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2013年3月

2013年3月30日 (土)

安土城♪

さぁ、旅のラストは安土へ。

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まずは安土城考古博物館へ。
ここで、安土城下の浄厳院でつい最近発見されたという、明治14年(1881)制作の信長公の木像を観てきました。1881年といえば信長公の三百回忌。それに因んで制作されたのでしょうか。。。
展示パネルには「徳川の時代も終わり、改めて勤王家としての信長の存在がクローズアップされ…云々」といったことが書かれていたように記憶します。(間違えていたらゴメンなさい)
そういえば幕末の志士などにもよく読まれていたという「日本外史」の中で、頼山陽も信長公を「勤王家」として捉えていますね。
明治の時代の視点ではそのように映っていたんですね。

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さぁ、では行きますよ☆ちょうど電車も通り掛かった!

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安土城のお堀の名残…

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振り返れば六角氏の居城だった観音寺城跡。

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この辺りは8年前に訪れた際は、まだ整備工事中だったなぁ…
→8年前の記事: http://homepage3.nifty.com/shmz_5_5/shiga02.htm#050918a
※本blogに戻る際はブラウザの戻るボタンで。

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安土城縄張図(現地案内板より)

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そしてこの日は何と…摠見寺特別拝観!!勿論行きますとも!!!!
※この時は知らなかったのですが、実は数年前から日曜・祝日に限って公開していたんですね。安土城訪問を土曜に組まなくてよかった~

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それではいざ、8年ぶりの聖地へ。。。

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「伝」前田利家邸跡。随分綺麗になったなぁ~

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「伝」羽柴秀吉邸跡、下段より。

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「伝」羽柴秀吉邸跡、上段。

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あちらが「伝」徳川家康邸跡に建つ現在の摠見寺。

※ちなみに、やたらと「伝」を強調するのは、実際にそうだったとは思っていませんが、他に適当な呼び方が分からないための便宜上です(^_^;)

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摠見寺境内の石垣。

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摠見寺本堂。

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本堂内にて。このお隣の部屋で、江戸時代前期に作られた信長公の木像も拝観致しました。。。

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住職お手製のお茶受けでお抹茶も頂き…

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再び登城開始。

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サイガさんが持っていた図面に描かれていた通り、大手道脇には立派な竪堀も。

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「伝」武井夕庵邸跡

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「伝」織田信忠邸跡を過ぎ…

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「伝」黒金門跡
これより先が安土城の主郭部。

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ここの石垣も凄いな…

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崩れた石垣の中から発見された仏足石。

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ここの石垣、向かって右の面は表面が綺麗な岩肌をしているのに対し、手前側は表面剥離したようにボロボロになっている。
これは、天主が焼け落ちた際、この手前側に崩れてきて石垣も焼かれたためなのだという。

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懐かしい☆ 一時、蛇石説もあった岩。

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信長公の本廟にもお参り…

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前回来た時は木の枝が掛かっていて見辛かったのだが、綺麗になっていた。

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御所清涼殿に模した建物礎石が見つかっている本丸跡。

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北側は依然として立入禁止区域。ちょっと覗いただけでも素晴らしい遺構が眠っていることは容易に想像がつく。。。いつか足を踏み入れられる日が来ることを願ってやまない。

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さぁ、いよいよ…

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遂に来ました、安土城天主跡☆
間違いなく晩年の信長公が日々生活していた空間。。。
しばらくここで集合写真を撮ったり、何故か私やあっぴん。さんへの使命として課せられていた?「敦盛」の真似事をして写真を撮ったりした。

そうこうするうちに時間も押して私の帰りの新幹線のタイムリミットが迫り、急ぎ足で石段を引き返しながらも最後の決断を迫られる。
しかし、折角ここまで皆で来て自分一人の都合で全部見ずに帰る訳にもいかないし、私自身悔いが残る。。。

という訳で新幹線の指定券は諦め、安土城散策を続行することに。
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本来の摠見寺跡地へ…

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摠見寺跡から西ノ湖を望む…

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現存する摠見寺三重塔。

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摠見寺本堂跡

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こちらも現存、仁王門。

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何だかんだ最後は駆け足になっちゃった(^_^;)
時間の関係で今回も回り切れなかった場所が沢山あるし、安土には絶対にまた来たい!それも遠くない将来に。

安土城考古博物館の駐車場まで戻り、私は流星☆さん、幸村!さん達の車に乗せて頂くことに。ここであっぴん。さん、みかんさんとはお別れ…(T_T)/~

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残った6名で夕食代わりに食べた近江ちゃんぽん♪
アッサリ塩ベースで美味しかった☆

最後は米原駅まで送って貰い、皆さんともお別れ。
指定券は諦めたものの名古屋までのこだま、その先ののぞみも無事に座席を確保できました☆

この2日間、大徳寺の総見院・安土城考古博物館・摠見寺で貴重な木像を拝観出来たし、安土城への再訪も果たし、とても「信長公充」な旅&皆での山城歩きもやっぱり楽しかった☆

そして、今回も皆さんにお世話になりっ放し。本当にありがとうございます。
絶対にまた、近いうちにお会いしましょう!

