« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »

2012年12月

2012年12月29日 (土)

沖田総司の墓所‐専称寺

2012年も年の瀬押し迫った12月27日、六本木まで来たついでに専称寺に立ち寄りました。

122701
六本木通りからヒルズの脇を折れ、テレ朝通りを進んだ先にあります。

122702
こちらのお寺、言わずと知れた新選組一番組・隊長、沖田総司のお墓があります。
が、年1回の総司忌の日以外は非公開。墓地に立ち入ることは出来ませんので写真右手の小道を進み、塀の外からの参拝となります。

122703
中央右手、小さな屋根の付いた場所が沖田総司のお墓。
(その手前の大きな墓石は沖田家代々のお墓だそうです)
私が訪れた時、熱心にお参りされている女性がいらしたので、邪魔をしないように早々に引き上げることにしました。

122704
すぐ近くには六本木ヒルズが聳え立つ立地ですが少し奥まっていることもあり、静かに感じられる場所でした。

122705
どれだけ開発の波が押し寄せようとも、こういう場所はいつまでも大切に守っていって欲しいものです。

※沖田総司の亡くなった場所については、コチラ の記事で(試衛館跡も)♪

| | コメント (0)

2012年12月24日 (月)

武蔵御嶽神社

昨日(12/23)も青梅(今井城・勝沼城)に来たばかりだが…天候が悪くてパスした武蔵御嶽神社にどうしても行きたくなり、思い立ちで2日連続の青梅ドライブ(笑)

まずは御由緒から。
※神社配布の案内より

------------------------
御祭神
櫛真智命 大己貴命 少彦名命 廣國押武金日命 日本武尊

景行天皇の御代、日本武尊東征の砌り御嶽山上に武具を蔵したため、「武蔵」の国号が起ったと云われます。天平八年(西暦七三六)僧行基が東国鎮護の為め蔵王権現を勧請したといわれ、その後兵乱により社殿が荒廃しました。文暦元年(西暦一、二三四)大中臣国兼が東国遍歴のおり霊夢を受けて御嶽山に登り、蔵王権現を鋳造奉載し、社殿を再興いたしました。爾来関東に於る修験の霊場として栄え、鎌倉、室町、江戸時代の幕府および豪族の崇敬あつく数々の御神宝の奉納があり、慶長十年(西暦一、六〇五)大久保石見守長安が普請奉行として本社が造営され江戸城西方の鎮護の社として定められました。現在の弊殿拝殿は元禄十三年(西暦一、七〇〇)に徳川幕府によって造営されたものです。
明治以前は、御嶽山蔵王大権現と称しましたが、明治七年御嶽神社と改められ、更に昭和二十七年武蔵御嶽神社と称することとし現在に至って居ります。
------------------------

難しいことは分かりませんが、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に縁があり、「武蔵」の起源となったこと。そしてその武具を蔵したという故事に絢かり、多くの武将たちによって武具が奉納されてきた歴史があるようです。
また、この神社はワンちゃんにも関係があるようで、この日も多くのペット(犬)連れの参拝客がいました。

それでは早速。

Img_1370
御嶽登山鉄道滝本駅。
駐車場に車を停め、ここからはあのケーブルカーに乗って山頂を目指します。驚いたことにSuica/Pasmo、使えます!w

Img_1376
山頂駅までは6分。中間地点で下りのケーブルカーと擦れ違います。
ちなみにあちらの黄色い車体が「日の出」号、今乗っている青い方が「青空」号、だったと思う…(^_^;)

Img_1377
山頂駅地点で標高700m以上。ここから目指す武蔵御嶽神社までは更に徒歩での道のりが続きます。

Img_1378
ちなみに見晴らしは、結果的に山頂駅周辺からが一番開けていて良かった。

Img_1382
天気がいいとほら、スカイツリーも♪
※拡大して見てみてねw

Img_1385
鳥居の向こうに集落が見える。勿論、普通に人々が生活しています。それにしても…寒い!麓と比べると相当な気温差があります。この冬一番凍えました(笑)
武蔵御嶽神社はあの山のテッペン!

Img_1389
天然記念物 神代欅(※逆光ごめん…)
日本武尊東征の頃から生えていた、って…まさかね(^_^;)

Img_1392
更に進み、土産物屋通りを抜け…

Img_1394
ようやく山門が見えてきました!

Img_1402
え!直登でも90分!? 既に山門も通過したというのに、ここから更に…??
そんな馬鹿な、聞いてないよ~

Img_1404
ところが、呆気ないほどに到着。武蔵御嶽神社拝殿。
…?じゃあ、あの看板は何だったの?ww

Img_1405
畠山重忠像。菅谷館でお会いして以来の再開(笑)
ここの宝物殿には、彼が奉納した国宝「赤糸威大鎧(日本三大鎧)」の他、数々の国宝・重文が展示されています。特に武具好きは必見!

Img_1411
手描き感が満載なんですが…(笑)

Img_1414
本殿(左)と旧本殿(右)。他にも本殿裏には様々な神々が祀られています。

Img_1429
狛犬様も強そうだ!背後が宝物殿です。
何やらワンコにも御利益がありそうなので、私も愛犬ボンの健康と長寿をお祈りし、ワンコ用のお守りも買いました(笑)

武蔵御嶽神社境内で、標高は900m以上。冬場は相当冷え込みますので温かい恰好でお出掛けを!w


Img_1435
ケーブルカー駅に戻る道すがら

Img_1436
ちなみにこの武蔵御嶽神社、その昔は山頂の尾根一帯が御嶽城というお城になっていたこともあるらしいです。遺構は探さなかったので分かりませんでしたが。
そんな訳で、つい昨日「今年の城攻めも終わり」と言ったばかりなのにもう一つ追加して、記念すべき120城め♪ww

Img_1438
帰りのケーブルカーにて。ほら、こんな所にも犬の為のスペースが設けられている。

武蔵御嶽神社、何やら歴史的にも相当興味を惹かれるので少し勉強してみることにします!

| | コメント (0)

2012年12月23日 (日)

青梅の城跡 今井城 & 勝沼城

3連休中日の12月23日。生憎と空模様はどんよりとした曇り空だったが、予報では悪化することはなさそう。。。
前日は一日グータラと過ごしたこともあり、少し出掛けてみることにしました。

目的地は先日、フォロワーのなっちさんが訪れていた青梅の今井城 & 勝沼城。共にこじんまりとした城域ながら、しっかりと遺構は残っている模様。期待を胸に午前9時過ぎ、愛車を駆って出発!


■今井城
101
自宅からは30分ほどで到着。
武蔵七党の一つの流れを汲む今井氏が居城したと伝わる今井城。大きく分けて三つの曲輪で構成されていて、「お城」というよりは「居館」と言った方がイメージは近いかな。

102
しかし複雑に織り成す土塁と堀の構成はなかなか見応えあり!

103
土橋!ヽ(^o^)丿

104
ここの堀は見易い♪ 土橋も連続して架かる。

105
本丸と思われる主曲輪。周囲を土塁が囲みます。

106
主曲輪をグルッと囲む堀と土塁。綺麗に整備されていて、どの遺構もハッキリと形状を確認出来ます。

107
平地との高低差はこの程度。30分もあればじっくり観て回れます♪


■勝沼城

さて、お次は勝沼城。今井城からは車で10分程度の移動距離です。
光明寺や妙光院というお寺が並んでいる一画の、裏山が勝沼城跡になります。鎌倉期に三田氏によって築かれ、三田氏が北条氏照(滝山・八王子城主)によって滅ぼされた後は師岡氏が居城し、その頃から城名も「師岡城」に改められた、とか。そして…

201
光明寺脇に佇む師岡神社。名前からして当時の城主に縁がありそうですね♪

城跡へは光明寺の斜面にズラッと並ぶ墓地を抜けて上がりました(お邪魔しました)。さすがに撮影は控えましたが、結構な急勾配。

202
墓地を抜けた先の喰い違い虎口。
こちらの城は東西に並べるかのように、やはり三つの曲輪が配されています。墓地を抜けると中央の曲輪に出ます。

203
このくらいの高低差だと「平山城」に分類されるんでしょうね。

204
中央の曲輪。土塁らしきものがあちらこちらに残っており、往時は結構複雑な造りになっていたのかもしれない。

205
中央と西側の曲輪を隔てる堀切(堀底から)。この辺りは結構藪っていたので、「この先も遺構確認は難しいかな~」と思ったのだが…

206
西側の曲輪。先端部分には土塁も確認出来ます。
そして、この曲輪の脇を覗いてみると…

207
大きな堀が綺麗に見えた!写真手前には土橋が横切っているし、この付近にはしっかりとした竪堀も2本通っていました(藪で写真は無理でしたが)。

208
堀底に下りてみた(笑)
西側曲輪の先端部でカーブする堀。

209
振り返っても堀底♪(←当たり前ww)

210
東側の曲輪は妙光院の墓地になっています。しかし、こちらには立入禁止の札が掲げられていたので手前までで引き返しました。

211
光明寺側に引き返す途中にも素晴らしい遺構が!

