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2012年11月

2012年11月30日 (金)

「桶狭間の戦い」を辿る ①(11月23日)

10月初旬のF1日本GP(鈴鹿)以来、久し振り?の旅です(笑)
今回の旅程は2泊3日。Twitterで知り合った方々が主催する「城友会」に参加させていただくことになったのが、そもそものキッカケ。せっかく愛知まで行くのだからと、城友会には2日目の夜からの合流とさせてもらい、初日~2日目は単独行動。
かねてより念願だった「桶狭間の戦い」の舞台をじっくり辿ることにしました!

事前に「信長公記」などをじっくり読みこみ、今回の踏査で;
・「桶狭間の戦い」とは織田信長の奇襲だったのか、それとも正面からの突撃だったのか?
・今川義元の本陣は果たしてどこにあったのか!? etc...
を自分なりに突きとめてやろうと息巻いて乗り込みました(^_^;)

永禄3年(1560年)5月19日未明
「今川勢、鷲津・丸根両砦への攻撃を開始!」の急報を受けた織田信長は、「敦盛」を一差し舞うや大急ぎで具足を纏い、立ったまま湯漬けをかっ食らって主従僅か六騎にて居城、清州城を飛び出す。。。

という訳で正午過ぎ、JR清州駅に到着。
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この日は天気が心配だったんだけど…、なんとか雨はもちそう。

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清州城へ向かう道すがら。
今回の旅でやたらと見かけた花。関東じゃあまり見ないよな~って思っていたんだけど、帰ったら即行、近所に咲いているのを見かけた…(^_^;)

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15分ほどで清州城に到着。主郭部があったとされる、五条川西岸の公園に建つ碑。

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ようやくというか…紅葉も見頃?

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実はこの清州城、7年ぶりの再訪。
7年前はこんなの建ってなっかったよね?

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石垣の復元展示。これは前回来た時もあった。

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さて、次はあの銅像を見に行きます。

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清州公園に建つ織田信長と正室・帰蝶(濃姫)の銅像。
確か濃姫の像は最近設置された筈…と記憶している。。。

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この視線の先には…桶狭間か!?

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そして五条川を挟んで対岸には復興天守。
東海道新幹線がすぐ脇を通っているので、新幹線の車窓から見かけた方も多い筈。
(東京から京都方面に向かった時に名古屋を過ぎてすぐの右手)

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五条川。紅葉も真っ赤!

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たしか7年前も天気が悪くて雨が降っていた。。。

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天守最上階から。大手橋と新幹線♪

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真下を見下ろす。。。

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鯱鉾

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そして清州城天守から東の方角に目をやると、彼方に名古屋城天守も見えます!
あそこの二の丸には(旧)那古野城の碑もあり、織田信長が一時居城した地でもあります。

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さて、のんびり清州城を堪能した後は歩いて名鉄「新清州」駅を目指します。
その道すがら見かけた神社にて。ごめんなさい、名前とか全く覚えていない(^_^;)

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某橋の袂にて。織田木瓜ですね♪

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新清州駅。ボチボチ晴れ間も見えてきたかな。

さて。
清州城を飛び出した信長がまず最初に目指したのが熱田社(熱田神宮)。
そこでしばし後続の兵を待ち、戦勝祈願をする。。。

という訳で、次なる目的地は熱田神宮。
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名鉄「神宮前」駅で遅めの昼食。
あっさりとした鰹風味の醤油ベースで細麺。美味しかったですよ♪

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腹拵えも済ませて、熱田神宮の境内へ。
早速、信長が桶狭間の戦勝後に寄進したという「信長塀」♪

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神楽殿

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江戸幕府五代将軍・綱吉の再建と伝わる西楽所と「ならずの梅」

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そして、本宮。

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大楠。

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彼も境内をお散歩中~(笑)

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八剣宮。
ここも確か、後に信長が寄進して再建したことがあったんじゃなかったかな?
…間違っていたらゴメンなさい!(>_<)

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「信長公記」にも「源太夫殿宮」として記述が出てくる上知我麻神社。
織田信長はこの前から東の空を見やり、立ち上る煙で鷲津・丸根の落去を悟ったという。

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立派な鳥居だなぁ…。木造って、やっぱりいいね!

