松陰神社(東京)
先日記事をUPした豪徳寺へ向かうために乗った世田谷線。
その車内で「どんな所を通るのかな~」と何気なく路線図を見ていたら…
え、松陰神社?!
存在は知っていましたが、まだ詳細を調べてはいなかったので場所までは把握していませんでした。へぇ~ここにあったんだ…
という訳で、来ちゃいました(笑)
吉田松陰刑死の4年後(文久3年)、門下生であった高杉晋作、伊藤博文らによって長州藩主の別邸があった当地に墓が改葬され、明治15年に松陰を祀る社を建立したのが始まりだそうです。
松陰神社道の道標
旧大山道(矢倉沢往還。現在の世田谷通り)から松陰神社に至る道の入口に建てられていた道標。世田谷通りの拡張事業の際に境内に移設した。明治45年乃木希典公により寄進。
(現地案内板より)
徳富蘇峰植樹の碑
徳富蘇峰(本名 猪一郎、徳富蘆花の兄)は明治の言論人。肥後の生まれで、熊本学校をへて、同志社に学ぶ。政治的には桂太郎と密接な関係を持った。
明治41年自身の著述「吉田松陰」発刊にあたり植樹をおこない、碑を建立した。
(現地案内板より)
…ちなみに、どれが植樹された木なのかはよく分かりませんでした。
(同志社出身なので新島八重さんにも会ってるんですよね。確か八重のことを「ヌエのような女」とか何とか、酷くこき下ろしたようなことを言っていたような…。あれ確か蘇峰だったよな?)
御社殿
吉田松陰像
山口県萩市の松陰神社に保存されている松下村塾を模したもの。
五十年祭と百年祭の石碑。
境内には他に、伊藤博文・山縣有朋・井上馨・桂太郎・乃木希典・etc...錚々たる面々が奉納した32基の石灯籠などもありました(写真を撮り忘れた…orz)
松陰先生他烈士墓所
手前の鳥居は木戸孝充寄進。
そして、吉田松陰(寅次郎)墓
とても意外だったのだが、よくよく考えるとすぐ近く(ほぼお隣と言ってもいいくらい)には豪徳寺がある。そこに眠るのは…井伊直弼。そう、安政の大獄で松陰の処刑を命じた張本人。
何の因果か偶然か、すぐ近くに眠っていたんですねぇ…
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