212
東側曲輪(右)下の堀。分かり辛いですが、写真左側にもしっかり土が盛られています。


今井城に勝沼城、どちらも都内の遺構としてはよく保存されている印象。
今井城の方が整備も行き届いていて見易いですが、個人的には勝沼城の方が更なる訪城・遺構探しに意欲を掻き立てられるお城でした♪
でも、どちらもお薦めですよ!

| | コメント (0)

2012年12月22日 (土)

お江戸散策 泉岳寺&増上寺

今回は、また仕事の途中でフラッと立ち寄ったお寺の記事です。

先週の金曜日は12月14日。そう、旧暦で赤穂浪士による吉良邸討ち入り事件(元禄赤穂事件/忠臣蔵)のあった日。
某得意先へのルート上に泉岳寺があるので、ちょっと様子を見に行ってきました。

20121214_133005
この日は毎年「義士祭」というものが催されているようで、出店もいっぱい並んで人・人・人…さすがに凄い混雑(^_^;)

20121214_133104
本堂前もご覧の様子。

20121214_133204
浅野内匠頭や四十七士らの墓所入口。。。凄い行列で中に入るのは諦めました。

普段の平日ならこんなに空いているんですけどね↓
20120119_115153
今年の1月に撮影。まぁ皆、お墓の一つ一つにお線香をあげていくので、人が集中すれば混むのも致し方なし。

20121214_133227
こんな特別展示もありましたが、こちらも混んでいたし、仕事中だったので断念(>_<)

…とまぁこんな感じなので、やっぱり義士祭の日ではなく、人の少ない時に静かにお参りすることをお勧めします(^_^;)


お次は徳川将軍家の菩提寺でもある増上寺。こちらは12月21日に訪れました。

20121221_122531
地下鉄「大門」駅を出るとすぐ、こちらの山門がお出迎え。普通に車がビュンビュン通り抜ける…(^_^;)

20121221_122905
更に進んだ先に「三解脱門」

20121221_123003
増上寺本堂。東京タワーの足元です♪

20121221_123916
歴代6人(2代・秀忠、6代・家宣、7代・家継、9代・家重、12代・家慶、14代・家茂)の将軍や皇女和宮をはじめとする正室・側室らが眠る徳川将軍家墓所。
普段は非公開で、ご覧のように堅く門扉が閉じられています。

20121221_124505
鐘楼堂

20121221_124524
「水盤舎」
3代将軍・家光の三男、甲府宰相・綱重の廟所にあった移築現存の建築物。

20121221_124857
境内を出て駅に戻る途中にて。

20121221_125107
大門を裏側から。

20121221_125136
最後に…街角の公衆トイレ(笑) シャ、シャレオツ~!www

では、このシリーズはまた写真が溜まった頃に更新します♪

| | コメント (0)

2012年12月21日 (金)

竹田城オフ会③ 延長戦

竹田駅での解散後ですが、事前に調べたところ、東京まで戻るにはどうにも電車の接続が悪い。どうやっても福知山辺りで1時間以上の待ち時間が発生する。だったらいっそのこと、寄り道しちゃえばいいじゃん?
ってことで延長戦へ(笑) 夜11時の京都発のバスまで時間が空いているというnikkoさんを道連れに…(笑)

301
午後2時30分過ぎ、福知山駅に到着。

302
あの天守を目印に約1kmの道のりを進みます。

303
時折、足元にも目をやりながら…

304
どれもやはり天守の絵柄ですね♪

305
そして、福知山城天守!!

306
このお城、石垣に五輪塔・宝篋印塔などの様々な石材を転用している「転用石」でも有名です。
ホラ、そこかしこに…

307
二の丸の銅門にあった銅門番所。一時天守台に移され、現在は本丸の一隅に置かれた移築現存の建物だそうです。

308
天守台の石垣、拡張された繋ぎ目の跡。向かって左の後から組まれた(新しい)石垣の方が転用石が少ないです。

309
小天守越しに…

310
この面の荒々しい野面積み、好きだな~♪

311
本丸内の様子。写真には写っていませんが「豊磐井」という深さ50mの大きな井戸もあります。

この後、前日もここを訪れているnikkoさんとお別れし、私は天守の中へ。

312
天守最上階からの眺め。手前の小高い茂みは「伯耆丸」、福知山城主郭の一つです。

さて、他にも城下のお寺に移築された門とか見るべきものはあったのだが、疲れからかどうにも気力が湧かない。まだ予約している特急までは時間も余っていたけど、駅前で時間を潰せばいいや。ってことで早めに撤収~。
…とここで、駅に向かってトボトボと歩いているうちにnikkoさんと再会(笑)

313
こちらのお店でお土産に「黒豆ロールケーキ」と丹波のあれこれ味(?)のカステラの詰め合わせをお土産に調達。

314
駅前に展示されていたSL

315
午後5時前、普通電車で京都へ向かったnikkoさんを見送り(いろいろ教えていただき、ありがとうございました☆)、最後に福知山城にもお別れの挨拶(見えます?)
同5時28分のきのさき号で私も福知山をあとにしました。

今回の1泊2日もいろいろあったけど楽しかったな♪
とはいえ、出石や有子山は不完全燃焼だったし、なんだかんだ言っても私は竹田城の雲海(特に立雲峡からの!)だって見たい!!…なので、近い将来また必ず来ますね!

| | コメント (0)

2012年12月19日 (水)

竹田城オフ会② メイン・イベント!

さ、2日目。いよいよ今回のオフ会のメイン・イベント、竹田城に向かいます!

話の流れで男性陣と女性陣とで別のルートからアプローチすることになったようで、私は同じホテルに泊まっていたしんさんの車に乗せていただき、別ホテルのサイガさん・nikkoさんと合流。朝7時、和田山を出発!
昨晩、私が一人で彷徨って辿り着いたのと同じコンビニで昼食用のおにぎりやパン等を買い込み、竹田城麓の「山城の郷」へ。

201
早朝の時間帯は(雪の影響か?)この先がまだ通行止めになっていたので、ここからは徒歩で登ります。

202
20分くらい歩きましたかね~登城口に到着です!
3年前に来た時は、ここから主郭部へ直登できる遊歩道があったのですが、現在は通行止めになっているようです。迂回する舗装路を進みます。

203
文字の大きさ配分、間違えたのね…(笑)どうせ貼り出すのなら書き直せばよかったのに(^_^;)
てか、この先にも仮設のトイレ出来てたしww

204
途中、何本か竪堀を見つけつつ…

205
しんさんによると、こちらは数年前に起きた土砂崩れの痕だそうです。。。

206
さぁ、見えてきましたね♪

207
主郭部に到着!

208
しかし、まずは脇に逸れて竹田城北の出城、観音寺山砦を目指します。

209
縄張図にある竪堀を求めて藪を掻き分ける恒例の光景…(^_^;)
実際にしっかりとした竪堀がありましたが、写真では分かり辛かったので割愛。

210
観音寺山砦の主郭部にて。
ここで観音寺山の麓から登山してきた女子チームと遭遇♪

211
ひっそりと残っていた石積み

212
この周辺にも竪堀が走る。

さて、一通り周辺探索を終えた後は引き返して竹田城へ向かいます。

213
観音寺山砦側から見た竹田城の石垣

214
合流前に見付けた竪堀を女子チームにレクチャーするサイガ先生の図。

215
やっぱりここの石垣は問答無用で格好いいね!

216
少し日も射してきました♪

217
竹田城側から見た観音寺山砦はこんな感じ。

218
北千畳から見た本丸・天守台(右)と二の丸(左)方面

222
天守台から北千畳♪

220
同じく天守台から南千畳♪♪ もう定番のショットですね!

223
そして、ここまで別行動だった当日参加組とも天守台で集結!オフ会参加者、全員集合です!!

224
「城ガール隊」だけでの記念撮影も♪

225
この後は北西の斜面に残る「登り石垣」を見に行きます。

いやぁ~しかし、ここからの藪漕ぎ・急斜面のハードなことといったら!
冬場なので藪が生い茂るということはないものの、樹木が密集していて枝が細かく縦横に入り組んでいるし、斜面も急で滑る滑る!!(笑)参加13名のうち、斜面を滑り落ちた(いわゆる“kaiった”)人数は半数近くに上ったのではなかろうか…。特にあむさんの頭からのダイブとか、みかんさんのサイガ先生をも道連れのアリ地獄とか(笑) ま、個人的には本家による本物の“kaiり”を見れなかったのは若干心残りですけどね…?!

