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2013年1月

2013年1月31日 (木)

豪徳寺 - 井伊家と白い猫の関係。。。

先日(1/27)の大河ドラマ「八重の桜」で井伊家の白い猫が話題になっていたので…思わず足を伸ばしてしまいました、豪徳寺ww

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豪徳寺へは東急世田谷線「宮の坂」駅から徒歩5分少々。
とってもローカル感満載な世田谷線♪ 初めて乗りました。

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彦根藩二代藩主・井伊直孝が鷹狩の帰りに通りかかった際、寺の白い猫が門前で手招き(おそらく耳の後ろを毛繕いでもしていたのでしょう)をしたので休息に立ち寄ったところ、俄に雷雨となる。「お陰で濡れずに済んだ」と喜んだ直孝は、これが縁でこの寺を井伊家の菩提寺と定め、更に直孝没後、彼の戒名「久昌院殿豪徳天英居士」から取って寺の名前を「豪徳寺」と改めました。

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山門

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香炉に燦然と輝く井伊家の家紋「丸に橘(彦根橘)」!

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三重塔

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仏殿

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仏殿の屋根には「井」!

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六地蔵

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そして…彦根藩主井伊家墓所入口。

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こちらの案内図を頼りに訪ね歩きます。

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井伊家墓所内。

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まずは何と言っても豪徳寺を菩提寺と定め、寺の名前の由来ともなった二代藩主・井伊直孝のお墓。辛うじて戒名も読み取れます。

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こちらは幕末の大老、桜田門外の変で不慮の死を遂げた井伊直弼とその妻(左奥)のお墓。
他にも多くの藩主、親族が眠ります。お一人ずつ、ゆっくりご挨拶した後は…

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猫観音を祀る招福殿。
手招きをする白い猫…もうお分かりですねw そう、これが「招き猫」の発祥とも言われているのです。

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奉納されている無数の招き猫。ちょっと怖い…(^_^;)
ちなみに井伊家=彦根と白い猫→ゆるキャラ・ブームの魁ともなった「ひこにゃん」のモチーフにもなっています♪

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こちらは本堂。コンクリート製で若干味気なかった、かな(^_^;)

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最後に、江戸初期から現存する梵鐘。

実はこの豪徳寺境内一帯はその昔、世田谷城の城域内だったとも云われ、すぐ近くには世田谷城祉公園もあるのですが…そちらへは向かわず、別の場所へ行ってしまう辺りが私らしいでしょ?(笑)
だって来る時に乗った世田谷線の路線図で偶然、「あの神社」が近くにあることを知ってしまったのですもの…(笑)

という訳で、次回は「あの神社」のレポです♪

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2013年1月27日 (日)

今週のボンボン♪(2013、1/22~27)

今週の一枚目はこちら♪

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朝のお見送り♪ 玄関前に置かれた専用ベッド?にて。
一人ぼっちでお留守番の時は皆が出ていった玄関から離れられないみたいで、いつもこの中に入って待っています。ま、すぐ寝てると思うけど(笑)…行ってきます♪(1/22)

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ところで今週は寝起きとかの動き出し時に何故か、びっこをひいていた。。。しばらく歩いていると戻るし、走ったりもするので最初は「痺れたのかな?」とも思ったけど、毎回だからねぇ。。。
前脚のどちらかを庇っている感じなんだけど…しばらく様子を見ても治まらないので、掛かり付けの病院へ。触診の結果は「関節には異常見られず」。足の裏に小さな腫れものがあるから、それかも?とのこと。もう暫くは薬をつけながらの様子見です。
しかし、どう見ても右前脚を庇ってる感じなのに先生、腫れものは左だよ。。。(1/26)

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何故かお酒の瓶が似合ってしまう奴…(笑) (1/26)

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大好きなコタツにて「頭隠して尻隠さず」www(1/27)

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2013年1月26日 (土)

八王子千人同心-石坂弥次右衛門

今回は地元・八王子から。
西八王子駅近くを通る甲州街道沿いの「八王子千人同心」関連の史跡を簡単にご紹介します。

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まずはこちら、興岳寺

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境内には「武田菱」も。
甲斐武田家滅亡の後、徳川家康は多くの旧武田家臣を召抱え、八王子に所領を与えて住まわせました。これが八王子千人同心の発端となるのですが、この興岳寺はそのうちの一家石坂家によって建立されました。
武田信玄の息女松姫も養われていたことがあったとか。

