2022年11月17日 (木)

仙波東照宮の特別公開

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埼玉県川越市、仙波東照宮の随身門。

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仙波東照宮では令和4年11月1~23日までの間、川越市の市制施行100周年を記念した特別公開が行われています。

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まずは拝殿、及び幣殿で後水尾天皇の勅額、左大臣・右大臣の随身形、金箔が施された木彫りの狛犬(以上3点はいずれも本来、随身門にあったもの)、及び三十六歌仙額、鷹絵額などを拝観し・・・

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本殿へ。
撮影禁止のため写真はありませんが、唐門から端垣の内へ入り、初公開となるご神体・東照大権現像を拝観させていただきました。

厨子に納められたご神体は甲冑を纏った騎馬姿で、高さは5~60㎝ほど。
本来は手に剣を持っていたはずなのですが、そちらは明治期以降に行方知れずなのだとか。
幣殿で拝観した木造の狛犬と共に「康音」という仏師の作で、この人は日光山輪王寺の木造天海坐像にも銘があります。

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大変貴重な機会を設けていただいたことに感謝。

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折角なので、すぐお隣にある喜多院にもお邪魔し、10年ぶりに徳川家光誕生の間春日局化粧の間なども拝観してきました。

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午後からは家の用事もあったので川越には2時間ほどの滞在でしたが、目的も果たし、いいドライブになりました。

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2022年11月15日 (火)

旧東海道、藤川宿~池鯉鮒宿

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旧東海道、藤川宿の西棒鼻。
8月に旧東海道を御油宿から藤川宿まで歩いてきましたので、今回はその続きとなります。

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出発するとすぐに藤川の松並木が出迎えてくれます。

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松並木を抜けると一旦国道1号線に出ますが、1㎞ほどでまた左へ逸れていきます。

正田の町より大比良川こさせられ、岡崎城の腰むつ田川・矢はぎ川には、是れ又、造作にて橋を懸けさせ、かち人渡し申され、御馬どもは、乗りこさせられ、矢はぎの宿を打ち過ぎて、池鯉鮒に至りて御泊り。水野宗兵衛、御屋形を立てて御馳走候なり。
(信長公記 巻十五「信長公甲州より御帰陣の事」より)

天正10年(1582)4月18日、甲州征伐からの凱旋の途にある織田信長はこの日、三河の吉田城下を出発して御油や本宿を経由(参照記事)した後、岡崎や矢作を通過して知立(池鯉鮒)まで進みました。

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国道から外れて300mほど進んだ地点。
この辺りの旧街道から左(南西)の方向には名鉄の美合駅がありますが、その北~北西一帯に「美合町生田」という地名があります。

正田の町より大比良川こさせられ、
太田牛一が書き残した正田の町、その名残の地名が美合町生田ではないでしょうか。

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その北西側には美合町生田屋敷という地名もあり、詳細は不明ながら生田城址碑も建っています。

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正田城址碑前から、美合町生田方向。
少し高台になっている辺りが正田の町

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長閑な旧街道をしばらく進み・・・

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藪に遮られえた突き当りが、乙川の渡河地点。

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旧街道は川で途切れていますので、すぐ近くを通る国道1号の橋へ迂回します。

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乙川の流れと旧東海道の渡し場付近。
藤川宿側から川を渡った対岸(北)は「大平」という地名になり、乙川には「大平川」という別名もあります。
そう、牛一が記した「太比良川」です。

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乙川の北岸。
旧街道の名残らしき畦道が見えていますが、その傍らには・・・

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大平川水神社が祀られていました。

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太平の集落を進みます。

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旧街道から少し外れ、西大平藩陣屋跡。
西大平藩は旗本だった大岡越前守忠相が寛延元年(1748)、三河国宝飯・額田・渥美で4,080石の加増を受け、都合1万石の大名となったことでて立藩されました。

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太平一里塚
江戸日本橋から80里になります。

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岡崎IC出入口の下を潜る旧東海道。

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岡崎の城下町(岡崎宿)が近づいてきたところで、少し寄り道して朝日町の若宮八幡宮へ。

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徳川家康の嫡男・信康の首塚にお参りしました。

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さて、旧東海道に復帰して岡崎宿へ。

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岡崎宿内を通る旧東海道は二十七曲りとも呼ばれ、20ヶ所以上もの折れを伴います。

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要所要所にこうした案内表示を建ててくれていますので、これを頼りに丁寧にトレースして行きます。

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岡崎三郎信康も初陣の折に祈願したと云う、聖観世音菩薩を本尊とする根石寺。

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籠田惣門跡
ここから先が、近世岡崎城の惣構の内になります。