でもね、苦労して向かった分、実際に未開の山の斜面に風格を漂わせて存在する石垣を目にした時の感動は…筆舌に尽くし難し!

226
おぉ…

227
おおおぉぉ…!!

228
このアングルからだと「登っている」のが分かり易いかな。

229
いやぁ本当に凄い!

ひとしきり皆で感動を分かち合った後は当然、下ってきた斜面を引き返さなければなりません(笑)

230
よくこんな所を下りてきたな…。登りも足が滑って大変でした(^^;)

※そうそう。実は私、最初に「登り石垣」へ向かい始めた時にカメラのレンズキャップを紛失していました。念の為、引き返す際に足元を注意深く見ながら上がって来たものの、そう簡単に見つかるはずも無く。。。すっかり諦め、冗談で最後尾を進むゆうりさんに「きっとゆうりさんが見つけてくれるはず!(><)」なんて言ったりしていたのですが…なんと本当に発見してくれました!この時は嬉しかったなぁ…。ゆうりさん、改めてありがとうございました♪

この後は自由行動になったので、私は一人で主郭部をもう一度見て回ることにします。

231
南二の丸の虎口辺りから見た、天守台~北千畳の石垣群。

232
南二の丸「正門」

233
ちょっと「引き」で…

234
こちらは「花屋敷」跡から見た本丸の石垣

235
同じく花屋敷から北千畳方面

236
眺めも素敵…♪

237
健さんベンチ?ww  映画「あなたへ」のロケ地にもなりました。

238
ひとしきり見て回った後は、午後1時に一旦集合して下山→竹田駅前で解散という流れ。
駅に到着後は電車の時間が迫っていたこともあり、私は一足先にホームへ。。。全員にきちんとご挨拶できなかったのですが、とても楽しかった!

幹事役のみかんさんを初め、色々教えていただいたサイガさん・しんさん、その他ご一緒させていただいた皆さん、本当にありがとうございました。必ずやまたどこかでお会いしましょう!!

※オフ会はこれにて終了。この後は延長戦の③へつづく…

| | コメント (0)

2012年12月17日 (月)

竹田城オフ会① 初日の単独行

12月15~16日の2日間は「竹田城オフ会」に参加するため、兵庫方面へ行ってきました。
「オフ会」といっても初日は移動スケジュールを合わせられなかった(申し訳ない)ので、私は夜の宴会からの合流。それまでは単独行動となる。
朝6:30過ぎに自宅を出て、東京駅から新幹線で西へ向かいます。

101
京都で特急「きのさき」に乗り換え~♪ここから本日の目的地までは更に2時間以上の鉄旅ですw

102
という訳で、ちょうどお昼時だったので駅弁を。松茸ご飯のお重でござ~い♪

…とまぁ電車での移動は延々と続き、途中遅れている待ち合わせ列車との接続待ちの影響などもあり、自宅を出てから早くも7時間を過ぎようかという午後2時前、、、

103
ようやく豊岡駅に到着!この辺りは結構雪が残ってるなぁ…

104
おぉ除雪車!…初めて見た、かも。

豊岡からは路線バスに乗り換えです。所要30分弱、「乗るバスこれでよかったんだよね?」「間違えて違う方向に向かったりしていないよね??」などと不安になりながら終点まで辿り着くと…

105
出石!目の前にお城も見えているね♪
そう、本日の目的地は出石城に設定したのです。

106
江戸時代の街道の名残を感じる…

107
これもお城の石垣の遺構かな?
※下調べほぼゼロ、縄張りも見ていないので全く分からず…(^_^;)

108
家老屋敷跡

109
出石城は山の麓に写真手前から;
下の曲輪&西の曲輪→二の丸→本丸→稲荷曲輪
と階段状に配されています。正面の山は有子山城。

110
西の曲輪からの西隅櫓

111
二の丸にて。石垣はどこも苔生している。。。

112
西隅櫓越しに城下を…

113
二基の櫓が建つ本丸に聳える石垣。これは見応えあり。
この上が稲荷曲輪。

114
東隅櫓には雪が残っていた。

115
城跡でよくこういう鳥居を見かけるけど…割と好きなんだよね、こういうの(笑)

116
この先を上がって行ったところで、、、

117
有子山城への登城口を発見!う~ん行きたいけど…主郭部まで登ったら日没までに戻って来れないからなぁ…。

118
という訳で一旦は諦めて稲荷曲輪へ。
幕末期に藩主だった仙石氏の祖・仙石権兵衛秀久を祀る「感応殿」(明治期の建立)

119
稲荷曲輪からの城下の眺め。

さて一旦は諦めたものの、ここでやはり有子山がどうしても気になって仕方がなくなった。
主郭部は無理としても、ゆうりさんお勧めの土橋までなら15分くらいとのこと。往復30分程度なら日没の心配もないし、折角ゆうりさんが縄張図まで転送してくれたことだし…

120
ってことで、いざ登城開始!(^^;)
それにしても雨で足元はぬかるみ、滑ること滑ること!

121
登り始めてすぐ、左手に見えた竪堀。

122
い、岩肌!?ロープは設置されているけど…この日の滑り具合から察するにこの岩場、仮に無事登れたとしても果たして下りられるのか…?と逡巡していたところ、急に雨足も強くなってきた。もう無理。
いずれ再訪してちゃんと主郭部も行きたいし、今回は勇気が無いが故の「勇気ある撤退」!!(笑)

123
そのまま東側の石段を下っている途中、山里丸の石垣

124
三の丸の広場に出て雨宿り。

125
天気のせいもあるけど何より己の準備不足を痛感し、何だかテンションがた落ち。他にも辰鼓楼とか町並みとか皿そばとか…行くべき所はあったのだが、もはやヤル気も失せて遠目に眺めやるのみ。既に暗くなり始めてきたし。

バス乗り場に戻ったところでちょうど来合わせたバスで豊岡駅にUターン。

126
駅前の喫茶店で電車までの時間をやり過ごし(この辺りは主要駅でも本当に本数が少ない)、、、

127
山陰本線で本日の宿泊地、和田山へ。

128
チェックインしたホテルがこれまたレトロなこと!ww
ま、でも清潔感はあったし、広かったのでなんだかんだ寛げたけどね♪

午後7時、懇親会の会場へ向かい、ここでようやくオフ会参加の皆さんと合流♪(少し道に迷って遅刻したけど…面目ない)
懇親会参加者は私も含めて8名。勿論初対面の方もいらっしゃいましたが、お互いに大好きなお城や歴史の話題ですぐに打ち解け、大盛況~♪ kaiさんによる本家本元の「kai談」話とかw 八王子城を一日で2周した事件とか、インパクト強かったなー!(笑)
話はどんどん盛り上がり、まだまだ時間が足りないってことで駅前の居酒屋へ移動!更に1時間延長した宴は午後11時まで続いたのであった。

…本来であればここで初日は終わり、「いよいよ明日は竹田城へ!」とこの記事も〆るところなのですが…やらかしましたm(_ _)m

既にホテルの門限も過ぎていたが、煙草を切らしていたのでコンビニに行きたくなったのです。同じホテルに泊まっていたしんさんが交渉してくださったところ(私はそもそも門限の存在を忘れていた)、ホテルのOKも出たので一人でテクテクと歩いて向かうことに。
ところが酔いもあったので判断力が鈍っていたのだが、考えてみたら私、1軒目の懇親会会場で聞いた“最寄”のコンビニまでの道順を殆ど覚えていなかった…。歩けども歩けどもコンビニどころか街灯一つない暗闇の中を心細く進む。。。

途中で「TSUTAYA」の看板を目にし、
「そういえば道順を教えてくれたお姉さん、TSUTAYAがどうのって言ってたよな」
と僅かに脳裏にカスッたキーワードを拾い上げ、出鱈目に曲がってみたりする。どのくらい歩いたかな~?もはや「退くも進むも地獄」状態になりかけた時、ようやく水色の牛乳瓶のロゴを発見!無事に煙草も確保♪…でもね。

帰り道の遠いことと言ったらもう!来る時は彷徨ってる感が満載だったのでよく分からなかったが、片道2kmくらいあったんじゃない?…それでも何とか無事に帰還いたしました。
ご心配をお掛けした皆さん、申し訳ございませんでした m(_ _)m

それでは②へ続きます。

| | コメント (2)

2012年12月 9日 (日)

滝山城、ひとりぼっちの追加踏査

先週の踏査から僅か1週間。あの時にサイガさんから頂いた縄張図を眺めているうち、どうにも気になるポイントが出てきてしまい…またまた行ってしまいました、滝山城(笑)

今回はまだ歩けていない、小宮曲輪から山の神曲輪まで南北に伸びる西側の尾根と、反対に城域東側の信濃・刑部・カゾノ屋敷跡と呼ばれる各曲輪周辺の堀や土塁を巡ってみます。

20121209_092935
という訳で、今回はこちらからスタート。小宮曲輪の枡形虎口。

20121209_093930
この小宮曲輪、南北に長い作りとなっているが、削平地には複雑に土塁が張り巡らされており、3~4段構えの構造になっている。

20121209_094347
小宮曲輪を囲むように張り巡らされている堀の北端部分。この左上には櫓台跡もあります。

20121209_095358
縄張図によると、曲輪とは散策路を挟んで反対の東側には中小の曲輪群がいくつも複雑に配置されている筈なのだが…何故か私有地とのことで立入禁止!!(>_<)
すぐそこにも見えているのに…ここで一つ目論見が外れた。。。

20121209_100113
山の神曲輪。滝山城では最北西に位置する。

20121209_100206
現地案内板より。本当は右の図にも描かれている「現在地」から右方向に下りて行った先の、何本も穿たれている竪堀を見たかったのだが…東(右)側は全面的に立入禁止。
その更に先に見えている「滝の曲輪」というのが、現在は運動公園方面の集落になっているので、もしそちらには入れれば或いは確認できるのかも…?

