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2013年4月

2013年4月28日 (日)

大山詣で

GW前半の三連休中日、本日は厚木に住む友人Tomoを道連れに、神奈川県の大山登山に出掛けました。

大山詣では江ノ島詣でと共に、江戸の庶民に人気の旅スポットだったとか。地元からも近いし、以前から一度来てみたかったんだよね~。

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まずはケーブルカーに乗って中腹の大山阿夫利神社・下社まで行きます。

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ケーブルカーを降りると…ご覧の絶景!
中央に江ノ島が見えているの、分かります?

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大山阿夫利神社・下社。この先は頂上の本社、奥の院まで登山になります。
実は私、登山と言ってもリフトを降りた後の高尾山程度だろうとタカをくくって軽装で来たのですが…

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下社から本社へと続く参拝路の入口。いきなりのこの急勾配な階段…まるで壁がそそり立っているかのよう…

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そして本社までは岩がゴロゴロとした難路を延々と登ります。距離にしてどのくらいだろ?
この日は大変混んでいて周囲のペースに合わせながらだったので、結局頂上まで2時間を要しました。
お越しになる際は、きちんと登山装備を揃えることをお勧めします(笑)

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途中の富士見台から。朝のうち(この時点で時刻は午前11時くらい)は雲も掛からず、最高の眺めでした♪

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ようやく大山阿夫利神社の本社に到着。。。

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本社の更に奥、まさに頂上に建つ奥の院。

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山頂も凄い人の数。。。

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そして、山頂からの相模湾方面の眺め。。。もうね、なんだか空を飛んでるような感覚☆
ちなみに標高は1200m以上!

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我々が山頂に着いた頃には少し雲も出て、富士山(写真左)も隠れちゃった。。。
富士見台で見ておいてよかった☆

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下山時もこれから登る人と重なって大混雑!

いや~人も多くて疲れたけど絶景を拝めたし、富士山も綺麗に見えた☆
近場にもまだまだ楽しめるスポットはありますね♪

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2013年4月27日 (土)

美濃山城オフ⑥ 名古屋城

前回⑤の岩村城を以って美濃山城オフも全行程終了~!
だったのですが、帰りの名古屋駅まで送って貰う道中も順調で、予約した新幹線までだいぶ時間が余ってしまう…どう過ごすか考えているところで名古屋が地元のFULLさんから「ご案内しますよ」というありがたいお申し出があり…ちゃっかり甘えることにしました☆

という訳で延長戦突入!
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名古屋までの途中、高速から見えた小牧山城☆
あそこも近々再訪しなくちゃな!

結局全員で名古屋城周辺を歩くことになり、
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まずは護国神社脇の外堀から。昔、堀底を電車が走っていた名残のトンネル。

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綺麗に残ってますねぇ・・・

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内堀沿いには藤が満開♪

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名古屋城天守!何だかんだで8年ぶり!!

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最後に清州櫓♪とっても優美でした。

ここでFULLさんとはお別れ(そうそう、急遽駆け付けてくれたまっさんと初めましてのご挨拶もしました)し、最後は車で名古屋駅まで送っていただき、解散しました。

今回も充実した楽しい2日間になりました☆
皆さん、本当にありがとうございました!また近いうちに必ずお会いしましょう(^^)/

(美濃山城オフ、おしまい)

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美濃山城オフ⑤ 岩村城

さて、オフ会もいよいよ佳境。
お次は標高717mに残る日本三大山城の一つ、岩村城です!

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現地案内板より岩村城の古絵図。国内最高所に建っていた山城です。
近世城郭の石垣遺構がよく残っているので楽しみ♪

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早速登城です☆
こちらの登城口から石畳の路を10~15分ほど進むと・・・

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見えてきましたね♪
こちらは一の門を過ぎて土岐門を見た辺り。

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追手門付近。
苗木では雨が、岩村では霧がいい雰囲気を演出してくれます♪さすが「霧ヶ城」!

