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2013年8月

2013年8月27日 (火)

五兵衛新田

慶応4年(1868)3月初旬の甲州勝沼の戦い(→柏尾古戦場関連記事) に敗れた新選組一行は3月13日夜、突如として五兵衛新田(現 足立区綾瀬)の金子左内家に現れて駐屯し始めます。
14~15日にかけても隊士は増え続け、最終的には230名前後を数えたとか。金子左内家を本陣に定め、滝二郎(次郎)方や観音寺にも分宿しました。
ちなみに土方歳三(内藤隼人)の到着は15日、近藤勇(大久保大和)は13、もしくは14日だったそうです。

それぞれの駐屯地を現在の地図に当てはめると以下のようになります。
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川(綾瀬川)を西に置いて多くの兵(隊士)を分宿させ、その北に本陣を定める・・・考えてみたら彼らがこの後に移動する流山での布陣にそっくりですね。やはり新政府軍がいる江戸市中の方向に警戒を張っていたことは間違いありません。

甲州勝沼で敗れ、江戸へ引き返した新選組。そこへ後を追うように着々と迫り来る新政府軍。。。
既に江戸四宿のうち千住宿を除く三宿(内藤新宿・品川・板橋)を新政府軍に押さえられていましたので、千住のすぐ先にあるこの地(常磐線/千代田線「綾瀬」の隣は「北千住」)が駐屯地に選ばれたのは必然だったのかもしれませんね。
(新選組が五兵衛新田に到着した3月13~14日には早くも勝・西郷会談が行われ、翌15日には江戸総攻撃の中止が決定される。まさにギリギリのタイミング)

そして結果的に19日間に及ぶ五兵衛新田滞在の間、彼らは何をしていたのか・・・これについては崙書房から出版されている「新撰組五兵衛新田始末」の中で;

黒色火薬、及び弾丸の製造を行っていたのではないか?

という見解が示されていました。史料を元にした検証も具体的で大変興味深い考察だと思います。

さて、それでは綾瀬駅からウォーキング・スタートです。
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まず最初に訪れたのは観音寺。
こちらには最大で62人の隊士が分宿していました。

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観音寺本堂
金子左内家の菩提寺でもあり、五兵衛新田開発者の一人・金子五兵衛家直のお墓もあります。
※「左内」は屋号

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五兵衛新田役人惣代・大室源右衛門宅
新選組の屯集を代官・佐々井半十郎に報じる書類が遺されています。

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隊士分宿地の一つ、滝二郎(次郎)宅があった辺り。もはや何の面影もありません。
こちらには最大83人が滞在しています。

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如何にも当時の形状を留めていそうな趣ある道を北上し・・・

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本陣に定められた金子左内家。大久保・内藤の「殿二人」を初め、48人が滞在していました。また、松本良順が訪れている記録も残っています。
時の当主・金子健十郎は新選組の世話をした際の賄方の記録を「おぼへ」として詳細に残しており、大変貴重な史料となっています。
なお、こちらの門は近年の再建ですが、、、

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あちらの母屋は移築復元とか。もしかしたら近藤や土方らの痕跡が何かしら残っているかもしれませんね。

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綾瀬川に架かる五兵衛橋。
地名としての「五兵衛(新田)」はもはや消滅していますので、唯一の名残とも言えるかな。

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現在の綾瀬川・・・
土方歳三が釣りをしていたとも伝わる川ですが、それも今は昔。。。

慶応4年4月1日、新政府軍が遂に千住宿まで進出してきたため、同日、新選組も慌ただしく五兵衛新田を出立しました。
(この時、近藤が残していった「のし金弐千疋」と自筆で書かれたのし袋と、自らの肖像写真が現在でも金子家に保管されているそうです)

彼らが向かった先は流山。(→流山関連記事)
4月2日未明の流山到着から、新政府軍先鋒に本陣を包囲されて近藤が出頭する4月3日の夜まで、その間僅か2日弱。
殆ど無抵抗に終わったのは、近藤らの布陣は南(南西)方向を警戒して本陣を北に置いていたにも拘わらず、実際は北から急襲されたために兵を揃えられなかったからというのも勿論あるでしょうが、前出の「新撰組五兵衛新田始末」では新選組の流山転陣から新政府軍による急襲までがあまりにも早過ぎたため、五兵衛新田で大量に製造した筈の火薬や弾丸がまだ届いていなかったからではないか、という見解も示されていました。

なるほどねぇ・・・いろいろ考えだすとキリがないけど、だからこそ歴史は面白い!
(近藤らの無念を思えば少し不謹慎かな)

出頭した近藤はその後、板橋宿まで連行されて35歳の生涯を閉じます。。。(→板橋宿関連記事)

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2013年8月25日 (日)

柏尾古戦場 (甲州勝沼の戦い)

本日は家族をドライブに連れて行くことになり…なんとなく気の向くまま、勝沼へ。
そうだ、勝沼といえば…

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ってことで柏尾古戦場に立ち寄りw

◆柏尾の戦い(甲州勝沼の戦い)
慶応4年(明治元年)3月、甲府城の占拠を目指して江戸を発した近藤勇(大久保剛)率いる甲陽鎮撫隊(新選組を中心に編成)と、先に甲府城を押さえていた板垣退助らが率いる新政府軍との間で勃発した戦い。
戦闘は新政府軍の勝利で僅か1日で決着、近藤らは八王子方面を指して敗走した。

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こ、近藤さん?!・・・随分とデフォルメされているような・・・(^_^;)

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石像の台座にも、戦いの概要が書かれていました。

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有名な錦絵ですね。
実はこの付近には車を停める場所がなく、道端に路駐して大急ぎで撮影したのでちゃんと見れなかったのですが・・・