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素敵なのでもう1枚♪

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熱田神宮を出てからは、ほど近い今宵の宿へ。
伝馬町の旧東海道。

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宿に向かう途中、たまたま見かけた観光案内図に魅かれて「徳川家康幼時幽居跡」を探し求めて彷徨い歩いている時に通りかかった「羽城公園」。
「城」と聞くと、どうしても反応してしまう。。。(笑)

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そしてこちらが「徳川家康幼時幽居跡」。一時、織田家の人質となっていた竹千代(家康)が寝起きしていた場所。
ネットで見る限り、何かしらの建物があったはずなのだが…。茫然と佇んでいる所へ、地元の老人に声を掛けられた。
「残念だったねぇ。つい最近取り壊しちゃったんだよ。終戦直後までは雄大な敷地で立派な土塀も残っていたんだけどね~」
…なんとしても見たかった!(>_<)

とまぁ、初日は「前乗り」の意味合いが強かったので、この辺りで切り上げてホテルへチェックイン。
夜ものんびり過ごして、翌日に備えました。
(つづく…)

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2012年11月20日 (火)

お江戸散策 南町奉行所、八丁堀与力・同心屋敷、山下御門

またチョロチョロと史跡散策の写真をUPします(笑)
今回は近場の八丁堀、有楽町、銀座(内幸町)界隈から。

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八丁堀の与力・同心屋敷跡(京華スクエア周辺)
時代劇「八丁堀の七人」って観たことないけど、ここが舞台だったのかなぁ?

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JR有楽町駅前に展示されている、発掘された南町奉行所の石組。
この日はたまたまイベントをやっていて、設置されたテントで正面から撮影できず!(>_<)

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同じく南町奉行所の穴倉(有楽町イトシア地下)
…くたびれたオッサン、何もそこに陣取らなくても!(T_T)

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なんと、有楽町にも龍馬像が!?
(高知のアンテナショップのようです)

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江戸城外堀探索の際、見逃してスルーしてしまっていた山下御門跡。
幸御門と数寄屋橋御門の間です。
江戸城外堀探索①をご参照ください)
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山下御門の位置。

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現在でも江戸の名前が残っているのは嬉しいね♪

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泰明小学校…はて、何で有名なんだっけ?w

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2012年11月16日 (金)

江戸城外堀探索③ 小石川~浅草

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今回は本企画(?)の出発点となった牛込御門跡がある飯田橋から①の時とは反対方向、東に向かって外堀沿いに緑色の文字で記した小石川・筋違・浅草の各御門跡を巡っていきます。

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飯田橋から外堀通り(ハローワークがある通りですね)を水道橋方面に向かいます。ホント、江戸城の外堀巡りって首都高に沿って歩くのと殆ど同じ…(^_^;)

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水道橋駅に到達するすぐ手前に、小石川御門跡(小石川橋)。

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小石川橋からの外堀(神田川)。右から合流してきているのが日本橋川。②でも書きました通り、江戸時代には堀留橋辺りで埋め立てられていましたが、その後開削されてご覧のように神田川に繋げられました。

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そして水道橋から。

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水道橋からお茶の水にかけてはなだらかな上り坂が続きます。
そういえば「JIN」でよく登場した丘の上(仁先生が咲さんにフラレたりしていた場所w)がこの先のお茶の水辺りという設定でしたよね、確か。

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普段車だと気付かずに通り過ぎてしまうが、この坂の途中には「お茶の水分水路」や・・・

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「神田上水懸樋跡」の碑がありました。

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御茶ノ水駅から見たお堀。この辺りは仙台藩伊達家が開削を担当したことから「仙台濠」と呼ばれます。

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その反対側には聖橋。

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聖橋の袂にも、思わせぶりな石がゴロゴロと・・・

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更に聖橋の上にも上ってみた。外堀跡と・・・鉄道ジオラマ!?(笑)

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聖橋の上からは他にも湯島聖堂や・・・
(あ、湯島聖堂のあの壁の手前の坂、「JIN」のオープニングだかで雑踏の中を歩く中谷美紀さんが振り替えるシーンの場所ですね)

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東京スカイツリーもひょっこり顔を出していた(笑)

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「淡路坂」
坂上に鈴木淡路守という人の屋敷があったことが名前の由来とか。ここを下ると・・・

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秋葉原のすぐ手前に出ます。写真は昌平橋からお茶の水方面を振り返ったところ。

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おなじく昌平橋から万世橋方面。この辺りに「筋違御門」があったらしいです。

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万世橋から。残念ながら御門の名残は何もなく・・・

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線路を潜って秋葉原駅を越え、和泉橋から進行方向の外堀跡。

