大和田の渡し(…と八王子祭り)
本日は八王子の浅川に架かる大和田橋からお届け♪
大和田橋。その昔、ここに橋は架かっておらず、「大和田の渡し」という渡し場だったそうです。
慶応4年(1868)3月、甲陽鎮撫隊を率いて勇躍甲州へ乗り込んだ大久保大和こと近藤勇は甲府の手前、勝沼での戦いで新政府軍に手痛い敗北を喫し、多摩へと引き返します。
どうにか八王子宿に達し、ここ大和田の渡しで浅川を越えようとしていた時、左入村の名主の息子・小峰松之助の襲撃を受けました。ただ、幸いにも近藤が傷を負うことはなく、松之助も逃げおおせたようです。
どうも松之助の兄(真田範之助)が攘夷に奔って天狗党に肩入れし、江戸に潜伏しているところを新徴組に見つかって惨殺されたことを恨みに思い、同じ幕府方である甲陽鎮撫隊=新選組の近藤を襲ったみたいです。
襲撃は浅川を越える前だったみたいなので、あの対岸のいずれかで起こったのでしょうね。。。
ちなみに現在も、国道16号線が滝山街道と交差する辺りには「左入」という地名が残っています。
そして時代はずっと下りますが・・・
昭和20年、太平洋戦争終結間近の8月初旬にはアメリカ軍のB29による爆撃を受け、八王子も甚大な被害を蒙ります。
しかし、ここ大和田橋の下に避難した人々は橋によって守られ、多くの人命が救われたと云います。現在でも大和田橋には、この時に投下された焼夷弾の弾痕が保存されていたり、着弾地点をカラータイルで示していたりします。
こんなカラータイルや…
実際の弾痕も・・・
(残念ながらこの日は、パネル内が結露していたので見辛いですが w)
幕末、そして昭和…、大切な歴史の記憶。
一市民として大切に留めて行きたいと思いました。
ところで本日(8/4)は八王子祭りの最終日ということで、そのまま徒歩で甲州街道を進み・・・
祭り見物♪
サラシを巻いて…勇ましいね☆
祭りのクライマックスは、山車が夜の甲州街道を巡幸します。
明治初期に作られた人形。
織田信長が舞う姿、だそうです。。。
いつも車でビュンビュンと走り過ぎている国道を埋め尽くす山車と人々・・・
なんだか変な感じww
急遽駆け付けたので右も左も分からない状態で見物していましたが・・・
とりあえず楽しめたので良しとします!(笑)
来年はどなたか、一緒に行ってください☆www
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