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籠田公園の中を通り抜ける旧東海道。
この日はラリー・ジャパンに関連したイベント(お祭り)が開催されていて、凄い賑わいでした。

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いや、そこまで小刻みに案内してくれなくてもわかるって(笑)

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もうすぐ城下を抜けてしまう、という地点まで来てようやく岡崎城天守が見えました。

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旧東海道が国道248号と交錯する辺りが、松葉惣門跡。

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江戸時代、現在の国道248号の西側を沿うような位置に、松葉川という川が南北に流れていました。
岡崎城の西側の惣堀も担っており、旧東海道が松葉川と交錯するこの地点には松葉惣門が構えられ、橋も架けられていたと云います。
「東海道中膝栗毛」でも、弥次・喜多が(宿のはずれの)松葉川を渡って矢作橋へ向かった様子が描かれています。

岡崎城の腰むつ田川矢はぎ川には、是れ又、造作にて橋を懸けさせ、かち人渡し申され、御馬どもは、乗りこさせられ、

事前にいくら調べても、信長公記に見える「むつ田川」を特定することができませんでした。
しかし、岡崎城の腰の「腰」が何を意味しているのかは判断に悩むところですが、むつ田川・矢はぎ川と連続する既述の並びと、実際の矢作川との位置関係などから、この松葉川をむつ田川に比定しておきたいと思います。

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松葉惣門跡を出てしばらく進むと、八丁味噌で有名な八帖町に入ります。

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岡崎を舞台にした連続テレビ小説「純情きらり」に出演されていた、宮崎あおいさんの手形。

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矢作橋からの矢作川(矢はぎ川)。
江戸時代の矢作橋はもう少し南側(写真の方向)に架かっていたそうですが、天正10年に信長一行のために架けられたと云う橋は、果たして何処にあったのでしょうか。

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矢作橋、西側のすぐ袂に建つ出合乃像。
史実云々は別にして、「絵本太閤記」に描かれた日吉丸(豊臣秀吉)と蜂須賀小六の出会いのシーンを再現しています。

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矢作川を越えると、矢作宿の町並みが続いています。
江戸時代に整備された旧東海道の宿駅制度からは外れましたが、矢作川を渡る旅人らの宿場町として栄えたそうです。

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岡崎信康唯一の肖像画を所蔵する勝蓮寺。

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矢はぎの宿を打ち過ぎて、

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矢作宿を抜けると国道1号線に合流し、3㎞ほども退屈な区間が続きますが、安城市に入ったところでようやく国道から右へ逸れてくれました。

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やっぱり松並木はいいですよねぇ~。

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低く横に大きく枝を広げる、永安寺の雲竜の松。

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推定樹齢は約350年・・・さすがに信長一行が通過した天正10年にはまだ生えていませんね。

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猿渡川を越えると、旧東海道はいよいよ知立市に入ります。

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来迎寺一里塚
旧東海道を西向きに歩いてくると、一方(北側)の塚が建物の裏に隠れてわかりづらいのですが・・・

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実は一対で残っています。

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泉蔵寺、吉田忠左衛門夫妻の墓所。

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元禄赤穂事件で有名な吉田忠左衛門。その妻であるりんは、忠左衛門切腹後に身を寄せた娘婿の主家の転封により、宝永七年(1710)に刈谷へ移り住みました。
しかし刈谷入りの僅か半年ほど後に亡くなり、形見として持っていた忠左衛門の歯と共に、この地へ埋葬されました。

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知立の松並木

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松並木の途中に建つ馬市の句碑。
江戸時代、この辺りでは毎年4月25日~5月5日の間、馬市が開かれ、4~500頭もの馬が並べられたと云います。

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歌川広重も、東海道五十三次で馬市の様子を描いています。
「池鯉鮒 首夏馬市」

知立は「池鯉鮒」とも書きましたが、それは当地にあった御手洗池、或いは知立神社の神池に鯉や鮒がたくさんいたため、との由来も伝えられています。
旧東海道の宿場名を示す際は、「池鯉鮒宿」とするのが一般的なようです。

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松並木を抜けた先が池鯉鮒宿。
今回の旧東海道歩き旅のゴールです。

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風情ある細い道を進み・・・

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この突き当りを右へ折れた先が・・・

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知立古城址

池鯉鮒に至りて御泊り。水野宗兵衛、御屋形を立てて御馳走候なり。

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元々は知立神社の神官・永見氏の居館があった場所で、刈谷城主・水野忠重(宗兵衛)が、その跡地を利用して信長饗応のための御殿御屋形)を整備したと伝わります。
※家康の側室で、結城秀康を生んだ於万の方は永見氏の出