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同じく境内に建つ、千人頭・石坂弥次右衛門の顕彰碑。

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石坂弥次右衛門は慶応4年(1868)3月、急死した定番の代番として日光勤番に赴きます。
そしてその直後の4月、板垣退助率いる新政府軍が日光へと押し寄せて来ます。この際、弥次右衛門は大鳥圭介らに諮って無血開城を決断、現在に威容を誇る日光東照宮は辛うじて戦火を免れるに至りました。
ところが帰郷した弥次右衛門を待っていたのは、戦わずして降伏したことへの非難でした。結局彼は、その責を負う形で切腹して60歳の生涯を閉じてしまうのです。この時の介錯人はなんと、79歳になる彼の父親でした…。

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石坂弥次右衛門のお墓
墓前に置かれた線香をあげる台には「日光市」の文字。日光を戦火から守ったことへの感謝の意を込めて日光市から贈られたものです。何よりの供養になったのではないでしょうか。
ちなみに、左右の灯篭は共に日光勤番を務めた隊士達が建てたもの。

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その基台部分には日光勤番に同行していた井上松五郎や土方勇太郎らの名前も刻まれています。
井上松五郎は言わずと知れた、新選組六番隊組長・井上源三郎の実兄。
土方勇太郎も無論千人同心の出で、土方歳三の幼馴染でもあります。

実際にこの時期、宇都宮城での攻防戦で足を負傷して今市にいた土方歳三は、中島登を日光へ使いに遣って勇太郎を呼び寄せ、
「味方を鼓舞するために怖気づいて逃げ出そうとした兵士一人を斬ったが、不憫なので弔って欲しい」
と頼んだというエピソードが残っていますね。

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さて、興岳寺から甲州街道を少し東へ向かった先に建つ追分の道標。
以下、現地説明板より。
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追分の道標について

この道標は文化八年(1811)江戸の清八という職人(足袋屋)が、高尾山に銅製五重塔を奉納した記念に、江戸から高尾山までの甲州道中の新宿、八王子追分、高尾山麓小名路の三ヶ所に立てた道標の一つです。
その後、昭和二十年(1945)八月二日の八王子空襲によって四つに折れ、一部は行方不明となってしまいました。基部は地元に置かれ一部は郷土資料館の屋外に展示されていました。
このたび、地元要望を受け、この道標が復元され、当地に建立されました。二段目と四段目は当時のままのもので、それ以外は新しく石を補充して復元したものです。
八王子市教育委員会
平成十五年五月
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その道標が建つ交差点の名前は無論、「追分町」。
江戸の方角から西へ向かってくると、左が甲州道中、右が案下道になります。

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追分町交差点の近く、案下道の方を少し行った先には、「八王子千人同心屋敷跡」の石碑。

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再び西側へ引き返す途中にある、了法寺。
右に建つ看板を見てもお分かりの通り、何故だか最近「萌え寺」として有名になってる。。。が、その理由とかはもはや調べる気にもなれない (-_-;)
八王子七福神の一つで寺としてもそれなりの由緒があるだろうに、こんなことでいいのか?…ま、好きな人もいるだろうから、これ以上は言うまい。

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千人隊(同心)が拝領した馬場があった場所。

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馬場横丁の碑が建つ一帯は「千人町」
先ほどの「追分町」もそうですが、現在に残る地名の由来を辿って行くと様々な歴史に繋がって楽しいものです♪

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2013年1月25日 (金)

皇居参観

先日(というか昨日)、皇居参観に行ってきました。
江戸城本丸があった東御苑は一般に開放されていますが、参観で巡る旧西の丸側は一般参賀や天皇誕生日など、特定の時日にしか立ち入るチャンスのない地。普段は間近に見ることの出来ない富士見三重櫓や伏見(多聞)櫓、etc...とっても楽しみ♪

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集合の9:30まで時間が余ったので暫し散策。和田倉堀。

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和田倉門

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和田倉門の枡形。門の一つをとっても、まだまだこれだけの遺構が残る江戸城…改めて凄い城郭だったんだなぁ~と感嘆。

適当に和田倉噴水公園周辺をブラブラした所でいい時間になったので、集合場所へ。
今回参加する皇居参観のコースはこのようになっております↓
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桔梗門からスタートし、赤い点線に沿って歩きます。

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という訳でコチラ、桔梗門から♪

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いざ、入城~!
今回の参加者は発起人の幸村!さん(横顔写っちゃった、ゴメン…w)を初め、流星☆さん・なっちさん・あいすさん・さとみんさんと私の計6名。

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内部から見た桔梗門の櫓門。写真を撮りまくっていたら早速「立ち止まらないで~」「列を乱さないで~」の注意を受ける…(^_^;)

午前10時より、窓明館で土産物を物色し、ビデオなどで一通り注意事項を受けた後、いよいよ約2km/1時間の参観スタートです。

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最初に目に入ってくるのは元・枢密院庁舎。

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石垣に残る刻印に目をやりつつ…

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早速見えてきました!富士見三重櫓♪

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本丸の東御苑(この石垣の上)からも櫓反対側の近くまで行けますが、やはりアングルとしてはこちら側の方が断然いい!