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追手門の「畳橋」が架かっていた箇所。

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・・・いいなぁ

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二の丸、菱櫓の石垣。この先に…

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本丸の六段石垣!岩村城の象徴的な遺構部分ですね☆

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六段石垣を横から…

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本丸長局埋門跡の石垣

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本丸

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本丸から六段石垣を見下ろしてみる…ちょっと分かり辛いか(^_^;)

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同じく本丸、南東側の虎口。何度折ってるのでしょう(笑)

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本丸の南には二の丸跡が広がっていますが、私有地につき立入禁止。
良い遺構が眠っていそうな気配が濃厚なだけに残念。

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岩村城には近世城郭の石垣だけでなく、周辺の尾根には中世期の堀切遺構なども残っています。
その一つに架かる土橋に立つ流星☆さんを尾根上から撮影会(笑)

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戻りしな、日が射してきたので六段石垣をもう一度☆

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江戸期の藩主邸(平成2年復元)

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城下町に出てお昼です。五平餅定食♪

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腹ごなしに城下町散策~♪

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こちらの蔵元で有名な「女城主」の純米吟醸生酒も購入しました☆
全種類試飲させて頂いた上で選んだ1本。でもさすがに試飲7杯は少し酔った…(^_^;)

■ちなみに岩村城と「女城主」について
岩村城は中世以降、遠山氏が入っていました。戦国期後半、美濃を領する織田家と甲信を治める武田家との緩衝地帯として重要視した織田信長は、遠山景任に叔母(おつや)を嫁がせます。
しかし景任が死去すると、信長は更に幼い自らの五男を養子として送り込み、おつやが後見として城主のような立場で城を守りました。このおつやが「女城主」の由来。

その後、天正元年(1573)に武田家の武将・秋山虎繁(信友)の攻撃を受けると、岩村城は降伏開城します。この際、あろうことかおつやは敵将・秋山虎繁に再嫁し、養子にしていた信長の子を人質として甲斐に送ってしまいます。
まぁ、虎繁にしてみれば入城後の領民統治をスムーズに進めるための方便でもあったろうし、もはや後ろ盾を失った女の身では、おつやの側にも他に選択肢はなかったものと思われます。
だがこれが元でおつや、及び虎繁は後に織田家に降伏した際、捉えられて信長によって処刑されます。

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おや?燕のつがいがお見送り♪

城下町もいい感じでした。
。oO(「女城主」、もう何本か買っておけばよかったかなぁ)www

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美濃山城オフ④ 苗木城

さぁ、2日目です♪
この日は朝からあいにくの雨模様。そして8時にロビーで集合してみると…昨晩お酒を過ごしてしまった幸村!さんの顔面は蒼白。。。(^_^;)
前途多難?なスタートですww

中津川からはほんの15分、
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苗木城に到着ー!ずっと来たかったお城の一つです♪

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大矢倉の石垣。雨もここではいい風情を演出♪

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大門辺りから天守方面を見上げる。本当にすごい岩盤だ。。。

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岩を削った階段と柱を建てた跡。ここにも何らかの建物があったことを容易に想像できる。

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清水門を通過した先。岩盤のスケールにただ圧倒されるばかり。

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的場。・・・分かり易い☆

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そして、天守台♪

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こうやって岩盤を利用して柱が組まれていたんですねぇ…

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ある意味、これ以上頑丈な地盤もないよね♪ 礎石要らず(笑)

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振り返れば絶景。。。

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まるで雲の上にいるみたい☆ この眺めや…よし!

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天守台下から見下ろす大矢倉(2枚目の写真)。
これまた素敵な眺め。。。

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大満喫の攻城後は「苗木遠山資料館」へ。

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苗木城の復元模型(撮影許可取得済み)
こうして見ると岩盤の地層を築城にそのまま活かし、むしろ足りない部分を石垣で補った、という感じがよく分かるね♪

期待を裏切らない素敵なお城でした♪

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美濃山城オフ③ 郡上八幡城

初日最後の訪問は郡上八幡城♪
思えば4年前、石川県の小松市を出発して、白川郷~郡上八幡経由で岐阜入り、という旅程を組んだのだが白川郷で大渋滞にハマり、時間切れで訪れることの出来なかった地。4年越しの実現です♪

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昭和8年、当時現存していた大垣城の天守を模して木像で再建された郡上八幡城の天守。
木像再建としては国内最古。

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郡上八幡の城下は魚の形♪
…魚というよりは、鯛焼きかな?(笑)

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こういうパネルがあったら…やるよね、やっぱり(笑)

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天守近くのこの駐車場、実は堀切。断面の見事さ!

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引き続き城下町散策。この日はお祭りをやっていて賑やかなこと!

