斎藤一の根津住居跡、etc...
ちょっと時間が出来たのでサクッと更新。
今回は千代田線「根津」駅からスタートです。
歩き始めてすぐ、通りから脇に目をやると…
今でも東京に、こんな路地が残っています。
この通りの右手、笹が植えられている辺りが明治のかつて、元新選組三番隊隊長・斎藤一が住居を構えていた場所です。
住み始めたのは西南戦争から帰還した後から、とか。当時は山口二郎、或いは藤田五郎と名乗っていたか。。。
すぐ隣にはこんな蔵の様な建物も!(現在はうどん屋さんか何かになっていました)
もし、これが明治の時代から存在していたものなら…斉藤一も毎日目にしていたのでしょうねぇ…
その付近の路地。狭っ(笑)
この辺りは空襲の被害がなかったのでしょうかね。江戸~明治にかけての区画の名残がハッキリと残っている。
【訂正】
後日、私の勉強不足により、以上にご紹介した斎藤一の根津住居跡の位置が間違っていたことを知りました。
警視庁の記録などで斎藤一の住居は「根津宮永町31番地」とされており、この旧番地から割り出された現在の位置が根津2丁目14付近とのことで、多くの本やサイトでも本記事同様、上に掲載した写真の場所を紹介しています。
しかし、旧番地も昭和まで幾度か改正されており、実際に斎藤が住んでいた頃の「根津宮永町31番地」は、現在の根津2丁目6~7付近に相当するのだそうです。
その場所は旧会津藩主・松平家の所有地だったようで、その縁で斎藤も住むことになったのでしょうね。
訂正してお詫びいたします。(2016,9,17)
そのままフラッと根津神社まで足を伸ばしてみました。
詳しい所以は忘れましたが…徳川将軍家の権勢が偲ばれる造りですね。
■追加
こちらは別の日に撮影したもの。現在の銀座六丁目に建つ「佐久間象山塾跡」の説明板。
今年の大河ドラマでもそのシーンが放送されましたが、かつてこの場所では勝海舟・吉田松陰・河井継之助、そして山本覚馬も学んでいました。。。
ほら、「佐久間修理」の表記が見えるでしょ?
同じ区画には、狩野画塾跡の説明板もありました。
※おまけ
こけら落とし前日の新・歌舞伎座。
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