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御殿址の石碑
江戸時代に入ると更に拡張され、徳川将軍が上洛する際の休息用の御殿にもなりました。

永禄3年(1560)の桶狭間合戦後、知立一帯は刈谷城を押さえた緒川城主・水野信元の領有となりました。忠重はこの信元の異母弟にあたります。
信元は織田家に従っていましたが、信長に武田方への内通を疑われて死に追いやられ(天正3年/1575)、刈谷を含む彼の旧領は佐久間信盛の手に渡りました。
その佐久間父子の追放(天正8年)後、刈谷は忠重に与えられて水野家に復します。
忠重はこの後、高天神城を包囲する徳川軍の陣中にあり、年が明けた翌天正9年1月には、高天神城の処置についての信長の意向を伝える書状を受け取っています。

慶長5年(1600)、家康から隠居料として与えられた越前へ向かう堀尾吉晴を知立でもてなした際、同席していた加賀井重望によって殺害されました。
堀尾吉晴をもてなし、そして自らの最期をも迎えることになってしまった歓待の席も、或いはこの地にあった御殿が用いられたのかもと想像しています。

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知立付近一帯を描いた屏風絵。
東海道が御殿のところで突き当りになっている様子もよく描かれています。
右下隅の方に描かれているのは、岡崎城とその城下町。こちらも二十七曲りの様子がよく見て取れます。

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旧東海道は更に西へと続きますが、私はここを右(北)へ曲がって・・・

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知立神社にお参り。
写真は永正6年(1509)の再建と伝わる多宝塔。知立神社の別当寺だった神宮寺の遺構とのことです。

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神池には、やはり多くの鯉が。

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七五三シーズンにあたっていたため、この日は多くのお子さん連れで賑わっていました。

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旅の最後は電車で少し移動し、刈谷市の楞厳寺へ。
水野家の菩提寺で、水野忠重画像も所蔵しています。

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水野信元や忠重らが眠る水野家廟所。

本当は刈谷城まで足を延ばしておきたかったのですが、空模様が急激に怪しくなり、疲労もありましたので雨に降られる前に切り上げました。
いずれまた機会があれば・・・。

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2022年11月 5日 (土)

フィナーレ近づく夏野菜(家庭菜園2022 ⑨)

■10月3日

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茄子93~96号、京みどり。


■10月6日

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茄子97号、オクラ9号。


■10月10日

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茄子98~101号、京みどり、万願寺トウガラシ。
茄子もついに100の大台を突破です。一つ、葉に隠れていて巨大化していました(左)。

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種から育ててきた鷹の爪。
成長が遅れに遅れてこんなに小さいのに、一丁前に実をつけはじめています。

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庭の片隅のミョウガが、花をたくさん咲かせていました。
もう少し注意深く見ていれば、こちらからももっとミョウガを収穫できたのですね。


■10月15日

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茄子102~103号、万願寺トウガラシ。


■10月16日

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オクラ10号、京みどり。
だんだんと収穫も少なくなってきました。


■10月22日

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茄子104~107号、オクラ11号、京みどり、万願寺トウガラシ。
茄子ももう、あまり大きくならなくなってきました。


■10月28日

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茄子108~110号、京みどり、万願寺トウガラシ。
今年大活躍だった茄子も、これで打ち止めとなりそうです。
ゴーヤと甲乙つけ難いところですが、、、茄子が今年のMVPかな。


■10月29日

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この日、寒さのせいかオクラが急激に萎れてしまいましたので撤去しました。
畑もだんだんと寂しくなっていきますね。


■11月3日

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6日ぶりの収穫も茄子が実をつけなくなったので、採れるのは万願寺トウガラシのみ。

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という訳で茄子は、若い枝を残して少し剪定してみました。

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まだ花は咲かせているので、これらがどうなるか・・・?

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種から育ててきた鷹の爪は、小さいながらも健気に、結構立派な実をつけています。

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畑Bの黄色唐辛子もようやく、本格的に色づいてきました。

来月辺りは唐辛子たちの収穫も終えて、茎ブロッコリーのみになっているかもしれませんね。

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2022年10月30日 (日)

アキシマクジラ出土地と多摩川の牛群地形

本日は多摩川の河川敷(昭島市側)へお出かけ。
まずは・・・

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JR八高線が多摩川を超える鉄橋の、すぐ下流側へ。
この一帯がアキシマクジラの出土地となります。

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アキシマクジラは昭和36年(1961)8月20日、ほぼ完全な骨格で化石が発見されました。
発掘された地層から、およそ200万年前頃に生息していたものと考えられています。
それから57年後の平成30年(2018)1月1日、学会誌に「これまで世界で発見されたことのないヒゲクジラ属の新種」として発表され、「エシュクリクティウス アキシマエンシス」という学名が命名されました。