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明暦の大火での天守焼失後は、その代わりとも目されてきた櫓。美しいです。。。

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宮内庁庁舎

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折角の内側からの坂下門も、現在工事中(>_<)

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宮殿長和殿

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一般参賀の時など、両陛下をはじめ皇族方が並ばれる場所。こんなに低かったんですね~。
手前に見える灯篭は有田焼製で、生け垣は縁起ものとされる紅白の寒椿。

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宮殿東庭。手前の白っぽいラインが、参賀の時の最前列なのだそうです。

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要人が儀式など(大臣任命式等)で駆けつける際の玄関口、車寄せ。よくニュース映像で出てきますね。

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宮殿東庭を抜け、今度は皇居正門の鉄橋へ向かいます。
その手前の石垣。何だか…綺麗過ぎて好みじゃない( -_-)

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鉄橋より。正月、ライトアップを目当てに対岸の広場に突っ立っていたな~(笑)
なお、「二重橋」というと私が立つ鉄橋と先に見えている眼鏡橋の二つを指していると思われがちですが、実際はこの鉄橋がその昔は木製の上下二重構造の橋だったことから、その名を由来しています。

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伏見櫓。京、伏見城からの移築とも伝わる。やっと間近に拝むことができました。

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再び引き返した宮殿近くから。富士見櫓がいい感じ♪

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山下通り。近くにある紅葉山の下を通るから「山下」通りww
ちなみにこの日の参観者は総勢で107名。ところが、紅葉や花見のシーズンになるとピークで400名にも及ぶという。。。その中に我々みたいに参観そっちのけで城の遺構に被りつきになる連中がいたら…収拾つかんわな(笑)

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富士見多聞。係員の目を盗んで何とか撮影♪

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最後に蓮池濠。奥に富士見多聞と、更に彼方には武道館の玉ねぎも(笑)

参観は正午前に終了。
この後、私は一旦みんなと分かれて仕事へ。。。

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夜、仕事終わりに再び合流し、池袋のジュンク堂本店で行われた「わくわく城めぐり」の著者:城メグリストさんと、城郭研究の第一人者:中井均先生によるトークセッションに参加。
更にはお二人も参加された飲み会にも同席させて頂くという僥倖にも恵まれ、大変に有意義な一日となりました♪

声を掛けて頂いた幸村!さん、さとみんさん。
一緒に参加して頂いた皆さん。勿論、中井先生や城メグリストさんもみ~んな!
本当にありがとうございました♪

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2013年1月19日 (土)

回向院 (と、その周辺)

今回は両国駅近くのこちら、回向院へ。

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JR両国駅西口から徒歩数分の位置です。

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場所柄、正月場所が開催されていることもあって、境内にお相撲さんが歩いていたり…
(鬢付油の匂い、久し振りに嗅いだけど強烈だね~w)

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日本相撲協会が歴代相撲年寄達の慰霊の為に立てた「力塚」碑があったりします。先ほどのお相撲さん達もこの石碑にお参りしていたんですね、きっと。

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今年(平成25年)も4~5月にかけて、東日本大震災復興支援のための出開帳があるようです。

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そもそもこの回向院、明暦の大火(振袖火事)で亡くなった多くの無縁仏を供養するため、時の四代将軍・家綱の命でこれらの人々の塚とお堂が建てられたのが起源。
以来、様々な災害犠牲者を供養する供養塔(写真)や、「有縁・無縁、人も動物も関係なく、生あるもの全てに仏の慈悲を説く」として犬猫の供養塔なども建立されています。

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そんな中、今回私が訪れた一番の目的はコチラ♪
そう、「ねずみ小僧」の供養墓です。

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どんな意味があるのか、不勉強なため分かりませんでしたが「削れ」とあったので、私も少しガリガリしておきました(笑)

