京都の旅 3日目②鳥羽伏見の戦い‐伏見戦闘編
竹田駅から近鉄線で、今度は伏見御陵前まで移動します。
駅すぐ近く、料亭「魚三楼」(うおさぶろう)に残る弾痕に釘づけの参加者達♪
その弾痕。どちらから飛んできたか、一目瞭然ですね!
このほんの僅かな部分だけでも二発当たっている…。戦闘の激しさが偲ばれます。
これからも大事に後世へ残していって欲しいと切に願います。
この後は近くのお店で昼食。Twitterでは写メを載せましたが、700円の天麩羅御膳、美味しかったな~♪
新政府軍(薩摩)が陣を布いた御香宮神社。大砲を四門据えたそうです。
ここから新選組らが立て篭もる伏見奉行所にも砲撃を加えました。
後年、新選組二番組隊長・永倉新八が「御香宮の敵陣に突撃した」と証言しているそうですが、果たして…。
(島田魁が永倉を鉄砲で塀の上に引き上げて助けたエピソードも、ここでの戦闘の折のものですね)
ちなみに御香宮神社の表門は、伏見城大手門の移築!
境内には伏見城の石垣の石も…。
拝殿
「伏見の戦跡」
石碑横の説明板はなんと、佐藤栄作(元総理)著!
御香宮神社を出て、次は伏見奉行所跡を目指します。
向かうにつれて下っていくこの高低差。兵器の性能の差などもあったのでしょうが、後手を踏んで有利な高所を押さえられたことも、旧幕府軍敗退の大きな要因になったのでしょう。
伏見奉行所跡。土方歳三もここで戦いました。
とても安っぽい作りだけど…(^_^;) 設置されたこの「っぽい」塀が続く辺り一帯が伏見奉行所の敷地だったようです。
それにしても団地の側壁…(笑)
奉行所跡近くの中学校敷地内にあった石碑。「維新戦」…( -_-)
この後、私のリクエストで寺田屋にも立ち寄ってもらったのですが、そちらは追って「番外編」としてUPするとして、ここでは伏見戦闘跡地巡りを続けます。
お次は龍雲寺(桃山善光寺)!
こちらのお寺、戦闘時には 薩摩軍の砲兵隊長・大山巌が陣を布いて、伏見奉行所などに砲撃を加えた場所です。
…ちょちょ、寺さん?!(笑)
この後の顛末は…言うまい(^x^)
龍雲寺から伏見奉行所(写真中央奥、煙突の様なものが見えている辺り)方面の眺め。
推定距離、約400m強。鳥羽戦闘編でも触れましたが、やはりこのくらいの距離が当時の砲撃戦の距離だったのでしょうね。
そして、ここでも旧幕府軍は高所を押さえられています。
さて、当初の予定ではこの後、伏見城に向かってから淀へ、という流れでしたが時間が押した為、伏見城か淀の二者択一に。
どうしても淀に行きたい理由があった私は、ここでも我儘を通していただき、伏見城はパスして淀へと向かうことになりました。皆さん、ありがとうございました。
(つづく…)
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