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他にもいろいろな史料や説明板が設置されていました。

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ちょっと位置関係が分かり辛いのですが…中央上部に;
「會津方本陣 大久保 ~」とあるので、あの辺りが現在地かな?
近藤たち鎮撫隊は甲州道中に沿って布陣していましたが、数に優る新政府軍に左右の山々を押さえられ、甲州道中を東進して来る正面軍と合わせた三方から攻撃を加えられたと云います。

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この砲弾は戊辰戦役の史料では必ずと言っていいほど目にしますね。

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柏尾坂の馬頭観音

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大正時代の柏尾橋の橋台跡。今は藪で分かりませんが、立派な石垣が組まれているようです。

なお近くに大善寺というお寺(ここも戦場の内)があって駐車場も完備されていますので、車でお越しの際は拝観料を払って大善寺にお参りした上で、古戦場碑にも足を運ぶといいでしょう。
ちなみに大善寺は理慶尼縁のお寺でもあります。武田勝頼・信勝父子終焉の地となった天目山、田野も近いので、それらも合わせて訪れてみてください。
※理慶尼や田野については、こちらの記事もご参照ください。
http://shmz1975.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/2012623-ea23.html
(昨年6月の記事)

※2017年1月、柏尾古戦場に再訪しました→記事

さて、今日の本来の目的はあくまでも家族の為のドライブなので(笑)、ごく一般的な?勝沼観光もしましたよww

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道の駅「甲斐大和」で「天目そば」をいただいたり・・・

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フォロワーさんに教えて頂いた「うらじろまんじゅう」も買いました☆
ちなみに「うらじろ」とは野草の一種で、葉の裏が白いからこの地方でそう呼ばれているのだそうです。

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そして勝沼といえば、やはりワイン♪
今回はこちらの、少しこぢんまりとしたワイナリーで仕込んで来ました☆
この後の晩酌が楽しみです(笑)

帰りは渋滞に巻き込まれて難儀しましたが、なんとか無事に帰宅。家族にも気分転換になったみたいなので良かった。

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2013年8月24日 (土)

八王子城 ― 御主殿跡の新規発掘調査

八王子城の御主殿跡は今年(平成25年)になって礎石等の復元的整備も終わり、当時どのような建物が建っていたのかがよく分かるようになりました。
しかし実は一部分だけ、これまで全く手付かずで未調査だった箇所があったのです。何でもそこだけ土地の所有者がいて、行政との間で折り合いがつかなかったからだとか…。

ところが今回、その所有者とも話しがついて7月から初めての発掘調査が行われているというので、ちょっと様子を覗きに行ってきました。

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ちなみに今回調査されているのは黒い線で囲われ、礎石等がカラー(赤・オレンジ)で表示されている部分です。
主殿の残りの礎石(赤)や庭園の通路(オレンジ)と共に、その発掘範囲にスッポリ収まるように池の跡も発見されました☆
※ガイダンス施設配布の資料より。

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残念ながら前日に雨が降ったためか、シートが掛けられていて全容を観ることは出来ませんでしたが…

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1枚目の図面で「立石」と表記されている岩。こちらは元々、現代の地表面からも顔を出していました。

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池の側面かな?石が積まれていた様子が分かります。
なお、池の底は山砂利を突き固めた上から粘土を敷き詰めてあったようで、水を溜める意図で造成されたことは確実です。

今回も調査が終われば、これらの遺構はその他の箇所同様に埋め戻されるのでしょう。その後はどのように復元展示するのかな?

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最後に、、、本日の御主殿の滝。
前日の雨にもかかわらず、この水量。。。今年は特に深刻です。このまま枯渇してしまうのではないかと本気で危惧されます。

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2013年8月18日 (日)

零戦!

まだまだ暑い日が続くお盆期間最終日の日曜日。
晴天の青空の元、本日向かったのは「所沢航空発祥記念館」(航空記念公園内)。

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目的は勿論、アレ!ですよ☆
先日、フォロワーさんに教えて頂いたので早速来てみました。

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航空発祥記念館内部。一般の展示品の奥に・・・

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「海軍零式艦上戦闘機五二型」、通称「ゼロ戦」
1944年6月、サイパン島で米軍に無傷のまま捕獲され、民間に払い下げられるなどして現在に至る機体です。
驚くことにエンジン(栄二一型)をはじめ、多くのパーツがオリジナルのまま現在でも飛行可能なのだそうです!勿論、世界唯一です。

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真正面から。

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大空へ・・・

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真後ろから。

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本当にバランスのいい、フォルムの綺麗な機体です♪

販売されている図録には、アメリカでの機体解体→所沢での組み立て、エンジン始動、自走の様子を収録したDVDも付いています(2,000円也)。

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一般展示の方も航空機好きの方には充分に楽しめる充実度ではないでしょうか。

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零戦の展示は2013年8月31日まで。
ご興味のある方はお急ぎを☆

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2013年8月14日 (水)

名護屋陣跡巡り (城人オフ in 佐賀)

さぁ、旅も大詰め!
名護屋城周辺には、唐入りに向けて秀吉の命で呼び集められた日本全国の大名たちが朝鮮半島への出陣、或いは滞陣の為の陣屋・陣城を築いています。
とても全部を回ることは出来ませんが、その中からいくつかをPick upして巡ります♪


◆木下延俊陣跡

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まずは博物館裏にある木下延俊(秀吉の正室・おねの甥)の陣跡へ。

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遺構はかなり「薄く」なっている印象でしたね。
坂を下った先などに何かありそうな「匂い」はしていたけど、、、ここには木の通路が設置されていて、これを外れて探索できなかったので確認出来ず。

次の陣跡に移る前に、波戸岬の国民宿舎内にあるレストランで昼食。
やはり佐賀に来たからには・・・

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呼子のイカー!!
まだ活きてる!透き通ってるっ!!!・・・って皆大騒ぎ(笑)

