堺見物♪
先週末(6月1~2日)は近畿方面に出掛けておりました。
そもそものきっかけは、大阪で行われた城好き飲み会(主催:みかんさん)に参加させてもらうことにしたこと。
宿を梅田に確保して、2日目の予定はサイガさんやしろうさぎさんとの間でトントン拍子に決まり、さて初日はどうしよう…?
と考えた末に辿り着いた結論が…堺。
古くから海運交易で栄え、戦国末期に渡来した宣教師からは「東洋のベニス」と讃えられた町。敬愛する織田信長公にも縁深いのに一度も訪れたことがなかったので、いい機会になりました。
早朝に自宅を出発して、堺駅に到着したのは午前11時過ぎ。
早速、駅の観光案内所でレンタサイクルしてスタート!…のつもりでいたのに、「所用で不在」ってどういうこと?!
30分くらいは待ちましたかね、一向に現れず。せめて戻り時間だけでも書いておいてくれたら待つか諦めるか、すぐに判断できたのに。。。日本でもこんないい加減な話が存在するんですね。結構アタマに来た。
仕方ないのでチャリは諦め、目的地も減らして歩くことに。余計なタイムロスだ。
う~ん、南蛮♪(笑)
てくてくと歩きながら、与謝野晶子生家跡。
そして千利休屋敷跡。
駅からは2km弱ほど歩きましたかね、南宗寺に到着。
南宗寺の塔頭の一つ、天慶院。境内には山上宗二の供養塔もあるようですが、非公開でした。
千家一門の墓。一番高いのが千利休のお墓。
利休の茶の湯の師匠、武野紹鷗の墓。
三好長慶一族の墓。
そして・・・
こちらが「伝説の徳川家康のお墓」だそうです。。。
大坂夏の陣で“本物の”家康は“実は”討ち死にしており、密かに埋葬されたという“伝説”に由来しています。
勿論、俗説の域を出ませんが、二代将軍・秀忠に続き三代・家光までもが参拝している事実が更なる憶測を呼んだのでしょうね。
近年になって建てられた家康の墓石。
裏に彫られた寄進者の中には松下幸之助さんのお名前もありました。ボランティアの方が経緯について説明されていましたが…忘れました(^_^;)
方丈前の枯山水。
この鬼瓦の奥には小さな穴があって、水琴窟になっています。
こうして竹筒を当てて聴くらしいのですが…普通に通り掛かっただけでも聴こえて来ましたよw
利休遺愛の手水鉢に…
紹鷗遺愛の灯篭も。
「八方睨みの龍」
南宗寺を出てからは再び歩きます。
堺のマンホール。図柄は何種類か違うものもありました。
一度は来てみたかった仁徳天皇陵。
現地に来てみて初めて気付いたのですが、三重の水濠に囲まれています。
仁徳天皇陵からはバスで堺東駅まで移動。
駅近くの堺市役所展望ロビーから。まずは反正天皇陵古墳。
そして仁徳天皇陵古墳。
周囲には他にも様々な古墳が並び、これらを総称して「百舌鳥古墳群」と呼んでいます。
次の目的地へ向かう途中で通り掛かった「土居川公園」。
名前から、堺の町を囲っていたという堀(土居)に関係があるのかな~と思ったんだけど、どうなんでしょう?
そして、堺での最後の目的地は妙国寺。
境内には、信長が気に入って安土に持ち帰ったものの夜な夜な「堺に帰りたい」と泣くので、怒った信長が刀で切ったら血が噴き出し、さすがに気味悪がって妙国寺に戻されたという大蘇鉄があります。
※写真は別の蘇鉄。大蘇鉄は撮影不可。
このエピソードは妙国寺でのみ口伝で伝わってきたもので他の文献では見受けられないし、話の内容からしてもとても事実とは思えないが、案内してくださった方によると;
蘇鉄は中が空洞になっていて、そこに水を溜め込んでいるのだそうです。
堺から安土へ運ぶ途中に何本かが折れてしまい、その空洞部分が「ヒューヒュー」と鳴ったので「泣いている」ように聞こえたのではないか。
また、刀で切った際に中に溜まっていた水が空気に触れて酸化し、それが一気に噴き出したので、あたかも「血が噴き出した」ように見えたのではないか、とのこと。確かに「鉄」の字が使われていますものね。
また、元々「蘇鉄」は「鉄の蔦」と呼ばれていましたが、安土から戻された「鉄の蔦」が日珖上人による一年がかりの読経のお陰で見事に「蘇った」ことから、「蘇鉄」と呼ばれるようになったのだとか…思わず、なるほど☆と納得してしまいましたww
なお、日珖上人は「安土宗論」での日蓮宗側の代表者でもありました。
他にも小堀遠州が家康のために作ったという駿河~遠江を模した枯山水や貴重な文化財の数々、幕末に土佐藩士とフランス人水兵との間で起きた「堺事件」縁の品々など、見どころはたくさんありました。
※そういえば私が堺を訪れた6月1日は旧暦で本能寺の変の前日。天正10年のその日、堺見物をしていたのは徳川家康…なんだか不思議な偶然に少し驚き。
さて、堺から大阪に戻った後は、梅田で飲み会♪
前日が参加者の一人、しろうさぎさんのお誕生日だったのでバースデーケーキ☆
この日は私もお酒を過ごすことなく、二次会までのんびりとした気分で楽しく参加させていただきましたよ(笑)
翌日は琵琶湖の湖北を巡ります。
(つづく)
| 固定リンク
「織田信長・信長公記」カテゴリの記事
- 別所は連々忠節の者(新発見の織田信長文書)(2022.12.07)
- 旧東海道、藤川宿~池鯉鮒宿(2022.11.15)
- 「こぬか薬師」を拝観(2022.10.13)
- 島津家久が信長を目撃した場所とは?(2022.10.12)
- 織田信長“幻の”京屋敷計画(吉田神社・宗忠神社)(2022.10.11)
コメント