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ここからは外堀通りから更に1本お堀側に入った柳原通りを進みます。

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何か由緒ある建物かと思ったら・・・お手洗い(笑)タクシーの運ちゃんも!ww

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「左衛門」・・・うむ、思わせぶりな名前の橋だww 今度ちゃんと調べてみます。

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淡々と進むこと約15分(秋葉原から)、割と呆気なく浅草橋の袂に出ました。その角には「郡代屋敷跡」
関東郡代役宅跡で代々、伊奈氏が世襲。当初は常盤橋御門内にありましたが、明暦の大火で消失後にこちらへ移動。伊奈氏の失脚後は勘定奉行が郡代を兼務し、引き続きこの地に居住しました。

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浅草橋

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浅草橋から。屋形船の数が凄い・・・(^_^;)

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そして「浅草見附(御門)跡」の碑。
これで外堀探索、御門跡巡りは終了ですが、折角なのでもう少し歩いてみることにします。

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両国広小路
明暦の大火が起きた時、この付近の隅田川には防衛上の理由(隅田川が武蔵・下総の国境だったため)により、橋が架けられていなかった。そのため、多くの市民が逃げ場を失い命を落とした。以降この地には両国橋が架けられ、且つ延焼を防ぐためにその付近を火除け地としたのが広小路の始まり。上野・浅草と並ぶ江戸三代広小路。

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柳橋

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最後に両国橋から隅田川。
〆もやはりスカイツリー♪(笑)

これにて江戸城の外堀探索はひとまず終了です。
まだ見逃しているポイントもありますので、それらは追々機を見てブログなりTwitterなりでレポートします。お付き合いくださり、ありがとうございました♪ 

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2012年11月15日 (木)

江戸城を俯瞰! 平川門~竹橋門跡

さて、江戸城外堀歩きは一休みして、今回は平川門~竹橋門跡の辺りを俯瞰で見学してきたレポです。

以前から平川門~竹橋門跡に架かる「帯曲輪」がどうしても気になり、何とか上手く写真に収められないか試してきたのですが…どうしても地上からだと、あの独特の橋の様な形状を表現することができない。

ちなみに「帯曲輪」とはこんなものです↓
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まぁ、こんな上空写真は無理としても、ここは何としても俯瞰で見てみたい!と思い立ち、調べましたよ。。。そしたらあるじゃないですか!
地下鉄「竹橋駅」を出るとすぐ、毎日新聞が入っている「パレスサイドビル」という建物があるのですが、ここが平日の11:45~14:00に限り、屋上を一般に開放しているとの情報をGET!!

早速行ってきました♪
昼休憩を楽しむサラリーマンやOLさん達のグループの傍らで一人、スマホで写真撮影に勤しむ怪しいリーマンの図(笑)

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おお・・・!これぞまさしく「帯曲輪」!!
写真右端の道路が竹橋で、すぐ左の窪んでいる石垣の辺りが竹橋門跡。そこから左に向かって…

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ズズイーッと細長く、堀を分断するかのように「帯曲輪」が伸びる。何だか「ミニ・天橋立」みたい(笑)
これを境に奥が「平川濠」、手前が「大手濠」と呼ばれます。

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最後は平川門に繋がります。 そろそろ紅葉も見ごろですね♪

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こちらは先日「江戸城外堀探索②」でも紹介した「雉子橋御門」付近。
(お堀がカクッと折れている辺り)

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景色最高ですよ~♪

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奥に東京タワーが写っているの、見えますか?

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最後に、東京スカイツリー。
景色を眺めるだけでも十分に楽しめます。いいスポット、見つけちゃったな!ww

次回は外濠探索を再開(予定)です。

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2012年11月13日 (火)

江戸城外堀探索② 常磐橋~堀留橋

さて、江戸城外堀探索①の続きです。
今回のルートはこちら↓
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紫色の文字で記した常磐橋御門跡から順に巡っていきます。
と、その前に…

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①のラストに訪れた呉服橋御門のすぐ近くには江戸時代後半(1800年頃~)、北町奉行所がこの地に置かれていた。その跡地に建つトラストタワーの敷地内には、発掘された排水溝の展示があります。

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さ、改めて。堀端から早速、常磐橋御門跡が見えてきました。ここは門構えの石垣もよく残り、とても雰囲気があっていいのですが…

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昨年の震災により、現在は立入禁止に!
両脇の石垣も立派なだけに、もっと近くで見たかったな。。。 現在の日銀本店の斜め向かい辺りです。

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う~ん、残念だけど古い橋だけに仕方ないか。

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引き続き神田橋御門跡。現在はご覧の通り、首都高の出入口に…。

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神田橋から、この先の一ツ橋方面。
当然こんな状態なので遺構は期待できないと思ったが…

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あの隙間から辛うじて石垣が!?