20121209_100309
山の神曲輪からの眺め。…信玄はいずこぞ?!

20121209_101323
引き返している最中にも帯曲輪を確認。下りて行った先にはもっと凄いものが待っていそうなのに…

20121209_101507
ま、でも小宮曲輪の土塁もだいぶ薄くはなっていますが充分に楽しめますよ♪

20121209_102707
小宮曲輪から反対(東)側の信濃・刑部・カゾノ屋敷跡へ向かう途中、二の丸南面の堀に架かる岸縁入路にて。
先週は何ともなかったのに、この日はやたらと倒木が目立った。八王子城といい、どうしたのだろう?…土塁が崩れる~(>_<)

20121209_104208
カゾノ屋敷跡の先端の堀。ここは整備されていてとても見易い!

20121209_104352
反対側に目を向けると、立派な土塁も♪

20121209_104420
現在立っているのは右の図の右下、木橋が架かっていたとされる場所。そこから両サイドを見た堀と土塁でした。
この後は「大池」側の斜面を下って同左下に見える「土手」と書かれた部分を探しに行きます!
(しかし「土手」って…(^_^;) 自然地形の谷底を活かした水堀の様な大池に架けられた大きな土橋、と言った方がイメージ近いと思うけどww)

20121209_104822
密生するススキを掻き分け、坂を駆け下り、、、見つけました!想像よりも低いけど、しっかり形を残しています。

20121209_105119
図面通り、水を通すためか途中でザックリと切り落とされている部分(堰)も確認!
(藪ってるのでボーッと歩いていると落ちますw)
この「土手」(笑)が2つ目の目的だったので、非常に満足!

20140105_121519
こちらの写真だと藪も少なくて分かり易いですね。
(2014年1月撮影)

20121209_105145
ちなみにこの斜面を下りてきたので、当然登って戻らないといけません(笑)
この辺りも小さな帯曲輪がいくつか配されています…ススキで見え辛いですが(^_^;)

20121209_105846
大馬出に、自然地形の斜面を更に穿って堀を設けた部分。徹底していますね。

さて、来週の竹田城オフに備え、衆議院や都知事選などの期日前投票にも行かないといけないし、本日はこの辺で。
所要はほんの1時間30分。どこを見ても存分に城跡の醍醐味を味わえる、素敵な場所ですよ♪

| | コメント (0)

2012年12月 7日 (金)

八王子2大城跡ツアー② 八王子城!

12月3日(月)、八王子の城跡巡り2日目は日本百名城の一つ、八王子城へ向かいました!
(そもそも滝山城が百名城に選ばれていないこと自体、私は納得していないのだが…)

この日の参加者は前日(滝山城)に引き続き、サイガ先生・ゆうりサン、そしてなっちサン、さとみんサン(前日までの関ヶ原遠征からほぼ直行…恐れ入るww)に私の5名。
平日ということもあり、朝の通勤ラッシュを避けて午前10時に八王子駅でゆうりサン・さとみんサンと待ち合わせ。お二人を拾い、途中のコンビニで昼食用のパンやおにぎりを調達してから、いよいよ八王子城跡へ。直行組のサイガ先生、なっちサンとは城跡の駐車場で落ち合う。
(そうそう、この時初めてなっちサンの愛車「濃いオッサン」号の名前の由来を知る。。。決して見た目からではありませんでした!www)

12120300
八王子城とはこんな感じのお城。戦闘用の構造を山頂部に設け、平時の居館を麓に置く典型的な山城ですね。
今回はメイン登山道から金子曲輪を経由して山頂の主郭部に向かい、更にそこから「大天守跡」とも呼ばれる詰の城(写真左)を目指します。その前に…

12120301
まずは10月末にオープンしたばかりのガイダンス施設へ♪
ところがここ、新築なので建物は綺麗なのだが展示品はなんだか寂しい印象だし、詰めているスタッフもあまりお城に詳しくなさそう…。「まだまだ」な印象。

12120302
では早速、登城開始!

12120303
登り始めてすぐ、馬蹄状の小さな曲輪が階段状に何段も連なる遺構に出くわします。
いきなりワクワクして来ますね~♪

12120304
金子曲輪跡。
豊臣秀吉による北条征伐の際、この八王子城は前田利家・上杉景勝・真田昌幸らの北陸方面軍の攻撃を受けて落城するのだが、その戦いの折、ここは金子三郎右衛門家重という武将が守備したとされることに由来します。

12120305
柵門台跡。
御主殿裏から伸びる通称「殿の道」とも合流するポイントで、防衛拠点の要の一つだったのでしょう。正面の土盛りの上にはおそらく櫓の様な門が建ち、侵入者に対する警戒を張っていたものと思われます。

12120306
「9合目」表示の近く、高丸跡にて。
「この先危険」とありますが、見下ろすと小さな虎口や土塁、曲輪跡が見えている…。「立入禁止」とは書いていないし…

12120307
当然行くでしょ?(笑)
高丸跡から虎口を経て一段下りた場所。曲輪を防御するかのように写真右に土塁が走る。

12120308
高丸付近からの眺め。。。何も見えねぇー!!(T_T)
本来であればこんな↓眺望が開けていたはずなのにぃ(>_<)
P1060712_2
2004年12月にほぼ同じ位置から撮影。時期的にも今回の訪問とちょうど同じ頃だから、紅葉の具合とかもまさにこんな感じだったんでしょうね、、、見えていたら。

12120309
いよいよ主郭部に到着~。「頂上」の標石がありますが、本当の頂上(本丸)はまだこの先少し登った所。この地点からは比高30mくらいかな?
実はこの標石、麓からずっと「5合目」「7合目」…と続いているが、これはあくまでも本丸直下に鎮座する八王子神社(北条氏照が城の守り神とした八王子権現が祀られている)周辺を「頂上」として起点としている。その為、この位置に表示されている模様。

ここで一旦休憩し、昼食タイム。
皆さんからお土産のお菓子などを頂いたりして、和やかに談笑。
…私だけ何も持ってきていなかった。気が効かなくてどうもスミマセン。。。(T_T)

12120310
こちらが八王子神社。あいにくの霧も、ここでは荘厳な演出の一助に?

12120311
本当の「頂上」、本丸跡。
これだけの大城郭の「本丸」としては、驚くほどの小ささです。

12120312
よし、次はいよいよ「詰の城」へ向かいます!

12120313
本格的な登山道が続きます。。。霧も一段と濃くなってきた。

12120314
この井戸、今でもちゃんと水が出るらしいですよ…試していませんが。
それにしてもこんな高い位置にどうやって掘ったんだろう。。。

12120315
登山道を外れ、土塁状の尾根を進むうち、、、見えてきましたね☆

12120316
尾根筋をざっくりと切り落とす堀切!
この堀切だけでも充分に驚かされたのだが、まさか最後にもっと凄いのが待っていようとは。。。!?

