸時代、天領の民政などを司る幕府の世襲代官を務めた家柄で、当主は代々「太郎左衛門」を名乗りました。
中でも幕末の36代・江川英龍は、品川台場の築造などで名を馳せています。
私の住む多摩も天領でしたので、新選組に絡んで近隣の歴史に触れていると、度々「江川太郎左衛門」の名に出くわします。

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主屋の屋根の木組み。
現存する主屋は室町期に創建された箇所と、江戸初期に修築された箇所とが含まれるそうで、国の重要文化財に指定されています。
昭和35年の解体修理で、屋根は茅葺から銅板葺に改められました。

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高札

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肥料蔵や米蔵など。

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江川家の菩提寺、本立寺に向かいます。
田圃の間を真っ直ぐに伸びる路を進んだ先が本立寺。とても長閑な光景ですが、とにかく暑い!

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本立寺山門

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江川太郎左衛門英龍像

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本立寺は、伊豆に流されていた日蓮上人が弘長2年(1262)、江川家16代の英親に招かれたことを基因とし、永正3年(1506)に24代・英盛が邸内にあった大乗庵を当地に移して創建されました。
本堂の裏手へ回ると・・・

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江川家代々の墓所があります。
ここから更に数段上り、写真奥に見える木々の向こう側に・・・

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江川太郎左衛門英龍が眠ります。

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狩宿の下馬桜と井出家の高麗門・長屋

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静岡県富士宮市狩宿の下馬桜と、奥には長屋を備えた井出家の高麗門

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建久4年(1193)の富士の巻狩の際、井出家の屋敷を宿所とした源頼朝が馬を下りた場所との伝承から「下馬桜」、或いは「駒止めの桜」とも呼ばれています。
樹齢800年を超える山桜です。

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井出家の前庭には、当地を訪れて下馬桜を句に認めた高浜虚子(中央)らの句碑も。

明治期には徳川慶喜も訪れており、
あはれその 駒のミならす 見る人の こころをつなく やまさくらかな
と詠み、書に認めたものが井出家に残っているそうです。

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両脇に長屋を備えた井出家の高麗門。
幾度かの焼失を経ており、現存するものは嘉永元年(1848)の建立になるそうです。

なお、安永5年(1776)の火災に遭うまで、屋敷は現在地の北東に隣接する区画(元屋敷/写真手前の右手側)に建っていたそうです。
その一角には・・・

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頼朝の宿所の周囲を幔幕で囲う際に利用されたと云う、「幕張の欅」が1本だけ残っています。

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高麗門・長屋は、周囲を一周して見学できます。

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高麗門に並ぶ長屋の内、南側のものは農機具などを収める納屋や、、、

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馬小屋になっていました。
高麗門を挟んだ北側は、作業小屋として使われていたそうです。

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高麗門

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富士の巻狩の様子。

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その舞台・・・残念ながらこの日は、富士山は殆ど雲に隠れてしまいました。

ところで、富士の巻狩から400年近く後の天正10年(1582)、甲州征伐を終えて安土への凱旋の途にある織田信長もこの地域を通過し、土地の者から富士の巻狩に関する旧跡について説明を受けています。
その様子は太田牛一が記した「信長公記」に詳しいのですが、その中で牛一は、頼朝の館が築かれた場所について;

昔、頼朝かりくらの屋形立てられし、かみ井手の丸山あり。西の山に白糸の滝名所あり。

と記しています。
確かに狩宿は上井出(かみ井手)のすぐ南に隣接する地域で、「狩りの宿」と、なんとも示唆的な地名でもあります。
しかし、地形的には牛一が記すような「丸山」には見えませんし、白糸の滝の東にもあたりません。

曽我兄弟の敵討ちでは殺害された工藤祐経ばかりでなく、頼朝自身も襲撃を受けたと云います。
狩宿の井出家では工藤祐経のお墓や、曽我の隠れ岩などからも少々距離が離れ過ぎているきらいがあります。

富士の巻狩はおよそ1ヶ月にも及んでいますので、その間には頼朝が井出家に滞在したこもあったのでしょう。
しかし、少なくとも太田牛一が書き記した場所、そして或いは狩りの本営として北条時政が用意した場所も、いろいろな条件を突き合わせると、工藤祐経のお墓のすぐ南、麓に若桜神社や光立寺がある丘の辺りを指しているのではないかと、個人的には推察します。
住所も上井出で、「信長公記」の記述と矛盾しません。