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更に進み、一ツ橋御門付近の堀跡。この辺りの対面には石垣跡がよく残ります。

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かなり削り取られちゃってますが…(^_^;)

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そして一ツ橋御門跡。正面にはすぐ江戸城内堀(大手堀)と平川門があります。

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一ツ橋から雉子橋御門へと続く堀跡。正面の河岸は石垣跡です。

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改めてじっくり見ていくと、意外と石垣はよく残っている。

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この先に…

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雉子橋御門跡。あの石垣が現存かどうかは、かなり怪しいですが…。

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雉子橋御門跡から進み、少し外れた所には「南総里見八犬伝」の著者、滝沢馬琴の邸跡(九段北1丁目)

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堀留橋。ここが江戸城築城の際、外濠の起点とされた場所。
現在はご覧の通り、この先も神田川と合流されるまで日本橋川が続いていますが、これは1900年代初頭に開削されたものです。
(1枚目の図の赤い★印位置)

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堀留橋の袂には、こんなお地蔵さん。

今回で左回りに起点まで辿り着いたので次は牛込御門の東、小石川御門から浅草御門までのルートを巡ります。         

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2012年11月 9日 (金)

江戸城外堀探索① 牛込~呉服橋

かねてよりの念願だった江戸城の外堀探索。諸般の?事情により、ツィートはしていませんでしたがコツコツと歩いておりました(笑)
まずはここまでの成果を繋げてレポート♪

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北西に位置する牛込御門跡からスタートし、反時計回りに歩いてみます♪
今回のレポートの執着点は呉服橋御門跡まで。
※一日で歩き切った訳ではないのであしからず。

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まずはこちら、先日のブログにも載せました牛込御門の石垣。外濠通り沿いに市ヶ谷方面へ向かいます。

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牛込御門を俯瞰で観た様子(2014年9月2日撮影)
左側の石垣に白っぽい石が混じっていますね。2013年頃に石垣の補修工事をしたようです。

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市ヶ谷から牛込御門のある飯田橋方面を振り返る。ここの外濠は本当に立派。

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市ヶ谷御門跡。ここを古写真と比較してみると…

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こんな感じ。土橋の真ん中で橋が架かっている辺りから門までの間が、現在では線路が架かっている辺りに相当するのかな?上の写真と比べてみてください。

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市ヶ谷御門跡から四谷方面。
今度はあちらへ向かいますよ♪

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外濠通り沿いにある運動公園への階段。この高低差でも外濠の規模がお分かり頂けると思う。。。

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目を凝らすと思わせぶりな石が…。

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そして、四谷御門跡。四ツ谷駅を出てすぐですよ。

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四谷御門跡から少し進み、喰違御門跡方面。
グラウンドの様な所が堀底で向こう側は土塁。そして写真右手の緑のネットの奥が喰違御門に架かる土橋跡。

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その土橋の上から歩いてきた北側のお堀。

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同じく土橋から喰違御門跡。この捻り、ニクイね~(笑)

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喰違御門を過ぎ、城内側からの土塁。あの向こうが外濠になります。

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城内側からの喰違御門跡。左右のこんもりとした土盛りが名残を留めます。
ここからは少しだけショートカットして城内を通り、赤坂方面へ。

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紀尾井坂を過ぎ、弁慶橋から北側の外濠跡。この反対側に…

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赤坂御門(見附)跡。
正面の石垣がそうですよ♪

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その石垣。

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赤坂御門の古写真。ここも残っている石垣と古写真をじっくり見比べてみましたが…正確な配置は掴めませんでした。

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赤坂御門の過去と現在。

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更に進み、こちらは山王パークタワーの足元から総理大臣官邸(写真左)脇を見た様子。
奥に外濠の石垣跡と思しきものが…!もっと近づきたかったのですが、見張っているお巡りさんが怖かったので断念(>_<) でも堀底からの高低差は充分に確認できました。

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外濠通り、溜池があった辺り。そう、現在の「溜池山王」です!