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郡上八幡の城下町と言ったらこれ!「宗祇水」♪(名水百選第1号)
篠脇城の記事でも東常緑による宗祇への古今伝授の話を書きましたが、その伝授後、宗祇が京へ戻る際に常緑がこの湧水で

もみじ葉の 流るる竜田 白雲の
       花のみよしの 思い忘るな

という歌を贈ったことに由来するとか。
上段から飲料用、食糧洗浄用、食器等洗浄用といった具合に取り決めがあるそうです。

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郡上おどりの碑

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城下から見上げる郡上八幡城。

初日の城攻めはここまで。
この後は中津川インター近くのホテルまで移動。チェックイン後、タクシーで駅前に繰り出して飲み会♪楽しく盛り上がりましたよ~!今回はちゃんと記憶あるし(笑)

まぁホテルに戻った後、スマホがないことに気付き、結局一人でタクシーを呼んで駅前に引き返すという“オチ”はつきましたが…(^_^;)

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美濃山城オフ② 篠脇城

さて、崇福寺参拝後は車で一気に移動。向かった先は郡上市大和町牧にある篠脇城です。

篠脇城は中世、東氏が居城した地で山麓には東氏の居館跡もあります。
東常緑が宗祇に古今伝授を授けたことから、「古今伝授の地」としても知られています。

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いざ、登城開始!
比高は180m程で10分も登れば遺構に辿り着きますが、傾斜もきつくてこれがなかなかハード…(^_^;)

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篠脇城の図。本丸・二の丸・三の丸の主郭周囲をビッシリと取り囲んだ畝状竪堀が特徴。
この形状から「臼の目堀」とも呼ばれています。

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城域南側には何本か堀切が穿たれ、土橋が架けられています。
そのうちの1本にて。土橋の上に立ったらこのポーズ☆ の、城ガール隊々長(笑)

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本丸にて。周囲を土塁が取り囲みます。

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主郭最下段の三の丸から見た畝状竪堀(東面)
堀底に水色のラインを引いてみました。

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同じく三の丸から。凄過ぎ。。。

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実際に降り立って、畝状竪堀の1本1本を覗き見る参加者達(笑)

本当は畝状竪堀だけでなく、堀切や土橋など、いろいろな遺構を訪ね歩いたのだが、分かり易い写真がなかったので篠脇城はこの辺で。

さ、次へ移動しますよ♪

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美濃山城オフ① 崇福寺

4月20~21日は流星☆さん主催の「美濃山城オフ」に参加してまいりました!
まずは4月20日、新横浜から新幹線に乗り、名古屋で東海道本線に乗り換えて午前10時、岐阜駅前で集合☆

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岐阜駅前に建つ金の信長公像☆
岐阜に来るのは3度目だが、まだ新しい像なので初お目見え♪

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ちょうど「信長バス」も通り掛かってくれました☆

尚、今回の参加者は主催の流星☆さん&幸村!さん(岐阜)、FULL*2(misa)さん(名古屋)、しろうさきさん(大阪)、城葱さん(富山)に私(東京)を加えた6名!

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まず最初に向かったのは織田信長の菩提所にもなっている崇福寺(臨済宗妙心寺派)
岐阜城の城下にあります。

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稲葉一鉄寄贈の梵鐘

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織田信長・信忠父子の廟所

摠見院殿贈一品大相國泰巌大居士
大雲院殿三品羽林高岩大禅定門

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そして、織田信長父子の位牌堂
尚、崇福寺の第三世住持はかの快川紹喜国師。後に武田信玄の招きに応じて甲斐の恵林寺へ移り、武田家滅亡の際に織田信忠の手勢に焼き打ちされる運命を辿る。。。何とも数奇な因縁。

恵林寺焼き打ちは快川国師が武田家臣や六角氏を匿ったから、とも云われているが、或いは彼が甲斐へ移ったことを「裏切り」として咎められたからなのか、とも思えたりする。

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人生初めて頂いた御朱印
普段は単なるコレクションになるのが嫌で集めたりはしていないのだが、これは特別☆

崇福寺には他にも;
織田信長禁制や書状
同「雪月花」書
ポルトガル人から贈られた愛用の櫓時計
清州城の鯱瓦
関ヶ原合戦前に落城した岐阜城の床板をはめた血天井、etc...