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刺身を食べ終えるとこんな姿に…(^_^;)
残ったゲソや頭頂部は・・・

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塩焼き♪ や、、、

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天麩羅♥ にして供されます。
どれもこれも美味しいのなんのって・・・もう東京のスーパーのイカは食えないかも(笑)
ごちそうさまでした♪


◆増田長盛陣跡/北条氏盛陣跡

呼子のイカをとっても幸せな気分で堪能した後は、国民宿舎のすぐ隣にある増田長盛、及び北条氏盛の陣跡へ。

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こちらは増田長盛陣跡に残っていた石積み。
木が密生する藪の中にあります。

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足元には、この様な側溝跡も点々と一直線に続いています。
他にも斜面を平らにならして曲輪にする為の土盛りなどの遺構もありましたが、写真ではお伝えできないので割愛。

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続いて北条氏盛陣跡へ。。。

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藪に分け入らずとも土塁が確認出来ましたが・・・ろくな写真が無かったので旗竪岩だけご紹介…(^_^;)


◆島津義弘陣跡

ここからはそれぞれ、少しずつ車で移動します。

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二段に別れた石垣。これだけでも凄いと思っていたのに・・・

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なんとまぁ、立派な石垣!
島津家は本国からの兵や物資の到着が遅れ、義弘が散々嘆いていたエピソードも有名ですが…いつの間にこんな立派な陣を構えたんですかね?

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いくつもの細かい区画に分けるかのような石積みも・・・
反って横の連携を妨げかねないし、陣城として考えると少し違和感も残る。
まさか周辺の石垣から崩れた石を、後世の誰かが寄せ集めたなんてことはないよね・・・

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T字に積まれた石積み。
島津義弘陣跡、一部謎は残るが大満足☆


◆生駒親正陣跡

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こちらは島津陣跡とはうって変わって細かい石で積まれた石積みが特徴的でした。

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こんな感じ。
どんな理由があるのかは分からないけど、大名間でも違いがあって、、、
実に興味深い。(by 湯川教授)


◆古田織部(重然)陣跡

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お次は古田織部の陣跡へ。
名護屋城の搦手が見えています。

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ここは綺麗に整備の手が入っています。

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織部さんも結構立派な石垣を構築したのね。

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石垣の脇に山百合が自生していました。
さすがは織部、侘びってるねぇ♪


◆前田利家陣跡

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さすがに大大名だけあって、とても立派な虎口なのですが・・・
如何せん藪が酷い!(^_^;)

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虎口周辺の石垣は確認できるものの・・・

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その先へは進めず・・・
この後、車での移動中に前田陣の搦手側を通り掛かったのですが、そちらにもヒッソリと立派な石垣が佇んでいました。お時間ある方は是非確認してみてください。


◆堀秀治陣跡

陣跡巡り、ラストは堀秀治。
車から降りて早速虎口を正面から覗き込んだら・・・

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どツボ!(笑)
正面の行く手を遮る土塁とか大好物ですねww

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少し薄くなってるけど、手前にはもう1本土塁が築かれており、2度3度と侵入者の行く手を屈折させています。あの先も更に・・・

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もう1度折っています☆

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城内側から。クネクネな様子、ハッキリ伝わりますよね?
もうね、この虎口だけでご飯3杯いけます!(笑)

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本丸?への虎口。ここには石垣が。

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本丸。建物礎石跡が展示されています。

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本丸から更に先に伸びる曲輪。途中で堀切が横切っています。横に線が入っているので分かり易いですね♪

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各曲輪の周囲にもご覧のように、堀が穿たれています。
虎口の構造といい、曲輪の配置といい、堀といい、規模といい、、、これはもう立派な山城ですね。堪能させていただきました。

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どこかから見付けてきたみたい(笑)

さぁ、これで陣跡巡り、そして福岡~佐賀と巡った旅も終了です。
最後に流星☆さんのご希望で大谷吉継の陣跡の前に立ち寄ってから博多へ。
博多駅前で解散、福岡空港で同じ便に乗る寺さんと打ち上げの乾杯をしてから東京への空の旅へ・・・。
(そうそう、時間ギリギリまで飲んでいたので館内放送で「出発時刻が迫っております、お急ぎください!」との呼び出しを受けるという初めての体験もしましたw)

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帰りの空の旅も至って順調、定刻より早く到着しました。
写真は羽田から乗ったリムジンバスの車内。まさかのりらっくまバス…(笑)

いやーあまりに楽しかったので早く次の旅に出ることしか頭にない!(笑)
今回もお世話になった皆様、本当にありがとうございました☆また何処かの旅の空でお会いしましょう!

PS.酒席ではご迷惑をお掛けすることなく済んでホッとしています?!(^_^;)
(おわり)

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肥前名護屋城 (城人オフ in 佐賀)

朝7時、唐津駅前に集合したこの日の参加者は総勢8名。
車2台に分乗して出発!

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あむさん・・・煽り過ぎだから(^_^;)
アグレッシブだなぁ・・・(笑)

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交差点の名前が!?・・・いよいよ近付いて来ましたね☆

そうです、秀吉による唐入り(朝鮮出兵)の大本営、肥前名護屋城です!
博物館近くの大手口から攻城スタート☆

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なんだか、いきなり凄いんですけど・・・

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破城(城割)の跡。
名護屋城には至る所にこうした破城の跡が残ります。理由はいくつか考えられますが、本格的に破城が行われたのは島原の乱の後とのこと。2度と再び一揆勢が立て籠もった原城の如く、軍事利用されることのないように、ということだったのかもしれません。

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博物館の向こうに見える丘は木下延俊の陣跡(後ほど行きます)。

