綱坂-150年のタイム・スリップ♪
数日前、サイガさんのツイートで久し振りに目にした1枚の写真↓
イギリス人写真家、F.ベアトによって文久三年(1863)に撮影された綱坂(港区三田)の写真。
写真左手前一帯は今年の大河ドラマで話題の会津藩下屋敷、右手坂上は赤穂浪士・大石主税(内蔵助の息子)らが切腹した伊予松山藩中屋敷。
時代は幕末。攘夷の嵐が吹き荒れる中で外国人によって残された1枚。まさに命懸けだったんだろうな~と暫し感慨に耽った。
考えてみれば文久三年といえば、今からちょうど150年前。ならば150年後の現在はどんな姿をしているんだろう?と思い立ち、とりあえず向かってみた。
現在の綱坂。意識的にベアトと同じアングルを狙ってみた。
何て言うかね…坂に差し掛かる道の角度とか、坂の傾斜具合とか…全く同じでしょ!坂に差し掛かるコーナーの右側の歩道の「膨らみ」まで名残を残しているんだから。。。これは結構感動する。ここまで形状を留めている地形も珍しいよ。
ちなみに現在では会津藩下屋敷は慶應中学・女子高、伊予松山藩中屋敷はイタリア大使館になっています。
「綱坂」の名前は、羅生門の鬼退治の逸話で有名?な平安時代の武士、渡辺綱がこの辺りで誕生したという言い伝えによるそうです。
綱坂を登り切って、更に北西方向を目指します。
…どんだけ「綱」押しやねん!(笑)
今度は「神明坂」
何で「神明」何だろ?って思っていたら…
坂を下り切った場所にこれがあった(笑)
最後に麻布十番駅すぐ近く、一の橋。
後の新選組メンバーとなる面々を含む浪士組を率いて上京し、すぐに江戸へ引き返した後に佐々木只三郎らに殺害された清河八郎…。この場所がまさに清河の殺害現場となりました。
(清河のお墓は小石川の傳通院にあります。奇しくも彼が浪士組を招集した場所)
…先日本屋で見かけたベアトの写真集、やっぱり買っちゃおうかな♪
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