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2013年5月19日 (日)

岩櫃城オフ♪

5月18日(土)、あいすさん主催の岩櫃城オフ会に参加致しました。
朝6:30、日野駅でnikkoさんと待ち合わせ、私の車でいざ群馬県へ!

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土曜の朝の関越道下りは多少混雑したものの、予定時刻より早く集合場所の高崎駅に到着。
ちなみに今回の参加者は;
主催のあいすさん・寺さん・なっちさん・nikkoさん・しろうさぎさん・ロームさん・上信古城探訪さん(以下:上信さん)・しみずの計8名。
予定通り全員揃ったところで岩櫃城に向けて出発!(上信さんとは現地待ち合わせ)

今回は現地ガイドの方がボランティアで城跡を案内してくださいました!
午前の部は岩櫃城のすぐ隣、同じく岩櫃山からの尾根続きに築かれた柳沢城(岩鼓の要害)に向かいます。立地からして、岩櫃城の出城でしょうか。

※お城の詳細はいずれ他の参加者が紹介してくれると思いますので、ここではオフ会の楽しい様子が少しでも伝われば、を主眼に置いて書き進めます。

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到着後、早速ここから藪に分け入り…
※ちなみ引き返してきた際、あいすさんはこの坂を転げ落ちて下の道路に前のめりにズッコケ、nikkoさんは着地の際に靴が破裂?するという惨事(珍事)に見舞われましたw
開始僅か5分の出来事。みんな、さすがに役者が違うな~ww

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なかなか見事な竪堀に遭遇♪

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登城路にある岩穴には見事なヒカリゴケ。ここまでハッキリと「光っている」のは初めて目にしました。

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こんなシダが密生する中を抜けて…

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曲輪跡や…

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竪堀も探索。しろうさぎさんが立っている位置が土橋で、左手のその他の参加者たちがいる場所は、1枚前の写真の曲輪。

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外曲輪と三の曲輪の間の堀。深さはあまりありませんが、山城にしては幅が広い印象。

外曲輪は柳沢城主郭部の最西部で、ここから東に向かって、三の曲輪→二の曲輪→一の曲(本丸)と続くのですが、この間のそれぞれの曲輪を分かつ堀の連続がまたエキサイティング!
少しでも雰囲気を伝えられないかと思い…

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無駄な努力と思いつつ、3枚の写真を並べてみた。完全手作り稚拙パノラマ(笑)
勿論形は歪んでいて正確ではありませんが、二の曲輪の南面に立つとこうして左右に2本の堀を視界に捉えることが出来ます。

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先程の稚拙パノラマの右手、二の曲輪(左)と一の曲輪を隔てる堀。綺麗な形で深さもなかなか。

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柳沢城山頂、櫓台からの眺め。

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下山途中。
岩の下に隠れたロームさんのトラップにまんまと嵌って驚くあいすさん。之図(笑)

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凄い規模の岩場の峡谷には、観音窟や胎内窟などが残り、かつて修験の場だったことが容易に想像できます。

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丸太(倒木)があれば渡るし、穴があったら入りたくなる性分なんだね、きっと☆
ちなみにこちらが胎内窟の入口。

※そうそう、ロームさんはこの後、実際に丸太を渡ろうとして乗った瞬間にボキッと折れてズッコケてましたww

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胎内窟。この二つの穴は岩の中で繋がっていて潜り抜けられるようになっています。

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みんなでお不動さんにお参り。

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不動の滝。その昔は、修験者達が滝行をしていたことでしょう。

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午前の部、最後の難関!
鎖を頼りに登りながらこの岩の中、狭い空洞を抜けるのです!見た目以上にハード!!

