2012年6月23日 甲斐武田家終焉の地
今週は山梨県は勝沼へ、甲斐源氏・武田家終焉の地を巡るドライブです。
朝、出発前に道路状況を確認すると既に相模湖を先頭に35kmの大渋滞!これは困ったぞ、ってことで暫し悩んだ挙句、相模湖ICまで一般道でTRYしてみて、一般道も駄目なら引き返して明日に出直そう、ってことにしてとりあえず出発。
幸いに一般道の方はさしたる混雑には遭遇せず、順調に目的地へと辿り着くことができた。巡った先は写真の方でご紹介するとして、帰りにはやはり名産のワインを購入。飲んでみたいのをチョイスしていたら3本で7000円と、若干手痛い出費となった。。。
帰り道は八王子ICまでスイスイの楽チンDrive♪それでは早速どうぞ!
まずはこちら、大善寺から。
天正10年(1582)3月3日、新府城を捨てた武田勝頼一行は、その日のうちにここ大善寺へと落ち延びてきた。
小山田信茂が出迎えてくれる筈だった岩殿城へ向かうため・・・。
先程の山門を潜って石段を上がった先には、楽屋堂。
1286年創建と伝わる関東?最古の木造建築、大善寺本堂(国宝)。
勝頼一行が落ち延びて来た時、この寺には勝沼氏の出で尼になっていた理慶尼がいた。
彼女は勝頼たちを手厚くもてなしたという。。。
その理慶尼のお墓。
武田勝頼滅亡記とも呼ばれる「理慶尼記」を残した。
楽屋堂から
さて、次に移動しますか!
田野の郷を過ぎて天目山方面へと進んだ先に「土屋惣蔵片手千人切」の碑。
大善寺を出て小山田氏の岩殿城を目指した勝頼一行は笹子峠で小山田信茂の裏切りに遭い、やむなく引き返し天目山を目指す。だが天目山麓で織田軍に遭遇し、田野の郷へと引き返す。その際、家臣の土屋惣蔵は主君を田野へ逃がし、その自害を助けるためにこの地に踏み止まり、織田軍を相手に狭い谷間の道を利用して奮戦したという。。。その伝説から名づけられた。
田野の郷には現在、武田勝頼の墓所ともなっている景徳院。
天正16年、徳川家康の命により、勝頼たちの菩提を弔うために建立された。
境内中腹には「没頭地蔵」
ここに首のない勝頼父子の遺骸が葬られている、とか。
武田勝頼生害石
追い詰められた武田勝頼はここで遂に自害に及ぶ。
まさに甲斐源氏武田家終焉の地。
その横には勝頼夫人の生害石
武田勝頼、夫人、嫡男・信勝の墓所
立派な山門も
「旗竪松」
最後に武田家累代の重宝「日の丸の御旗」を立て、嫡男の信勝に「楯無鎧」を着せて「擐甲の礼」を執り行ったと伝わる松。
景徳院前から天目山方面を眺める。。。
所変わって勝沼氏館跡。
なかなか立派な堀!
この東門から入ります。
この辺りが館の中心部だったそうな。
こっちの堀もいいぞ♪
当然のことながら天然の水濠としたであろう、日川にかかる祝橋を渡ります。
その祝橋(歩行者専用)
昭和六年に架けられた三代目だそうな。奥が勝沼氏館跡。
この後は近くでワインを購入し、渋滞が始まる前に撤退です!
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