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回向院の近くには「忠臣蔵」で有名な吉良邸跡(本所松坂町公園)。
現在残されているこの公園は当時の邸のほんの一部、僅か1/86。

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古地図で確認すると、屋敷地が回向院のすぐ横まで延びていたのが分かります。
※赤枠。但し吉良邸の表記が消えて町割になっているので、この古地図は事件後(吉良家取り潰し・屋敷解体後)のものと思われます。

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公園内、みしるし洗い井戸。

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「浅野内匠家来口上書」パネル展示も。

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「吉良上野介義央」木像

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最後に、吉良邸跡から更に東へ200m進んだ先「両国公園」内に建つ、「勝海舟生誕の地」石碑。ここでお生まれになっていたのですねぇ。

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無量山 傳通院

今回の散策は東京メトロ丸の内線「後楽園」駅からスタートです。
春日通り沿いに富坂をのんびり上がっていきます。

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駅近くにはこのお方の銅像も。春日の地名の由来となった「春日局」。この辺りの土地を幕府から拝領していました。

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歩くこと10分少々、傳通院に到着♪

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こちらは元々「寿経寺」というお寺でしたが、徳川家康の生母・お大の方の菩提寺と定められて以降、その法名「傳通院殿」から取って「傳通院」と呼ばれるようになりました。
徳川家関係者や数多くの歴史偉人・著名人の墓所となっている他、塔頭の一つ「処静院」が新選組結成のきっかけとなる浪士組(発起人・清河八郎)の集合場所となったことでも有名です。
※処静院のことはフォロワーの恵美さんから教えていただきました。ありがとうございました♪

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傳通院境内

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本堂。瓦の先端、丸い部分の一つ一つ全てが「葵紋」でした♪

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では早速、墓マイラー(笑)
墓地横の観音堂に一声かけ、墓地の見取り図を購入(100円)してから。
※墓地は広い上に著名人のお墓でも案内板があるのは一部のみ。墓石も戒名で書かれているので何かしら見取り図なり地図なりがないと、とても見つけられません。

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家康の側室の一人、於奈津の方墓所。80歳の天寿を全うしました。
(清雲院殿心譽光質大禅定尼)

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浪士組を結成してこの地に集めた清河八郎の墓。
彼は後に暗殺されるのだが…傳通院に埋葬されていたのですね。
(清秀院忠正明義居士)

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そして、こちらが家康の生母・お大の方の墓所。
(傳通院殿譽光岳智香大禅定尼)

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徳川家の方々の墓所が並ぶ区画…

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千姫の墓所。初め豊臣秀頼、後に本多忠刻に嫁すも死別。その後は竹橋の邸で暮らしました。
(天樹院殿栄譽源法松山大禅定尼)

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徳川家光の正室・孝子の墓所。
(本理院殿照譽円光徹心大姉)

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一番右奥は家光次男・亀松君の墓所。
(月渓院殿華屋尊英大童子)

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水戸徳川家の重臣・藤井紋太夫の墓所。
最近「光圀伝」を読んだばかり。まさか傳通院に葬られていたとは…。偶然の出会い?に驚きました。
(光含院孤峯心了居士)

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墓マイラーを終えて…傳通院山門のすぐ脇には本来、処静院の山門前に建っていた石柱。
「不許葷酒入門内」(くんしゅもんないにいるをゆるさず)

※webなどで調べると、最近まで傳通院山門からもっと西側に離れた位置に建っていたようですが、どういう訳か今は目の前。山門も新しかったので建て替え工事か何かの折に移動したんでしょうかね?

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浪士組が集められた処静院は、大黒天で有名な福聚院(写真左手、肌色の建物一帯)の西にあった、とのことなので、この通りを50m程進んだ辺りではないかと思います。特に面影は残っていませんが…ある意味、新選組発祥の地。

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こちらが福聚院。肌色の建物は幼稚園だったのですね~(笑)

傳通院には他にも多くの偉人・著名人が埋葬されています。事前によく調べた上でゆっくりお参りしてみてください。

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2013年1月18日 (金)

今週のボンボン♪(2013、1/12~18)

今週はまず、一緒にお墓(母方)参りに行ってきました♪
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八王子霊園の通路にて。
彼が振り返る先には…八王子城♪(1/12)

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家で晩飯を食べる時、膝にはいつもコイツが♪(1/13)

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普段そこは弟の指定席なんだけど…。
弟が寝室に移動した後、待ってました!とばかりにコタツの中から顔を出し、グーグー寝に入るボン。その寝姿たるや…もう、お殿様だねww (1/13)