以下2022716日追記
twitterでフォロワーさんにご教示いただいたのですが、富士宮市立郷土資料館通信(2011531HP掲載分)では、宿所を狩宿の井出家、「丸山」は白糸の滝北東方向、上井出天神社の北に位置する天神山と推定されています。
いずれにしても、「丸山」と宿所とされる狩宿とは距離がありますので、広大な狩場を一望に見渡せる丸山(天神山か)には宿所とは別に、狩りの本陣のようなものが築かれていたのかもしれません。
牛一が
かりくらの屋形と記したものも或いは宿所ではなく、巻狩の本陣を指していたのではないか、とも思えてきました。

 

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2022年7月 3日 (日)

夏本番前?!の夏野菜たち(家庭菜園2022 ⑤)

■6月6日

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降りしきる雨の中、キュウリ8~11号を収穫。
右の2本はまだ少し小さいですが、根元近くになって地面を這っており、傷みそうだったので早めに収穫。


■6月7日

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京みどり(ピーマン)、そして茄子も初収穫を迎えました。
一方で、スナップエンドウはいよいよこれがラストになります。

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万願寺トウガラシにも小さな実がなっていました。


■6月11日

この週末で豆類(スナップエンドウ/絹さや)を撤去しようかと思っていたのですが・・・

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株の低い位置に新しい芽が伸び、花まで咲き始めました。
上の写真はスナップエンドウで・・・

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こちらは絹さや。
ちゃんと実が育つのかは疑問ですが、しばらく様子を見守ることにします。

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昨年は壊滅的だった茄子も、今年は順調そうで一安心。

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そんなこの日の収穫はこちら。
キュウリは12号、京みどりは2号ですね。残っていた絹さやも。


■6月12日

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前日、新しい花を確認したスナップエンドウに、早くも新しい実が・・・♪

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万願寺トウガラシも徐々に育ってきました。

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この日の収穫。いい茄子(2号)が採れました。
絹さやもなかなかしぶといですね(笑)


■6月13日

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キュウリ13号


■6月14日

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キュウリ14号に絹さや。
畑に携わるようになって3年目、初めてキュウリに虫にやられたような痕跡を確認しました。要警戒です。


■6月16日

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キュウリ15号に茄子3~4号、京みどり3号。
絹さやが意外な粘りを見せています。


■6月17日

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自家製のキュウリを塩昆布、梅干しで漬け込んでみました。
ちょっと薄味でしたが、いい漬かり具合で美味しかったです。


■6月18日

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捨てネギくんがすっかり枯れてきてしまいましたので、掘り起こしてみることに。

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さすがにちょっと細すぎですが、一丁前に白葱にはなっている!?
この日の昼に食した蕎麦の薬味としていただきました。

相変わらず絹さやが粘りを見せていますが・・・

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スナップエンドウも足元から咲いた花に、実がつきはじめました。

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ところで、キュウリに思いもよらぬ現象が・・・。
以前から、おかしな蔓が伸びてきたなぁとは思っていたのです。株元から地を這うように。
写真手前側がその蔓なのですが、葉の形も明らかに違いますよね?

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そしてこの日、咲いていた花を見て確信。これ、カボチャかズッキーニだ!!
・・・接木苗を植えていますので、きっと根の部分が元々はカボチャかズッキーニのものだったのでしょう。
何の実がなるか確認したい、とのことでしばらく残すことになりましたが、キュウリのことを考えると早く除去したい・・・

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・・・という訳で翌19日に早速。
咲いていた花は雄花で、他にも実をつけそうな兆候もなかったので。キュウリの足元が随分とスッキリしました。


■6月20日

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この日の収穫。
茄子5~6号、初収穫の万願寺トウガラシ1~2号、スナップエンドウに絹さやを少々。


■6月22日

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キュウリ16~18号に茄子7号、万願寺トウガラシ3~5号。
余分なツルを除去したためか、キュウリの実の成長が早まったように感じます。


■6月23日

この日はスナップエンドウと絹さやを少々収穫しましたが、写真を撮り忘れました。
絹さやは、もう実が殆ど残っていないので終わりのようです。

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その代わり、ミニトマトがついに色づきはじめました。
イエローアイコに・・・

