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2012年9月27日 (木)

2012年7月15日 大坂の陣・真田幸村の足跡を辿る旅 初日

今回はTwitter上で募集されていた「真田幸村と大坂夏の陣」(主催:ゆうりさん)に急遽参戦させていただきました。
残念ながら午前中の道明寺方面は時間の都合上間に合わず、午後3時からの参加となりましたが普段の一人旅では何気なく見過ごしてしまっているような遺構も詳しい方と一緒だと確認でき、大変勉強になる旅でした。
2日目は山城巡りに向かわれた御一行と別れて単独行動。猛暑の中の歩き通し、体力的には厳しかったが充実の2日間!

今回はノンビリとした旅立ち。東京駅11時50分発ののぞみで新大阪へと向かう。
集合場所の森ノ宮には約束の3時少し前に到着。しかし私が細かい待ち合わせ場所を勘違いしたりして数分の遅刻。面目ない。
全員揃ったところでいざ出発!まずは1614年の大阪冬の陣において、徳川の大軍を跳ね返した豊臣大坂城の惣構え(大坂の台地上の町をすっぽり囲い込む空堀)と、真田幸村が築いた真田丸の痕跡を訪ね歩く。
あとは写真の方でどうぞ!

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新大阪から集合場所の森ノ宮へ向かう途中、乗換で降りた大阪駅のホームから。

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大阪城公園森ノ宮口。いざ大坂の陣!
「関東勢百万と候え、男は一人もなく候」…って私も関東の男の子ですけどね(^^;
総勢7名でウォーキング・スタート。

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まずは森ノ宮から惣構えの東面跡を南に向かって歩く。
この通りの辺りが東面の堀跡。

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玉造交差点。ここが惣構えの東南の角に当る。
かつては黒塗りの玉造門があったため「黒門跡」の碑があります。

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玉造から少し南西方向に向かうと三光神社。
ここが冬の陣において真田幸村が築いて奮闘した真田丸の跡地。

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境内には冬の陣における幸村の奮戦ぶりを伝える銅像が…

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真田丸の主廓部。ここで幸村は指揮を取っていたのだろうか・・・。

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真田丸南面の最前線。この段差が当時の堀や土塁の名残と思われる。
ここに越前松平勢や加賀前田勢らが殺到したことになる。

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この細い通りは真田丸の主廓と二の廓(勝手に命名。
脇馬出しのようなものか?)を分かつ堀跡。向かって右が主廓で左が二の廓。
通りの奥、最も高くなっている辺りが両廓を繋ぐ土橋跡だとか。

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清水谷公園から。正面に僅かに見える学校の校庭がほぼ同じ高さ。いかに深く広く堀を穿ったかが分かる。

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清水谷の辺りから。道路が窪んでいる辺りが三の丸の堀跡。ここは分かりやすい。

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「空堀ど~り商店街」小説「プリンセス・トヨトミ」の舞台ですね♪
ここはその名の通り、空堀の中に盛り土をして商店街を通したような形状になっている。従って商店街の裏へ回ると・・・

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ご覧のような高低差!ここは堀の深さがよく分かる場所として、大阪城を紹介する番組でよく紹介される場所らしい。

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ちょっと横道に反れて・・・
映画「プリンセス・トヨトミ」で中井貴一さんがお好み焼きを焼いていたお店、だそうですw

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さて、惣構え探索も佳境です。
西面の堀跡

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地下鉄で天満橋に戻り、ドーンセンター前に復元された豊臣大坂城時代の石垣。

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乾櫓

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空の青さとビルが堀の水によく映えて美しい・・・。

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汗だくになった後はビールで乾杯!「しろずきオフin大阪」!!
ここからは人数も増えてちょっとした宴会!皆さん、本当にお世話になりました♪

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