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朝はいつだってこの調子w
布団の中で自分の朝ご飯が出来るまで出てきません(笑) (1/18)

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2013年1月12日 (土)

高田馬場の決闘

さて、今回は「高田馬場の決闘」跡地を歩きます。

「高田馬場の決闘」とは?(Wikipediaへ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E9%A6%AC%E5%A0%B4%E3%81%AE%E6%B1%BA%E9%97%98

元新発田藩出身の中山安兵衛。彼はこの決闘での活躍が元で赤穂藩士の堀部家に婿養子として入って「堀部安兵衛」となり、「忠臣蔵」で有名な元禄赤穂事件での四十七士に連なっていく…。なんとも運命的な出来事ですね。

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スタートは地下鉄東西線「早稲田」駅から。
決闘に向かう前、安兵衛が升酒を一杯引っかけて行ったとも伝わるお店。今でも酒屋を営まれており、この時の升は家宝として大切に保管されているのだとか…。
(ちなみに隣には「夏目漱石生誕地」の碑があります)

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この早稲田通りを西へ真っ直ぐ進みます。
左手に見えている穴八幡には…

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「高田馬場の流鏑馬」の銅像も。

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こんな絵巻が残されているんだ…今度見に行ってみよ。

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「早稲田」駅を出発して15分弱くらいかな?早くも到着。この辺りが「高田馬場の決闘」があったとされている場所(西早稲田三丁目)。東西線の「早稲田」~「高田馬場」のちょうど中間くらいです。

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「堀部安兵衛之碑」(決闘時点では中山姓)
決闘場所近くに建つ水稲荷神社境内(参道)にて。

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水稲荷神社。折角なのでお参りして境内を散策させていただきました。

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「太田道灌 駒竪之松」…最近妙に太田道灌づいてるな(笑)

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社殿の裏には富塚古墳。

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神社の隣には「甘泉園」という公園がありました。
ここは徳川御三卿の一つ、清水家の下屋敷があった場所(庭園跡)。まぁ、高田馬場の決闘当時は五代綱吉(犬公方)の治世なので御三卿は存在していない(それぞれ八代吉宗、九代家重の子を祖とする)のですが。

お江戸歴史散策、楽しいですよ♪やめられません(笑)

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小石川後楽園

最近、「光圀伝」を読み終えたばかりなので…(笑)、小石川後楽園へ行ってみました。云わずと知れた水戸徳川家の中屋敷(のちに上屋敷)庭園跡。

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実際に来てみると思っていた以上に広い!御三家とはいえ、一藩でこれだけの敷地を使う(それも一つだけではない)のだから、江戸の庶民は必然的に狭い長屋に押し込められるわな(^_^;)

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入口でいきなり残念なお知らせが!ウソー、一番見たいと思ってたのに…orz
また来ないと。

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気を取り直し、、、入園料300円を払って散策スタート♪
見所は数多くあれど、全てを載せることはできないので、主だったところだけをご紹介していきます。

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涵徳亭(左)と西湖堤…逆光でとんじゃってますが(^_^;)

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清水観音堂跡

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ちゃんと「清水の舞台」も再現されていたんですね♪ 関東大震災で焼失、見たかったな…。

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清水観音堂跡(左上)と奥に通天橋。

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こちらが工事中の「得仁堂」…チラッと見えた☆
光圀が史記「伯夷列伝」に出てくる伯夷・叔斉の木造を安置したお堂。

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何代目かの藩主が作らせた「白糸の滝」

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光圀が中国より招いた朱舜水が設計したと伝わる「円月橋」。名前の由来は言わずもがな(笑) 確かにまんまるだ☆
ちなみに「後楽園」という園名も朱舜水の命名だそうです。

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八卦堂跡

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在りし日の八卦堂。こちらも震災で焼失。
園内には他にも震災や戦災で焼失した建築物(お堂や唐門など)が数多くありました。

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赤門。東大の赤門(加賀藩邸)とは少しイメージが違いますね。

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九代藩主・徳川斉昭(烈公)の腹心として活躍した藤田東湖の碑。
安政の大地震の際、母親を庇って圧死しました。。。

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内庭。東京ドームがすぐ目の前。

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この石碑の文字、斉昭の筆によるそうです。

これでざっと一周しました。のんびり歩いて30分くらいかな。
他にもまだまだ見所があり、都会の真ん中とは思えないくらい広くて落ち着くし、目の保養にもなります(笑)
お時間のある時にゆったりと散策するには最適ですよ♪