12120317
この堀切の脇には小さな曲輪状の削平地があり、「駒冷やし」と呼ばれています。
…こんな山頂に馬?まぁ、山頂への荷物運搬用でしょうね、きっと。

12120318
更に進むうち、そこかしこで倒木を目にするようになった。
写真のように「根こそぎ」って感じで、その数も2~3本なんてもんじゃない。目にしただけでも軽く二桁はいっていた。一体どうしたというのだろう。。。

12120319
竪堀跡も発見。登山道から他にも数本確認出来ます。

12120320
さて、詰の城「大天守」も近付き、いよいよ最後の登り坂。その脇を堅める「登り石垣」!
だいぶ崩れちゃってますけどね…(^_^;)
あと一息♪

12120321
遂に到達、大天守跡!
「大天守」と名付けられていますが、実際に建っていたのはせいぜい櫓程度のものでしょう。しかしここは、西からの攻撃に備える八王子城防衛ラインの最前線で軍事戦略上、最重要拠点であったことは間違いない。

12120322
大天守跡から西側には最外郭を守る大きな堀が切られています。覗き込んで見ると…
堀底に立つサイガ先生があんなに小さく(笑) 見えますか?とんでもない深さです。

12120323
その大堀切。本日最大の目的ポイント。
もうね、何というか…圧倒されっ放し。サイガ先生によると、関東圏では最大級の大堀切だそうです。そりゃ納得ですよ、ここに立ったら。いや~凄い!!
写真ではなかなかこの感動は伝わりにくいですが、写っているさとみんサンやなっちサンとそのサイズを比較してみてくださいw

12120324
堀底の側壁にはこんな穴が…?
位置が若干低過ぎたので定かではありませんが、もしかしたら橋が架けられていたのかもしれませんね。

12120325
堀底から上がって大天守にて。
う~む、これが噂に聞くみつニャン・さこニャンによる記念撮影か!(笑) 遂に現場に立ち会うことができた♪

この後は登ってきたルートを戻って下山です。

12120326
山頂部では全く効かなかった眺望も、金子曲輪付近まで下りてきてようやく開けてきました。プチ雲海?(笑)

12120327
麓のアシダ曲輪にて。銀杏の絨毯♪
※山頂側から下りてきたので気付きませんでしたが、この門柱の立っている辺りは私有地だそうで立入禁止です。ご注意ください。

12120328
階段も埋まっちゃってます。。。

12120329
さぁ、最後に御主殿へ向かいましょう!

12120330
大手門跡と云われている箇所。少し前までこの辺りは手付かずの藪だらけだったと思ったのだが、ご覧のように綺麗に整備されて虎口の形状もよく確認できました。

そして写真にも写っていますが、周辺には石がゴロゴロとしている。この虎口の高低具合(あの先、左に折れた所から下っている)からして、この大手門跡も地中にはガッチリと石垣で固められた階段状の虎口が眠っているのではないかと考えている。そう、御主殿のような…
20130302_140709
ちなみに、その大手門虎口を城山川を挟んで反対側から見た様子(2013,3,2撮影)。こんな具合に往時は橋も架かっていたのでしょう。
※以上、青文字部分2013年3月10日追記。オフ会に戻ります↓


12120331
お決まりの撮影ポイント、御主殿と曳橋。

12120332
現存していた部分の石垣を熱心に観察する御一行。

12120333
実はこの復元曳橋、何故だか御主殿側の位置がズレて架けられている。
本来の位置から見た様子。手前の石垣の角度も丁度、対岸の位置とアングルが合っているでしょ?
何で正しい位置に架け直さなかったのかなぁ?そうしたら何もわざわざ復元の為に土塁を削り取るなんてこともしなくて済んだ筈なのに…。

12120334
御主殿跡の広場は現在、礎石展示の為の復元工事中(2013年2月まで)
従って「殿の道」にも入れず!あの4段の石垣群、是非ともお見せしたかったなぁ…。

12120335
最後に城主・北条氏照公の供養墓にお参り。
このお墓が立つ小高い丘?も、八王子城の大きな土塁の一つと推定。
その証拠に…

12120336
たまたまだけど帰りしな、土塁(丘)の先端部で旧道跡の折れを発見!
ここも以前は竹藪の中で、今まで全く気付かなかった。。。もしこれが新発見なら、是非とも「しみず古道」と名付けたいところだけど…駄目ですよね、ハイ(笑) そもそも見易いように藪を刈ってくれたんだろうしね(^_^;)

さて、これにて2日間に渡った八王子の城跡巡りも終了です。
講師役のサイガさんには大変お世話になりました。発起人のゆうりサン、一緒に参加してくださった皆さん、本当にありがとうございました!
今回参加できなかった方、片方のお城しか行けなかったという方、またのご来訪を心よりお待ちしております!(←ただの地元民が何様?!ww)

| | コメント (0)

2012年12月 5日 (水)

八王子2大城跡ツアー① 滝山城!

いや~遂にフォロワーさんを地元・八王子にお迎えする日が来ましたね♪
滝山城も、この翌日に予定している八王子城も幾度となく訪れていますが、城郭の構造にはあまり詳しくないので私自身、一から勉強し直すつもりで参加させていただきました。

12月2日(日)の初日、滝山城探索に参加するメンバーは講師役のサイガ先生とゆうりサン、しろうさぎサン(お2人とも関西から駆け付けてくれました)、それに私の4名。
朝7時に八王子駅で待ち合わせて2日間に渡る八王子の2大城跡を巡るツアー?のスタートです!

※この日は特に冷え込みの厳しい朝となった。
皆さんを迎えに駅へ向かおうと、駐車場に着いてビックリ。車の窓もドアもビッシリ凍りついて全く動かせない!自宅から駐車場まで少し距離があるので家からお湯を運ぶことも叶わず、仕方なしに自販機でホットのお茶を買ってぶっ掛けかけたのだが…溶かしたそばから瞬時に再凍結。。。危うく遅刻する所でした(^_^;)


城跡近くのコンビニで昼食も買い込み、いよいよ攻城戦のスタート!
12120201
…と、その前に! 滝山城とはこんな感じのお城です(八王子城跡管理棟前で撮影)。この鳥瞰図を見るだけでも垂涎ものでしょ?ww
今回は南東の「丹木三丁目」交差点近くの入り口から入城します。

12120202
登城開始後、すぐに出迎えてくれる「小宮曲輪」と呼ばれる曲輪下の土塁と堀。最初の「ツカミ」には充分なパンチが効いてます!(笑)

12120203
何度も屈折する複雑な土橋。
今立っている場所も土橋、正面に横切っているのも、、、土橋!

12120204
その土橋を逆側から。この辺りの舗装路全体が土橋です。

12120205
二の丸南面の土塁と大堀切。この雄大さと深さ…堀底に立つゆうりサンのサイズで推し量ってください(笑)

12120206
この堀切には通路状の細長い土塁が1本通っています。侵入した敵をひとまとめに殲滅するための仕組みで、サイガ先生によるとこれを「岸縁入路」というそうです。細い水色のラインを引いた箇所です。
代表的なところでいうと、江戸城の竹橋門から平川門に架かる帯曲輪とか、姫路城の西面の中濠とかがあります。江戸城の帯曲輪についてはコチラ をご参照ください。
更にこの先には…

12120207
二の丸の枡形虎口の先にある「三つ巴」の土橋に繋がります!
甲斐武田軍の滝山城攻めの際も二の丸付近で引き返したとされるので、もしかしたらこの辺りが最後の攻防線となったのではなかろうか。滝山城、最大の見所の一つです。

12120208
こちらは二の丸と中の丸を隔てる堀切。これだって相当な規模です。

12120209
中の丸脇から眼下を見下ろすと広い削平地が。
今は公園の様な広場となっていますが、その昔は池、だったとか。。。ホントに?
真ん中辺りで人工的な段差があるし、むしろ家臣や城主(北条氏照)直属部隊の屋敷跡だった、とか言われた方が信憑性あるけどなぁ…

12120210
そのまま進み、まずは中の丸と本丸の間に架かる引橋を♪

12120211
そして、中の丸に上がって暫し休憩&この後の攻城ルートの軍議♪
この奥に多摩川と、武田軍総大将・信玄が陣取ったと伝わる拝島方面の景観が広がります。

12120212
紅葉もまだまだ見頃?…もう12月ですよ?(^_^;)

12120213
引橋を渡った先、本丸の虎口。現地でご覧いただければ分かりますが、見事な形状を残しています♪

12120214
本丸に残る井戸。紅葉の絨毯♪

12120215
滝山城祉の碑

12120216
本丸、南面の虎口。ここも大好物スポットの一つ♥
この後は搦手側に回ります。

12120217
搦手口。
一見すると見知らぬオジサンが向かってきているこの舗装路の先が虎口に思いがちですが、おそらくこのルートは本来あった土塁を削り取って通したもの。土塁の断面を見ると小石が混じっており、明らかに土塁として形成した跡があるとのこと(サイガ先生談)。
本来の搦手虎口は写真左端からゆうりサンが示すラインに沿って形成されていたものと推定。水色のラインに沿って土塁が通っていたのではなかろうか。

12120218
搦手から主郭方面。こういう人工的な造成、、、好きだな。

12120219
搦手口から少し西側へ、藪漕ぎして遺構を探してみたら…
見事な竪土塁が!右脇にはもう一つ別の土塁も走り、その手前には曲輪も形成されていた。。。こんな遺構がこの周辺だけでも嫌って程ありますよ~w

12120220
更に北西へ進み、北端に位置する小曲輪へ。その縁をかたどる土塁。
ここは形状から馬出しの役目を負っていたのかな?

