長島城 -信長公を想う旅⑦
今回の「信長公を想う旅」、ラストは長島城です。
卜全塚の記事でも少し触れましたが、元亀~天正の長島合戦では一向一揆勢の拠点にもなりました。
江戸期には菅沼氏、(久松)松平氏、増山氏が入っています。
真宗高田派蓮生寺に移築された長島城大手門。移築の際に少し縮小されているそうです。
瓦には増山氏(藩祖は4代将軍・家綱の生母の弟の子)の家紋も。
門の瓦の上に狛犬が乗ってる♪
◆絵図
改修が続けられた江戸期の長島城絵図。
本丸はそっくりそのまま中学校・小学校の敷地になっています。
ほら、小中学校の敷地の形といい、堀川といい、上の絵図と比べてもソックリでしょ!
絵図A地点から南東を見た様子。左手に堀川が流れます。
このカーブ、絵図のまんまだね☆
小学校敷地内に生える天然記念物「大松」(正面奥)
樹齢300年を超え、お城があった江戸期当時から本丸の南西隅に生えていたそうです。
・・・ありゃ海姫さん、ツカツカと入ってっちゃったよ(笑)
そうそう、この辺りは「中筋南」なんだそうです。長島の中央を南北に貫くラインを「中筋」と呼ぶのかな?
卜全塚の記事でも触れましたが、おそらくこれが「中筋口」のライン☆
左手に見えているのが現在の大手橋。絵図で言うとC地点になります。
その手前、道路が右に窪んで狭くなっていますが、歩道の手すりくらいまでが当時は堀だったと仮定すると、見事に絵図B地点の形状に一致すると思いませんか?!
絵図の右隅、●の又木茶屋の辺りから大手橋方面。
(現在地図にも右に「又木茶屋」とあります)
長島城、一見すると遺構は何も残っていないように思えますが、現在の町の区画に城の形状が色濃く反映されています。もっといろいろと探索してみたい城跡ですね♪
最後に又木茶屋で一服♪
ぬるめの抹茶に涼を得て、疲れにジワ~と効きました☆
さてさて、1泊2日の「信長公を想う旅」もこれにて千秋楽ww
今回も多くの人にお世話になりました。お陰様で想定以上の充実度、ありがとうございました☆
・・・次はどこでお会いしましょうか?(笑)
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