おわり。

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近江北ノ庄城

八幡山からアップダウンの激しい尾根をひたすら進み…

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途中、土橋を見付けてはお決まりの…(笑)

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30分ほど歩き続けてようやく到着!近江北ノ庄城の縄張図(現地案内板より)

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早速、立派な土橋がお目見え♪
みかんさんが立っている辺りが昨年、城ガール隊広報のちょめさんがNHKのインタビューを受ける前にメイクをしていた場所(笑)

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その土橋が架かる堀切。。。素晴らしい。

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縄張図を元に、見事な虎口も発見!
…他にいい写真もなかったので、あっぴん。さん、顔出しゴメン!ww

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「七ツ池」は3つまでは確認したものの、その殆どは藪の中。

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北ノ庄城から見た八幡山。
村雲瑞龍寺(本丸)の屋根が見えていますね。あそこから尾根伝いに歩いて来ました☆

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北ノ庄からは徒歩で下山。麓に降り立ってみると…ここにもニクいクランクが!(笑)

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昼食を求めてブラリ。
この通りなんかも道幅といい、建物のせり出し方といい、江戸期の雰囲気がよく出ていますね♪

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その昼食にいただいた「近江牛ホルモン天麩羅うどん、赤コンニャク入り♪」
実はこの日の為にあっぴん。さんが事前にリサーチしてくれていたお店と判明。何から何までありがとうございます☆

さぁ、エネルギーも補充したところで、いよいよ安土へ移動しますよ!
つづく。

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近江八幡(八幡山)城

さて2日目。
この日は昨晩の懇親会参加者にmisaさん、kaiさんを加えた計8名で城攻め!

でもその前に、少し早く目が覚めたので駅周辺をお散歩。
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やけに教会が多いなぁ…と思っていたら、

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「はちまんチャペル通り」w
そっか、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの近江兄弟社の街でもあるもんね。

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朝、ホテルの部屋で地図を眺めていてお堀っぽいな~と思っていた地点まで来てみた。
今となってはただの川ですが、往時は城下町を流れるお堀であり、水路だったのでしょうね。
奥に見えるのが八幡山♪

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駅前に戻って「ぶーめらん通り」ww
その名の通り、綺麗なカーブを描いています。街のあちらこちらに江戸期の城下町の名残が残っていて楽しいです☆

この後、みかんさんの車に乗せてもらい、八幡山へ。

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八幡山の麓、はちまん堀♪いい風情ですね~
この場所で映画「るろうに剣心」のロケも行われたそうです☆

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城下町。こういう、現代にはおよそ無用な折れ、間違いなく江戸期の町割(区画)の名残ですね♪戦争(空襲)の被害を受けることなく、町の歴史がそのまま現代まで繋がったからこそ。いいね!

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さ、それでは全員集合したところで近江八幡城攻めを開始します!
まずは居館地区へ。豊臣秀次の銅像と柑橘類(笑)

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いきなり現れた石垣に「おぉ~!」と感動していたら…

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更に奥に進むと風情のある石垣がこれでもか!と…

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いや~凄い!
石垣と竹藪の雰囲気がまたいいっ☆

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あっぴん。さんが瓦を発見!

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竹藪の隙間から見る石垣もまた格別☆

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さ、次はロープウェイに乗って山頂の主郭部を攻めますよ!

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八幡山山頂の案内図。村雲瑞龍寺のある場所が本丸跡で、その周囲を二の丸・北の丸・西の丸、及び出丸などが取り囲みます。

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本丸の虎口は瑞龍寺山門。

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本丸を囲む石垣。。。この曲線を描く感じがまた何とも。

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八幡山城、西の丸からの眺め。あの小高い山は水茎岡山城跡。

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こちら(右手前)は長命寺。麓には長命寺港も。その昔は琵琶湖の水があの山をぐるりと囲んでいて、浮島のようになっていたみたいです。

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出丸下の石垣。もっと観光地化されているのかと思っていたが、意外なほど石垣遺構はよく残っていた。

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その出丸から本丸を見上げた様子。結構高低差があります。

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一部、崩落した石垣も…

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北の丸へ回り込んだ辺りから。あぁ…安土城だ。。。あとで行くからね♪

一通り山頂部を一周したので、この後は尾根伝いに近江北ノ庄城へ向かいます!
つづく。

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妙心寺、三十三間堂

大徳寺からはバスで移動します。向かった先は…妙心寺!
これまた2月の時と同じ。違うのは間に金閣寺を挟んでいないことくらい(笑)

今回、妙心寺を訪れた目的はこちら↓
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塔頭の一つ、玉鳳院(境内非公開)
ちなみに境内に建つ開山堂は妙心寺最古の建物。