12120221
次は本丸の西側下に展開する小曲輪群へ向かってみます。
またまた藪漕ぎ~♪

12120222
意外にも芝刈り?などの整備も進み、とっても見易くなっていました。この辺りにも素敵な遺構がちりばめられていましたよ♪

12120223
その小曲輪群でサイガ先生の講義に熱心に聞き入る生徒2名…
あれ?もう1名は??(笑)

12120224
更にその先にも凄い遺構が眠っていそうな匂いがプンプン漂ってきていましたが…
まだ芝刈りが追いついておらず、ご覧の藪だったので今日は断念。今度コッソリ一人で来ようかなぁ?

12120225
戻りがてら、小宮曲輪にて。
今回は時間の都合上、小宮曲輪から北側に伸びる尾根筋の遺構は確認出来ませんでしたが、どうやら見学ルートも写真の通り設けられているみたいだし、やっぱりまたすぐに来よう♪
東端の通称「信濃・刑部屋敷」跡も行っていないし、皆様またのお越しをお待ちしております(笑)

12120226
約5時間に及ぶ踏査を終え、午後は近くの市民センター?で催されていた滝山城に関する歴史講演会へ。
滝山城に関する研究・執筆では第一人者ともいえる中田先生の講義もあったのだが…、少なくともサイガさんと私の2名は舟を漕いでいて殆ど記憶に残っていないものと推察する!(笑)

この後、一旦駅まで皆様を送り、電撃日帰りツアーでお越しのしろうさぎサンとはここでお別れ(また竹田城でお会いしましょ☆)。
急ぎ車を自宅に戻し、バスで駅まで引き返してサイガさん、ゆうりサンとの3人で懇親会へ♪

お城やら歴史やらの話に華を咲かせているうち、nikkoさんも駆けつけてくれて4名での楽しい宴となった。
正直な話、私は気持ちよく酔っ払ってしまい、話した内容とか記憶が定かではない…(^_^;)
もし不遜な発言とかあったら、ひらにご容赦を!!www

翌日は八王子城へ♪(つづく)

| | コメント (0)

2012年12月 4日 (火)

「城友会」初参戦! ②田峯城~長篠周辺、野田城(11月25日)

古宮城でひとしきり遺構の素晴らしさに感嘆した後、再び車で移動です。
所要1時間弱、本日3か所めのお城は田峯城!

Img_0782
なんの前知識もなく乗り込んだのですが、随分と綺麗に整備されていた印象。

Img_0791
この茶畑も「表曲輪」と名付けられた遺構の一つw
この辺りもお茶の名産地だとか。城好きとしては是非ともこの葉で淹れたお茶をいただきたい!(笑)

Img_0793
本丸下の「無名曲輪」と名付けられた(いや、無名なのだから名付けられていないか!ww)場所から、本丸土塁を見上げる。

Img_0797
更に下へ目をやると、段々に帯状の曲輪が…

Img_0798
井戸曲輪。残念ながら、井戸(跡)は確認できず!(>_<)

Img_0799
こういうハッキリした形状、好き♪

Img_0801
本丸に復元された御殿。

Img_0805
大手側(駐車場から登ってきたのは搦手側)の門と櫓

Img_0810
御殿の中で暫し、お殿様ごっこ♪
「その方、わしの姫に手を付けたであろう!」
「な、なんのことか、私には身に覚えがありませぬ!お許しを~」
…wwww

Img_0815
櫓の上から。そして反対側へ回ると…

Img_0817
ご覧の絶景!
山奥でこの景色を眺めていると、もう天下とかそんなだいそれたもの、どうでもよくなる(笑)

田峯城は意外にもだいぶ観光施設化された印象でした。いろいろ意見はあるでしょうが、個人的にはこれはこれで楽しかった。逆井城とか荒砥城も好きだし。

さて、また移動。いよいよ長篠・設楽原古戦場周辺の関連史跡巡りに入ります!
Img_0824
医王寺に到着。と、ここでサプライズが待っていた。
なんと、フォロワーで地元・三河にお住まいの「くらじろう」さんが我々のツイを見て、おそらく次はこの辺りだろうとアタリを付けて待っていてくれたのか、駐車場に着いた瞬間にお会いすることができました!何だか凄いな、twitterって。
とても嬉しくなる出会いでした。ありがとうございました。

Img_0827
長篠山医王寺

Img_0835
こんな、シダが密生する急傾斜の階段を登ること10分弱…

Img_0837
長篠城を包囲した武田軍総帥、武田勝頼が本陣を構えていた場所に到着!
あの櫓の上からなら視界も開けていそうだったので、是非とも上りたかったのですが…残念ながら老朽化により立入禁止のロープが!

Img_0840
本陣跡の脇の土橋 (^○^)/

Img_0844
縄張り図から類推して、竪堀があるはずの場所へ藪を分け行った一行を見送ること5分…
まず先頭を切ってサイガ先生が戻ってきました。
知らない人が通りかかったら、さぞ驚くことでしょうねぇ(笑)

麓まで下りた後は少し車で移動。。。
Img_0853
長篠城!本丸に架かる土橋!!

Img_0854
紅葉と堀切♪

Img_0857
資料館入り口にて。
…ちょっとエグかったので、一部自主規制(笑) 気になる方は是非現地にて♪

Img_0858
資料館の背後の山が大通寺陣跡。この長篠城を包囲する武田軍の武田信豊(勝頼従弟)、馬場美濃守信房らが布陣していた場所です。
あんな所から見下ろされたら…気が気じゃないですよね?

Img_0863
本丸を囲む土塁の上にて

Img_0868
本丸から鳶ヶ巣山砦方面
あそこを徳川家康の重臣・酒井忠次が落としたことが、ある意味、長篠設楽原合戦の趨勢を大きく決定付けたのかも。

Img_0871
本丸下の先端、野牛曲輪。
この辺り一帯、新東名の工事が進み、遺構の破壊も著しい…(>_<)

Img_0874
間違いなく今、俺は一つの歴史の舞台に立った!ww

Img_0876
今は民家となっている弾正曲輪跡

Img_0880
そして、長篠城といえばやはりここ!

Img_0883
飯田線も通りかかってくれました♪

Img_0893
あの削られた斜面の辺りが包囲陣の一つ、中山砦(陣)跡…(T_T)

Img_0898
長篠合戦には欠かせないエピソードの一つ、鳥居強右衛門磔死の碑。
「籠城方の皆さまーっ!信長公、お館様(家康)の援軍は間もなく参りまするーっ!!」
彼の勇気と覚悟はどれだけ籠城する長篠城兵を勇気づけ、士気を高めたことでしょう…。

Img_0900
新城市設楽原歴史資料館

Img_0903
こちらでは、本日巡った田峯城、古宮城の縄張りをプリントした手拭も販売されていました。

Img_0904
屋上に上って、長篠設楽原合戦の際、信長が最初に陣を構えた茶臼山(左手後方、三角の山)と、馬防柵を築いた本陣跡(手前)。

Img_0906
復元された馬防柵も見えている♪

Img_0908
兜のレプリカを被って御満悦の御一行。私だけ後方に写っている工事用ヘルメットを被らされたのは若干納得がいっていないのだが…(笑)
この時、サイガ先生は一人黙々と展示されている鉄砲に見入っているのであったw

Img_0909
古戦場も歩いてみます。
歴史資料館が建つ丘は武田方の陣地で、ここから馬防柵を展示している織田方の陣跡へ。
武田方の武将、甘利信康戦死の地。

Img_0911
この辺りも激戦地だったようです。

Img_0913
織田・徳川陣方面へ向かって左手、あの辺りが山県昌景が突撃した最大の激戦地だったそうです。右手は徳川軍布陣地。

Img_0915
武田軍の進軍を阻んだといわれる連吾川

Img_0920
三段撃ちがあったかどうかはともかく、間違いなく合戦が行われた地。
来れてよかった。

Img_0922
文献やらを参考にして、極力忠実に再現したという馬防柵。
「三段構え」って、案外土塁のことだったのか?!…なんて。

Img_0923
こんな至近距離で睨み合い、そして開戦したのですね。。。
今回は駆け足での訪問となりましたが、絶対に近いうちにまた来ます。

Img_0933
歴史資料館に戻って、武田方の戦死者を葬った「信玄塚」
何故この時点ではとっくに病没していた信玄なのかは不明ですが…。

さ、いよいよ最後の行程です。
長篠から我々の新幹線の時間を気にしつつ、渋滞を避けながら立ち寄らせて頂きました。
Img_0938
野田城!