これでもか!ってくらい凄いお宝が展示されています。
信長公ファンならずとも、戦国ファン、歴史好きには是非とも訪れて欲しい場所。私も必ずまた来ます!

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2013年4月14日 (日)

太田道灌の墓所(洞昌院-神奈川県伊勢原市)

昨日(4/13)は愛車の1年点検がてら厚木へ向かい、そのまま友人とドライブしてました。

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七沢まで足を伸ばして、こちらの人気店で美味しいラーメンを頂いたり、、、

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以前フォロワーさんに教えて頂いた「七沢城祉」の石碑を観に行ったり、、、
※跡地には大きな病院が建っており、特に遺構は残ってなさそうです。

その後も特に目的もなく走っているうち、不意にカーナビに表示された;
「太田道灌墓」
の文字に目が釘付けになった。何っ!?それは行って見なければ…

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こちらがその墓所入口。洞昌院というお寺の境内にあります。
帰宅後に調べてみると、主家・扇谷上杉家の居館で騙し討ちに遭って(※風呂場で襲われ「当方滅亡!」(上杉家は滅亡するぞ!)と叫んで亡くなったというエピソードが有名ですね)暗殺された太田道灌の遺骸は、この洞昌院で荼毘に付されたという言い伝えがあるそうです。

考えてみたら、先程の七沢城も扇谷上杉家のお城だったみたい(後に北条家に攻められて落城)だし、これまた帰宅後に調べて知ったのですが、その暗殺の現場となった上杉家の居館「糟屋館」もこの洞昌院のすぐ近くだったようです。(伊勢原市上粕屋、産能大周辺)
知っていたら行ってみたのに…。

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太田道灌のお墓。
諸々エピソードや地理的な条件を考え合わせると、ここが道灌の遺骸が埋葬された“本当のお墓”である可能性も高いような気がしました。

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とんだ災難?

今月(4月)の頭、年一で受けている狂犬病の予防接種のため、ボンを連れていつもの病院へ行きました。

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病院前の駐車場に到着。運転席の私の膝の上に乗って首を傾げていますが、ちゃんとどこに来たのかは理解している様子です。

いつも病院に来ると、ついでに前脚の爪を先生に切って貰う(後脚は散歩中に自分で地面に擦るから常に短い)のだが、この日は1本だけ切り過ぎちゃったみたいで・・・

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帰りの道中、気がつくとその爪からポタポタと血が滴っていた…。
ちょっと止まりそうになかったのですぐに病院へ引き返す。止血剤を塗り込んで貰って無事に出血も止まり、今ではもう何ともありませんが…とんだ災難だったね(^_^;)

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家に着いてすぐ、餌が置いてある台所からジーッとこちらを見ておねだり(笑)

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病院へ行った日は少し疲れるみたいで、殆ど寝てます。
頭を撫でてやろうと手を差し出したら…枕にされたww

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これは別の日に撮影。皆がお出掛けし、これから一人寂しくお留守番をする、之図。

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お酒の写真を撮る時は、いつもボンとセットで♪(笑)

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2013年4月13日 (土)

高月城 (滝山城オフの続き)

4/10の滝山城オフの続きです。
少し時間があったので、そのまま滝山城の北西、尾根が多摩川方向に突き出た辺りにある高月城へ移動しました。
※高月城は滝山城の出城として認識し、カテゴリーも「滝山城」に分類しました。

潰れたラ□ホに車を停めて攻城開始~
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tantanさん、ちょっとお疲れ?ww

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この人は山城にいる限り、いつだって元気!(笑) 土橋っヽ(^o^)丿
※注)山城忍者のこばたかさんです。

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5分も登れば主郭に到達します。途中、堀や曲輪跡もありますが、薄くなっていたり藪でよほど注意して見ないと分かりません。

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さ、藪を掻き分け…

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主郭下の堀。高月城では唯一といってもいい見応えのある遺構でした。

この後は近くのファミレスで食事しながらお城・歴史談笑。
何といっても滝山城をじっくり堪能出来て大満足!参加者の皆さん、ありがとうございました☆

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滝山城オフ♪ 2013年春篇

先日(4/10)行われた滝山城オフ会の様子です。
滝山城に関しては既に何度か当blogでも載せていますので、今回はまだあまりご紹介できていなかった遺構を中心にレポート。