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赤い「純あま」も。

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ゴーヤの実もだんだん多くくなってきました。

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夕方、キュウリ19号に加え、そのイエローアイコも試験的に初収穫。


■6月24日

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キュウリが20号に到達。


■6月25日

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だんだんと採れる野菜の種類が増えてきました。
茄子8号、京みどり4~6号、万願寺トウガラシ6~9号、そしてミニトマトとスナップエンドウを少々。

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スナップエンドウと絹さやは、すっかり枯れてしまいましたので撤去しました。
ちょうどピークを迎えた紫陽花が奇麗に見えるように。


■6月26日

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キュウリ21号にミニトマト。
葉が増えていたパセリも少し採りました。

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夕方にもう1本追加でキュウリ22号。


■6月28日

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ゴーヤも初収穫を迎えました(1~3号)。
今年のゴーヤは地植えにしたおかげで生育も良く、今後も期待です。
その他、キュウリ23~25号にミニトマト。

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ミニトマトにはいくつか、何者かにかじられた痕跡が・・・。
これまでも、蛾の幼虫に穴を開けられる被害はしょっちゅうあったのですが、このようなかじられ方は初めてです。
果たして犯人は・・・?(鳥ではないかと睨んでいます)

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連日の、6月としては異常な暑さのせいか、行者ニンニクが枯れてきてしまいました・・・。
やはり関東の暑さは厳し過ぎるのか・・・。


■6月29日

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茄子9~10号、京みどり7号、万願寺トウガラシ10~14号、ミニトマト。

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万願寺トウガラシにも食害の痕跡が・・・。


■6月30日

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キュウリ26~28号、茄子11~12号、ミニトマト。


■7月1日

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キュウリ29~30号、ミニトマト。
ミニトマトはイエローアイコばかりが先行しています。早く他の2種も追いついてくれるといいのですが。

また、パセリに水やりをしていると葉が落ちていたり、ところどころ枯れているなどの異変を察知しました。
よく見てみると、写真は載せませんがキアゲハの幼虫が2匹いました・・・。どうやら茎を食い荒らすようです。
万願寺トウガラシもまた一つやられていたし、虫害との戦いは果てしないです。


■7月2日

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ゴーヤ4号、京みどり8号、万願寺トウガラシ15~16号、ミニトマト。

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連日の酷暑による影響か、京みどりや万願寺トウガラシの表面に焼けただれたような症状が・・・。
右の万願寺トウガラシは、虫に穴を開けられています。

2022070203
この日、畑Bに行き違いから余分に入手してしまった唐辛子を植えました。
こちらは、熟すと黄色くなる種類なのだそうです。


■7月3日

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キュウリ31~32号、ゴーヤ5~6号、ミニトマト。

2022070302
相変わらず、今年は万願寺トウガラシの虫害が深刻です。
ようやく赤くなりだした、3種類目のミニトマトも一つやられていました。

それではここらで、今回のまとめを。

2022070303
畑A
今年は茄子も順調そうだし、万願寺トウガラシの虫害以外はまずまずといったところ。

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畑B

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プランター栽培だった昨年と違い、地植えにした今年はゴーヤに勢いがあります。
今後も楽しみ。

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前日に植えた黄色唐辛子に加え、新たにオクラもお迎えしました。

2022070307
6月後半から打ち続く時季外れの酷暑に、行者ニンニクはすっかりやられてしまいました。
夏はまだまだこれから本番だし、ちょっと回復は見込めないか・・・。

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鷹の爪

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チラホラとなっている実も、少しずつ大きくなってきました。

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種から育てている鷹の爪は、相変わらずのんびりとした成長・・・(;^ω^)
さすがに間に合わなそうです。
パセリは虫さえつかなければ・・・。
アサツキは、枯れだした葉に虫がたくさんついていたので、全てカットしました。
もう少ししたら球根を掘り起こして、次のシーズンに備えます。

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茗荷

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こちらもようやく、蕾の第1号を発見。
・・・よりにもよって、砂利敷きの所から伸びてきた茎に(笑)

さて、ひと月後はどんな様子になっていることでしょう。

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2022年6月 4日 (土)

豆類、キュウリの初収穫など(家庭菜園2022 ④)

■5月10~11日

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5月10日、ついにスナップエンドウの実がなりはじめました。