Img_0939
思いの外、小さなお城でしたが、この土橋は立派ですね。

Img_0941
野田城の石碑

Img_0942
野田城といえばここも外せない!
笛の音で信玄をおびき出し、狙撃したという場所。
勿論伝説の域を出ないし、私も信玄は病死だと思っていますが、大昔から語られてきた伝承・伝説の類は何かしらの意味があり、嫌いではありません。

Img_0945
という訳で「笛」にちなんだお祭りも催されるようです…(^_^;)

さて、これにて今回の愛知二泊三日の旅は終りです。
この後は豊橋駅まで送っていただき、流星☆さん・幸村!さん、そして引き続き周辺の史跡探索を続けられるサイガさんとはお別れ、こばたかさん・ちょめさんと新幹線で関東へ。。。
2日目の晩以降は宿の手配から運転から、何から何までお世話になりました。普段は一人での旅が多い私ですが、たまには同じ趣味を持った同士、一緒に行動するのも楽しいですね♪ありがとうございました。

※次回はこの翌週に行われた八王子の城跡探索をレポします。

| | コメント (4)

2012年12月 3日 (月)

「城友会」初参戦! ①三河亀山城、古宮城(11月25日)

前夜の懇親会、そして2次会のカラオケから一夜明け、、、旅の3日目です。
いよいよ「城友会」に初参戦しての三河の山城攻めです!

…ところが。
この朝、いきなり私は大失敗をやらかしました。集合時間は午前6:30。朝には強い方だし、何の心配もせず5時に目覚ましをセットして寝た。そして確かに5時にアラームで起きた…なのに!
次に気が付いたら時刻は何と6:10!?…完全に2度寝による寝坊です。いつもの一人旅ならブツクサと自らを罵りながら適当に準備するのだが、この日は団体行動でそうもいかない。
大慌てでシャワーを浴び、着替えて荷物をまとめて…きっかり約束の時刻通り、ホテルのロビーへ。我ながらよく間に合ったものだと不思議になるほど。
剃る時間もなかった無精髭が伸び放題だったのはご愛嬌♪

幸村!さんの運転でまず目指すのは、三河亀山城。
そうそう、ホテルを出発してすぐ、昨夜のカラオケの話になり「そう言えばあのお店、立てこもり犯が直前にいた所だったんだよね~。今走っている所もすぐ近くだよ」etc...と会話をしていたら、まさに現場となった信用金庫の前を通り、一同「!?」。こんなこともあるんですね。

1時間ほど走ったところで、亀山城に到着~♪
Img_0672
車を停めた道の駅?からの光景。
霜が寒々としている。。。(^_^;)

Img_0676
南側の大手口?から攻城開始~。土木の跡がハッキリ分かって楽しい♪

Img_0683
本丸へと至る虎口です。

Img_0687
西曲輪から見た、2本の土塁を通した竪堀
※私は正直なところ、お城の構造や遺構の呼び名について疎いので、間違いがありましたら“優しく”ご指摘ください。

Img_0690
向こうに見えている右手の小高い丘が古宮城かな?

Img_0694
亀山城の縄張り

Img_0696
本丸にて

Img_0697
本丸から東側の二の丸へと至る虎口

Img_0701
土塁と空堀。間を断ち切っていますね。

Img_0706
東曲輪から見た本丸の土塁

Img_0728
亀山城、遺構を歩いている時はこじんまりとした印象でしたが、ここから見るとかなりの要害。
さ、次へ…

亀山城からは目と鼻の先、、、
Img_0731
古宮城に到着!目の前には豊川と矢作川の分水嶺が。

Img_0746
いきなり出迎えてくれた大楠。樹齢いかばかりか。

Img_0751
武田家の重臣、馬場美濃守の手による古宮城。とにかく遺構が凄かったのだが、あまりにも凄過ぎて、後で写真を見返してもどの部分を撮ったものか正確に思い出せない。。。(T_T)
とりあえず本ブログでは、雰囲気だけお楽しみください(^_^;)

Img_0753
この堀の深さ!
こばたかさんの豆粒ぶりからも推し量れよう。。。

Img_0758
これは二の丸に相当する曲輪だった、かな?

Img_0760
ここには両サイドを落として出入り口とした土塁も♪

Img_0761
帯状に段々に形成される曲輪。こういう奥行き、大好き♪

Img_0762
こばたかさんが発見した石積みらしき名残。

Img_0769
はぁ~
もはや溜息しか出てこない。凄いな~この土木量。

Img_0773
何気にツボにはまった、屈折した土塁?武者走り??

Img_0778
麓まで下りて。これも堀と土橋の遺構か?
いやぁ古宮城、圧倒的な遺構の数々、感服仕りました!

②は田峯城から再開します。

| | コメント (0)

2012年12月 1日 (土)

「桶狭間の戦い」を辿る ③(11月24日)

さて、②の続きです。
正直なところ、中島砦を出た後の信長の進軍ルートはハッキリと解明されていません。そもそも、最後に襲撃した今川義元の本陣がどこだったのかで意見が割れているので、ルートがハッキリしないのも当然な訳で…(^_^;)
という訳で、今回は義元本陣候補地を西から順に巡ってみることにしました。

Img_0493
中島砦を出てすぐの場所で撮影。秋ですねぇ…

Img_0495
中島砦からは目の前を流れる手越川沿いを歩きました。
この川沿い辺りが、この時点での両軍の軍事境界線となっていたと思う。
しばらくすると写真の通り、さらに小さな川が右に流れていたので、あの流れに沿って行ってみます。

Img_0501
まずは義元本陣候補地の一つ、漆山を目指します(写真左手)。
この右手には…

Img_0502
諏訪山。この辺りが今川軍の最前線だったのではないでしょうか。

Img_0504
漆山から少しでも視界の効く場所を求めて…。高低差はある程度お分かり頂けるかな?

Img_0506
この辺りが漆山のテッペンだと思う。。。

Img_0512
漆山公園。周辺は完全な住宅街で遺構らしきものは残っていませんが、気になる土盛りは若干ありました。

Img_0515
先ほどの漆山公園からすぐ東には大高緑地公園。
事前に地図を確認しているだけでは分からなかったのだが、漆山からはアップダウンもそれほどなく、完全に地続き。尾根を渡る、くらいの感覚ですね。

Img_0516
最初はノーマークだったのだが、この大高緑地公園、所々に気になる形状が…

Img_0520
ほら、堀切に見えませんか?!

Img_0525
あれなんか、土塁に見えて仕方ないのですが…。
無論公園ですから、最近になって整備した跡という可能性は否めませんが、そうであれば今の時代の公園に必要な形状とも思えないのも事実で…

Img_0526
大高緑地公園の展望台から、北西方面。
この先に中島・善照寺・丹下の各砦群があります。

Img_0530
同じく北東方面。
②で紹介した善照寺からの眺めでは分かり辛かったですが、こうして見ると今川軍が展開した(であろう)各山が尾根続きの形状をしていることがイメージし易いと思う。

Img_0534
公園内の大きな池を越えて、更に東へ進む。。。

Img_0537
う~む、やはり気になる…(笑)

Img_0538
大高緑地公園を抜けて大通りを渡った先、幕山を眺める。

Img_0539
一旦1号線に出て東進。「桶狭間」交差点を右に曲がって名古屋市緑区の「古戦場公園(田楽坪)を目指します。

Img_0540_2
ここからも南に向かってハードな上り坂。。。

Img_0543
しばらく進むと幕山公園。試しに登ってみましたが、あまり視界は開けていませんでした。

Img_0547
信長の命で戦死者を葬ったという「七ツ塚」を探して住宅街を彷徨い歩いていた時に見かけた「武路公園」。曰くありげな名前ですね…w

Img_0548
そして、ようやく見つけた案内板。。。

Img_0549
こんなとこ入って行くの?…こりゃ分からんて。。。(笑)

Img_0552
こちらが「七ツ塚」
かつてはその名の通り七つあったが、現在は一つだけが整備されて残っている。

Img_0560
桶狭間古戦場公園(名古屋市緑区)

Img_0561
ここは田楽坪とも呼ばれ、今川義元戦死の候補地の一つ。墓標も立っています。
現在「おけはざま山」と伝わる場所からは西側に位置します。

Img_0569
田楽坪の碑

Img_0572
案内板も出ていますが…その前に、

Img_0575
合戦の2日前、5月17日に今川義元の重臣・瀬名氏俊が先発隊として着陣したとされる場所。
彼はこの近くの長福寺裏山に、義元の本陣(予定地)を造成していたという。

Img_0578
奥の雑木林がその、本陣予定地

Img_0579
そして長福寺。
寺伝に「この近くに布陣した義元に酒肴の差し入れをした」と伝わる。。。

Img_0582
早速境内に入ってみましょう。

Img_0586
今川方の武将の首実検をしたと伝わる場所。

Img_0589
桶狭間合戦供養塔

Img_0593
長福寺境内

Img_0595
長福寺から大池を挟んで反対側に「戦評の松」
今川方の瀬名氏俊が戦の評議をした場所とか。

Img_0597
大池の向こうの小高い丘?が、「おけはざま山」と伝わる場所。

Img_0598
では「おけはざま山」に登ってみるとします。

Img_0599
しっかり、マンホールのフタも激写(笑)

