« 高幡不動尊 (高幡城祉も) | トップページ | 御主殿復元的工事の進捗と、調査後の石垣群 »

2013年2月24日 (日)

浄福寺城

本日は地元・八王子にある浄福寺城へ行ってきました。

浄福寺城という城名、実は山麓に建つ浄福寺から名を取って便宜上そう呼ばれているに過ぎません。
八王子城築城後はその出城として機能したでしょうが、武蔵と甲斐を結ぶ交通の要衝「案下通」(陣馬街道)を押さえる立地、且つこの周辺こそ、様々な要素から大石氏の本領であった由井郷(由井領)であったと考えられることから、それ以前は大石氏の本城で古史料にもその名が散見される「由井城」だったと想定されています。
大石氏を継承する北条氏照も養子入り後、まずはこの浄福寺城に入ります。この時点での北条家の仮想敵国は甲斐の武田家
その後の甲相駿三国同盟締結による武田家との緊張緩和、及び永禄4年の上杉謙信による越山・小田原攻めでは平の渡しから多摩川を越えて南下されたことなどを受け、平の渡し、及びそれに続く小田原へと至る幹線路を押さえる地に滝山城を築き、本拠を移したものと考えられます。
その後、武田家との手切れ、越相同盟の締結、etc...と外交状況が複雑に流れていく中で再び警戒の目を西へ向け、八王子城の築城・本拠移転へと繋がっていきました。

何はともあれ、探索スタートです♪
20130224_01
麓の浄福寺。駐車場をお借りしたので、きちんとお参りもしますw

20130224_02
恐らく往時には居館が置かれていたのではないでしょうか。

20130224_03
ちなみに浄福寺城とはこんなお城(現地案内板より)
…だいぶ色が剥がれ落ちていて補正してもこれがやっとでしたが、他に使える図面もないので仕方がない。浄福寺の脇からスタートして、水色のラインに沿って進みます。

20130224_04
墓地の西隅に建つ白山大権現の脇から登城スタートです。
※初め私は浄福寺本堂の真裏から分け入ったのですが、すぐに道が途絶えて暫し立ち往生…。これから登城される方はご注意を(笑)

20130224_05
暫くはクネクネとしたつづら折りの山道を登り…

20130224_06
すぐに観音堂(図面a)に到着。ここまでは比較的楽な登りです。ここまでは、ね…(^_^;)

20130224_07
観音堂の背後から更に登り始めてすぐ、図面bの位置に穿たれた竪堀。なかなかの規模でした。

20130224_08
延々と急勾配な直登の道を行きます…。
写真では分かり辛いですけど目の前に崖が聳え立ったような、本当に滑り台のような勾配ですよ!

20130224_09
やっとの思いで辿り着いた主郭部(図面Ⅰ)の虎口(内側から)

20130224_11
山上では一番広い曲輪Ⅰ。この規模からしても、やはり平時の居館は麓にあったのでしょう。

20130224_12
Ⅰの曲輪脇をいきなりザックリと断ち切った堀切(図面c)
ここから尾根伝いに更に北へ向かいます。

20130224_13
cの位置から右手(東)にも尾根伝いに曲輪が配置されていて、何本もの竪堀が確認されているようだが…藪っていてパッと見には曲輪自体が分からなかった…。今日は心細い単独行動なのでトライしません(笑)

20130224_14
尾根伝いには何本もの堀切が連続して現れます(写真は図面d)。
おぉ…!と感動していたら…

20130224_15
すぐにもっと大きな規模の堀切が!(図面dの少し北側に描かれた堀切)

20130224_16
その堀底から。

20130224_17
そして図面eの部分にある2本の連続した堀切。規模も大きいし、結構圧倒されます。

20130224_18
特に2本目は深さも見事!

20130224_19
畝状に築かれた土塁(図面f)

20130224_20
深さはそれ程ないけど、しっかり形状は留めています。
左上にはeの堀切(2本目)も見えています♪

20130224_21
同じ場所から東側には、更に段丘状の曲輪が配されていました。
この周辺はもう楽しくて、時の経つのを忘れます!(笑)

今回はここまでで引き上げ。帰りは急勾配の坂道を、文字通り“転げ落ちるように”下山したのでアッという間でした(笑)

20130224_22
麓付近から見た八王子城遠景。
この浄福寺城、最終的には彼の城の出城的な役割を担ったことでしょう。

まだまだ歴史的には謎の多い浄福寺城。
しかし今日訪れてみて、個人的には八王子にあるお薦めのお城ナンバー3にランクインしました♪

|

« 高幡不動尊 (高幡城祉も) | トップページ | 御主殿復元的工事の進捗と、調査後の石垣群 »

お城、史跡巡り 関東」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 高幡不動尊 (高幡城祉も) | トップページ | 御主殿復元的工事の進捗と、調査後の石垣群 »