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東出丸からの眺め。眼下に多くの大名の陣跡が広がります。

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三の丸。あの石垣の向こうに本丸があります。

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三の丸の井戸跡。

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苔生した石垣の風情は問答無用でいい!(笑)

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本丸にて。発掘により出土した名護屋城本丸、初期段階の石垣。
このことにより、本丸が何らかの理由で拡張されていたことが判明しました。

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多聞櫓跡の礎石が出土した地点。この辺りでも内側に初期の石垣ラインが発見されており、多聞櫓の幅の分だけ拡張されていました。
奥に見えているのが天守台。

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名護屋城天守台

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天守台にて。視界が良ければ対馬も望めるようですが・・・あいにくこの日は霞んでしまって確認出来ませんでした。

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天守台から眼下の遊撃丸。
虎口奥に築かれた蔀(しとみ)状の土塁が何気にツボ(笑)
この左側には二の丸が広がります。

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う~ん、真っ青な海も拝みたかったなぁー残念!

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でもまぁ、素晴らしい眺めであることには変わりありません☆

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空も綺麗♪(=暑い!)

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さて、こちらは上山里丸の虎口。
山里丸は秀吉の居館があった場所だそうです。
・・・ふ~ん、本丸じゃなかったんだね。

上山里丸跡には現在、広沢寺というお寺が建っています。

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その境内に植えられた蘇鉄。
なんと加藤清正が朝鮮から持ち帰り、秀吉の為に献上したものと伝えられているそうです。清正っていろんなものを持ち帰っているよね、石とか。案外ミーハー?(笑)

この蘇鉄の奥には秀吉の遺髪塚もあるそうですが・・・拝観はできません。

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下山里丸の虎口。格好いいっ!!

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肥前名護屋城図屏風に描かれた往時の様子。手前が山里丸、みたいです。

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一体何度、屈折させているんだ?凄いなー

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上から。もう見ているだけで楽しい!(笑)

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水手口から再び入城し、二の丸にて。
ここにも破城の跡が連続しています。

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遊撃丸から天守台。手前は天守台の上から見えていた蔀状の土塁。
あれによって二の丸からの虎口の進入路を屈折させています。
※あまりの暑さの為、木陰にて休憩中(^_^;)

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馬場跡

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弾正丸から馬場下の破城跡。

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搦手口から。今何かと話題の原子力発電所(玄海)が見えています。。。

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搦手虎口

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連続する破城跡を重ねるようなアングルで・・・

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名護屋城博物館に展示されていたジオラマ。
しばらく展示品を見学した後、今度は各大名の陣跡をいくつか巡ります。

いや~それにしても良かった、名護屋城☆
文禄・慶長の一時期、ある意味この地に政権の中枢が置かれていた、と言っても過言ではないもんね。さすがの威容!

(つづく)

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唐津城 (城人オフ in 佐賀)

オフ会2日目(旅の3日目)、最終日です。
この日の集合時間は午前7時。その前に早朝の城攻め!ってことで同じホテルに泊まっていたゆっきー&流星☆さん夫妻と、近くの唐津城へ。
(車で向かっている途中、朝のお勤め=お散歩中のサイガさんとも出くわすw)

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本丸へと続く階段を上っていると・・・

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なんとクワガタ!すげぇ…お店以外では初めて見たw

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唐津城天守(復興)
現在、石垣修復工事中で何とも情けない姿になっています。。。

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まぁ、でも今だけの貴重な姿ではありますね(^_^;)

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そういえば唐津城内には猫が多かったなぁ。
このコなんかどういう訳だか、しばらく我々のあとを着いて離れなかった(笑)

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朝焼けの唐津湾。

さ、それでは集合場所に向かいますよ☆

(つづく)

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獅子ヶ城 (城人オフ in 佐賀)

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獅子ヶ城は佐賀県唐津市にあった山城です。戦国期には大友氏や竜造寺氏等の勢力圏の境界にあたったようで、度々争奪戦の舞台ともなっています。
かなりの山の上にありますが、三の丸近くまで車で登れます。

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まずは出丸(1枚目の写真の縄張図右)に向かいます。
いきなり現れた出丸と主郭部を隔てる堀切。

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こちらが出丸。この曲輪の周囲には縄張図にも描かれている通り、竪堀や横堀?が穿たれていて実際に確認しました。
が、写真だと何が何だかさっぱり伝わらないので省略します…(^_^;)

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三の丸まで登ると、いきなりこんな素敵な石垣がお出迎えしてくれます。。。

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苔生した感じがまたいいねぇ・・・

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シダなどの植物に覆われていますが、ここも石垣。横矢を掛けられるように屈折させてあります。

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ほぉ~♪

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岩盤をくり抜いた虎口?です。
写真右上には岩盤に石垣を組み合わせた部分も見えています。

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この岩盤、表面にノミなどの痕がハッキリと残っており、城の機能として人工的に形を整えた様子が窺えます。

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井戸曲輪を経て、一の曲輪付近の石垣。そして・・・

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真っ直ぐ一直線に伸びる石垣。もう圧巻!!
凄い、山城にこれほどの規模の石垣を築くとは・・・!

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その石垣の上を進む参加者達♪
一直線の真っ直ぐなラインがハッキリ分かります。

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反対側からも・・・素晴らしいとしか表現できない。

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本丸にて

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本丸虎口の一つ。
本丸も勿論、周囲をガッチリ石垣で固めています。

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ほら、こんな感じで・・・

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本丸周囲の石垣は石の大きさが揃えられている箇所が多く、かえって見た目に独特なものを感じました。

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奥と手前の石垣のコントラスト、もう少し上手く撮りたかったんだけど・・・

それにしても、総石垣の山城の迫力は凄い。
これほどの石垣技術は間違いなく戦国も末期、改修を重ねた「戦う城」としての最終形でしょうね。感動しました。
石垣の風合い・雰囲気も好きです♪


さて、獅子ヶ城でオフ会の初日の行程は終了です。
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唐津城を眺めやりつつ・・・この日の宿となる唐津市街に向かいました。

ホテルチェックイン後は唐津駅前の居酒屋で懇親会。
大好きなお城と歴史を肴にした宴は本当に掛け値なしで楽しいもの。特大ジョッキのビール、最高でした☆

(最終日へつづく)

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佐賀城 (城人オフ in 佐賀)

旅の2日目。
この日から城人オフ会のスタートです。

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朝、集合場所の博多駅に向かう道すがら。何の図柄ですかね?