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2013年1月 6日 (日)

日野、新選組詣で♪

本日(1/6)は地元の日野へ、新選組巡りにお出掛け。土方歳三・井上源三郎・佐藤彦五郎らの墓所を詣でて新年のご挨拶かたがた、各資料館の開館日でもあったのでノンビリとお散歩して来ました♪

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まず向かったのは土方歳三の墓所がある石田寺。

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訪れるのは3回目かな?いつ来ても新しいお花がたくさん供えられています。
しかし、こちらでもマナーの悪いファン(お参りの間、他のお墓に荷物を置いたり、ゴミを捨てていったり…)が問題となっている模様。
沖田総司の墓所(専称寺)の例もあります。くれぐれも常識ある墓参を心掛けて頂きたいもの。

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歳さんへの挨拶を済ませた後は、その足で実家の土方歳三資料館へ。
歳三12歳の折、生家(石田寺近く)が洪水の被害を受けたので、残った家屋をこの地に移築されました(平成2年に全面建て替え)。

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敷地内にある銅像。
来る度に思うのだが、この銅像…恰好良くない。。。(^_^;)

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建て替え前の生家で大黒柱として使用されていた木材。
歳三少年が相撲の突っ張り稽古をしていたとか。

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歳三手植えの矢竹

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お次は大昌寺へ。こちらは日野宿の佐藤彦五郎の菩提寺。

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彦五郎をはじめ、歴代の佐藤家当主とその妻の墓所。

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大昌寺の開山、讃誉上人のお墓。

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佐藤彦五郎資料館

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日野宿本陣

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井上源三郎資料館。
いつ来てもお茶を出してくれるし、応対も明るく丁寧で気持ちがいいです。説明員のおじいちゃまの話が長いのが玉に疵?…(^_^;)

※源三郎(兄・松五郎も)が実は天然理心流の「免許」だったことを、迂闊にも今回初めて知りました。
ちなみに土方歳三は現在までに判明している範囲では「中極意」。源さんの方が強かったんですねぇ。。。なんだか改めて「井上源三郎」という人物に興味を惹かれました。

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源さん資料館の斜め向かいにある欣浄寺。
鳥羽・伏見の戦いで源さんが戦死した際、従軍していた甥の泰助は源さんの首を持ち帰ろうとするも叶わず、淀城近くで実家向かいのこのお寺と同名のお寺を偶然にも見つけ、その門前に埋葬した、と語っている。
後年関係者が探しに行ったものの、その時には既に寺は跡かたもなく消えており、長い間所在不明とされていた。
ところが昨年、やはり関係者がたまたま淀城で目にした古図面に「欣浄寺」と記載があるのを見つけ、地元の人の協力でようやく約140年ぶりにある程度の場所を特定するに至ったという。
(説明員のおじいちゃま談)

なお、伏見にはもう一つ別の場所にも欣浄寺(伏見大仏)があり、こちらを埋葬地とする説もあるようです。

※その後の2013年2月に淀を訪れ、実際に埋葬地の踏査をしてきました。
(2013年3月26日追記)

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(日野の)八坂神社。
こちらには天然理心流の奉納額が納められており、毎年5月の新選組まつりと9月の例祭の時だけ公開されます。今年の新選組まつりで観にこよ~っと♪

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八坂神社境内で工事してました。「八幡社」を修復しているそうです。

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本日最後は宝泉寺。井上源三郎の菩提寺。

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このお寺、北条の「三つ鱗」がそこかしこに。ほら、あそこにも…

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墓地横にある「井上源三郎の碑」

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そして墓所。戒名「誠願元忠居士」
なんだか今後、井上源三郎のことをもっと勉強してみたくなった、そんな一日でした♪

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本日の戦利品。新選組だるま(右のは昨年の)と、土方歳三キューピー。
だるまは源さん資料館にて購入。キューピーの方は歳さん資料館限定商品らしいですw
(昨年のだるまの片眼がおかしいのは、お袋が目入れしたから。殴られたみたいになってる…w)

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岩槻城、城下町散策

1月5日、大宮での城好き・歴史好き新年会オフに参加させていただくついでに、折角なので少し先まで足を伸ばして岩槻城と城下町を散策してみることにしました。

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岩槻駅に到着。
ここ岩槻は江戸時代から続く日本有数の日本人形の生産地。そういえばこの後に巡った岩槻城祉公園横には大きな空地があり、どうやらそこに「人形会館」なるものを建設する予定もあるようでした。