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境内立入禁止のため、開かれた門の前から。あの「牛石」が見たかったのです。
細かいことは書けませんが案内板にもある通り、あの牛石は臨済宗妙心寺派の末寺、安土の摠見寺から納められました。。。
ここに来るまでは門が閉じられていたらどうしよう、と不安でしたが開いていて良かった☆

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目的は果たしたので(笑)、ちょっと退蔵院にも寄ります。

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紅しだれ桜は残念ながら、まだつぼみの段階…

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庭園

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方丈から見る狩野元信作庭の枯山水。

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方丈にて

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退蔵院寺宝の国宝「瓢鮎図」(レプリカ)

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さて、一旦京都駅前に戻ったところで、この後の行動を検討。。。
出来れば大津に移動して石山寺や義仲寺などを巡ろうかとも思っていたのだが、移動時間も考えると夜6時から予定しているフォロワーさん達との近江八幡での飲み会に間に合わなくなりそう…などと考えていたところで、もう一つリベンジしておくべき場所があったことを思い出した☆

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…という訳で三十三間堂♪
こちらは2月の旅の2日目、早朝に訪れてまだ開門していなかったという…(^_^;) 今回も実際に訪れてみると、3月までは午後3時30分閉門とか。到着したのはその15分前。危ねー!(笑)

大徳寺・総見院と三十三間堂のリベンジ、そして妙心寺への再訪、、、むしろ2月の旅の初日~2日目の朝(単独行動)が無駄だったんじゃない?という声も聞こえてきそうですが…そこはスルーします(笑)

さ、近江八幡へ移動♪
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JR近江八幡駅。
一旦ホテルにチェックインした後、駅前の居酒屋で集まってくれたサイガさん・あっぴん。さん・流星☆さん・幸村!さん・みかんさんと懇親会を催しました。ここで私は…旅の解放感から?か、少々お酒を過ごしてしまいまして。。。
参加された皆様にはだいぶご迷惑をお掛けしたかもしれませんが、本人に記憶が殆どないので、ここでは触れません(苦笑)
ごめんなさいm(_ _)m

2日目につづく。。。

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大徳寺 - 興臨院・龍源院・黄梅院

総見院の後は特別公開の三ケ寺共通拝観券を買っていたので、そのまま興臨院へ。

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と、その前に…千利休の木像が置かれ、結果的にその足下を潜ることになるからと秀吉の怒りを買って利休切腹の原因になった、との逸話(あくまでも逸話)も残る「金毛閣」。


■興臨院
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では、興臨院へ。

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枯山水の方丈庭園

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茶室「涵虚亭」
“織部好み”と言われ、利休のものより広く作られている。では次へ移動。

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ズラリと塔頭が並ぶ大徳寺境内。


■龍源院
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黄梅院へ向かう途中、こちらも公開されていたので別途拝観料を払って入ってみます。

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「東滴壺」
日本最小の石庭で“つぼ庭”から、この名前が付けられています。

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阿吽の石庭「滹沱底」
奥に見えるのが阿吽の「吽」の基礎石(阿は写真に入っていません)。何とこの阿と吽の石、あの聚楽第のものと伝えられているそうです☆

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方丈前の石庭…はぁ~なんか、京都☆だね(笑)


■黄梅院
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さて、大徳寺での拝観の最後は黄梅院。
信長公が父・信秀の供養のため、庵を建てさせたのが起源となっています。

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小早川隆景に蒲生氏郷…堪らん!但し、特別公開中でも墓所はお参り出来ません(涙)
なお、小早川隆景は天正17年にこちらの鐘楼・客殿・庫裡の普請奉行を勤めています。

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黄梅院ではとても素敵なお庭を巡れるのですが、この前庭を除いて全面撮影禁止の為、写真はありません。

さぁ、大徳寺をあとにして次へ向かいますか!
つづく。

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大徳寺 総見院-特別拝観

3月23~24日は京都&近江を旅してました。
宿は近江八幡に取り、当初は初日も大津方面に繰り出して「近江八景」を巡ったりするつもりだったのですが…

ひょんなことから2月に訪れた際には拝観叶わなかった大徳寺塔頭、総見院の春の特別拝観がちょうど23日から始まっていることを知り、急遽予定変更!