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駅前に建つ銅像。
「さけはのめのめ~」とあるから・・・母里太兵衛かな?

さて、午前9時に博多駅で集合した後は車2台に分乗して、いざ出発!
・・・我々男性陣が乗る車は途中から別の全く関係ない車を、前を行くあむさんの車と勘違いしまして…目的地のICで降りそびれて随分先まで通り越してしまうという軽いハプニングはありましたが(笑)、どうにか無事?に最初の目的地、佐賀城へ到着☆

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駐車場では当時の技法を用いた石割りの見学会?が行われていました。
・・・こうして矢穴はできる。

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あ、割れたw

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鯱の門。天保9年(1838)からの現存です。

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この鯱の門には江藤新平らによる佐賀戦争(佐賀の乱)の銃弾痕も残っています・・・

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復元された本丸御殿(本丸歴史館)

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建物の詳細などについてはここでは省きますが、ボランティアの方々が丁寧に説明してくれます。
(中にはとても話の長い方もいらっしゃるので、時間にはご注意w 予め「○○時まで」と予定を伝えておきましょうww)

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夏だねぇ~

近くのお店で昼食にうどんをいただいた後は・・・

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城域内に建つこちらの茶室をお借りして、オフ会参加者たちによるお茶会♪

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ま、エアコンなんか付いていないから暑かったけどね・・・(^_^;)

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思い思いに楽しみ、いい休憩にもなりました☆

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お茶会の後は再び本丸に戻りました。
それにしても・・・なんじゃ、この水堀は?!完全に蓮に覆い尽くされている。。。

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石垣の刻印。同じマークのものが集まっていました。

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本丸下を流れる水路。土塁石垣を通って本丸外にも繋がっています。

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九州最大規模を誇る天守台

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天守台の上から。
土塁石垣(内側が土塁で外が石垣になっている)が本丸の周囲をグルリと囲んでいる様子がよく分かります。

何だかんだで佐賀城には午後2時過ぎくらいまでいましたかね。結構長居しました。
この後は獅子ヶ城へ向かいます。

(つづく)

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2013年8月13日 (火)

元寇防塁、他 (城人オフ in 佐賀-前乗り②)

福岡城訪問後は再び地下鉄で移動→西新駅下車。

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「サザエさん通り」をてくてく進みます。

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保存展示されている元寇防塁。
鎌倉時代、元の再襲来に備えて築かれました。

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更に歩いて、福岡市博物館。
教科書でしか見たことのなかった「漢委奴國王」金印にも遂に対面☆あんなに小さいとは思いませんでした。
あと、母里太兵衛が福島正則との飲み比べで勝ち取ったと云う名槍「日本号」の大身槍も♪とても勇壮で美しい槍でした。
いつか、信長公縁の名刀「へし切り」(長谷部国重)も観たいな☆

この後、本当なら竹崎季長の絵巻で有名な「生の松原」にも行こうと思っていたんだけど・・・暑さにすっかり体力を奪われて断念。

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それでもホテルに向かう途中、もうひと踏ん張りと思い直し、中洲川端で途中下車。
歩いているとこんな看板を見かけたので、何かお城の遺構でもあるのかと思ったけど・・・特に見当たらず。

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櫛田神社に到着~
こちらにお参りした目的はこちら↓

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境内に展示されている山笠。福岡在住のフォロワーさんに教えて頂きました。
とても大きくて華やかでした♪

ホテルチェックイン後、汗を流して少し休んでから再び徒歩で中洲へ。

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明日からのオフ会に備えて同じく前乗りしていた参加者の皆さんと待ち合わせて前夜祭☆
ところがねぇ・・・日中の暑さで軽い熱中症を引き起こしていたのか、最初は全くお酒を受け付けず、しばらく烏龍茶を飲んでいました。この私がですよ!?(^_^;)
まぁ途中回復してきてアルコールに切り換えましたが・・・ご同席させて頂いた皆様、不甲斐ない姿で申し訳ございませんでした!(>_<)
必ず2日目の唐津飲み会で挽回します!?ww

さ、次はいよいよオフ会のスタートです☆

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福岡城 (城人オフ in 佐賀-前乗り①)

とうとうやってきましたね☆ずーっと楽しみにしていた佐賀のオフ会!
九州は6年前に急な出張で熊本へ行ったきりだったし、秀吉の「唐入り(朝鮮出兵)」の大本営が築かれた肥前名護屋城も何としても行きたかった場所の一つ。念願叶いました♪

まずは8月9日。
オフ会は10日からなのですが、集合場所の博多に前乗り。
早朝のリムジンバスで羽田に向かいましたが、通勤渋滞の酷いこと・・・。通常ならどんなに余裕を見ても1時間30分もあれば充分のところを、渋滞が事故やガス欠車を引き起こし、更なる渋滞を招き・・・で結局所要時間2時間30分…(-_-メ)
まぁ、かなり余裕を見て飛行機を押さえていたので事なきを得ましたが。朝からかなり疲れた。

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フライト自体は気流も安定して至って順調♪
富士山も綺麗に見えました☆

福岡空港には定刻通り、午後12時過ぎに到着。
そのまま地下鉄に乗り換え、大濠公園駅へ。

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向かった先は福岡城。来年(2014)の大河ドラマの主人公、黒田如水の息子である黒田長政が築いたお城です。
「福岡」の名も、黒田家の故地である備前邑久郡福岡に因んだものと云われています。
下之橋御門から入城~!