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ふと脇に目を向けると、いかにもな上り坂!これも絶対外濠土塁の名残だな。

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外濠通り、あのクランクの先が虎御門跡。
そう、現在ではその名も「虎ノ門」交差点!(笑)

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虎御門跡周辺にはそこかしこに石垣の跡や展示が…

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文部科学省前に展示されている石垣。

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その石垣で見つけた彫印。「上」?

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ここにも石垣♪

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この石垣、地下からも見れるようになっています。
早速♪

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こんな感じ♪
地下鉄虎ノ門駅11番出口ですよ。

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虎御門跡から南東方面へ進みます。
この通りは現在の外濠通りから1本東側に入った道。外濠の堀端の道だった所で、この左側に当時のお堀が通っていました。この折れ、気になるな~。間違いなくお堀の流れに沿ってこういう形になったんだろうね。

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その通りにはこんな石垣の展示も。
案内板によると、この辺りの石垣造成は立花宗茂、稲葉一通、有馬直純、毛利高直ら九州の大名が受け持ったとのこと。

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その彫印。「三」?

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そして道端の生け垣に不自然な窪みがあったので、気になって段に足を懸けて登ってみると…これ、石垣の石でしょ!矢穴もあるし。嬉しいけど普通に歩いているとスッポリ隠れちゃっていて全然気付かないから!(笑) 

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ぐんぐん進み、新橋駅近くで線路に当たって左に折れた先、「幸御門」跡。
この先は再び外濠通りに出て、銀座の街を歩きます。

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銀座の柳(笑) この辺りもお堀跡。

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数寄屋橋御門跡。

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残念ながら時計台は工事中~(>_<)

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鍛冶橋御門跡(国際フォーラム前)

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そして今回の最後に「呉服橋御門」跡。おっさん、カメラ見るなよ~(^_^;)

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呉服橋御門から鍛冶橋御門方面を見る。この広い通りが、その昔は江戸城の外濠だったのです。
(2013年7月追記)


次回(いつになるかは??)は常磐橋から再開します♪

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2012年11月 7日 (水)

お江戸散策 日本橋/牛込見附

今週も引き続きぼちぼち歩いていますよ、お江戸巡り♪
ここ数日は日本橋にある得意先へ行く用事が多かったので、当然のことながらまずはこちらへ!

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日本橋♪

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東野圭吾さんの小説で取り上げられ、映画にもなった「麒麟の翼」♪

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そして日本橋といえば忘れてはならないのがこれ。
日本道路元標。まさにあの真ん中の標が「東京○○km」の起点。

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「東京市道路元標」の碑

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さて、今でこそ石造りとなっていますが、当然のことながら江戸時代は木造。
何故か近くのお店(会社?)のショーウィンドウには、その欄干に使われていた擬宝珠が展示されています。
彫印→「万治元年戊戌年(1658年)九月吉日 日本橋御大工椎名兵庫」
…江戸時代初期ですね、すごい!

さすがにお江戸の中心だっただけあり、日本橋の周辺にはチョットした街角に他にも様々な「歴史」があります。
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1700年前後に活躍した俳諧師、宝井其角の住居跡。
確か「子葉」を号した赤穂浪士の一人、大高源吾の俳句の師匠でもあったと記憶する。

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「海運橋」親柱

さ、お次は「お城」ですよ♪
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江戸城、外濠「牛込見附(牛込御門」跡(JR飯田橋駅前)
写真の両脇に写っている名残の石垣、分かります?
※手前の櫓モドキは違いますよ(笑)

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一つ前の写真向かって右側の石垣

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こちらが左側。
これらの石垣を展示されていた下の古写真と見比べてみたのだが…

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現在の右側の石垣と、この古写真に写る櫓門の石垣が同じに見えるのだが、そうすると左側の石垣に相当する形が見受けられず…イマイチ確信が持てませんでした(^_^;)

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石垣越しに外濠。
古写真でも分かる通り、この線路部分も当時は水濠の一部。いかに幅の広いお堀だったかが分かる。

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ところで、近くにデーンッ!!と置かれていた大きな石には、こんな刻印も。