それぞれの車に分乗して朝10時、多摩川の河川敷にある「滝が原運動公園」駐車場に集合。今回の参加者は;
幹事役:あいすさん、サイガさん、なっちさん、さとみんさん、tantanさん、こばたかさん、ロームさん、私の計8名。

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今回はこちらの縄張図にある表記を元にご案内します。
(現地解説版より。abcdeは、しみず追記)

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運動公園の駐車場からは徒歩10分、早速搦手から攻城スタート。
その虎口(a)。右の舗装路は、その断面から道を通すために土塁を切り崩したものと判断しています。

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そのまま堀底道を進んですぐ、左手の中の丸方面を見上げた様子。
中の丸の周囲を固める数段の腰曲輪と虎口(左)

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その虎口を曲輪側から見た様子。

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中の丸に入って、南面の土塁上(お手洗い裏)から堀底を見る。この辺り、出枡型になっています。

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サイガさんに出枡の土塁ラインを示していただきましたが…写真だと藪でサッパリ (^_^;)

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同じく中の丸から北、搦手方面。こちらも数段に分けられた小曲輪の形状がハッキリと残ります。

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中の丸から引き橋を渡り、この枡形虎口を抜けると本丸に至ります。
山城忍者・こばたかを探せ!(笑)

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本丸に残るもう一つの虎口(南側)

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その虎口を外から見ると、こんな感じ。綺麗な形状してますね~♪

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石碑の前で記念撮影

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まだ本丸です。井戸越しに出枡土塁。

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思い思いに本丸北側の小曲輪へ下りる参加者たち。
高低差が大きくて、人間が殆ど分からない…(^_^;)

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無謀な突入を試みるローム兵!(笑)

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こちらは弁天池の堰跡。

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その弁天池の底から。こうして城内至る所に土木(築城)の跡が残ります♪

この後は山の神曲輪へ移動し、昼食。

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昼食後、こばたかさんの案内で最初に向かったのは山の神曲輪の東に残る竪堀群(b)。
真っ直ぐ一直線にストーンと落ちてます!

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もう1本、別の竪堀。こちらも写真で見る以上の規模です。

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竪土塁も良好な残存状態。

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縄張図でもハッキリと確認できる半円状の切岸。
とてもよじ登れる角度ではありません!

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小宮曲輪西側に築かれた土橋(中央)と堀を縁取る土塁(左右)
この正面には馬出しがあります(c

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小宮曲輪の堀底を進む。右手には岸縁入路状の土塁。北条さん好みの造りですね~

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時折、ニクい屈折も確認出来ます(笑)

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こちらは千畳敷の切岸(南西側)
出枡の形状が確認出来ます。

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二の丸南側の堀と岸縁入路状の帯曲輪。個人的に一番好きなポイント♪(d
しかも、これまでにないくらい綺麗に整備されていて見易い!堀底に立つサイガさんのサイズで深さを推し量ってください(笑)

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初めて滝山城を訪れた9年前、真っ先に心奪われた光景も復活☆(先程の帯曲輪の南面、堀の反対側から)
この辺りもここ数年はススキに覆われて全然見えなかったのに…ありがたや。

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土橋ヽ(^o^)丿
その向こうには先程の二の丸の堀。

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これは以前にもご紹介しましたね。二の丸側から続く三連土橋。
右手のものが一つ前の写真の土橋です。

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辿ってきたルートを振り返る。
堀といい、帯曲輪といい、土橋といい、、、こんなに見易くなって!本当にいいタイミングで来れました♪

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こっちも見易くなってる!!
e部分の堀と土塁。

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反対側の堀底から。。。
※ちなみにこの時、ローム君が迷子になって待機中(笑)

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あちらも土橋ヽ(^o^)丿

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滝山城探索も終盤。カゾノ屋敷先端の土塁に向かう参加者たち。

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カゾノ屋敷南東側の堀。ここが城域の最東端になります。
恐らくは武田軍進攻の際、勝頼たちが最初に攻めかかった場所と推定。

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最後に駐車場へ戻る途中に撮影した二の丸。

今回の滝山城踏査に要した時間は約5時間。
思った以上に押してしまったため、この後は八王子城の石垣は諦めて近くの高月城へ向かいました。

その様子はまた次回に。

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2013年4月 7日 (日)

