京都の旅 3日目①鳥羽伏見の戦い‐鳥羽戦闘編
早いもので京都の旅も3日目、最終日です。
本日は幕末、慶応4年(1868)1月に起こった鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争の緒戦)の跡地を巡ります。参加者は講師のサイガさんと寺さん、ririoさんに私の4名。
朝9:30、近鉄/烏丸線「竹田」駅にて集合。あとはひたすら歩きます。
まずは寺さんの提案でこちらに立ち寄りました。安楽寿院。
白河天皇(白河院)が自らの院政の地として造営した鳥羽離宮が置かれていた場所で、この安楽寿院はその鳥羽離宮にあった仏堂が起源となっているそうです。
在りし日の鳥羽離宮(復元案)
鳥羽伏見の戦いの頃の古図面を見る限り、幕末の頃には既にこの大きな池は埋め立てられています。
白河法皇、鳥羽法皇 院政之地
一気に昨年の大河ドラマが蘇ってきましたねw 伊東さんに三上さん…
こちらは鳥羽天皇陵…
さて、城南宮までやってきました。
鳥羽伏見の戦い勃発時、新政府側の薩摩軍はここ城南宮から小枝橋にかけてのラインに陣を張って旧幕府軍と対峙しました。
城南宮から小枝橋方面へ繋がる1本道。ここがまさに薩摩軍の前線ライン。
旧幕府軍は南(写真左)に展開します。
現在の小枝橋。このクランクは虎口状を意識して当時からあったものか、それとも橋の架け替えで位置が変わった分のズレか…
直観的な印象としては後者。本来は道のどん突きから真っ直ぐに架けられていた橋を、架け替えの際に何らかの理由で現在の位置にずらした為に生じたクランクではないでしょうか。
小枝橋の袂、「鳥羽伏見戦碑」
小枝橋付近に現存する薩摩軍の砲台跡。
その砲台跡の上から、旧幕府軍が対峙する赤池方面。
樹間からかすかに見えるK'sデンキの辺りが赤池。この距離で砲弾を撃ち込んでいました。
砲台真横の道から赤池方面。真っ直ぐに開けているので距離感も分かり易い。
戦闘では砲撃戦を優位に進めた薩摩軍がこの後、旧幕府軍を後退させ、赤池辺りまで進軍しました。
という訳で我々も赤池へ向かいます。この際に歩測してみたのですが、距離に換算して約350m前後。この距離感が当時の砲撃戦の鍵となりそうです。
「千本通赤池」交差点。
古図面によると、前進した薩摩軍はここにも大砲を据えて旧幕府軍を攻撃しました。
※著作権の関係で古図面を掲載できません。古図面を見ながらだと凄く分かり易いんですけどね~。
交差点近くにあったお地蔵さん。
この台座…石臼でしょ?!w
近年になって川の位置が変えられたのでしょうね、高瀬川の欄干跡。
この辺りでも桑名(旧幕府)と長州(新政府)らの戦闘がありました。
さて、この後は伏見戦闘地へ移動するため、再び竹田駅へ戻りました。
(つづく…)
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