人間が長く生活、社会を営んできた場所にはそれだけ歴史がある。まだまだやめられませんな!(笑)
明日はどこに行ってみようか♪   

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八王子城:「殿の道」石垣群

先日、フラッと八王子城に立ち寄ったところ、御主殿跡で礎石展示の為の復元工事が行われていて、ここから山頂の要害地区へと続く通称「殿の道」が通行止めになっていた。(金子丸を通る大手?ルートはOK)
工期は来年2月までとのことだが数ヶ月前、八王子市に「殿の道」の保存方法についての見解を求めた時の回答趣旨を含め、今後はどうなるか分からないと思ったので自分の為の備忘も兼ねて、そこに残る石垣群をUPすることにしました。

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御主殿跡から殿の道への入口部分(2012年6月末撮影)
今はこの辺り一帯、工事中で立入禁止と思われます。あしからず。

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御主殿からこんな獣道を10分ほど登ると…

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鬱蒼として薄暗い中に突如、このような石垣が現れます(第一石垣群)

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第二石垣群
一つ目が現れてからは立て続け。

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第三石垣群

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最後に第四石垣群
ここには小さな曲輪跡と思しき策平地があり、「式台石」と呼ばれる大きな石が鎮座。北条氏照もこの石に腰掛けたりしたのだろうか。。。
一通りご覧いただいてもお分かりの通り、石垣の石の一つ一つが小さい。この辺りにはあまりいい石切り場がなかったのだろうか。曳き橋周辺の石垣は現存部分を見てもそこそこ立派なのだが。

見るからに風化?が進んでいるのだが、現状は誰でもその気になればいくらでも近付くことができる(工事前)し、それが為に 遺構の保存に大きな不安を感じた。人が歩くだけで石垣周辺の土は削られる。
この先数十年・数百年と、この遺構が形を留めることを願ってやまない。

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2012年11月 6日 (火)

夜の丸の内駅舎♪

本日(11/6)、仕事を終えて帰宅しようとしたところへ、同僚から「東西線運転見合わせ」の一報が入る。何が原因かはよく分からないのだが、既に数時間止まったままで、未だ再開の目処が立たないという…。
それならば致し方なし、ということで徒歩で東京駅へ。そして歩いているうちに思い付いた。
「そうだ、どうせならライトアップされた丸の内駅舎を見ていこう♪」

職場のある茅場町からだと丸の内とは反対側の八重洲口が近いのだが、普段近いようで意外と夜に見に来る機会もない。多少面倒だが折角なので霧雨パラつく中、てくてくと回り込みました。はい、物好きです(笑)

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正面から。う~ん、広角レンズでも使わない限り、よほど離れないと全体が入らない(涙)

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奥のビルが雲で隠れている。。。

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更に近付いて…

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向かって右、丸の内南口のドーム

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正面

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丸の内南口のドーム、の中。

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最近、丸の内はすっかり「お洒落」な場所に様変わりしましたね♪
さ、帰ります。      

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2012年11月 4日 (日)

休日出勤前の立ち寄り 江戸城

本日は仕事の予定が入ってしまい、休日出勤・・・。
しかしTwitterを覗くと、この週末も多くのフォロワーさんたちがお城にイベントにと遠征している。天気もいいしね~。
どうにも悔しいので(笑)、少し早めに家を出て「竹橋」で途中下車。先月も来たばかりですが、出勤前に江戸城をサクッと散歩することにしました♪

※逆光がひどかったので写真は失敗作ばかりです、スミマセン・・・(T_T)
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今回は平川門から入城~

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江戸城 平川門

平川門は、竹橋門より侵入した敵を撃退できるよう平川濠に伸びた細長い城郭(=帯曲輪)を持つのが特徴です。
また城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたので、不浄門とも呼ばれました。
(現地案内板より)

という訳で元禄赤穂事件へと繋がる松之廊下刃傷事件を起こした後、赤穂藩主・浅野内匠頭長矩も籠に網を打たれて、この門から切腹場所となる田村邸(一関藩主)へと出されました。
奥に見える小さめの門が案内板にもある帯曲輪門。ちなみに帯曲輪とは・・・

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こんな感じ。竹橋門と平川門を橋のように繋いでいる曲輪です。
へ~上空から見るとこうなってるんだね。いつか渡ってみたいな。

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この下の突き出た石垣、何の意図が込められているんだろう?