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抜けた先。。。あの穴から這い出て来ます(笑)

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そうそう、開始5分で破裂したnikkoさんの靴、柳沢城探索を経た後には…
ご覧の有様(笑)
※たまたま予備の靴をお持ちだったので、午後はちゃんと履き換えていました。

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昼食をいただく「コニファーいわびつ」へ。この階段部分も実は竪堀跡だったそうです。。。

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お昼は地元のブランド豚「大和豚」の丼♬
塩味でとっても美味でした。

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さぁ、午後はいよいよ岩櫃城(本城)を攻めます!
揺れる吊り橋にビビり、決して下を見ることが出来ずに恐々と橋の真ん中を渡る高所恐怖症が一人…w

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この竪堀もまた見事だなぁ~
あの先で右に折れてますよ☆

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こんな具合に。

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そして二重竪堀も☆
少しでも分かり易いように、二本の堀底を歩いて貰いました。

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早速主郭部へ。

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岩櫃城本丸の土塁上から。
右手が曲輪の削平地です。土塁の先、すこし右側にでっぱっているように見える部分が櫓台跡だそうです。言うなれば、岩櫃城の天守跡のようなもの?
とても広い曲輪でした。

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主郭東面下。笹藪が酷いですが…たまたま影がちょうど土塁や切岸を縁取ってくれました。

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過去最強の藪漕ぎだったかもしれん…(^_^;)
実はすぐ横に迂回ルートもあったらしく、そちらに回った参加者もいたのですが、城ガール隊員は全員こちらへ…恐るべし!

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何気なく歩く道も堀底道。右手の土塁がなかなかニクい☆

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ここは竪堀♪

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城主の屋敷跡ではないかと云われている「殿屋敷」は現在、果樹園に。

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岩櫃城、最後の城代・出浦対馬守の屋敷跡に残る石積み。

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天狗丸から仰ぎ見る岩櫃山。ちなみに岩櫃城は左手前の尾根上にあります。

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岩櫃神社裏の堀がまた見事なこと・・・

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少し車で移動して、岩櫃山の南側へ。

ここから次に向かう場所へは一般車が入れないくらい極端に狭い道になるため、ガイドの方にとある方法で運んで頂きました。

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どんな方法かは大人の事情?で詳しく書けませんが・・・
よっ!絵になるね~☆

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天正10年(1582)、織田連合軍による武田攻めを受け、遂に甲斐の国を支えられなくなった武田勝頼。その落ち延びる先は軍議の上、一旦は真田昌幸の岩櫃城と決する。
昌幸は勝頼を迎える為、僅か3日間という急ピッチで屋敷を築造します。それがこの潜龍院跡。今は石垣だけが残ります。
岩櫃山の中腹に確保された広い削平地、しかも麓からは視界に入り辛い絶好の立地条件だったようです。
しかし、勝頼は最後に方針を覆し、小山田信茂の岩殿城(山梨県大月市)へ向かい、そこで信茂の裏切りに遭い、最終的には田野で織田軍に追い詰められて自害して果てます。

この奥の竹藪には更に別の削平地があり、近くには歴代城主のお墓もあります。

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歴史のif
もし勝頼が予定通り岩櫃に来ていたなら、その後の歴史はどうなっていたのでしょうか。特にこの直後から策士ぶりを如何なく発揮して、「表裏比興の者」と評されることになる昌幸が如何に立ち回ったのか…興味は尽きません。

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更に移動して顕徳寺へ。
潜龍院に急造された勝頼のための御殿はその後、とある山伏に下賜されて護摩堂として移築され、一度は火災で失われたそうですがソックリ再建されて今はこの顕徳寺の本堂として使われているそうです。

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門前にあった勝軍地蔵。寺さんに教えていただきました。

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こちらがその本堂。

さて、これにて岩櫃城オフも無事に終了。踏破距離は約14km!その殆どが山道ですよ~。
ガイドさんと顕徳寺にてお別れし、一行は高崎駅へ。駅前のファミレスで食事して解散しました。

毎度毎度思うことだが、同じ趣味を共有する方々との城巡り、史跡巡りは掛け値なしに楽しい。その分、終わりは寂しいのですが、それが次への原動力になるのでしょうね☆
皆さん、今回もありがとうございました。特にあいすさんやガイドの方には素敵な資料もご用意いただいて、感謝です。また近いうちにご一緒しましょうね♪

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