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という訳で、1ヶ月前と全く同じルートを経て大徳寺(笑)

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勿論、最初に向かったのは総見院。信長公にお参りします。。。
天正11年(1583)、信長公の一周忌追善供養のため、秀吉によって創建されました。この正門や土塀は創建当時からのもの。

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屋根の下に架かっているあれ(少し色が濃い部分)、何か分かりますか?
実は信長公の木像を運んで来た輿なのだそうです。

この後、本堂で実際にその信長公の木像(天正11年作)も拝んできました。撮影禁止なので写真はありませんが。
秀吉もその出来栄えに満足したという木像、鋭い眼差しなど大変に威厳のあるお姿でした…感動。

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掘り抜き井戸。
加藤清正が朝鮮から持ち帰ったという大きな岩を彫り抜いて作られた井戸。今でもお供え用の水として現役だそうです。
…あれ、同じ大徳寺の高桐院にもあったよね?加藤清正が朝鮮から持ち帰ったという岩(笑)先月見たもん。どんだけ欲張りなのww

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樹齢400年を超える侘助椿。
一説には秀吉が利休から譲り受けて備えたものが大きくなった、とも。非常に貴重な品種なのだそうです。

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そして、、、信長公墓所。
向かって右は嫡男・信忠、左が次男・信雄。

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信長公とその息子たちなど、一族の墓がズラリと並びます。。。

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正室・帰蝶(手前)と、晩年に最も寵愛を受けたという側室・お鍋の方(岩が置かれている所)のお墓。

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総見院本堂。奥に薄らと信長公の木像が写ってしまってるけど…お許しください(^_^;)

念願叶った特別拝観。感激もひとしおです☆ いつかまた必ず来ます。

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2013年3月22日 (金)

江戸城の桜♪

今年は桜の開花が早いですねぇ、東京都心部。お花見も今週末がピークでしょ?
という訳で今回は桜目当てで江戸城を散策しました。

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工事中の清水門。今回はここからスタートし、お堀を左手に反時計回りで。
この日は某私立大学の卒業式が武道館で行われていたため、花見客と合わせて凄い人出でした(^_^;)

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武道館を向こうに千鳥ヶ淵堀。何気に一番好きな桜スポット。

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田安門も桜に埋もれ…

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どアップ。

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千鳥ヶ淵。桜目当ての人には一番人気のスポット。

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そのままテクテクと首都高を跨ぎ…

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大官町通りを抜けて…

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乾門。普段は通行不可です。

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更に北桔梗門まで抜けました。こちらは東御苑出入口の一つ(その他:大手門&平川門)

●外濠
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さて、所変わって今度は外濠へ。市ヶ谷御門跡(市ヶ谷駅付近)から牛込御門跡(飯田橋駅付近)に向かって歩きます。
桜で外濠が見えな~い(笑)

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市ヶ谷御門と牛込御門の間に掛かる新見附の土橋上から牛込御門方向。
右側の土手も全部、土塁!

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こちらが新見附の土橋。

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桜のトンネル~♪

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そして、あちらに見えているのが牛込御門。石垣の櫓台、分かりますでしょ?

今週末、お時間ある方は是非お出かけください。今年は早くもラストチャンスかもしれませんよ♪

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2013年3月18日 (月)

綱坂-150年のタイム・スリップ♪

数日前、サイガさんのツイートで久し振りに目にした1枚の写真↓
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イギリス人写真家、F.ベアトによって文久三年(1863)に撮影された綱坂(港区三田)の写真。
写真左手前一帯は今年の大河ドラマで話題の会津藩下屋敷、右手坂上は赤穂浪士・大石主税(内蔵助の息子)らが切腹した伊予松山藩中屋敷。
時代は幕末。攘夷の嵐が吹き荒れる中で外国人によって残された1枚。まさに命懸けだったんだろうな~と暫し感慨に耽った。

考えてみれば文久三年といえば、今からちょうど150年前。ならば150年後の現在はどんな姿をしているんだろう?と思い立ち、とりあえず向かってみた。

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現在の綱坂。意識的にベアトと同じアングルを狙ってみた。
何て言うかね…坂に差し掛かる道の角度とか、坂の傾斜具合とか…全く同じでしょ!坂に差し掛かるコーナーの右側の歩道の「膨らみ」まで名残を残しているんだから。。。これは結構感動する。ここまで形状を留めている地形も珍しいよ。
ちなみに現在では会津藩下屋敷は慶應中学・女子高、伊予松山藩中屋敷はイタリア大使館になっています。

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「綱坂」の名前は、羅生門の鬼退治の逸話で有名?な平安時代の武士、渡辺綱がこの辺りで誕生したという言い伝えによるそうです。

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綱坂を登り切って、更に北西方向を目指します。
…どんだけ「綱」押しやねん!(笑)

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今度は「神明坂」
何で「神明」何だろ?って思っていたら…

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坂を下り切った場所にこれがあった(笑)

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最後に麻布十番駅すぐ近く、一の橋。
後の新選組メンバーとなる面々を含む浪士組を率いて上京し、すぐに江戸へ引き返した後に佐々木只三郎らに殺害された清河八郎…。この場所がまさに清河の殺害現場となりました。
(清河のお墓は小石川の傳通院にあります。奇しくも彼が浪士組を招集した場所)

…先日本屋で見かけたベアトの写真集、やっぱり買っちゃおうかな♪

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2013年3月16日 (土)