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お決まりの…(笑)
右上から時計回りに、時の鐘・黒門・城址公園の赤い橋、ですね。

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まずはこちら、芳林寺門前の太田道灌像。数日前に川越でもお会いしましたね♪(笑)

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その芳林寺。太田家の菩提寺です。
一見すると門扉が閉ざされ、立入禁止か?!と焦ったのですが、午後5時までは右の潜り戸から境内に入ることができます。

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境内には太田道灌の数代子孫となる太田氏資像。

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こちらは氏資の母、芳林妙春禅尼の像。

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墓地を進むと太田道灌、太田氏資、芳林妙春禅尼を祀る太田家の御霊廟があります。
なお、岩槻の太田家というと太田三楽斉(資正。氏資の父で芳林妙春禅尼の夫)も有名ですが、彼は北条家と結んだ子・氏資と不和となって追放され(芳林妙春禅尼とも離別)、ついに岩槻へ戻ること叶わなかったのでこちらには入っていないものと推察します。

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同じ墓地内には徳川家康の家臣で岩槻藩主となった高力清長の子、正長(父に先立って死去したため、藩主の座には就いていない)のお墓もありました。

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芳林寺を出てお城の方へ少し歩くと、岩槻藩の藩校になった「遷喬館」

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遷喬館のある通りは「裏小路」と呼ばれ、武家屋敷街だったようです。写真のように一部、屋敷跡を公園として整備している場所もありました。

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時の鐘

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時の鐘の台座からは、一般の民家の庭に通じる階段も。。。とすると、こちらのお宅が代々この鐘を管理してきたのか?…真相は全く不明です(^_^;)

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引き続き「広小路」と呼ばれる大手道を進みます。

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大手口の碑

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この辺りが岩槻城の大手門跡。この先のカーブが、もしかしたら虎口の名残かもしれませんね。
ここだけに限らず、町割のあちらこちらで当時の名残と思われるクランクなどがあって、家屋は変わっても古地図を片手に巡ればとても江戸時代を感じることが出来て楽しそうな町です♪

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大手門跡の脇をフェンス越しに覗くと、明らかに土塁と堀の遺構と思しきものも…。すると、今立っている辺りは大手門に架かる土橋だったのかもしれません。

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更に進んで三の丸の碑。もうじき城址公園です。

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城址公園にあった岩槻城の図。
左下が芳林寺なので、ブルーのラインに沿って北上し、最後に三の丸で東に折れて現在地たる新曲輪・鍛冶曲輪に至りました。現在残る岩槻城祉公園はこの新曲輪・鍛冶曲輪一帯に相当します。

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城址公園付近の住所表記。岩槻市の「太田」…これだけでもテンションが上がる気持ち、分かっていただけます?(笑)

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岩槻城黒門

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堀底道

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説明板によると、この辺りからは「堀障子」が見つかったらしいのですが、形状からすると障子ではなく「畝堀」かな。…てか、このドラム管で畝を再現しているつもり?!(笑)

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なんか…分かり易くていいね!w

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この橋にどんな所以があるのかは知りませんが…岩槻城祉公園といえばココ、ですねww

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池の水がビッシリ凍りついている!?どんだけ冷え込んだんだよ…(^_^;)

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裏門

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城址公園を出て、今は宅地に消えた主郭部を少し歩いてみました。街道沿いの歩道に建つ二の丸の碑。
残念ながら本丸の碑は見落としたのか、見つけることは出来ませんでしたが…

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住所表記がご覧の通り。凄いな~この辺りの方々、皆さんお城の本丸に住んでいるんですよ!

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こちらの施設の名前も「岩槻“本丸”公民館」♪

だいぶ日が陰ってきましたね。丸々2時間以上、ぶっ通しで歩き続けたのでさすがに疲れました(^_^;) この後は駅まで戻り、新年会が行われる大宮へ。

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新年会の様子。右のVサインは城ガール隊広報のちょめさん♪

新年会は午後6時から1次会、2次会(ダーツ・バー)合わせて10時半頃まで盛り上がりました。幹事のなっちさん、参加者の皆さん、ありがとうございました♪
今年もよろしくお願いします☆

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2013年1月 3日 (木)

ボンにもお年玉♪

またまた家の連中より、「たまにはボンちゃんの記事もUPしろ」というリクエストというか、指令が入りまして…(^_^;)
甚だ恐縮ではございますが、少しばかり見てやっていただけますと光栄ですww

今年で満10歳を迎える愛犬・ボン(パグ♂)、例年通りお年玉を貰ったのですが…

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まるで興味なし(笑) コタツを枕にズビ~

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これが食べ物だと瞬時に跳ね起きるんだけどね…(^_^;)

そういえばボンへの毎年のお年玉の使い道ってどうなってんだろう??
…と思ってお袋に聞いたところ、「医者代」とのこと。予防接種やらチョットした皮膚病の治療やら何だかんだお金かかるし、今後の為に貯金もしておかないとね。なるほど!