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そんな訳で、昭島市のマンホールにも鯨がデザインされています。

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また、アキシマクジラに関する説明板の前には、2対の鉄道車輪が設置されています。

昭和20年(1945)8月24日、終戦の僅か9日後にあたるこの日、八高線小宮~拝島間の多摩川に架かる鉄橋上、つまりは冒頭写真の場所で上下線の列車が正面衝突し、少なくとも105名もの尊い命が犠牲になりました。(八高線は今でも全線が単線)
犠牲者の多くは終戦に伴って故郷へ向かっていた復員兵や、疎開先からの帰省客だったと云います。なんとも痛ましい事故です。。。
2対の車輪は鉄橋付近から発見され、この時の事故車両のものと考えられています。

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八高線の鉄橋から1㎞少々下流へ向かった先に残る、多摩川の牛群地形
1950年代の砂礫大量採取により、160~200万年近く前の地層(上総層群の一部)が露出し、洪水などによって削られたできた地形なのだそうです。

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こうした形状が牛やクジラの群れのようにも見えることから、牛群地形と名付けられました。
八高線の鉄橋付近は、河川改修工事によって牛群地形が失われていますが、先程のアキシマクジラも同様の地層から発見されたそうです。

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対岸にはトンネルのようになっている箇所も。

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以前から一度来てみたいと思っていたので、天候にも恵まれて良き散策となりました。
途中マムシに遭遇し、気づくのが遅れて危うく踏みそうになったこともありましたが・・・(;・∀・)


■11月5日追記

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折角なので昭島市の教育福祉総合センター「アキシマエンシス」へ、アキシマクジラの全身骨格レプリカを観に行ってきました。

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下から・・・入りきらない(笑)

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化石の実物も一部、展示されていました。

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2022年10月14日 (金)

京都旅、その他の諸々。。。

先日の京都への旅、既に記事にしてご紹介した場所以外にもちらほらと立ち寄っていますので、今回はそれらを簡単にまとめてみます。

吉田神社や宗忠神社への参拝後、次の目的地へと向かう道すがら、京都御苑の中を通過させていただいたので・・・

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凝華洞、通称「御花畑」跡へ。
江戸前期、後西天皇(在位1655-1663)の仙洞御所が置かれました。
御花畑と呼ばれた由来については不明ですが、後西天皇が「花町宮」「花町殿」などと呼ばれていたことに関係があるのでしょうか。
奥に見えているのは御所の建礼門です。

文久3年(1863)の八月一八日の政変では、その後に新選組となる壬生浪士組が守備についたことでも知られます。
翌元治元(1864)年6月には、前年の政変で京を逐われた長州の兵が襲来する恐れがあるとのことで、勅命を受けて参内した京都守護職・松平容保の仮本営にも充てられました。
禁門の変(蛤御門の変)が勃発するのは、その翌月のことです。

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蛤御門

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蛤御門に残る銃弾痕。

ところ変わって・・・

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旧二條城跡の碑。
永禄12年(1569)、織田信長が足利義昭のために築かせた二条御所の跡地を示す石碑です。
これまでなんとなくタイミングが合わないまま、今回の初訪となりました。

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近年の発掘成果で細かいアップデートはあるでしょうが、おおまかな推定範囲。
この中のいずれかに、信長が曳かせた藤戸石も据えられていたのですね。

直前まで京都御苑にいたのだし、折角なら御苑内に復元されている二条御所の出土石垣も観ておけばよかったのですが・・・この時は全く頭に浮かびませんでした。

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旅の2日目には、京都文化博物館で開催されている新選組展2022にも足を運びました。
これまでに地元の日野や多摩、各地の博物館等で目にしてきたものも多く、各々個別に記事にもしてきましたので省略しますが、いずれは北海道へ観に行きたいと思っていた永倉新八の陣羽織を拝観できたのは良かったと思います。

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2022年10月13日 (木)

「こぬか薬師」を拝観

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医徳山薬師院
毎年10月8日の1日だけ行われる、御本尊の薬師如来像開扉法要に合わせてお参りに来ました。

薬師院の御本尊は、後に比叡山延暦寺(延暦25年/806~)の開祖となる最澄が延暦元年(782)、16歳の時に彫った薬師如来像7体のうちの1つとされていて、伝承によると美濃国横倉の医徳堂に安置されていました。
(現在の薬師院の山号である「医徳山」も、これに由来するものでしょう)
最澄作の薬師如来像で現存するのは、延暦寺のものと当院の僅かに2体のみと伝わります。