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旧母里太兵衛邸長屋門
「酒は飲め飲め」で有名な黒田二十四騎の一人。

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名島門
黒田家の入封前、小早川隆景の居城だった名島城の遺構の一つ。

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現在公開されている南丸多聞櫓。勿論入りますよ☆

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入口は多聞櫓の中ほどから・・・
↑間違えて一番手前の扉を一生懸命開けようとした人(笑)

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多聞櫓内部

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ダダ―ンッ!

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さて、お次は天守台へ。

しかしまぁ何ですか、この暑さは!
・・・噴き出した汗の量が大変なことになっていたので、天守台の脇にあったベンチで一休み。。。

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福岡城天守台

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天守台の礎石群

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天守台からの眺め。福岡タワーにヤフードーム!

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大濠公園

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先程見学した多聞櫓を外から

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一番南まで来たので引き返します。

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三ノ丸御鷹屋敷跡(黒田如水の隠居地)

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大濠公園にて。

この後は市内を少しブラブラします。
いやーそれにしても暑い!!(笑)

(つづく)

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2013年8月 4日 (日)

大和田の渡し(…と八王子祭り)

本日は八王子の浅川に架かる大和田橋からお届け♪

 

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大和田橋。その昔、ここに橋は架かっておらず、「大和田の渡し」という渡し場だったそうです。

慶応4年(1868)3月、甲陽鎮撫隊を率いて勇躍甲州へ乗り込んだ大久保大和こと近藤勇は甲府の手前、勝沼での戦いで新政府軍に手痛い敗北を喫し、多摩へと引き返します。
どうにか八王子宿に達し、ここ大和田の渡しで浅川を越えようとしていた時、左入村の名主の息子・小峰松之助の襲撃を受けました。ただ、幸いにも近藤が傷を負うことはなく、松之助も逃げおおせたようです。
どうも松之助の兄(真田範之助)が攘夷に奔って天狗党に肩入れし、江戸に潜伏しているところを新徴組に見つかって惨殺されたことを恨みに思い、同じ幕府方である甲陽鎮撫隊=新選組の近藤を襲ったみたいです。
襲撃は浅川を越える前だったみたいなので、あの対岸のいずれかで起こったのでしょうね。。。
ちなみに現在も、国道16号線が滝山街道と交差する辺りには「左入」という地名が残っています。

そして時代はずっと下りますが・・・
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昭和20年、太平洋戦争終結間近の8月初旬にはアメリカ軍のB29による爆撃を受け、八王子も甚大な被害を蒙ります。
しかし、ここ大和田橋の下に避難した人々は橋によって守られ、多くの人命が救われたと云います。現在でも大和田橋には、この時に投下された焼夷弾の弾痕が保存されていたり、着弾地点をカラータイルで示していたりします。

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こんなカラータイルや…

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実際の弾痕も・・・
(残念ながらこの日は、パネル内が結露していたので見辛いですが w)

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幕末、そして昭和…、大切な歴史の記憶。
一市民として大切に留めて行きたいと思いました。

ところで本日(8/4)は八王子祭りの最終日ということで、そのまま徒歩で甲州街道を進み・・・

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祭り見物♪

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サラシを巻いて…勇ましいね☆

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祭りのクライマックスは、山車が夜の甲州街道を巡幸します。

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明治初期に作られた人形。
織田信長が舞う姿、だそうです。。。

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いつも車でビュンビュンと走り過ぎている国道を埋め尽くす山車と人々・・・
なんだか変な感じww

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急遽駆け付けたので右も左も分からない状態で見物していましたが・・・
とりあえず楽しめたので良しとします!(笑)

来年はどなたか、一緒に行ってください☆www

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2013年8月 3日 (土)

諏訪大社 下社春宮・秋宮

上社本宮から10km強北上、諏訪湖を迂回して・・・

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下社春宮に到着。

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下社のご神体は2月1日~7月いっぱいまで、こちらの春宮におわします。
私が訪れた7月29日はまさに秋宮へ遷座する直前!

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どうやら下社も「諏訪造り」の模様 (-人-)

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そのまま散歩がてら、万治の石仏へ向かいます。
雨・・・

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あちらの石碑、万治の石仏に惚れた?岡本太郎さんによる揮毫だそうですよ。

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万治の石仏の由緒と参拝法。
私も書かれてある通りにお参りさせていただきました(笑)

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万治の石仏
なんだか・・・不思議な迫力w

事前に調べた情報では秋宮の方は駐車場が少ないということだったので、1kmほどの距離を歩いて移動することにしました。

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歩き始めた時は気付いていなかったのですが、、、秋宮へと向かう道、旧中山道だったんですね♪

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そして、こんな案内板も・・・何、またしても信玄?!

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という訳で寄り道☆

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こちらが武田信玄ゆかりの「矢除石」

ある時、師事する天桂和尚の元を訪れて戦勝の教えを請う信玄。すると和尚は大きな石の上に立ち、「私を矢で射てみよ」という。早速試してみるも、矢は悉く石に弾かれて和尚には届かなかったとか。
和尚曰く「この石には矢除けの霊力がある」

そんな言い伝えがある石なのだそうです。

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中山道、五十五里目の一里塚石碑。

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素敵だ・・・♥

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歌人・今井邦子文学館。

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そして下諏訪宿の本陣。
折角なので見学したかったのですが・・・靴下までビッショリ濡れた状態では上がる訳にもいかず断念 orz

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下社秋宮の目の前は、中山道と甲州道中の合流地点。
合流した後、秋宮より西は中山道となります。つまり、ここが甲州道中の終点。

着いてから知ったのですが、秋宮にもちゃんと大きな駐車場はありました。けど結果的にとても素敵な街道筋を歩くことが出来たので、これはこれでラッキーでした☆

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という訳で、下社秋宮。

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拝殿。雨・・・

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上社に比べて明らかに下社の方が参拝客が多かったのは・・・建物が華やかだからでしょうか?