小島資料館

心配された低気圧も過ぎ去り、強風は吹き荒れるものの見事な快晴に恵まれた日曜日。
愛車を駆ってフラッと出掛けてきました。

行き先は京王線多摩センター駅の近く、江戸期には鎌倉街道の宿場町として栄えた町田市小野路。この地で代々名主を勤めたのが小島家でした。

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その小島家が運営する「小島資料館」。
幕末期、第20代当主の小島鹿之助は天然理心流三代目・近藤周助に弟子入りし、道場も開いていました。その関係で四代目の近藤勇や土方歳三、沖田総司らとも親交を深め、彼らが上京して新選組を結成して以降も支援し、書簡のやり取りなどが続きました。
こちらにはそういった新選組関連の資料や、代々の当主が書き綴った日記(小島日記)など、貴重な資料が数多く残されています。

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昔ながらの街道の名残を残す通りに面して建っています。
運良く、現御当主にご案内頂くことができました。

近藤勇の髑髏の刺繍が入った稽古着や書軸、土方の書簡、沖田の年賀状、etc...
とても興味深い展示品の数々でした。
(新選組の墨印も本物は初めて見ました)

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お庭にあるこちらの灯篭、上野の寛永寺から移されたもので元々は第10代将軍、徳川家治のために寄進されたものだとか。

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その真ん中辺り、欠けているのが分かるかと思いますが、これは新選組十番隊組長・原田左之助も参加したと云われる彰義隊と新政府軍との間で争われた上野戦争時の銃弾の痕なのだそうです。

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小島鹿之助像

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そして、近藤勇像

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今回の訪問で購入したお土産(自分への)
小島資料館館長が出版された、新選組の小話が50篇収録された豆本「新選組余滴」と、土方歳三の俳句色紙。

『報国の 心ろ(ママ)を忘るる 婦人哉
       会津肥後守御預 土方歳三』

何だか歴史上のヒーローとしてではなく、生身の若者の人間臭さが直に感じられていいですね♪

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2013年4月 2日 (火)

斎藤一の根津住居跡、etc...

ちょっと時間が出来たのでサクッと更新。
今回は千代田線「根津」駅からスタートです。

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歩き始めてすぐ、通りから脇に目をやると…
今でも東京に、こんな路地が残っています。

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この通りの右手、笹が植えられている辺りが明治のかつて、元新選組三番隊隊長・斎藤一が住居を構えていた場所です。
住み始めたのは西南戦争から帰還した後から、とか。当時は山口二郎、或いは藤田五郎と名乗っていたか。。。

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すぐ隣にはこんな蔵の様な建物も!(現在はうどん屋さんか何かになっていました)
もし、これが明治の時代から存在していたものなら…斉藤一も毎日目にしていたのでしょうねぇ…

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その付近の路地。狭っ(笑)
この辺りは空襲の被害がなかったのでしょうかね。江戸~明治にかけての区画の名残がハッキリと残っている。

【訂正】
後日、私の勉強不足により、以上にご紹介した斎藤一の根津住居跡の位置が間違っていたことを知りました。
警視庁の記録などで斎藤一の住居は「根津宮永町31番地」とされており、この旧番地から割り出された現在の位置が根津2丁目14付近とのことで、多くの本やサイトでも本記事同様、上に掲載した写真の場所を紹介しています。
しかし、旧番地も昭和まで幾度か改正されており、実際に斎藤が住んでいた頃の「根津宮永町31番地」は、現在の根津2丁目6~7付近に相当するのだそうです。
その場所は旧会津藩主・松平家の所有地だったようで、その縁で斎藤も住むことになったのでしょうね。
訂正してお詫びいたします。(2016,9,17)


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そのままフラッと根津神社まで足を伸ばしてみました。

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詳しい所以は忘れましたが…徳川将軍家の権勢が偲ばれる造りですね。


■追加
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こちらは別の日に撮影したもの。現在の銀座六丁目に建つ「佐久間象山塾跡」の説明板。
今年の大河ドラマでもそのシーンが放送されましたが、かつてこの場所では勝海舟・吉田松陰・河井継之助、そして山本覚馬も学んでいました。。。

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ほら、「佐久間修理」の表記が見えるでしょ?

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同じ区画には、狩野画塾跡の説明板もありました。

※おまけ
Unset
こけら落とし前日の新・歌舞伎座。

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