寛喜2年(1230)、「一切の病苦を取り除こう。来ぬか、来ぬか」との薬師如来のお告げがあり、これを知って訪れた人々の病が平癒したことから「不来乎(こぬか)薬師」と呼ばれるようになったのだとか。

その後、評判を知った織田信長により、美濃から京へ勧請されたものと伝えられています。

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法要の後、午後2時頃から順に本堂へ上がらせていただき、実際に至近の距離で御本尊を拝ませていただきました。
想像していたものより遥かに小さく、僅か15~20㎝四方ほどの御厨子の中に本尊の薬師如来をはじめ、日光・月光菩薩、そして十二神将の、合わせて15体の仏様がびっしりと立ち並んでいました

前年までの2年間は、コロナ禍の影響で本堂に上がることは叶わなかったそうです。
そういう意味でも、本当に幸運な参拝になりました。

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2022年10月12日 (水)

島津家久が信長を目撃した場所とは?

天正3年(1575)2月、「島津四兄弟」の一人としても名高い島津家久は薩摩を出発し、伊勢神宮参拝を主な目的とした半年近くに及ぶ旅に出ました。
彼はその道中を、「中務大輔家久公御上京日記」「中書家久公御上京日記」「家久君上京日記」などと呼ばれる日記に事細かく残しているのですが、その4月21日の条は次のようになっています。

廿一日、紹巴へ立入候、やかて心前の亭をかされ宿と定候、さて織田の上総殿、おさかの陣をひかせられ候を心前同心ニて見物、下京より上京のことく、馬まハりの衆打烈、正国寺の宿へつかせられ候、(~中略~)上総殿支度皮衣也、眠候てとをられ候、十七ヶ國の人数にて有し間、何万騎ともはかりかたきよし申候、

京に入った家久は連歌師の里村紹巴を訪ね、その弟子である心前の居宅を宿として提供されました。
そして織田信長が大坂から帰陣するというので、心前と連れ立って見物に向かい、実際に信長を目撃しています。
果たして彼が信長を目撃した場所とは何処であったのか・・・俄かに気になり、ちょっと検討を加えてみました。

紹巴の弟子である心前は後に、明智光秀の発句「時は今~」で有名な愛宕百韻にも、師の紹巴や兄弟弟子の昌叱と共に名を連ねています。
その居宅の所在地は不明ですが、師である紹巴屋敷の隣にあったとの説もあるようなので、下長者町通沿いに所在する紹巴町の付近一帯と推定しました。

そして信長の軍勢は下京から上京へと進んだ後、相国寺に達しています。
このことから、信長の軍勢が通行したルートについては、下京と上京を結んでいた室町通を真っ直ぐに北上してきたものと想定しました。

とすると家久が信長の軍勢を見物したのは、現在の紹巴町から下長者町通を東へ進み、室町通と交差する・・・

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こちらの写真の辺りではなかったかと思うのですが、いかがでしょうか。
写真手前から伸びる道が下長者町通で、左右に交錯するのが室町通です。

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相国寺がある北の方角へと続く室町通。

家久が目撃した信長は皮の衣を着し、(馬上で)居眠りをしながら通っていったと云います。
なんだか信長の人間臭い一面が垣間見えて、個人的にはとても好きなエピソードの一つです。

家久は同月28日にも、美濃へ帰国する信長の軍勢を見物しています。
※「信長公記」では、信長の離京は27日。

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2022年10月11日 (火)

織田信長“幻の”京屋敷計画(吉田神社・宗忠神社)

今回は京都への旅です。
調べてみたところ、京都に宿泊するのは5年ぶりになります。

京都駅から電車を乗り継ぎ、出町柳駅から東の方角へ歩くこと10分ほどで・・・

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神楽岡とも呼ばれる吉田山が見えてきました。

永禄11年(1568)9月27日には、織田信長による足利義昭を擁した上洛戦に参陣していた近江北郡衆(浅井勢か)や高島衆(朽木勢か)の8,000ほどの軍勢が、この吉田山に布陣しています(言継卿記)。
なお信長は同日、近江の三井寺に滞陣して義昭と合流し、翌28日に入京を果たしました(信長公記)。

また、建武3年(1336)にも、後醍醐天皇方と対峙する足利尊氏も神楽岡に陣を布いたことがあるようです。

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まずは吉田神社から参拝。

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ところが吉田神社では結婚式が執り行われている真っ最中で、本宮への参拝は叶いませんでした。

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仕方ないので本宮は諦め、大元宮へ。

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大元宮の本殿は八角形のような形をしていますが、これは密教や儒教、陰陽道、道教などの諸宗教・諸思想を統合しようとした吉田神道の理想を形に表したものと考えられているそうです。