小田野城

本日は八王子城のすぐ近く、小田野城を軽く攻めて参りました♪
※おそらくは八王子城の出城、と位置付けてカテゴリーは「八王子城」に分類しました。

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小田野城の縄張(現地案内板より)

なお、八王子城との位置関係は…
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このようになっております。(Yahoo!地図より拝借)
こうして地形図で見ると、八王子城から伸びる尾根の先端に築かれていることが分かります。
※なお、浄福寺城は地図左上、微妙に切れちゃってる辺りです(^_^;)

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縄張図aポイントから見上げた様子。この辺りは藪も刈られていて土木の跡がハッキリ分かります。

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縄張図3曲輪からaの方向。手前の“こんもり”した箇所は4曲輪の土塁。

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本丸と思しき1曲輪の東面。切岸?

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一段高くなっている2曲輪。この上は藪が酷かった…。

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1曲輪。広大です。奥には5曲輪との間を仕切る土塁が見えています。

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2曲輪の脇から北西方向。小さな帯曲輪が段々に展開しています。
眼下に見えるのは都道61号線。この小田野城の真下をトンネルが貫通しています。

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1曲輪から八王子城の城山。

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bポイントから5曲輪方向を見上げた様子。
この城跡、全体的に藪が酷くて縄張に描かれた竪堀とか全然確認出来なかったが、この面は綺麗に整備されていて段々に配置された帯曲輪が分かり易い♪

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同じくbポイントから。
こちらが城跡の真下を貫通する都道61号線のトンネル(小田野トンネル)。当初の計画では、道路を通すにあたって山(尾根)を切り崩す予定だったが、小田野城跡の遺構が見つかったために急遽計画を変更、トンネルになったのだとか。
その決定には拍手を送りたい。

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2013年3月15日 (金)

「麒麟の翼」の舞台-日本橋界隈

職場が近いこともあり、仕事の都合上ほぼ毎日、日本橋の辺りを歩いているのですが、、、歴史ネタが少し尽きてきたのでチョット脱線(笑)
今回は映画「麒麟の翼」で登場した日本橋界隈のポイントをいくつかご紹介♪

まずはこちらから…
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犯行現場となる江戸橋の地下道入口。
ここから真犯人の少年(名前忘れましたw)が慌てて飛び出してきて、被害者・青柳武明(中井貴一)の後を追ってきた八島冬樹(三浦貴大/ガッキ―の恋人役)とぶつかるシーンがありましたね。

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その地下道。。。まさにここで、青柳(中井)は腹部を刺され…

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「昼間でも人通りの少ない某証券会社(野村証券)の本社ビル脇の通り」をフラフラと進み…

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日本橋の袂にある交番の前も気付かれることなく通り過ぎ…

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日本橋の真ん中にある麒麟像まで辿り着き、ここで力尽きる。。。

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何かロケの痕跡がないかな~と麒麟像の足元の欄干に目をやったら…!?
このシミ、青柳(中井)さんが白い折り鶴を飛ばし、倒れる直前に手をついて血の手形を残した血痕の消し忘れ!?(笑)

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日本橋にて。
このアングル、映画で度々、加賀(阿部寛)と松宮(溝端淳平)が肩を並べて歩いているシーンで使われましたよね?
DVDをお持ちの方は背景を見比べて確認してみてください(笑)

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所変わって浜町緑道。日本橋からは歩いて10分弱です。
八島がお巡りさんに発見された時に潜んでいた辺り。この直後、彼は写真正面の新大橋通りに飛び出し、車に撥ねられてしまいます。。。

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最後の1枚は捜査を続ける加賀たちが居合わせた参拝客から、青柳が千羽鶴を奉納していたという貴重な証言を得る椙森神社。

まだまだこの近辺、特に人形町周辺には映画やドラマ「新参者」のロケで使われたお店なども沢山♪
今後も行く機会はしょっちゅうあるので、また写真が溜まった頃に更新します☆


2014年10月17日追加
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こちらは「麒麟の翼」の舞台ではありませんが、、、
同じく東野圭吾さんの小説「マスカレード・ホテル」、その文庫版(集英社文庫刊)の表紙になっている場所。箱崎のロイヤルパークホテルです。

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2013年3月14日 (木)

寝てばかり?の天使くん♪

何だかんだと久し振りの更新となってしまいました、我が家の愛犬・ボンの記事(^_^;)
今回上げる写真は2月下旬から3月上旬にかけて撮影したものです。基本、寝てる写真ばかり(笑)

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コタツでお昼寝~♪

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(私の)膝の上でもグ~(笑)

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毎日「ただいま…」と夜遅くに玄関を開けると…いつまでも玄関先に置かれたベッド?で私の帰りを待っていてくれます♪キュンと来るでしょ?ww
…ま、私が帰ると必ず貰えると分かっている日課の夜食(鳥のささみ)がお目当てなんですけど!…orz

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フワ~ッ

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…ん?今、写真撮った?

