« お久しぶりのボン♪ | トップページ | 大久保長安陣屋跡 »

2013年6月15日 (土)

大法寺・清水寺・保井寺

特に遠征の予定が入っていない週末は地元の史跡巡りへ♪

■大法寺
13061501
まず向かったのは、八王子市鑓水にある大法寺。
位置的には、八王子バイパス「鑓水」出口のすぐそばです。

13061502
お目当ては新選組隊士・横倉甚五郎のお墓。
伊東甲子太郎ら高台寺党を粛清した油小路事件に出動し、局長の近藤勇が伏見街道でその高台寺党の生き残りに狙撃された現場にも近藤の護衛として居合わせました。
その後の戊辰戦役では土方と共に函館まで戦い、最後は弁天台場で降伏。坂本龍馬暗殺の嫌疑で取り調べを受ける中、明治3年に獄中死しました。享年37歳と伝わりますが、こちらのお墓には「三十五才」とありますね。


■清水寺
引き続き大法寺からも程近い、八王子と町田の市境にある清水寺(「せいすいじ」と読みます)へ。

13061503
正面の石段をずっと登って行った先に、町田市の有形文化財に指定されている観音堂があります。

13061504
その観音堂の彫刻がまた見事なこと♪
そして、この観音堂の脇に・・・

13061505
天然理心流二代目宗家・近藤三助の石碑があります。
(お墓は以前ご紹介した桂福寺)

この台座の部分をよ~く見ると・・・
13061506
「嶋崎周平」の文字が。彼は後の近藤周助。天然理心流三代目宗家にして、近藤勇の養父でもあります。勇も一時、「嶋崎勇」を名乗っています。
※日野の八坂神社の奉納額にも「嶋崎勇」と書かれています。

この時、観音堂の周辺を掃除している女性がいて話しかけられました。
私が新選組に興味があって、今回はこちらの石碑を見に来た旨を伝えると、「詳しくないので逆に教えて欲しい」とのこと。簡単に近藤三助・周助・勇の関係などをお話ししました。
ところがこの周辺、藪蚊が多くてねぇ…(^_^;) 物凄い襲撃を受け、ほんの数分立ち話をしている間に何ヶ所も喰われました…(>_<)

しかし「嶋崎」という名前を出した時に、その女性から;
『ここから16号を越えた先の“お山”の辺りに「嶋崎」姓の方が今でも沢山住んでいる』
ということを教えて頂きました。
後で地図で確認したところ、明確に「山」と呼べるような地形は無かったのですが、清水寺から16号を越えた町田街道沿いに「小山ヶ丘」という地名があり、「小山観音」もあるようですので;
「お山」→「小山」
の聞き取り違いだったようです。この周辺が「嶋崎」姓のルーツなのかもしれませんね。いずれ詳しく調べてみます。


■保井寺
13061507
さて、最後は八王子市堀之内の保井寺(ほうせいじ)へ。

13061508
こちらのお寺には新選組隊士・斎藤一諾斎(秀金)のお墓があります。

元は武士の生まれながらお寺に養子に出されて住職を勤めていましたが、甲陽鎮撫隊の要請に“一諾”で応えて物資を提供し、更に還俗して新選組に入隊したとも伝わります。
上野の彰義隊にも参加しましたが再び新選組に復し、会津戦争にも参戦して最後は仙台で降伏しました。

その名前(号)から、あの司馬遼太郎が斉藤一と混同したこともあるとか…(^_^;)

まだまだ八王子周辺にも興味深い場所がありますね。追々またご紹介していきます☆

|

« お久しぶりのボン♪ | トップページ | 大久保長安陣屋跡 »

新選組・戊辰戦争」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« お久しぶりのボン♪ | トップページ | 大久保長安陣屋跡 »