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そのまま、大元宮のすぐ裏手から宗忠神社へ。

元亀4年(1573)7月14日、「吉田山に屋敷を建てては如何か」との明智光秀の進言に基づき、織田信長の命を受けた柴田勝家、木下秀吉、滝川一益、丹羽長秀、松井友閑らが検分のため、吉田神社の神主・吉田兼見(この時点では「兼和」。天正14年/1586に「兼見」へ改名)の元を訪れます。
検分の結果、屋敷地には不向きとの結論を以て屋敷建設は結局、沙汰止みになりました。

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これは当の吉田兼見が記した「兼見卿記」に載っているエピソードなのですが、この時に信長屋敷の候補地とされたのが、現在は宗忠神社(文久2年/1862創建)の建つ場所であったと、いつぞやのTV番組で紹介されているのを観た記憶があります。

屋敷地に不向きとされた理由も定かではありませんが、そもそも何故、兼見とも親交の篤かった光秀が、兼見にとって迷惑この上ないような提案を信長にしたのかも謎ですし、これ以降も2人の関係に変化が見られないこととも合わせ、なんとも不思議な顛末に思えます。

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帰りは正参道から下山。

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備前焼の逆立ち狛犬。

翌15日、兼見は信長が宿所としていた妙覚寺に参上しています。屋敷造営の取り止めに対する御礼言上にでも伺候したのでしょうか。

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2022年10月 1日 (土)

ゴーヤのフィナーレと茄子の頑張り(家庭菜園2022 ⑧)

■9月4日

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ゴーヤ69~70号。
最近はあまり長く伸びず、ずんぐりとした丸っこい実が増えてきました。


■9月6日

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ゴーヤ71~72号、茄子51号。


■9月9日

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ゴーヤ73号、茄子52号、オクラ2~3号、京みどり&万願寺トウガラシ。

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黄色唐辛子・・・本当に黄色くなってきました。


■9月10日

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ゴーヤ74~78号、茄子53号、京みどり、万願寺トウガラシ、鷹の爪、そして黄色唐辛子も一つだけ初収穫。
万願寺は2~3本ほど、奇跡的に虫にもやられずに良い型まで育っていました。

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夕方、ゴーヤ79~80号を追加。


■9月12日

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ゴーヤ81~85号、茄子54号。

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オクラも既に3本収穫していますが、いずれも気がついたら実になっていたので、花を確認できたのは今朝が今年初めてです。


■9月14日

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茄子55号。


■9月16日

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茄子56~61号、オクラ4号、京みどり&万願寺トウガラシ。
京みどり&万願寺トウガラシの虫害は収まっていますが、茄子にはまだ危険なサインがチラホラ・・・。


■9月17日

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ゴーヤ86~90号、茄子62~64号、万願寺トウガラシ。

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ゴーヤは葉もだいぶ枯れだし、実が小振りになってきました。
100の大台まで届くか?

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黄色唐辛子の実がかなり増えてきました。
黄金色の激辛一味唐辛子を作るのが楽しみです。


■9月18日

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ゴーヤ91号、茄子65~70号。


■9月19日

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ゴーヤ92号、京みどり&万願寺トウガラシ。
大雨の影響で倒れ掛かっていたり、枝が垂れたりしているものがあったので対策を施しました。
台風14号も無事に乗り切ってくれるといいのですが。


■9月20日

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ゴーヤ93~94号、オクラ5号。
また前夜来の強風で茄子が倒れかかっていましたので、出勤前の少ない時間で応急処置。


■9月22日

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ゴーヤ95~96号、茄子71~72号。


■9月23日

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また京みどりや万願寺トウガラシに虫害が多発していたので、まだ小振りでしたが無事な実を早めに収穫しました。

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オクラの葉にも、やたらと食われているものがあるなぁ~と思ったら・・・

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案の定、ワタノメイガの幼虫が葉を丸めて潜んでいました。
葉を部分的にカットして駆除しました。


■9月24日

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ゴーヤ98~101号、茄子73~74号。
ゴーヤはもう育たなくなってきましたので、ある程度の大きさのものは小さくても収穫しました。
しかし、ついに100の大台を突破!


■9月25日

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茄子75~80号、オクラ6号、万願寺トウガラシ。
万願寺トウガラシの株に、小さなコオロギのような虫が何匹か潜んでいました。


■9月28日

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茄子81~87号、オクラ7号、万願寺トウガラシ。


■9月29日

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黄色唐辛子の実がかなりの数、虫?の食害に遭っていました。。。

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しかも、よく観察すると中の種が目当てのようで、中がスッカラカンになっているものも。
いったい何者なのでしょうか、こんな辛い物を食べるのは・・・?