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諏訪ではまだ紫陽花が綺麗に咲いていました♪
紫陽花にはやはり、雨がよく似合う☆ ←強がり(笑)

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湯気がもうもうと立ち上り、湯呑も置いてあったので「飲める温泉」でも湧き出しているのかな。

これにて諏訪大社四社参拝巡りも終了~。
まだ時間も早かったので本当なら松本なり、小諸なりまで足を伸ばしてみたかったのですが・・・この天気だったので諦めて早めに撤収することにしました。

さぁて、来週(8/9~11)は博多~唐津ですよ!
(おしまい)

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諏訪大社 上社前宮・本宮

旅の2日目、諏訪で迎える朝は生憎の雨模様。結構な本降りでした…(^_^;)
でもこの日は諏訪大社にお参りするだけで時間には余裕があるし、平日(月曜)で空いているだろうからノンビリ行きます(^_^)/

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まずは上社前宮へ。
こちらは殆ど”観光地化”されておらず、早朝とあって人影も殆どありませんでした。
鳥居を潜って石段の先へ進むと・・・

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何故か一旦、公道?に出てしまいました。
この坂を少し登って正面に見える雑木林?のような場所に・・・

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上社前宮の御本殿がありました。
目の前を横切り、本殿を包み込むように左右に通っている細い道が「鎌倉街道」なのだそうです。

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鎌倉街道
いいなぁ~好きですね、こういう雰囲気♪
やはりいずれ、街道歩きにもトライしなくちゃ?!(^_^;)

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上社前宮の御本殿(-人-)

さて、再び車で5分ほど移動です。

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上社本宮に到着。

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この辺りから“曇った”写真が多くなってきますが…これは、降りしきる雨と湿気のせいです!
写真を1枚撮る度に拭いていたんですけどね・・・

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屋根の下を歩けるのはありがたい!(笑)

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なんとも荘厳な雰囲気。。。

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身も心も清めてから・・・

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お参りします。

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上社本宮は「諏訪造り」と呼ばれる、幣拝殿と片拝殿のみで御本殿を持たない独特な形式をしているのだそうです (-人-)
こちらで、御柱から作られた「御柱箸」を購入しました☆

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境内には土俵も。。。奉納相撲が行われるのでしょうか?

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さて、上社本宮の目の前に建つ法華禅寺にもお参りさせていただきます。

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本堂の裏手に回り・・・

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吉良義周の墓所。
「忠臣蔵」で有名な吉良上野介義央の孫であり、養子として吉良家の家督を継いだ人物。
(義央が米沢上杉家の姫を娶っていた関係から、世継ぎのいなかった上杉家へ義央の息子が養子入りして上杉綱憲となり、代わりに綱憲の息子=義央の孫が義央の養子となった)
赤穂浪士による討ち入りの際は義周も応戦したが顔と背中を切られて気絶。一命は取り留めたものの、事件後、幕府から対応「不届き」を咎められて改易され、諏訪の地に流されました。。。

思えば絵島といい、松平忠輝といい、この地方は配流地としてもよく使われたのですね。

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更に法華禅寺の境内で「信玄墓碑」という小さな案内板を見かけたので、そちらも探してみることにしました・・・が、とにかく場所がよく分からない!(笑)
少し山の方へ分け入って行くと神宮寺の跡地に出るのですが、しばらくその辺りでウロウロしてました・・・(^_^;)

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ちなみに神宮寺の古絵図。右側が上社本宮で、その門前一帯に様々な建物が建ち並んでいた様子が分かります。
これらも明治の廃仏毀釈の煽りを受けて消失。現在では各建物跡の碑が建つのみで、何故かパークゴルフ場になっていました・・・(^_^;)

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そして、ようやく訪ねあてた「信玄墓碑」・・・これ?!
説明板も錆びたり、文字が消えてしまっていたりして由来などは全く分かりませんでした。

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墓碑に刻まれた文字を読み取ろうと頑張ってみたのですが・・・無理!(笑)
この墓碑を探して雨降る山中を歩き回ること20分。お陰で靴の中までグショグショ・・・

ま、仕方ない。
気を取り直して下社へ移動します☆
(つづく)

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2013年8月 1日 (木)

諏訪高島城、他

(高遠城落城翌日の)三月三日、中将信忠卿、上の諏訪表に至つて、御馬を出だされ、所々御放火。
『信長公記』巻十五 「信州高遠の城、中将信忠卿攻めらるゝの事」より(以下青文字同様)

という訳で私も信忠軍同様、高遠から愛車を駆って諏訪へ向かうことにします(笑)
現在は国道152号線となっている杖突街道を北上するのですが、この街道がまた素敵なこと!
長閑な山間の田園風景を駆け抜けつつ、杖突峠に至るまでの間にいくつかの集落を通り過ぎるのですが、これらの集落、そのどれもが昔ながらの宿場町の雰囲気を醸し出していました♪
中には格式高い式台玄関を備えた本陣の様な家屋が、当時のまま時の経過と共に朽ちるに任せた姿で残っている集落も見かけました。
車を停めるスペースが見当たらず、ゆっくり足を止めて楽しむことが出来なかったのがつくづく残念!(>_<)

間違いなく信忠の軍勢も、同じ道を辿って諏訪へ向かったのでしょうね。

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諏訪に到着~☆
市役所の駐車場でこんなのを発見。そっか、松平忠輝(徳川家康六男)はあちこちに配流された揚句、最後は諏訪で生涯を閉じたんだったね。。。90以上の長寿を全うしたことは意外と知られていない?