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写真撮られるの、嫌い!
と言わんばかりにコタツの中へ逃げられました…(^_^;) どこから潜ったか一目瞭然(笑)

逃げられてしまったので、今回はここまで。また近いうちに…

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今戸神社、清正公寺、etc...

またボチボチとネタが溜まって来ましたので、、、ここ最近のお江戸散策を。
何の脈絡もなく、訪問日順に上げていきます!

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日本橋三越の近くでたまたま見付けた、三浦按針(ウィリアム・アダムス)の屋敷跡碑。

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今年の大河ドラマ「八重の桜」で主人公、新島(山本)八重の夫となる新島襄の生誕地碑。
(一橋交差点近く)

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江戸城平川門のすぐ近く、一橋徳川家屋敷跡。

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こちらは加賀前田家上屋敷赤門!早い話が東大…(^_^;)
「赤門」は、将軍家から嫁を迎えて縁戚になった家にだけ、それも一度に限り建てることを許されていました。水戸徳川家の後楽園にもあります。

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中野駅前にある「犬屋敷跡」の碑?銅像??ww
「犬公方」と呼ばれた徳川五代将軍・綱吉によって建設された、犬を保護するための広大な施設がありました。


◆今戸神社
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何故かここでドーンッと東京スカイツリーw 向かった先は…

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浅草にある今戸神社。

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境内の河津桜もいい感じ♪

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更に境内にはこんな石碑も建っています。。。
これは、新選組二番組隊長、永倉新八の記した「同士連名記」に;

『胸を患った沖田総司は松本良順の治療を受けていたが、松本が今戸八幡に居を移した際、沖田も他の患者と共にそこへ移った』

といったことが書かれていることに由来しますが…どうでしょうね。
お墓が六本木(麻布)にあるからという訳でもありませんが、私は国立競技場近く、現在の新宿大京町にあった植木屋平五郎宅で最期を迎えた、という説を採りますね。

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今戸神社の本殿。何故か理由は定かではありませんが、やたらと若い女性グループの参拝客が多かったです。

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“本物の”狛犬の手前には、、、随分と可愛らしい子も(笑)


◆清正公寺
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さて、お次は日本橋浜町にある清正公寺。

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その名の通り、祀られているのは加藤清正です。何故この地で?というと…

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実は清正公寺に隣接する「浜町公園」にはかつて、加藤家改易後に熊本に入った細川家の下屋敷がありました。
その関係で、本国肥後より当地に勧請して祀ったのが始まりだそうです。


さてさて、今回はこの辺で。
お江戸歩き、何かいいネタがありましたらお寄せください♪(笑)

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2013年3月 9日 (土)

八王子城「太鼓曲輪」踏査②

さ、①の続きです。

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引き続きこの図面を使うので再掲載

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(5)の堀切まで見た後はUターン。
そこで、本日持参したとあるmapに(4)と(3)堀切の間の尾根脇に石垣マークが描かれていることに気付く。 ※(a)地点
…探してみますか♪ってことで藪を掻き分けて下った山の斜面w
mapはかなりデフォルメされたものだったし、正確な位置も分からない。人が踏み入った形跡も欠片も見受けられないし、、、で、かなり不安…(^_^;)

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苦心の末、漸くあいすさんが見付けた痕跡らしきもの。
殆ど崩れちゃってますけどね。しかし、周囲の地表と比べて不自然に“成形された”石がゴロゴロしていたし、おそらくコレでしょう。

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先ほどの斜面をそのまま斜めに下って(3)の堀切の脇に回り込むと、武者走りの様な通路とそれを縁取る土塁らしきものも…

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その土塁の外側に回ってみると…間違いなくここも石垣で固められていましたね。

さて(2)の堀切も過ぎ、最初に登って来たポイントに戻ってきたところで、やはりこのまま(1)の堀切を見逃す手はない、と思い、そのまま反対方向へ進みました。

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図面では(b)地点になる「片堀切」
写真向かって右側だけ竪堀が落とされ、左側は自然地形のまま。。。だから「片」堀切なのね♪

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更に尾根を進むと…見えてきましたね、分かるでしょ?ww

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ドーンッ!堀切(1)
ホント、最後まで期待を裏切らない尾根です、ここ(笑)

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そして、ここで遂に「間違いなく石積み!」と確信の持てるものを発見!

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竪堀もこの(1)のポイントのものが一番分かり易かった☆
倒木で光のトンネルが出来ている♪

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反対側の尾根上から…
太鼓曲輪の堀切、どいつもこいつもサイコーッ!!