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という訳で虫に食べられる前に、熟して色がついたものから順次収穫していくことにしました。
茄子は88号です。こちらも100の大台が現実味を帯びてきました。


■10月1日

早いものでもう10月。
今年も夏野菜たちを植えてから半年が経ちました。

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ゴーヤ102~104号、茄子89~92号、オクラ8号、万願寺トウガラシ。

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ゴーヤはすっかり枯れ果て、もう実を大きくする力も残っていないので撤去することにしました。

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ゴーヤが去った畑B。
今年はゴーヤの陰になって日当たりが悪かったせいか、オクラの生育が芳しくありません。
黄色唐辛子は綺麗な実をたくさんつけていますが、こちらは今後も虫の被害が心配。

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畑A
茄子や万願寺トウガラシはまだ元気で、もうしばらくは楽しませてくれそうです。

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紫茎ブロッコリーと、種から育てていたチビ鷹の爪。
鷹の爪はこんなに小さいのに、もう花をつけだしています。

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茎ブロッコリー。
順調に育ってはいそうです。

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鉢植えの鷹の爪は、あらかた実を採り尽くしました。

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アサツキにパセリ。
パセリにも結構、虫の被害が出ています。

さて、一ヶ月後にはどんな様子になっていることでしょうか。

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2022年9月 3日 (土)

畑の衣替え(家庭菜園2022 ⑦)

■8月1日

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キュウリ86号、ゴーヤ29~31号。
8月もゴーヤの好調が続きそうです♪


■8月2日

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キュウリ87~91号、ゴーヤ32~33号、茄子27号、ミニトマト。
キュウリはお酢でできた防虫剤の地道な散布の成果か、ここにきて少し形が整ってきました。
茄子はまた表面にかじられたような痕跡があったので、早めに収穫しました。


■8月5日

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キュウリ92~94号、ゴーヤ34~37号、万願寺トウガラシ39~54号、茄子28号、ミニトマト、ミョウガ。


■8月8日

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キュウリ95~98号、ゴーヤ38号、茄子29号、ミニトマト。
旅で2日間留守にしたせいで、キュウリが2本育ち過ぎました。
そして、イエローアイコが素晴らしいラストスパートを展開しています。

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僅かに1枚だけ残っていた葉も枯れ果て、行者ニンニクは完全に失敗に終わりました。
やはり夏の暑さが原因でしょうか。


■8月9日

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ゴーヤ39~45号、ミニトマト。
ゴーヤの勢いが止まりません。消費が追いつかないので、せっせと職場に持っていって配ります。


■8月11日

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キュウリ99~101号、ゴーヤ46~50号、茄子30~34号、京みどり、万願寺トウガラシ、ミョウガ、そして初収穫の鷹の爪。
キュウリは2年ぶりに100の大台に乗りました。
右端のゴーヤは、今年一番の出来。
京みどりと万願寺トウガラシは交雑しているのか、形が奇妙にあいのこになってきました。数も多いので、カウントは諦めました(笑)
ミョウガはそろそろシーズン終了のようです。

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ところで・・・京みどりの高温障害が壊滅的です。
早くもう少し涼しくなってくれないものでしょうか・・・。

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鷹の爪は早速、乾燥させていきます。


■8月13日

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台風8号が迫る朝の収穫。
キュウリ102号、ゴーヤ51~54号、茄子35~37号、京みどり、万願寺トウガラシ、ミニトマト。

台風の畑への影響が心配です・・・。


■8月14日

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ゴーヤ55~56号、茄子38号。
左のゴーヤは、まだ先端が膨らんでいないからと採らずにいたら、黄色く変色し始めてしまいました。
右のも寸詰まりですが、これ以上伸びはしないので。

台風8号は結局直撃を免れ、雨風共に私の住む地域ではそれほどでもなかったので、畑の方も無事でした。


■8月15日

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キュウリ103号。


■8月16日

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キュウリ104~106号、ゴーヤ57~58号、茄子39~40号、京みどり、万願寺トウガラシ。

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ミニトマトは実がなくなり、枯れ始めて新しい芽も伸びていないイエローアイコを撤去し、残る2つは余分な枝葉を剪定して、新しい芽が伸びている部分だけを残していました。
新しい芽からは、新たな花も咲き始めました。


■8月18日

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ゴーヤ59~61号、ミニトマト。


■8月19日

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キュウリ107号、茄子41~43号。
キュウリは葉が一斉に枯れ始めましたので、シーズン終了が近いようです。


