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2013年6月26日 (水)

近藤勇終焉の地(板橋宿)

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今回は旧中山道の宿場町の一つ、板橋宿(仲宿)へ。

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今は商店街となっている旧中山道をてくてくと歩き・・・

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板橋宿本陣(飯田新左衛門家)
通常「本陣」というと参勤交代の折などに大名が宿泊したイメージが強いですが、板橋宿は江戸の町から近過ぎる為、実際には休息に使われることが多かったようです。
幕末、公武合体で14代将軍・家茂に輿入れする際、皇女和宮も江戸入り前に滞在しています。そして・・・

下総流山で新政府軍に包囲されて出頭した新選組局長・近藤勇(大久保大和)は当時、新政府の東山道軍本営が置かれていたこちらの板橋宿本陣に連行されます。
そして詮議の末に「新選組の近藤」と見破られ、身柄を拘束されるのです。。。

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本陣跡から旧中山道を700m程、南東方向に向かいます。そこから少し脇に逸れた先には・・・

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板橋宿平尾脇本陣(豊田家)
本陣で拘束された近藤勇の身柄は、こちらの脇本陣に移されました。彼は処刑される前々日までをここで過ごしたのです。。。

更に旧街道を南東方向へ。国道17号(現中山道)を越えて脇本陣からは合計で1㎞程歩きましたかね、JR板橋駅にだいぶ近づいたところで次の目的地に。

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この辺りにはかつて、平尾一里塚がありました。
近藤はこの一里塚の近くにあったという馬捨て場で処刑され、35歳の生涯を閉じるのです。。。

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一瞬こちらの道路の膨らみが一里塚の名残か?と思いましたが、どうやら違ったようです。
何でも上水の跡だとか。そう言えば旧中山道に沿ってずっと膨らんでいたように思います。

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すぐ近くの中山道脇には、馬頭観音も祀られています。
馬捨て場/馬頭観音の繋がり・・・或いはこの辺りが?と思わせるものがありました。

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JR板橋駅東口すぐの場所には、近藤勇の墓所があります。
処刑場からは5~60mくらいの距離でしたかね?元々宿場で亡くなった人々を埋葬した無縁塚があったらしく、処刑後、首の無い近藤の胴が埋められた場所です。

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墓所内にあった肖像画。一番左は永倉新八。

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近藤勇の姿を描いた石板。

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そして、明治9年に永倉新八らによって建てられた供養塔。正面には近藤と土方の名前。
※何故か近藤の諱が「冝昌」と逆さになっていますが、正しくは「昌冝」。

裏面には;
「近藤 明治元年辰四月廿五日 土方 明治二年巳五月十一日 發起人 旧新選組長倉新八改杦村義衛 石工 牛込馬場下横町平田四郎右衛門」

左右の側面には戦死・切腹・病死などで命を落とした元隊士たち110名の名前が刻まれています。

ちなみに近藤勇の墓石はこの供養塔の向かって右にあります。
首は平尾一里塚で晒された後に京に運ばれて三条河原で晒されています。そして胴の方ですが、これについては後年、近藤の養子で娘婿の勇五郎が;
「処刑の3日後、親類数名で板橋に行き、番人に金を渡して埋めた場所も教えて貰って掘り起こし、三鷹(「上石原」)の龍源寺まで運んで埋葬した」
と証言を残しており、詳しい顛末は子母澤寛の『新選組遺聞』で紹介されています。

ところがこの時、遺体の目印にしたという銃創(伏見で元御陵衛士に撃たれたもの)を「左肩」と間違えており(実際に近藤の治療にあたった松本良順が「側ノ鎖骨上ヨリ、上斜脊椎ノ旁二貫キタル」と記しているので本当は右肩であったと思われる)、また、昭和4年に板橋の墓石の下から首のない遺骨が発見されたらしいことから、今でもどちらに眠っているのか、本当のところはハッキリしません。

まぁ、証言の間違い?に関しては勇五郎の記憶違い、はたまた子母澤の聞き間違いという可能性もあるし、何よりも勇五郎がわざわざ全くのデッチ上げでこのような証言をするとも考え難いので、私の個人的な心証としては龍源寺かな~とは思います。
※但し、子母澤寛の著作には当事者たちの「証言」の体裁をとりながら、結構「作り話」が多いらしいことも判明してきていますので注意が必要ですが。

いずれにしても永倉新八を始め、近藤や土方、多くの元隊士たちを偲んで動いた人々の思いが込められた場所であることは間違いありません。

※そういえば子母澤が書き残した件の勇五郎の証言も昭和4年に取材したというもの。板橋で首のない遺骨が発見されたのと同じ年だったのですね。不思議な感じがします。

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近藤勇のお墓の“当初の墓石”らしいのですが、手前の石を指しているのか奥の方か…判断つきませんでした…(^_^;)

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近藤勇の石像と、碑文の刻まれた石碑。

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最後に…この地に近藤らを祀った永倉新八のお墓。
彼の遺言に従い、遺骨の一部や遺髪が納められているそうです。

久し振りにまた、三鷹の龍源寺にも行ってみたくなりました。

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