でも、いつまでも元気でいてね♪

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三が日の記録 2013

2013年お正月三が日も残り僅か。気がつけば明日は早くも仕事始めという…(T_T)
例年正月休みはグータラと過ごすことが多かったのですが、今年はフォロワーさん達にも触発されて?、よく動いた方かな(笑)

そんな三が日の記憶を、自分用の記録として…(^_^;)

■1月1日
まずは早朝、初日の出を拝みに散歩に出たのですが、これは前回ブログに上げたので割愛。

その初日の出が不調に終わり、何となく消化不良。ふと「地元から見える富士山の写真を撮りに行こう!」と思い立ち、自宅から車で僅か2~3分の多摩川に架かる橋(多摩大橋)へ。

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八王子と昭島の市境に架かる多摩大橋から。運良く八高線も通り掛かってくれました♪

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多摩大橋からの富士山。
真冬だというのにどういう訳かひどく霞んで、晴れた割にはイマイチだったな…


■1月2日
この日は前日からお袋と弟に「どこか連れて行け」攻撃を受けており、いろいろと検討した結果、箱根駅伝のコースを避けて川越へ。

当初、10月に訪れた際にも利用した喜多院の駐車場へ向かったものの、初詣客で大混雑!辛うじて本丸御殿前の駐車場を確保して小江戸散策スタート♪

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川越城本丸御殿。奇しくもこちらが2013年の城初めとなりました(^^)
…しかし、未だ中に入れていないという。。。(-_-;)

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御殿近く、「とおりゃんせ」発祥の地という言い伝えもある三芳野神社。「行きはよいよい帰りは怖い~♪」
2013年初詣。お参り後、ボランティアの方から御守を頂いたのだが…まさかお賽銭を5円しか入れていないなんて言えない(笑)

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菓子屋横丁へ向かう途中。パンくんとジェームス♥

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ご存じ、時の鐘。

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動く獅子舞♪お初月だね~

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喜多院本堂…とても並ぶ気は起きなかったのでパス(^_^;)


■1月3日
連休最終日。出し漏らしていた年賀状を手配しつつ、ドライブへ。
ぶらぶらと走りながら辿り着いた先は、、、信松院!

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信松院門前に建つ松姫像

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本堂。建物的センスは…いや、言うまい。

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武田信玄の息女で織田信忠の許嫁でもあった松姫墓所。
新年のご挨拶をしてまいりました。

そのまま八王子城へ足を伸ばす。
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三が日とはいえ駐車場にも結構車が停まっており、人は多かった。

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2013年1月3日現在、御主殿復元工事の進捗状況。
「殿の道」見学ルートが確保されることを切願(>人<)

仕事始めと言っても、明日一日耐えたら週末だ!

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2013年1月 1日 (火)

初日の出?

2013年、あけましておめでとうございます。
今年も勝手気儘に記事を上げていきますが、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、折角の晴れの元旦。
久し振りに初日の出を拝もう!ということで氷点下の寒空の中、早起きしてお散歩してきたのですが…

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近所の見晴らしのいいポイントでご来光待機。全体的にはよく晴れて絶好のお天気だったんだけどねぇ…

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どういう訳か、私の場所からは東の空にだけ厚く雲がかかり…
(八王子某所より日野方面を望む)

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たぶんこれが日の出の瞬間。
2009年に同じ場所から雲一つない状態で拝んだ時は本当に感動したけど…さすがに今回はね。ちょっと残念。

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でもいろんな方のTweetを見ていると、関西方面はちゃんと見れたのかな?

 初日の出 今か今かと 待ち構え
        誓いも忘る その気まぐれに

…という訳ですっかり新年の誓いも忘れてしまいましたが(笑)、
いずれにしましても皆様にとって2013年が素晴らしい一年となりますよう、心よりお祈り申し上げつつ、新年の御挨拶と代えさせていただきます。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

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