会津の旅④ 「院内御廟」松平家墓所~滝沢本陣
天寧寺を出た後は大通りまで戻らず、そのままご覧の様な山道や、、、
長閑な農道をテクテクと歩きました。すぐ先には東山温泉も♪
ゆったり歩くこと15分ほどで到着。こちらが「院内御廟」と呼ばれる松平家墓所です。
山の中に第二代~九代までの藩主、その他の親族が眠ります。
って、いきなりこの警告…(;-_-)
まさか鈴の用意なんかないし、この時は一瞬本気で躊躇しました。
後で祖母に聞いたのですが、会津はちょっとした小山でも本当に熊が多いらしい。祖母ももう少し若かった頃は里山歩きが趣味でよく山に入っていたが、少なくとも2度遭遇したとか…。
ビクビクしながらも暫く石段を上って、神域に到達。
二代は仏式で葬られましたので形状が違いますが、三代~九代までは神式で祀られていて、お墓は斜面下段より、亀形石を台座にした碑石→対の灯篭→表石(墓石)→一番奥に墳丘という形で作られています。
写真は手前から五代・六代・七代の碑石。
こちらは第九代藩主、松平容保の碑石。確かに亀形石だ。
そして表石と、奥にチラッと見えているのが墳丘。
御廟内の石畳は所々苔生していて滑ります(^_^;) ご注意を。
院内御廟参拝を終えたのが午前8時頃。まだ周遊バスが動いていなかったので、徒歩で飯盛山方面へ向かうことにします。その距離、3km弱。今日も朝からハードだ(笑)
御廟のすぐお隣には武家屋敷。まだオープンしていない時間だったし、予定にも組んでいなかったので通過~
院内から飯盛山へは「いにしえ夢街道」と呼ばれる一本道をひたすら進みます。
ようやく飯盛山が近付いたところで、白虎隊の自販機☆
飯盛山もスル―(笑)
向かった先は滝沢本陣。開館時刻(8:30)丁度に到着。計算通り!w
歴代藩主が参勤交代や藩祖保科正之公を祀る土津神社参拝の際に、旅支度を整えるために利用した本陣。
会津戊辰戦争の折には白虎隊の出陣地にもなりました。
表札場
御座之間
御座之間や御次之間には戊辰戦争の弾痕が数多く残されています。
そして刀傷も。。。これなどは「柱を斬り倒そうとしたのか?!」と思えるほど、凄まじいものでした。
実際の戦闘の凄まじさを直に感じる貴重な遺産です。
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