これにて太鼓曲輪踏査は無事終了~♪
正確には計測していないので感覚でしかないが、たかだか片道1km程度の尾根を探索するのに要した時間…2時間30分(笑) どんだけ好きやねん、わてらwww

麓に下りてからは御主殿へ行き、ランチタイム♪
その後、御主殿の滝を案内し、先週ガイドさんに教えて貰った御主殿から金子曲輪下の馬蹄段へ繋がるルートへ。

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先週の記事ではちゃんとした写真を載せられなかったので改めて撮影。
御主殿の現存石垣→※(c)ポイント
御主殿だけあって、ここで使っている石は一回り大きい!

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金子曲輪下の斜面の梅。今週は満開♪

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その梅越しに、本日歩いた太鼓曲輪の尾根筋。

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駐車場脇の広場(ここも曲輪跡)に設置された模型にも、太鼓曲輪の堀切が再現されています☆

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最後は近くのファミレスでティータイム♪
暑かったし、よく歩いたからね~。2人ともドリンクバーでがぶ飲み(笑)

予想以上にアツい遺構に巡り会え、気分は最高!やっぱりスケールでかいな、八王子城。まだまだ奥が深い!!楽しかったーヽ(^o^)丿
あいすさん、今日はご一緒して頂き、ありがとうございました☆

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八王子城「太鼓曲輪」踏査①

本日は八王子城の南東側を守る外郭ライン、「太鼓曲輪」の踏査に行ってまいりました!
前回のブログにも書きましたが、先週案内していただいたガイドさんから聞いて、どうしても行ってみたくなった場所。ひょんなことからフォロワーの“あいすさん”とtwitter上で話がまとまり、本日の攻城と相成りました☆

午前10時、八王子城跡駐車場であいすさんと合流。まずはガイダンス施設へ。

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先週の記事にも書いた古図。この1枚が残っていたお陰で、八王子城跡は正確に現代に蘇った。。。
たいした測量技術も無かった江戸時代初期、よくぞこれほどのものを…。

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八王子城跡縄張図(管理棟前にて)
これから攻める太鼓曲輪は一番下、左右に伸びています。

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そのアップ。これから掲載する遺構の写真は、この図面に赤い文字で記した番号等に沿ってご説明します。

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太鼓曲輪へはいくつかのアプローチがありますが、今回は最短且つ最も容易に登れそうな大手門跡近くの竪堀から登りました(図面水色ライン)。写真は少し登って振り返った様子。

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ちゃんとロープも設置されているし、冬場の藪がない季節なら割と楽に登れます。

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登り切った尾根。絵に描いた様な「これぞ尾根道!」って感じですね(笑)

まずは南西側に向かって進みます。

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最初に目に飛び込んで来た堀切(2)

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その堀底。カメラに収まり切らない…(^_^;)
あいすさんのサイズからも推し量れるでしょ?ww

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この尾根の地質は岩盤で出来ているようで、堀切の表面はご覧のように岩が剥き出し!
切断面の形状からしても、間違いなく石垣用の石切り場としての役目も担っていたと確信。掘り切って出た石は石垣に転用…一挙両得♪

そして…私はこれまで、あいすさんを「石垣好き」と認識して来ましたが、今日でそれを改めます。これらの「岩盤」を見ただけでテンション上がる上がる!(笑) もう石垣に限られることのない、れっきとした「石(岩)フェチ」です(爆)

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…さて、更に進んだ先の堀切(3) ここも深いなぁ~

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(3)の堀底…良い!!

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堀切(4)…今更、言うことありません(笑)

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ここの断面も岩だらけ! これなんかは積んであった石垣が崩れたようにも見える。
察するに、岩盤が露出している箇所はそのままにし、そうでない箇所を切り出した石を積んで補強したのではなかろうか。

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(4)の堀底。
これだけ杉の木だらけにも関わらず、不思議なことに花粉症を抱えるあいすさんも城巡り中は割と平気なご様子。。。山城の魔力か?!(笑)

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(4)と(5)の間の尾根からは、主郭部の城山も見えました♪
この距離感、改めて凄まじいスケールの山城であることを実感する。

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暫くすると櫓台跡の様なものがあった。これも往時は石垣で固められていたのでしょうねぇ…。

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その櫓台から。。。
一見すると水色のラインを引いた尾根道に繋がっているように見えますが、実際は…

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ザックリと断ち切られています!→堀切(5)
これまでの堀切も凄かったが、ここの深さと言ったら、もう…

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堀底にて。あいすさんに堀切ラインを表現して頂きました☆

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反対側の尾根に登って堀底を見下ろした様子。
深さを測るためにあいすさんに立って貰いましたが…ちっさ!!(笑)
ここから見ると対岸の断面は紛れもなく「絶壁」でした。

この後は一旦、元来た道を引き返しました。
(②へつづく…)

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2013年3月 2日 (土)

御主殿復元的工事の進捗と、調査後の石垣群

日付も3月に入り、そろそろ八王子城御主殿の復元的工事も終わる頃だな…と思い、状況確認のために行ってきました。

今回はあくまでも御主殿の工事状況確認が目的なので、他の遺構には脇目も振らず、古道を通って真っ直ぐ御主殿へ…

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あちゃあ…まだ終わってないや(+o+)
手前に広がる礎石群が御主殿跡で、左奥に見える段になっている部分は会所の跡です。