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翌11日にはきぬさやも。


■5月14日

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またまたアサツキとパセリを収穫。
パセリもだけど、アサツキがとにかく優秀。刈った後もすぐに伸びてきて、何度も楽しませてくれています。


■5月19日

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鈴なりになってきたスナップエンドウ。

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ついに初収穫を迎えました。
絹さやも少しだけ。

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ミニトマトにも小さな実がつきはじめました。


■5月23日

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この日も、スナップエンドウと絹さやを収穫。


■5月24日

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根元で静かに成長していたキュウリ。

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今年も無事に初収穫を迎えました。
右の方は、まだ少し早かったかも・・・(;^_^A

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ところで、絹さやの虫害が酷いです・・・。
葉も食われまくっていますが、実の方もご覧の通り、かなりやられています・・・スナップは割と平気なのに。

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収穫したキュウリはサラダに、豆類はおひたしにして美味しくいただきました。


■5月28日

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またスナップエンドウが鈴なりになっています。

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スナップエンドウの豊作。
絹さやもそこそこ採れましたが、もう花も実もあまり残っていないので、そろそろ終わりのようです。
それと同時に・・・

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虫の食害がスナップエンドウにも及んできました・・・。
虫対策は毎年悩みの種です。

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この日は、京みどりの実も確認できました。


■5月29日

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キュウリ第3号。

2022052902
株もすくすくと成長し、今年も順調な滑り出しです。

2022052903
昨年の種から育てている鷹の爪は、成長の早い苗だけを残して選別しました。
といっても、まだこの程度の大きさ。種植えのタイミングが完全に遅すぎました。実がなる頃には秋になっていそう・・・。


■5月30日

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この日の収穫。
新たに花が咲く気配もないし、いよいよスナップエンドウも絹さやも残りが僅かとなってきました。

2022053002
また、この日は茄子の実をはじめて確認できました。


■6月1日

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キュウリの実が続々となりはじめました。

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今年の第4号。
スナップエンドウはもう1回収穫できるかどうか、といったところ。


■6月2日

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翌日には3本同時に(5~7号)


■6月4日

2022060401
さて、ここらでまた今回のまとめを。
まずは畑Aから。

2022060402
ミニトマトは続々と実をつけはじめています。
色づきが待ち遠しいところ。

2022060403
よく観察すると、前日に降った雹によるダメージも・・・。

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茄子ももうじき初収穫を迎えます。
こちらにも若干、雹のダメージが見受けられます。

2022060405
京みどりも数日以内には収穫できそうです。
万願寺トウガラシは少し遅れていますが、花をたくさん咲かせはじめていますので、これからが楽しみ。

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既に7本収穫しているキュウリも、引き続き順調に実をつけてくれています。

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畑Bの方は、いよいよスナップエンドウと絹さやが終了になります。次回には何か別のものが植えられているかも。
ゴーヤはここにきて株の成長も早まり、花も咲かせているのですが何故か受粉せず、なかなか結実してくれません。やはり人工授粉するしかないのか・・・。

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これまでたくさん美味しくいただいてきたアサツキとパセリ。
アサツキはそろそろ終了の時期かと思ったのですが、未だ切った後からグングンと伸びてきます。
パセリもたくさん収穫した直後なので寂しく見えますが、次から次へと葉を伸ばしてくれています。

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鷹の爪もポツポツと開花しはじめました。

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こちらの鷹の爪もまぁ、ゆっくりですが育ってはいます。

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行者ニンニクは・・・マイペース(笑)

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もはや収穫のタイミングすらわからない捨てネギくん。
とりあえずこのまま様子を見ます。

2022060413
茗荷ももうじき蕾が顔をのぞかせてくれそうなタイミングです。

次回には全種類、初収穫を迎えていることでしょう。

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2022年5月27日 (金)

円谷英二ミュージアム

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宿泊した磐梯熱海からの帰路、須賀川市の円谷英二ミュージアムに立ち寄ってみました。

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決して広くはありませんが、入館無料の割に展示品も充実しており、特撮ファンには嬉しい施設なのではないでしょうか。

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個人的には、日本海海戦のシーンを撮影している風景のジオラマで再現された、所謂「東郷ターン」に最も吸い寄せられました(笑)

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ミュージアムの入る須賀川市民交流センター tette前の通りにはウルトラマンたちも。

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お帰り前に、お好きなキャラとの記念撮影なんていかがでしょう?

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