安土城♪
さぁ、旅のラストは安土へ。
まずは安土城考古博物館へ。
ここで、安土城下の浄厳院でつい最近発見されたという、明治14年(1881)制作の信長公の木像を観てきました。1881年といえば信長公の三百回忌。それに因んで制作されたのでしょうか。。。
展示パネルには「徳川の時代も終わり、改めて勤王家としての信長の存在がクローズアップされ…云々」といったことが書かれていたように記憶します。(間違えていたらゴメンなさい)
そういえば幕末の志士などにもよく読まれていたという「日本外史」の中で、頼山陽も信長公を「勤王家」として捉えていますね。
明治の時代の視点ではそのように映っていたんですね。
さぁ、では行きますよ☆ちょうど電車も通り掛かった!
安土城のお堀の名残…
振り返れば六角氏の居城だった観音寺城跡。
この辺りは8年前に訪れた際は、まだ整備工事中だったなぁ…
→8年前の記事: http://homepage3.nifty.com/shmz_5_5/shiga02.htm#050918a
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安土城縄張図(現地案内板より)
そしてこの日は何と…摠見寺特別拝観!!勿論行きますとも!!!!
※この時は知らなかったのですが、実は数年前から日曜・祝日に限って公開していたんですね。安土城訪問を土曜に組まなくてよかった~
それではいざ、8年ぶりの聖地へ。。。
「伝」前田利家邸跡。随分綺麗になったなぁ~
「伝」羽柴秀吉邸跡、下段より。
「伝」羽柴秀吉邸跡、上段。
あちらが「伝」徳川家康邸跡に建つ現在の摠見寺。
※ちなみに、やたらと「伝」を強調するのは、実際にそうだったとは思っていませんが、他に適当な呼び方が分からないための便宜上です(^_^;)
摠見寺境内の石垣。
摠見寺本堂。
本堂内にて。このお隣の部屋で、江戸時代前期に作られた信長公の木像も拝観致しました。。。
住職お手製のお茶受けでお抹茶も頂き…
再び登城開始。
サイガさんが持っていた図面に描かれていた通り、大手道脇には立派な竪堀も。
「伝」武井夕庵邸跡
「伝」織田信忠邸跡を過ぎ…
「伝」黒金門跡
これより先が安土城の主郭部。
ここの石垣も凄いな…
崩れた石垣の中から発見された仏足石。
ここの石垣、向かって右の面は表面が綺麗な岩肌をしているのに対し、手前側は表面剥離したようにボロボロになっている。
これは、天主が焼け落ちた際、この手前側に崩れてきて石垣も焼かれたためなのだという。
懐かしい☆ 一時、蛇石説もあった岩。
信長公の本廟にもお参り…
前回来た時は木の枝が掛かっていて見辛かったのだが、綺麗になっていた。
御所清涼殿に模した建物礎石が見つかっている本丸跡。
北側は依然として立入禁止区域。ちょっと覗いただけでも素晴らしい遺構が眠っていることは容易に想像がつく。。。いつか足を踏み入れられる日が来ることを願ってやまない。
さぁ、いよいよ…
遂に来ました、安土城天主跡☆
間違いなく晩年の信長公が日々生活していた空間。。。
しばらくここで集合写真を撮ったり、何故か私やあっぴん。さんへの使命として課せられていた?「敦盛」の真似事をして写真を撮ったりした。
そうこうするうちに時間も押して私の帰りの新幹線のタイムリミットが迫り、急ぎ足で石段を引き返しながらも最後の決断を迫られる。
しかし、折角ここまで皆で来て自分一人の都合で全部見ずに帰る訳にもいかないし、私自身悔いが残る。。。
という訳で新幹線の指定券は諦め、安土城散策を続行することに。
本来の摠見寺跡地へ…
摠見寺跡から西ノ湖を望む…
現存する摠見寺三重塔。
摠見寺本堂跡
こちらも現存、仁王門。
何だかんだ最後は駆け足になっちゃった(^_^;)
時間の関係で今回も回り切れなかった場所が沢山あるし、安土には絶対にまた来たい!それも遠くない将来に。
安土城考古博物館の駐車場まで戻り、私は流星☆さん、幸村!さん達の車に乗せて頂くことに。ここであっぴん。さん、みかんさんとはお別れ…(T_T)/~
残った6名で夕食代わりに食べた近江ちゃんぽん♪
アッサリ塩ベースで美味しかった☆
最後は米原駅まで送って貰い、皆さんともお別れ。
指定券は諦めたものの名古屋までのこだま、その先ののぞみも無事に座席を確保できました☆
この2日間、大徳寺の総見院・安土城考古博物館・摠見寺で貴重な木像を拝観出来たし、安土城への再訪も果たし、とても「信長公充」な旅&皆での山城歩きもやっぱり楽しかった☆
そして、今回も皆さんにお世話になりっ放し。本当にありがとうございます。
絶対にまた、近いうちにお会いしましょう!
おわり。