暫く工事の様子を見ていたら、記録撮影をしているガイドさんがいたので「この工事はいつ頃終わるんですか?」と声を掛けてみた。やはり少し遅れているみたいだけど、ガイドさん曰く、どんなに遅くとも3月中には終わるのでは、とのことでした。

そしていろいろ教えていただいている中(そもそもこの八王子城跡全体の遺構は、何から何まで江戸時代初期に描かれた「慶安古図」によって発掘・確認されてきたそうです。それほどまでに正確で細かい図面を遺してくれていた先人に感謝!)で、気になっていた工事完成後の「殿の道」についてもお聞きしたところ、これからも通行できるとのこと。安心。

更に話は盛り上がり、この2月、市が総力を挙げて「殿の道」に残る第Ⅰ~Ⅳ石垣群の調査を実施したとのこと。それこそ使われている石の一つ一つのサイズ・形状から積み方まで…。
長い年月を経てだいぶ崩れてきているが、折角の遺構なので積み直す訳にもいかず。。。
だが、今回の調査記録により今後自然災害や人災などで遺構が崩れたとしても、少なくとも平成25年2月時点の状態には正確に修復できるようになったという。市の本気ぶりに嬉しくなりました。

そして、ここから思わぬ展開が!?
調査によって新たに土中から掘り出された石垣部分もあり、藪も取り払われたので物凄く石垣遺構が見易くなったとの話を聞き、「それは是非とも見たいですね!」と話していたら…なんと!他に見学者がいなかったこともあり、ガイドさんが特別に工事の人に交渉して立入禁止区域を通過して連れて行ってくれました!!

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第Ⅰ石垣群。何よりもここの石垣が一番感動的でした。
今まで藪や土で隠れていた部分も現れ、もう圧巻!奥の方まで何段にも別れて石垣が積まれているのが確認出来ます。

※ここから紹介していく各石垣群の調査前との違いは、私が昨年夏頃に撮影したコチラ の記事の写真と比較してみてください。
http://shmz1975.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-b0ab.html



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横の広がりも凄いです。何というかもう、、、第Ⅰ石垣群のスケールはこれ程までだったのか!と新たな発見に驚きでした☆

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段差になっていて、武者走りの様な通路?もあったんですねぇ…。

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こちらは第Ⅱ石垣群。

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第Ⅱ石垣群も真横から…

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第Ⅲ石垣群。
奥の第Ⅳ石垣群まで綺麗に見通せます。

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第Ⅳ石垣群と「式台石」

調査も終わり、今後は一切手を加えず「ありのまま」で保存するとのこと。
春になればまた樹木も生い茂って行くし、いずれまた時と共に埋もれていく。しかし、平成25年2月時点での記録は永遠に残る。。。
私はこれらの遺構保存に関して、それでいいと思いました。それが自然な姿なのだから。まさに今しかない!というタイミングで見学させていただくことができ、感無量です。

※昨年、私は市の担当者に殿の道の石垣遺構保存に関する見解を求めるメールを送ったことがあります。それに対する市の回答は「保存も含め、調査を検討している」でした。まさにこの調査を指していたのですね!

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藪が払われたことにより、石垣群(殿の道)を守るように両脇に穿たれた竪堀状の遺構も確認出来ました。

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「殿の道」出入り口付近から御主殿。
会所の横に復元されているのは枯山水。使われている石をよーく見ると、中に白っぽい石があるそうです。これは現在は地中1mに埋め戻されている当時の石と形状を全く同じようにするため、職人がセメントを吹き付けて成型したものだそうです。そこまで手をかけていたか!
(一番左の大きな石だけは当時から残る「本物」!)

※あくまでも今回、私がこの場に立ち入れたのは特別な配慮によるものであり、工事中は立入禁止です。決して勝手に踏み込んだり、ガイドさんらに無理強いすることのないよう、くれぐれもお願いいたします。工事終了を待って訪れてください。

この後、時間あるか聞かれたので「勿論大丈夫」と答えると、更に御主殿冠木門脇の通用口(下男下女たちの通用門だった場所)から、登山道の馬蹄段に繋がるルートも案内してくださいました。

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御主殿脇の竪堀。中央に見えているのは当時から残る石垣。
(左奥は復元された御主殿の石垣です)

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金子曲輪の下辺り。梅もいい感じに色づいていました♪

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最後に、太鼓曲輪方面。
あちらの尾根上にも、大きな堀切が5本残っているそうです。いつか是非とも行ってみたいですね!

ほんの散策程度の気分で出掛けたのに、いい出会いから思わぬ幸運に恵まれました。まだまだ新たな発見が沢山!何度でも訪れたい場所です♪

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