諏訪大社 上社前宮・本宮
旅の2日目、諏訪で迎える朝は生憎の雨模様。結構な本降りでした…(^_^;)
でもこの日は諏訪大社にお参りするだけで時間には余裕があるし、平日(月曜)で空いているだろうからノンビリ行きます(^_^)/
まずは上社前宮へ。
こちらは殆ど”観光地化”されておらず、早朝とあって人影も殆どありませんでした。
鳥居を潜って石段の先へ進むと・・・
何故か一旦、公道?に出てしまいました。
この坂を少し登って正面に見える雑木林?のような場所に・・・
上社前宮の御本殿がありました。
目の前を横切り、本殿を包み込むように左右に通っている細い道が「鎌倉街道」なのだそうです。
鎌倉街道
いいなぁ~好きですね、こういう雰囲気♪
やはりいずれ、街道歩きにもトライしなくちゃ?!(^_^;)
上社前宮の御本殿(-人-)
さて、再び車で5分ほど移動です。
上社本宮に到着。
この辺りから“曇った”写真が多くなってきますが…これは、降りしきる雨と湿気のせいです!
写真を1枚撮る度に拭いていたんですけどね・・・
屋根の下を歩けるのはありがたい!(笑)
なんとも荘厳な雰囲気。。。
身も心も清めてから・・・
お参りします。
上社本宮は「諏訪造り」と呼ばれる、幣拝殿と片拝殿のみで御本殿を持たない独特な形式をしているのだそうです (-人-)
こちらで、御柱から作られた「御柱箸」を購入しました☆
境内には土俵も。。。奉納相撲が行われるのでしょうか?
さて、上社本宮の目の前に建つ法華禅寺にもお参りさせていただきます。
本堂の裏手に回り・・・
吉良義周の墓所。
「忠臣蔵」で有名な吉良上野介義央の孫であり、養子として吉良家の家督を継いだ人物。
(義央が米沢上杉家の姫を娶っていた関係から、世継ぎのいなかった上杉家へ義央の息子が養子入りして上杉綱憲となり、代わりに綱憲の息子=義央の孫が義央の養子となった)
赤穂浪士による討ち入りの際は義周も応戦したが顔と背中を切られて気絶。一命は取り留めたものの、事件後、幕府から対応「不届き」を咎められて改易され、諏訪の地に流されました。。。
思えば絵島といい、松平忠輝といい、この地方は配流地としてもよく使われたのですね。
更に法華禅寺の境内で「信玄墓碑」という小さな案内板を見かけたので、そちらも探してみることにしました・・・が、とにかく場所がよく分からない!(笑)
少し山の方へ分け入って行くと神宮寺の跡地に出るのですが、しばらくその辺りでウロウロしてました・・・(^_^;)
ちなみに神宮寺の古絵図。右側が上社本宮で、その門前一帯に様々な建物が建ち並んでいた様子が分かります。
これらも明治の廃仏毀釈の煽りを受けて消失。現在では各建物跡の碑が建つのみで、何故かパークゴルフ場になっていました・・・(^_^;)
そして、ようやく訪ねあてた「信玄墓碑」・・・これ?!
説明板も錆びたり、文字が消えてしまっていたりして由来などは全く分かりませんでした。
墓碑に刻まれた文字を読み取ろうと頑張ってみたのですが・・・無理!(笑)
この墓碑を探して雨降る山中を歩き回ること20分。お陰で靴の中までグショグショ・・・
ま、仕方ない。
気を取り直して下社へ移動します☆
(つづく)
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