諏訪の池はづれに、高島とて、小城あり。是れへ楯籠り、拘え難く存知、当城も津田源三郎へ相渡し、罷り退く。

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諏訪市役所のすぐ隣が、その高島城祉。

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本丸庭園

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冠木門と隅櫓

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天守最上階、展望室から。諏訪湖(諏訪の池)がすぐそこに♪

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コンクリートで復興された天守は、よく見ると…う~んな感じですが…(^_^;)

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冠木橋と冠木門

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城址公園を出て街中散策。これは…外堀でしょ?
高島城は城址公園の周辺の街中にこそ、江戸期の名残の様な区画が残っていて、そちらの方が散歩していて楽しかった☆ww

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折角なので、諏訪湖畔にも。
・・・や、矢穴!?(笑)

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八重垣姫像

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「日本渚百選」・・・いろんな”百選”があったんだねぇ(^_^;)

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更に諏訪市博物館にも足を伸ばし・・・

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その向かいにあった物産館?でお土産を物色して、初日(7/28)の行程は終了。

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諏訪インター近くに取ったホテルがまた、お洒落なこと!(笑)
廊下はこんな感じだし・・・

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お部屋はこう・・・
(何故に2段ベッド?)

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お風呂だって(笑)

まぁでも、バイキング形式の朝食はビジネスホテルにしては美味しかったし、駐車場は無料だし、これで1泊5400円は納得のコストパフォーマンス!

2日目は諏訪大社巡りです♪
(つづく)

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高遠城

「一夜の城」探索の後は再び愛車に乗り、天正10年3月の織田軍と同じく、高遠城を目指します。
※例によって縄張り図も持たないテキトーな城攻めですので、縄張りの詳細や細かい遺構の紹介はご容赦願います…(;・∀・)

今は駐車場になっている勘助曲輪に愛車を停めて、いざ探索スタート☆

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大手口、三の丸に残されていた楼門。
一時、高遠高校の正門として使われていたこともあるのだとか。

なお、高遠城の大手口は城の西側に位置しており、東側が搦め手口とされていますが、これは江戸期に入ってから改められたようで、それ以前の築城当時は反対に東側が大手口とされていたようです。

三月二日、払暁に、御人数寄せられ、中将信忠卿は尾続きを搦め手の口へ取りよらせられ、大手の口、森勝蔵、団平八、毛利河内、河尻与兵衛、松尾掃部大輔、此の口へ切つて出で、数刻相戦ひ、数多討取り候間、残党逃げ入るなり。
『信長公記』巻十五 「信州高遠の城、中将信忠卿攻めらるゝの事」より(以下青文字同様)

この「信長公記」の記述と、先の大手⇔搦め手が江戸期に入れ替えられたという点を合わせて考えると、総大将の信忠は(根)続き進んで西側の搦め手へ攻めかかり、御先へ遣はされた森や河尻らの軍勢が東側の大手口を受け持ったことになります。

しかし地形図などで確認すると、貝沼原にいた筈の信忠の軍勢が高遠城の西側を攻めるのに、わざわざ(根)続き進んだという点に少し違和感を覚えるのですが・・・

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大手口(天正10年当時は搦め手口)
「信長公記」の記述通りだとすると、織田信忠はこちら側から攻め寄せたことになります。それも・・・

中将信忠卿御自身、御道具を持たせられ、先を争つて塀際へつけられ、柵を引き破り、塀の上へあがらせられ、

と自ら先頭に立つ勢いで。。。
まるで桶狭間や天王寺での御父上、信長公を彷彿とさせる激しさですね。

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大手口から西の方角を望む。
一夜の城は写真左手の山の、更に向こう側に位置しています。いくら高い山に登ったとしても、この距離では高遠城を
御見下墨なさる形にはなりません。
城攻め前日、僅か10人程度の供を従えただけで行われた信忠自らによる物見は、相当高遠城近くまで寄せていたのですね。

自ら陣頭に立った城攻めといい、この高遠攻めには妙に力が入っている信忠。これも「もしかすると城に松姫(元?許嫁)がいるかも」と思えばこそ、でしょうか。
2人が生涯で最もニアミスした場所であることは確かですね。


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もはや高遠城址定番のシンボル、桜雲橋(奥に問屋門)

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堀はどれも深さがあってとてもいい感じでしたが、特にこの法幢院曲輪と南曲輪の間を通る堀が素敵でしたね♪

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「天下第一の桜」碑

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本丸の太鼓櫓

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藩校「進徳館」

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進徳館は建物内部には入れませんが、周囲をグルッと一周できます。

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おや?不思議な飛行機雲。T字になっているけど・・・どうやって出来たの??ww

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さて、高遠城址のすぐ近く、高遠湖の畔には「高遠町歴史博物館」がありますので、そちらにも足を運びました。
駐車場から見下ろす高遠湖。

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・・・なんじゃ、あれは?!

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初代会津藩主にして四代将軍家綱の後見も務めた保科正之と生母・お静の方の像。

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こちらが歴史博物館外観。

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博物館に併設される形で「絵島生島事件」で高遠に遠流となった絵島の囲屋敷も展示されています。
屋敷自体は復元ですが、実際にこの場所にあったのだとか。忍返し・・・

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幽閉されていた絵島の間。

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その後、五郎山の仁科盛信のお墓にもお参りしようと、車で途中まで狭い山道を登ったのですが・・・
正確な場所が分からず、とりあえずアタリを付けたこちらから少し登ってみたところ、暫くして不審な物音と明らかな獣臭が漂ってきたので、もうダッシュで撤退!諦めました・・・(^_^;)

下山後は諏訪へ移動しました。
(つづく)

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