江戸城外堀探索③ 小石川~浅草
今回は本企画(?)の出発点となった牛込御門跡がある飯田橋から①の時とは反対方向、東に向かって外堀沿いに緑色の文字で記した小石川・筋違・浅草の各御門跡を巡っていきます。
飯田橋から外堀通り(ハローワークがある通りですね)を水道橋方面に向かいます。ホント、江戸城の外堀巡りって首都高に沿って歩くのと殆ど同じ…(^_^;)
水道橋駅に到達するすぐ手前に、小石川御門跡(小石川橋)。
小石川橋からの外堀(神田川)。右から合流してきているのが日本橋川。②でも書きました通り、江戸時代には堀留橋辺りで埋め立てられていましたが、その後開削されてご覧のように神田川に繋げられました。
そして水道橋から。
水道橋からお茶の水にかけてはなだらかな上り坂が続きます。
そういえば「JIN」でよく登場した丘の上(仁先生が咲さんにフラレたりしていた場所w)がこの先のお茶の水辺りという設定でしたよね、確か。
普段車だと気付かずに通り過ぎてしまうが、この坂の途中には「お茶の水分水路」や・・・
「神田上水懸樋跡」の碑がありました。
御茶ノ水駅から見たお堀。この辺りは仙台藩伊達家が開削を担当したことから「仙台濠」と呼ばれます。
その反対側には聖橋。
聖橋の袂にも、思わせぶりな石がゴロゴロと・・・
更に聖橋の上にも上ってみた。外堀跡と・・・鉄道ジオラマ!?(笑)
聖橋の上からは他にも湯島聖堂や・・・
(あ、湯島聖堂のあの壁の手前の坂、「JIN」のオープニングだかで雑踏の中を歩く中谷美紀さんが振り替えるシーンの場所ですね)
東京スカイツリーもひょっこり顔を出していた(笑)
「淡路坂」
坂上に鈴木淡路守という人の屋敷があったことが名前の由来とか。ここを下ると・・・
秋葉原のすぐ手前に出ます。写真は昌平橋からお茶の水方面を振り返ったところ。
おなじく昌平橋から万世橋方面。この辺りに「筋違御門」があったらしいです。
万世橋から。残念ながら御門の名残は何もなく・・・
線路を潜って秋葉原駅を越え、和泉橋から進行方向の外堀跡。
ここからは外堀通りから更に1本お堀側に入った柳原通りを進みます。
何か由緒ある建物かと思ったら・・・お手洗い(笑)タクシーの運ちゃんも!ww
「左衛門」・・・うむ、思わせぶりな名前の橋だww 今度ちゃんと調べてみます。
淡々と進むこと約15分(秋葉原から)、割と呆気なく浅草橋の袂に出ました。その角には「郡代屋敷跡」
関東郡代役宅跡で代々、伊奈氏が世襲。当初は常盤橋御門内にありましたが、明暦の大火で消失後にこちらへ移動。伊奈氏の失脚後は勘定奉行が郡代を兼務し、引き続きこの地に居住しました。
浅草橋
浅草橋から。屋形船の数が凄い・・・(^_^;)
そして「浅草見附(御門)跡」の碑。
これで外堀探索、御門跡巡りは終了ですが、折角なのでもう少し歩いてみることにします。
両国広小路
明暦の大火が起きた時、この付近の隅田川には防衛上の理由(隅田川が武蔵・下総の国境だったため)により、橋が架けられていなかった。そのため、多くの市民が逃げ場を失い命を落とした。以降この地には両国橋が架けられ、且つ延焼を防ぐためにその付近を火除け地としたのが広小路の始まり。上野・浅草と並ぶ江戸三代広小路。
柳橋
最後に両国橋から隅田川。
〆もやはりスカイツリー♪(笑)
これにて江戸城の外堀探索はひとまず終了です。
まだ見逃しているポイントもありますので、それらは追々機を見てブログなりTwitterなりでレポートします。お付き合いくださり、ありがとうございました♪
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