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汐見坂。ここの石垣も造形が複雑で迫力ありますよ!
その先が本丸。

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汐見坂から白鳥濠。逆光が・・・(><)

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本丸、大奥跡に残る井戸

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本丸天守台下を抜け、今回は北桔梗門から退城。
北桔梗門を出てすぐの辺りから。

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北桔梗門
ここの土橋(?)、迫力あって好きだな~

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お濠沿いにまた竹橋駅に戻ります。

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竹橋門跡辺りから奥に平川門の橋。
この右手の石垣が帯曲輪。

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竹橋。今では“石橋”ですが(笑)

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穏やかな陽気で白鳥も気持ちよさげ♪

これにて所要30分の駆け足散策は終了。天気もいいし、もうちょっとゆっくりしたかったな~。
今度は少しずつ、何度かに分けて江戸城の外堀をグルッと巡ってみよう♪

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2012年11月 2日 (金)

お江戸散策 新選組やら漱石やら忠臣蔵やら。。。

はい、今週も仕事の合間にコソコソと動き回ってますよ、お江戸散策(笑)
日々お客さんとのアポイント時間の合間、少し時間が空くところで、その近所の史跡をピックアップして足を運ぶというスタンス(←あくまでも仕事はちゃんとやってるというアピールww)

では今週の月曜から。
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大江戸線、国立競技場駅で降りて目的地に向かう途中、新宿御苑をチラ見。ボチボチ紅葉も本格化ですね♪

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新宿区大京町、外苑西通り。
ここにはかつて新選組の沖田総司が晩年(といっても27歳)を過ごして最期を迎えたとされる植木屋平五郎の屋敷があった。総司が療養していた離れは丁度、この通りの真ん中辺りだったと云う。。。(屋敷の母屋は右に見えているレンガ造りのビルの辺り)
実はこの場所、初めは何の縁があるのか迂闊にも知らなかった。フォロワーさんに教えてもらい、調べて初めて知る。日々勉強。。。

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その平五郎の屋敷のすぐ横にあったという池尻橋の欄干が、今も残されていた。無論、今は川は流れていません。

さて、お次は東京駅丸の内駅舎。こちらは火曜日だったかな?
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9月の「古写真で巡る江戸城踏査会」でたまたま出会った元文化庁職員(自称w)のお爺さんの話では、あの中心部には江戸城を最初に築いた太田道灌の桔梗紋がはめられる、ということだったが…見たところ、それらしきものは無し!(笑)
ちなみに左右両サイドのドーム状の天辺には時計がはまってます。 

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その真下の正面玄関のような場所。桔梗紋ではないが何かの紋章が…。
あれ、何だったかな?

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丸の内駅舎正面には広くて真っ直ぐな遊歩道が伸びている。この先に江戸城桔梗門がある。

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そういえば数年前までの東京駅丸の内口がどんな形をしていたか…既に思い出せなくなっている(笑)

そして本日(11月1日)。
昼過ぎに本郷三丁目での商談を終え、次のアポは早稲田。しかし約束の時間まで1時間半以上空いていたため、大江戸線で牛込柳町駅へ移動し、外苑東通り沿いを北上しながら歩くことにした。

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牛込柳町駅から徒歩すぐ、試衛館跡。
言わずと知れた新選組局長、近藤勇の天然理心流道場。街中の路地裏に埋もれ、見つけ出すのはちょっと大変。

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更に北上、牛込保健センターの辺りで外苑東通りを左に折れると「漱石公園」
文豪・夏目漱石が晩年を過ごした場所。

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漱石山房のベランダが復元されている。。。

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「漱石終焉の地」 の案内板と、夏目家で飼っていた犬・猫の供養塔(復元)

再び外苑東通りに戻って北上、弁天町交差点で早稲田通りを左折。すぐ左手の路地に入ったところには宗参寺というお寺がある。
こちらには…
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山鹿素行のお墓。
一時、赤穂浅野家へ配流されていたことから「忠臣蔵」でもその名が出てきますね。赤穂城にも銅像がありました。

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たくさんのお墓の中から探し出すのは大変ですが、目印はこちらの石碑。

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山鹿素行のお墓のすぐ脇には、何故か乃木希典が愛でたという桜「春日野」

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何だかんだと早稲田駅前に到着。こちらの夏目坂通りには…

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夏目漱石生誕の地があります。生まれも亡くなった場所も近かったのね。

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向かって右の白っぽい建物の辺りが漱石生誕地。
ちなみに角の酒屋さんはかつて、「忠臣蔵」で有名な堀部安兵衛がまだ中山安兵衛と名乗っていた頃、あの「高田馬場の決闘」に駆けつける前に酒を飲んでいたお店。
さすがは「飲んべえ・やす」♪

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