■8月20日

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日課である畑のチェックをしていたら・・・
京みどりが集中的に虫の食害にやられていました。

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という訳で、京みどりは小さくとも無事な実を早めに収穫。
万願寺トウガラシはいい出来です。
ゴーヤは62号。葉に埋もれるようにして立派なのがなっていましたが、現時点で他に実は殆どついていません。葉はまだまだ生い茂っていて株は元気なのですが、そろそろシーズンも終わりなのでしょうか。
茄子は44~45号。


■8月22日

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キュウリ108号、茄子46号。
本来、キュウリの実は成長がとても早いのですが、この日に収穫したものは前日から殆ど変わっていませんでした。その他の小さな実も成長は見られず、株自体の寿命が近いように感じます。


■8月24日

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茄子47~48号、京みどり、そしてミニとも呼べないようなプチプチトマト。
ミニトマト、そしてキュウリも枯れてしまいましたので、週末に撤去する予定です。

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実は・・・ゴーヤのつるが一部、お隣の木を駆け上ってしまい、とても高い位置で立派な実がぶら下がっているのです。
凄く形も良くて美味しそうなのですが、お隣さんにも脚立を立てられそうな場所がなく、どうにも手が出せません・・・口惜しい。


■8月27日

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件のお隣の木を駆け上った天空ゴーヤ、なんとかレーキで引っ掛ければ採れそうだ、ということでトライしてみることに。すると・・・

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考えていた以上に上手くいきました!
右が天空ゴーヤです。写真ではわかりにくいですが、我が家庭菜園史上最大サイズです。
(ゴーヤ63~65号)

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駆け上っていたつるを回収した後の様子。
回収の時に小さな実を2~3個犠牲にしてしまいましたが、つるは何とか折れずに済みましたので、畑のネット側に巻き付けておきました。

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そして畑Aはキュウリとミニトマトを撤収。
今年のキュウリは108本で打ち止めとなりました。

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キュウリを植えていた箇所には、種から育てていた鷹の爪を植え替えておきました。
8月も終わりのこの時期にまだこのサイズなので、ちょっと間に合いそうにもないですが・・・。
他の空いたスペースにも何か植える予定です。

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そうそう、畑Bのオクラにも初の実らしきものを確認しました。

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そして午後、ホームセンターへ苗を買いに行って、ミニトマトの跡地には茎ブロッコリーを3株植えて・・・

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キュウリ跡の残った一隅には、紅葉色の茎ブロッコリーを1株植えてみました。
成長が楽しみです。


■8月30日

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ゴーヤ66~67号、鷹の爪第2弾。
またご飯の友を作るために、青唐辛子もいくつか収穫しました。

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その青唐辛子は、味噌と麺つゆをベースとしたものに、胡麻・砂糖・ニンニクと一緒に加え、胡麻油で水分がある程度とぶまで炒めます。

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最高のご飯の友、唐辛子味噌の完成です。
辛みと共に、ふくよかな甘みも広がって美味しいです。大成功。


■9月1日

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オクラ1号、完熟万願寺トウガラシ。
このオクラ、花が咲いていることにも気づかず、知らないうちになっていました。
生い茂ったゴーヤと紫陽花の木に挟まれているために見えていなかったのですが、そんな条件なので日当たりも悪く、生育も遅いようです。
最近、紫陽花をかなり剪定したので、今後に期待ですね。
ちなみに万願寺と京みどりは、虫食いで殆ど全滅状態でした。。。


■9月3日

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ゴーヤ68号、茄子49~50号、京みどり、万願寺トウガラシ。
茄子もついに50本に乗ってくれました。

それではまた、今回のまとめを・・・

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畑A
キュウリ、ミニトマトが去り、新たに茎ブロッコリーが仲間に加わりました。
種から育てていた鷹の爪も植え替えています。
50本の大台に乗った茄子はまだ元気で、新しい花がたくさん咲いています。
京みどりや万願寺トウガラシは、とにかく虫食いがひどいです。

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畑B

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ゴーヤは一時の勢いはなくなってきましたが、まだたくさん実をつけていますし、、、

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新たに花もたくさん咲き始めました。
ただ、見えている花は殆ど雄花でしたが・・・。

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黄色い実になるという唐辛子は育てたことがないので、この先どう収穫に結びつくのか全くわかりません。枝ぶりが鷹の爪とも全く違いますし。
ただ、白い花はたくさん咲いています。

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プランターの鷹の爪。
既にかなりの数を収穫していますが、まだ結構実が残っています。

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アサツキにパセリ。
パセリも常に虫がついていて、結構かじられています。

さて、ひと月後にはどんな様子になっているでしょうか。

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