会津の旅⑦ 土津神社
さて、早くも3日目です。
早く目が覚めてしまったので喜多方駅前をぶらりと散歩したり、朝食後に祖父母との談笑を楽しんだりして過ごし、午前10時に出発。じいちゃん、ばあちゃんには次に来る時まで元気でいて欲しい、願いはそれだけ。
会津若松を経由して向かった先は猪苗代。正午前には到着。
猪苗代駅。ここからはタクシーを利用しました。
そして遂にやって来ました、土津神社。
そう、激混み必至のGWにわざわざ旅に出る理由、それはこの日(5月5日)が私の誕生日だから。2年前は琵琶湖の竹生島、昨年は米沢、、、そして今年、福島を選択した理由がここ、土津神社だったのです。
御祭神は土津(はにつ)霊神。初代会津藩主にして天下の執政、保科正之公です。別に会津藩主だからというだけでなく、彼の政治家として残した数々のフェアで仁徳に満ちた業績、清廉潔白な振る舞い、etc...まさに天下太平の江戸時代にあるべき武家の姿、その理想を示した人柄に強烈に惹きつけられて以来、どうしても来たかった場所なのです。
徳川二代将軍・秀忠の庶子として生まれた保科正之公。その養育を任されたのは武田信玄の息女で、その妹が松姫。松姫自身も姉を助けて正之公の養育を手伝ったと云います。その関係で私が現在住む八王子とも縁を感じて、どうしても思い入れを強くしてしまいます。
今回は誕生日に念願叶っての拝謁です。
拝殿。桜がとても綺麗でした。
来る時に乗ったタクシーの運転手によると、猪苗代辺りではこれからが桜のピークなのだそうです。若松周辺では殆ど終わりかけていたのに。割と近くなのに、随分と違うものですね。
灯篭の足元に置かれていた砲弾の様なものが気になりましたが、詳しい所以は分かりません。
建ち並ぶ末社。
さぁ、それではこの道を辿って奥の院へ向かいます。。。
暫くすると…、見えてきましたね。
保科正之公が眠る奥の院。「奥津城門」(おくつきもん)というそうです。
拝殿でもそうしましたが、こちらでも勿論、真剣にお参り。伊勢神宮内宮にお参りした時以上だったかもしれない。
やはり、表石(墓碑)と墳丘(鎮石)が順に並んでいます。
※院内御廟の記事参照。
そして碑石はずーっと下った先、拝殿の前にありました。勿論、亀形石に乗っています。
脇からちょっと失礼して、墓碑と…
鎮石が乗る墳丘。。。
とても厳粛な気持ちになって、言葉もありません。
最大の目的を果たし、何とも言えない充足感に満たされました。
帰りに御札を買って神社をあとにしました。
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