Img_0601
「おけはざま山」から西側の斜面。
全体的に建物の影響で周辺を見渡せる場所は少なかった。。。

Img_0606
西側の斜面に立つ「おけはざま山 今川義元本陣跡」の碑。
何故この場所に立てたのか甚だ疑問だが…。この位置からは全く織田陣営方面を見ることもできないし、まずあり得ないでしょ。

Img_0610
おけはざま山を下って西北に位置する「釜ヶ谷」
義元本陣突撃の直前まで、信長軍が潜んでいたとされている場所。突然の豪雨も止み、晴れ間ものぞいたところで号令一下、あの坂を駆け上がって突撃したというが果たして。

Img_0612
再度、国道一号線に出ると、そこは「大将ヶ根」交差点。
参謀本部が推定した迂回奇襲説では、織田軍はこの辺りを通って今川本陣へ向かったとされています。

Img_0613
もう少し東へ進むと見えてくる「桶狭間古戦場」の看板。

Img_0614
こちらが「おけはざま山」の東、豊明市にある「桶狭間古戦場伝説地」

Img_0617
園内には様々な石碑がある。
写真は1700年代後半、尾張藩士らによって建てられた七石表の一号碑「今川義元碑」。

Img_0623
同じく1700年代後半に塚の上に建てられた「今川治部大輔義元」の墓標。

Img_0638
ところでこの公園の石碑、どこに「~伝説地」と書かれているのだろう?と思っていたら…あった(笑)

Img_0639
こういうお祭りも一度見に来てみたいな♪

Img_0641
朝から3日分の荷物を背負って歩き続けること5時間、さすがに疲れたので国道沿いのモス・バーガーで遅めの昼食を取った後、電車で一駅だけ移動して最後の目的地へ。

Img_0644
移動した先、前後駅。ここから1km程また歩きます。

Img_0647
また坂だ…(^_^;)

Img_0650
曹源寺の住職らが戦死者を集めて葬ったという「戦人塚」。
実際に近年、周辺の宅地造成の際、当時の人骨が発掘されている。

Img_0652
「おけはざま山」や周辺の各史跡からは東に位置する。
丁度、織田軍に追われた今川勢が元来た沓掛方面へ向かって逃げる途中のような…。

さて、今回の「桶狭間の戦い」巡りはこれで終了です。
本来であればここで;

・義元の本陣はいずれであったか?
・信長の進軍ルートは?
・奇襲か正面攻撃か?

といった点について、私なりの見解をまとめるつもりでいましたが、まだまだ疑問が多く、ちょっと時間がかかります(^_^;)
それについては後日、まとまった段階でこのブログにて。

いずれにしても、まだ観れていない場所もたくさん残っているので、来年また機会を見つけて再訪したいと思います。

旅はまだ続き…
Img_0656_2
桶狭間踏査を終えて、「城友会」に合流すべく豊川へ向かう車中から。
岡崎城♪

Img_0660
豊川稲荷駅に到着~

Img_0662
駅前の観光案内板。
そっか、武田家軍師・山本勘助の出身地といわれる牛久保も近いんだ。
「今川義元公墓所」と見えるのは、おそらく桶狭間での敗戦後、家臣によって運ばれた胴体が葬られている場所だと思う。

Img_0664
お稲荷さんにちなんで、狐の銅像。

Img_0667
あっちにも!

Img_0668
2日目のお宿。部屋に入ってみたら…

20121124_164656
こんなところにまでキツネさんが♪

この後ホテルのロビーで集合し、近くの居酒屋で懇親会♪
更には2次会でカラオケへいったのだが…噂に聞いていた「こばたか」さんのお城替え歌、まさに「伝説」だった…(笑)

※そうそう、この時に使ったカラオケ店、タクシーの運ちゃんによるとこの2日前に起きた立てこもり事件で犯人が直前までいたお店。なんというタイミングというか、偶然。。。
そしてまさか、翌朝には…?

| | コメント (2)

「桶狭間の戦い」を辿る ②(11月24日)

さて2日目。
ホテルで簡単な朝食を済ませ、7時前に出発。最寄りの地下鉄「伝馬町」駅から「堀田」で名鉄に乗り換える。

Img_0412
その堀田駅にて。

Img_0414
7時30分、鳴海駅に到着。随分と立派な駅舎だな~

Img_0419
てくてくと歩き始めたところで見つけた東海道、鳴海宿高札場の復元。

Img_0432
まずは鳴海駅から徒歩7~8分ほどにある鳴海城跡へ。ここは桶狭間合戦当時、今川方の岡部元信が守っていました。
写真は鳴海城跡から織田方の砦、鷲津方面の眺め。

Img_0434
天神社に建つ鳴海城跡の碑。

Img_0436
さて、再び歩き始めます。鳴海城跡から北の方角へ。
この辺りに旧東海道が通っていたのかな。

永禄3年5月19日
熱田から更に軍を進めた信長は、今川方となっている鳴海城に対する付城として築いた丹下砦を経由し、同じく善照寺砦へと向かった。。。

Img_0444
こちらが丹下砦跡(光明寺)。
包囲する鳴海城のほぼ真北で、実際にこの地に来てみると鳴海城を見下ろすような高低差がありました。残念ながら周辺の建物で見通しはあまり効きませんが。

Img_0451
光明寺に入ってみます。

Img_0454
境内の銀杏の木。なんか不思議なコブが垂れ下がってる。。。

Img_0455
紅葉も綺麗。。。

Img_0456
丹下砦を出て信長が次に向かったのは善照寺砦。丹下砦からは南東方向。
同じように向かってみました。坂道を下りながら消火栓のフタなどをパシャ☆ 名古屋城の絵柄ですね♪

Img_0461
…とその前に、鳴海城跡で天神社の隣にある鳴海城址公園に立ち寄るのを忘れていたことに気づき、寄り道。こちらの公園の方に主郭部があったとか。

Img_0462
鳴海城址公園からの丹下砦。

Img_0464
そして今川本軍が展開していた南東の方角もどうにか視界確保(^_^;)
正確な位置関係は見た目にはちょっと分かりませんでしたが、当時は当然建物もありませんので、お館(今川義元)の軍勢がよく見えたことでしょう。
織田方の丹下、善照寺、中島の各砦に囲まれ、籠城を続けていた城兵にはとても心強い光景だったはず…だが。

Img_0467_2
さて、再び善照寺砦を目指して歩きます。鳴海城からは東の方角。丹下砦から直接向かっていれば20分くらいの距離。当時はもっと直線的に向かえたでしょうから、5~10分で着いたものと思われます。
大通りから横道に入るとご覧の坂…。そりゃ、砦が築かれていたんだから坂もあるよね、当然(^_^;) 結構堪えました(笑)

Img_0469
善照寺砦跡。現在は児童公園になっています。

Img_0472
ここからは今川軍が展開する南~南東方面が本当によく見えました。
写真向かって右(南)から左(南東)へ→鷲津砦、漆山・大高緑地公園(左京山)、高根山など。一番左が“現在の”おけはざま山か? それぞれに「こここそ今川義元の本陣跡」との説が展開している。
今でこそ密集する住宅でよく分かりませんが、この善照寺がある地点から南に向かって急な下り坂となっており、間を流れる扇川を境にまた上り始めて対岸も全体が東西に伸びる高い丘陵地帯のようになっている。

牛一が記した「おけはざま山」とは即ち、どれか特定の山(丘)を指したものではなく、この丘陵地帯全体を呼んだものではなかったのか?…ふとそう感じました。

Img_0481
昨日とはうって変わって空も綺麗!

Img_0483
善照寺砦の南側斜面。

善照寺砦から今川勢の様子をつぶさに観察した信長は、おそらくここで最後の決断を下したのでしょう。
「今川勢から丸見えになって人数が少ないことがばれる」からと、馬の轡を取って引きとめる家老衆を振り切って更に南進。この辺り一帯では最も低地に位置する最前線・中島砦へと向かいました。

Img_0484
同じように中島砦跡を目指します。
ご覧のように、かなりの急坂。現在の区画でもほぼ一直線に向かえます。

Img_0486
手前から左へと流れるのが扇川(黒末川)で、右へ分かれているのが手越川。
その分岐点、中洲のように見える位置が中島砦跡。

Img_0490
中島城(砦)の碑。
民家の庭の様な所に立っていますが、所有者のご好意により、自由に見学できます。

織田信長はここ中島砦から、いよいよ今川義元の本陣目指して出撃していきます。
手越川を越えた「桶狭間の戦い」のクライマックス、今川義元本陣探しや戦場史跡巡りは次回にて♪(つづく…)

| | コメント (0)

« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »