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2013年9月

2013年9月29日 (日)

品川台場

現在、臨海副都心の一部、東京都港区台場周辺のレインボーブリッジが架かる埋立地一帯は「お台場」と呼ばれて人気の観光・行楽スポットになっていますが、ここにはかつて、その名の由来ともなった砲台場=「台場」があったのです。

嘉永6年(1853)6月、ペリーが浦賀に来航すると、「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れ」なくなった幕府(笑)はすぐさま品川沖に台場の設置を決定、同年8月から建設が始まります。
なお、この台場の設計者は江川太郎左衛門英龍。本当に多才な人だったのですねぇ…。

建設開始の翌年、嘉永7年(1854)4月には第一~第三台場が、更に12月には第五・第六台場が完成しています。理由は定かではありませんが第四・第七台場は未完のまま工事が中止されていますので、計5基の台場が僅か1年余りの期間に築かれたのです。

これらの台場のうち、第三と第六台場の2つが現在も残されているので、早速観に行ってきました。

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ゆりかもめを「芝浦ふ頭」で下車、レインボーブリッジを徒歩で渡ります。

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南側の遊歩道を進むと、早速見えてきましたね~

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こちらが第六台場

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そして第三台場

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第三台場の写真を数枚繋げてパノラマ風にしてみた(笑)
細部を見ていくとおかしな箇所がありますが、雰囲気は伝わりますよね?…ま、写真の出来はともかく台場は格好いいねぇ☆

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第三台場の奥に第六台場。
第三台場は「台場公園」として整備されていますので、渡ることが出来ます。

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第三台場の図面

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土塁の上から

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陣屋跡

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土塁に複数残る弾薬庫跡

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かまど跡(復元)

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北の角、虎口だったと思しき場所に建つ記念碑

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虎口周辺の石積み

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砲台(復元)

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最後にお台場海浜公園から。

第三台場は遺構の残存状態も良いので、興味ある方は是非一度訪れてみてください。

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水木しげるロード -山陰への旅⑤

旅の最後は境港へ。

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松江からはそんなに離れていませんが、ちょうど特急が来たので「やくも」に乗って米子で境線に乗り換えます。

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境港駅。愛称は勿論、「鬼太郎駅」☆

駅前でとっても贅沢な海鮮丼で腹拵えをしてから散策開始です。

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あんな所にも目玉おやじ(笑)

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・・・悪いことは出来ませんねぇwww

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ぬりかべ~

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いい湯だったようで…(笑)

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一反木綿。実は一番お気に入り♪

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ねずみ男

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トイレの標識も…☆

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おや?またお会いしました、ねずみ男さん☆

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水木しげるロードの終点、水木しげる記念館。鬼太郎もいましたね☆

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そして、ずっと探し続けたマンホールの蓋。やっと見つけました☆
結構注意深く見ていましたが、どうやら他の蓋は何の変哲もない柄で、鬼太郎柄のマンホールは殆どありません。

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タクシーにも♪

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港に出てみると、鬼太郎妖怪倉庫。第二章とか…何のことかは分かりません(笑)

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郵便ポストの上にも♪

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最後に、駅前で先生を囲んで全員?集合☆

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お土産に、とても可愛かったので一反木綿のマグカップとメモ帳「いったんメモ」(笑)を購入ww

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境港から空港駅までは、ほんの15分程度。その車内。

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空港でも☆
初めと終わりは鬼太郎尽くしな旅でした(笑)

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フライトまで時間があったので、空港で旅の〆の一杯☆
ちょうど折り返し乗って帰る飛行機が到着しました。

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念願だった山陰への一人旅。これまでで一番ゆったりとした時間の流れる、リラックスした旅だったかも。何だか気持ちがまぁるくなるような、いい旅になりました☆
今回は時間と旅程の都合で石見銀山や鳥取城(とその包囲網跡)にも行けなかったので、いずれまた訪れたいと思います。

てか、鳥取城は誰かオフ会開いてくれないかなぁ?←他力本願www

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松江城 -山陰への旅④

旅の3日目。こちらも念願だった松江城を巡ります。
・・・と、折角なので前日に楽しんだ堀川めぐり(遊覧船)も合わせてご紹介します。


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松江城絵図
あえて北を上に向け、ご紹介していく順に赤文字で番号をふりました。

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まずは前日の堀川めぐりから。
絵図1のカラコロ広場から遊覧船に乗り、外堀を反時計回りに進みます。
・・・脱いである靴の数を見て!まさかの貸切(笑)

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堀に面した民家の裏手には、かつて堀の水を生活用水として利用していた名残の石段も。

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絵図2地点。ここで左に折れて外堀(米子川)を北上します。
写真をご覧頂くと分かる通り、松江城の堀に架かるいくつかの橋は水面から高さがあまりなく、そのままでは通れないので船の屋根を下げ、乗船客も屈んで通過します。

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東面の外堀から米子橋(絵図3)方面。

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もう少し進むと…見えてきましたね、松江城天守♪

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内堀に入り、絵図4地点の石垣。

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長閑な時間が流れます・・・

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絵図5の塩見縄手を眺めやる・・・

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折角なので一旦絵図6で下船し、塩見縄手を歩いてみることにしました。
あちらの亀の石像、、、

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甲羅にハートマーク♥

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おっと、すぐに塩見縄手へ向かおうと思ったのに…こんな看板を目にしたら・・・

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入っちゃうじゃない(笑)
丁度良かったので昼食も。ビールは季節限定の黒ビール、昼食メニューは出雲蕎麦にしじみご飯、しじみ汁♪
この日(2日目)の夜もしじみのだし巻き卵を食したし…これだけしじみ尽くしで過ごしたら、肝臓治っちゃうかも!?ww

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…さて、今度こそ塩見縄手へ。武家屋敷や、、、

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小泉八雲旧家跡などが建ち並びます。
(入りませんでしたけど…)

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軽く散策を終えて再び遊覧船に乗船。絵図7の堀(城山西堀川)を南下します。

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途中、こんなに狭い橋も通過、最初に乗船したカラコロ広場まで乗船しました。

さて、ここからは3日目に入ります。

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前日に遊覧船でも通った、絵図3の堀。
米子橋を左折して大手に向かいます。

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大手前から見上げる中櫓と南櫓(絵図89
いきなり感動もののスケール!

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そして、堀尾吉晴さんの銅像。

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二ノ丸下ノ段の石垣(絵図でいうと「現在地」の文字がある辺り)

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二ノ丸上ノ段の南櫓を内側から(絵図9)。中に入れます。

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興雲閣(明治36年の完成)
当初は明治天皇をお迎えしようとしたが日露戦争の勃発によって山陰行幸は実現せず。その代わり、明治40年には当時の嘉仁皇太子(後の大正天皇)が山陰行啓の際にお泊りになったそうです。

ところで、興雲閣の現地説明板に一ヶ所ツッコミどころが…
「当時はロシア宮殿風といわれ、その名は広く近隣とどろいた。」
って…どっちやねん!(笑)

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松江神社

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二ノ丸上ノ段から太鼓櫓(絵図10

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本丸へと続く一ノ門。そして・・・

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遂にやって参りました、松江城天守!(絵図11
全国に12ある現存天守の一つです。そして私にとり、12番目に訪れた現存天守。そう、遂に全国12現存天守をコンプリートしました!!
昨年9月に福井の丸岡城を訪れてリーチをかけてから丸一年、本格的に城跡巡りを始めてからは足掛け9年での達成です☆

実はこの時、まだ朝の8時頃で天守の中に入れなかった(午前8:30~)ので、しばし本丸内を散策。

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天守を正面から…

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天守の足元には埋め込まれた瓦・・・これは雨水による浸食防止の為、だったかな?

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野面積みの石垣、好きだな~♪

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ここで登閣時間になったので天守内へ♪

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現存建築物のこの木材の感じ、いいね☆

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天守最上階から。宍道湖が見えています。

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北ノ門から本丸を抜けた先にある枡形。

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搦手(絵図12
この複雑に折れ曲がった道が、枡形虎口の名残かも♪

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この日も遊覧船はひっきりなしに通ります☆

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脇虎口ノ門(絵図13)から北惣門橋。
橋の向こうに見えているのは松江歴史館。その昔は重臣たちの屋敷があった場所です。

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松江歴史館では天守を眺めながら抹茶などを頂くことが出来ます♪
勿論私も一休み☆

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LEGOで出来た松江城天守。石垣まで本当によく出来ています。

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松江城と城下のジオラマ。

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大坂冬の陣で真田幸村が真田丸の櫓から松平直政(結城秀康三男。初代松江藩主)に投げ与えたと云われる軍扇(複製/本物は松江神社蔵)

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100年毎の松江城下のパネル。こういう比較、好きよ♪

いや~すっかり満喫しました☆

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帰りしな、大手門前では甲冑姿の武士がお見送り?!

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松平直政像

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最後にもう一度振り返って、松江城天守☆

うん、私にしてはじっくり時間をかけて観た方(笑)
やはり素敵なお城でした☆

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2013年9月28日 (土)

宍道湖の夕陽 -山陰への旅③

出雲大社前から再び一畑電車に乗り、、、

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松江しんじ湖温泉駅に到着。

※本当はこの後、遊覧船に乗って松江城のお堀を巡る「堀川めぐり」を楽しんだのですが、当ブログではこの翌日に訪れた松江城天守・他と合わせてご紹介したいので、一旦とばして先へ進めます。

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堀川めぐりの遊覧船を楽しんだ後はテクテクと歩いて宍道湖大橋を渡り、、、

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県立美術館の脇を抜けて夕日スポットへ。

実はこの時点でまだ午後3時過ぎ。夕日には早過ぎるのですが最早歩く気力もなく…炎天下の中を延々と腰掛けて湖畔で待機していました…(^_^;)

ただひたすら宍道湖の湖面を眺めるだけの時が2時間以上も過ぎ、「俺は馬鹿じゃなかろうか?」という疑問も湧き始めた午後5時半過ぎ、ようやく見頃がやって来ました。。。

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宍道湖の夕陽。。。
少し雲が多かったのは残念ですが、何とか観れて良かった・・・

この時、周囲には同じく夕陽目当てで200人はいましたかね。一生に一度は拝んでおきたい景色であることは確か。

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さ、納得したので宿に向かいます(笑)

2日目の晩は松江駅前の居酒屋にて一献☆ カウンターが空いていたこともあり、ゆったりと寛ぎながら頂く地物の肴と酒は格別ですね♪
時計を全く気にしないこういう時の流れ、本当に好きです。

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出雲大社 -山陰への旅②

旅の2日目、いよいよ念願の出雲大社へ。。。

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早朝の電鉄出雲市駅にて。一畑電車に乗って向かいます。

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途中、乗り換えの川跡(かわと)駅にて。

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到着した出雲大社前駅にて。

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駅の目の前を通る参道を歩くと、すぐに正門鳥居が見えてきます。

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正門鳥居をくぐり、まずはこちらの祓社にお参り。無論「二礼四拍手一礼」の作法に則って。
身を(心も?)祓い清めます。。。

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松並木の参道。中央はかつて、皇族や勅使が使用した道だとか。今も一般の参拝者は左右両脇を通ります。
そもそも参道の真ん中は神様の通り道ですしね。

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「御自愛の御神像」
シロウサギの神話を再現しています。

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「ムスビの御神像」
・・・あえて太陽に合わせてみた(笑)

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御仮殿
平成の大遷宮期間中は、こちらに御祭神・大国主大神が祭られていました。
こちらにも参拝し、、、

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さぁ、いよいよ御本殿へ。

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今年(2013年)の5月、遷宮で御修造なったばかりの御本殿。

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神々しいばかりの存在感。本当にお参りできて良かった。

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神楽殿の大注連縄。

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この後は境内を出て周辺を散策。

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出雲阿国のお墓にも参拝。

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稲佐の浜
高天原からの使者が大国主命に「否、然(いな、さ)」と国譲りを迫ったという神話が残る浜。

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島根県立古代出雲歴史博物館に展示されている「宇豆柱」
平成12年に出土した巨大神殿の柱です(本物)。

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古代の巨大神殿模型

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館内には発掘された銅剣・銅鐸・銅矛なども展示されています。もう圧倒されるほどの数ですが、その殆どが国宝。
凄いものを拝ませていただきました。

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また少し歩いて、1990年まで使われていた旧大社駅舎。

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こちらの駅舎は大正13年の改築。

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D51も停まっていました。

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少し疲れましたがノンビリと歩き回り、満喫させていただきました☆
この後は松江に移動します。

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米子城 -山陰への旅①

9月21~23日の3連休を利用して、かねてより念願だった山陰へ出かけてきました☆
メインの目的地は60年に一度の遷宮が終わったばかりの出雲大社と松江城。折角なのでサンライズ出雲にも乗ってみたかったけど、なかなか予約が取れなさそうだし、、、ってことで往復とも飛行機を選択。

初日の9月21日、羽田を飛び発って着いた先は鳥取県の米子空港!
(空から見た長島一帯や琵琶湖上空からの安土城跡の眺めは感動的だったなぁ…なんで写真撮らなかったんだろ…)

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さすが、「鬼太郎空港」と名付けられているだけに(笑) 境港がすぐ近くですからね☆ 空港の至る所で鬼太郎ファミリーがお出迎えしてくれます。
ところが、面白がって写真を撮りまくっていたら・・・

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目の前で電車が出ちゃった・・・orz
時刻表を調べてみると次の米子行きまで約1時間。ちっぽけな無人駅でポツーンと待ち惚け…まさか空港隣接駅でこれほど本数が少ないとはね…(^_^;)

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で、ようやく来た電車はこれ♪

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とことん、鬼太郎の世界☆

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30分ほどで米子駅に到着☆
米子と境港を結ぶJR境線の各駅には、ゲゲゲの鬼太郎に出てくる妖怪たちの名前が愛称として付けられています。米子駅は「ねずみ男」♪
駅の観光案内所で地図を貰い、散策スタート!

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米子駅から真っ直ぐ伸びる道の歩道には、様々な星座が描かれていました。こちらはオリオン座☆
…でも、なんで星座?

しばらく歩いていると・・・

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見えてきましたね!いきなり凄い期待感が湧いてくるんですけど、この眺め!!

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登城口の枡形虎口も立派なこと♪

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上から見ると本当に正方形♪

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荒尾家家臣、小原家の長屋門(移築現存)

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しばらくこんな山道をクネクネと登っていると…

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分岐点に出たので、まずは「内膳丸跡」とやらに行ってみよう!と、振り仰いだら・・・

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わおっ!石垣の残存具合が格好いいじゃありませんか☆

一通り内膳丸の曲輪跡を見て回り、いよいよ頂上の本丸へ。

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いきなりデーン!と、こんな石垣が目に飛び込んできました☆

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素晴らしい・・・

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山城と石垣の組み合わせ、問答無用に格好いいね!

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あちらの虎口の先が本丸。

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本丸からの眺め。

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天守台越しに大山♪ 天気に恵まれて本当に良かった☆

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天守台の石垣。
他の部分は野面積みなのに、天守台だけは打込み接ぎ。作られた時代が違うのかな?

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山麓に戻って、修行姿の弘法大師(城山大師)

米子城を満喫した後は再び電車に乗ってガタンゴトンと移動。。。

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1時間ほどで到着しました、出雲市駅☆
初日はこちらで宿を取ります。

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ホテルにチェックインした後、近くの居酒屋へ。
のどぐろ・生さばの炙りに、白いか・白バイ貝のお造り♪

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酒は無論、出雲の銘酒「月山」☆

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〆はやっぱりこれ、宍道湖のしじみ汁♪

美味しい肴に美味しい酒、旅の疲れもあって宿に帰った後はアッという間に寝落ちしていた初日でした(笑)

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2013年9月16日 (月)

川越城・滝の城・岡城 -埼玉のお城オフ(2日目)

さて2日目。この日は接近中の台風18号の影響で、朝からとんでもない大雨!
早めに自宅を出発してゆっくり走行して行こう、と高速道路は平均80km/hに押さえて運転したのだが・・・また早く着き過ぎた(^_^;)
本丸御殿駐車場がまだ開いてなく、入口付近で路駐して待つ間の1時間が長かったこと!(笑)

午前9時過ぎ、全員集合して散策開始です。


◆川越城
この日の参加者は7名。サイガさんの案内で、街中に残る城の遺構を観て回りました。

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まずは川越市立博物館へ。川越城のジオラマ。
写真撮影がOKになったので、みんなジオラマから離れない、離れない(^_^;)

図1
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川越城はこちらの古図でご紹介していきます。

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途中で削り落とされていますが、、、三芳野神社境内に残る土塁。
(図1の1
本来は神社本殿裏手に残る土塁まで繋がっており、その先の本丸を守っていました。

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三芳野神社参道から右に折れたところ。こちらも「とおりゃんせ~♪」の道。
(図1の
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住宅街に埋もれるようにして残る土塁。左側は堀なので一段低くなっています。
(図1の3

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富士見櫓の袂の堀跡…てか、雨水が溜まって本当に水堀になってる!?
(図1の
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ここも富士見櫓の堀跡。あの先、右に折れてるところまで当時の形状が残っています。
(図1の5

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こちらは(図1の6)の丸馬出しがあった辺り。
僅かに窪んだ地形に名残か!?

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(図1の7)で城内を通っていた道。図面に描かれたクランクがそのまま…♪

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綺麗に整備されて展示されている中ノ門の堀跡。
(図1の8

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相変わらず強く降りしきる雨…急いで本丸御殿に駆け込みます!
(図1の9

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これでもまだ、朝方の雨よりはマシかな~

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この御殿、一時中学校の校舎や屋内運動場になっていたこともあるらしく…天井にはボールの痕がクッキリと(笑)

川越には何度も来ているのに、実は本丸御殿に入ったのは初めて。近いとついつい、「また今度でいいや」って後回しにしちゃうんだよね(^_^;)
今まで気付かないでいた遺構も教えて頂いたし、楽しい散策でした。


◆滝の城
川越を出発する頃になると奇跡的に天候が回復してきたので、お昼時ではありましたが「今のうち」ってことで、そのまま滝の城へ。

図2
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現地案内図より。雨粒で見辛いですが…(^_^;)

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本郭に建つ石碑

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本郭からの眺め。武蔵野線が通っています。

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本郭からその先の馬出しに架かっていたという木橋の橋台と思われる土盛り。殆ど土橋。
(図2の1

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(図2の2)の土橋。土橋も、その先の屈折した堀も土塁も、全てが素敵だ☆

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(図2の3)の土橋。分かりますか?
写真中央、一ヶ所だけ陽が当たって明るくなっている部分です。

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(図2の4)の堀。二重になっている堀の内側にあたります。

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その外側の堀。縁の土塁がだいぶ削られちゃっていますが、形状は確認出来ますね。
(図2の5

私のスマホではパノラマ撮影ができないのでイマイチ上手に伝えられませんが、「二重堀」とはすなわち…

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こういうこと(笑)

駆け足での紹介となってしまいましたが初めて訪れた滝の城、複雑な遺構がとても素敵な土の城でした☆ここもお薦め!


◆岡城
滝の城を出た後はファミレスで昼食を済ませ、今回のオフ会最後のお城、岡城へ。

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現地案内図より。

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二の丸と本丸の間の堀。ちょっと浅くなっちゃってるな~

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本丸。正面奥には物見台の土盛り。

岡城は広大な本丸と二の丸、そして三の丸を配しただけのシンプルな造り。戦国末期の北条の複雑で技巧的な遺構はなく、中世の香りがプンプン漂っています(笑)


さて、2日間に渡る埼玉のお城巡りオフもこれにてお開き。今回もとても充実した時間を過ごせました。
今回は殆ど地元と言ってもいい埼玉での開催でしたが、日本全国に広がる共通の趣味を持った方々との繋がり、その贅沢で幸せな関係を改めて実感させていただきました。

また近いうちに、日本の何処かの空の下で、お城でお会いしましょうね♪

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鉢形城・杉山城・菅谷館 -埼玉のお城オフ(初日)

9月14~15日は埼玉のお城を巡るオフ会。関東近隣の他、名古屋や岐阜、大阪からも参加者を迎え、初日は総勢10名前後の大所帯☆


◆鉢形城

図1
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まずは北条氏邦の居城としても有名な鉢形城へ。
左下「現在地」と書かれた歴史館の駐車場に車を停めて散策します。

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外曲輪の土塁上から(図1の1
城域の東端を守っていた遺構。写真左側が城外、堀の遺構だと思います。

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土塁付近には彼岸花が群生していました。

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南側の大手口へ回り込む途中、弁天池の跡(図1の2
分かり易いように水を溜めてみました(笑)

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お馴染み、三の曲輪。
大手から入るとこの三の曲輪の手前に馬出し状の曲輪(現諏訪神社)があって、これがとても格好いいので是非そちらも♪

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堀底で山城忍者・こばたかさんを発見☆赤がよく目立つなぁ←忍者失格?!(笑)

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三の曲輪(手前)とニの曲輪(左)の間の堀…と畝一つ (^_^;)

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この畝、上から見下ろしている時は小さくて貧弱に見えたのですが、堀底に下りてみると…腰ぐらいの高さがあり、戦闘中の敵兵の移動を妨げるには充分な効果がありそう。

さて、そもそも今回のオフ、鉢形城でのメインイベント?はサイガさんによる縄張図作成講習。
参加者の大半が三の曲輪と二の曲輪の間に築かれた物見台?馬出し??状の遺構(現城山稲荷神社周辺)の縄張図作成に取り掛かった為、細かい作業が苦手な私は一人、城跡散策へ。

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北へ進んで本曲輪。図1の3地点に築かれた虎口。かなり立派でした。

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笹曲輪から本曲輪への虎口に残されていた?石垣。

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笹曲輪に展示されている鉢形城の模型。写真は北から南方面を向いています。
城の主要部分は荒川(右)と細い深沢川の渓谷に守られていた様子がよく分かります。

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その荒川対岸から鉢形城遠景。
長い年月をかけて荒川の流れに削り取られた断崖絶壁が、敵兵の侵攻を拒絶するかのようです。

なお、他の参加者たちはあの先で縄張図作成中…

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戻ってみるとそれぞれ完成していました。代表してtantanさんが描いた縄張図を♪…この後、ファイルごと失くして幻の縄張図になってしまったようなので…(^_^;)
皆(あえて「皆」にしておく…ww)本当に綺麗に描けていました。初めての人もいるのに凄いなぁ~。

鉢形城、3年前に訪れた時より藪も綺麗に刈られ、とても見易くなっていました♪
この後、単独で忍城周辺を攻めていたしろうさぎさんも合流し、次の杉山城へ移動しました。


◆杉山城
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昭和30年代と平成に描かれた杉山城のイラスト。

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もう個人的には3度目になるけど…いつ来てもいいなぁ♪

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杉山城といえば!の眺めですね(笑)

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土橋に堀、土塁・・・全ての組み合わせが本当に美しい☆

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北郭群西側斜面の藪も綺麗に払われ、堀が出現していました☆

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杉山城の素晴らしい遺構にすっかりテンションが上がった城ガール隊員たち。南郭の土橋で奇妙な記念撮影(笑)

やっぱりいいね、杉山城!埼玉へ来たら絶対に訪れて欲しい城跡です。


◆菅谷館
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初日ラストは菅谷館。半年ぶりの畠山重忠さん♪…相変わらずワイヤーで吊るされていました(^_^;)

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本丸への土橋(奥)と出枡形土塁(手前)。
菅谷館はこれまでで一番、藪がきつかったな・・・(;-_-)

時間もあまりなかったのでサクサクッと観て回り、初日の行程はこれにて終了。
引き続き川越での飲み会へと移動する皆さんと分かれ、私は帰路へと就きました。。。

(2日目につづく)

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2013年9月 7日 (土)

長島城 -信長公を想う旅⑦

今回の「信長公を想う旅」、ラストは長島城です。
卜全塚の記事でも少し触れましたが、元亀~天正の長島合戦では一向一揆勢の拠点にもなりました。
江戸期には菅沼氏、(久松)松平氏、増山氏が入っています。

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真宗高田派蓮生寺に移築された長島城大手門。移築の際に少し縮小されているそうです。

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瓦には増山氏(藩祖は4代将軍・家綱の生母の弟の子)の家紋も。

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門の瓦の上に狛犬が乗ってる♪

絵図
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改修が続けられた江戸期の長島城絵図。
本丸はそっくりそのまま中学校・小学校の敷地になっています。

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ほら、小中学校の敷地の形といい、堀川といい、上の絵図と比べてもソックリでしょ!

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絵図A地点から南東を見た様子。左手に堀川が流れます。
このカーブ、絵図のまんまだね☆

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小学校敷地内に生える天然記念物「大松」(正面奥)
樹齢300年を超え、お城があった江戸期当時から本丸の南西隅に生えていたそうです。

・・・ありゃ海姫さん、ツカツカと入ってっちゃったよ(笑)

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そうそう、この辺りは「中筋南」なんだそうです。長島の中央を南北に貫くラインを「中筋」と呼ぶのかな?
卜全塚の記事でも触れましたが、おそらくこれが「中筋口」のライン☆

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左手に見えているのが現在の大手橋。絵図で言うとC地点になります。
その手前、道路が右に窪んで狭くなっていますが、歩道の手すりくらいまでが当時は堀だったと仮定すると、見事に絵図B地点の形状に一致すると思いませんか?!

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絵図の右隅、の又木茶屋の辺りから大手橋方面。
(現在地図にも右に「又木茶屋」とあります)

長島城、一見すると遺構は何も残っていないように思えますが、現在の町の区画に城の形状が色濃く反映されています。もっといろいろと探索してみたい城跡ですね♪

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最後に又木茶屋で一服♪
ぬるめの抹茶に涼を得て、疲れにジワ~と効きました☆

さてさて、1泊2日の「信長公を想う旅」もこれにて千秋楽ww
今回も多くの人にお世話になりました。お陰様で想定以上の充実度、ありがとうございました☆
・・・次はどこでお会いしましょうか?(笑)

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卜全塚 -信長公を想う旅⑥

「大田口合戦の事」(「信長公記」巻四)

(元亀2年/1571)五月十二日、河内長島表へ三口より御手遣ひ。信長は津島まで御参陣。中筋口働きの衆、佐久間右衛門(中略) 川西多藝山の根へつけて、大田口へ働きの衆、柴田修理亮、(中略) 氏家卜全(以下略)

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元亀2年(1571)5月、織田信長は長島一向一揆討伐の為、軍を起こします(第一次長島侵攻)。
5月12日、信長自らは津島(地図右)に布陣し、中筋口(同中央)からは佐久間信盛率いる軍勢が、そして氏家卜全は柴田勝家率いる大田口(同左)の軍勢に加わり、三方から長島へ向けて南進します。


五月十六日、在々所々放火候て、罷り退き候ところに、長島の一揆ども山々へ移る。右手は大河なり、左は山の下道、一騎打ち節所の道なり(中略) 柴田修理見合せ、殿(シツハライ)候のところ、(中略) 柴田薄手を被り、罷り退く。二番、氏家卜全取り合ひ、一戦に及び、卜全、其の外、家臣数輩討死候ひしなり。

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ところが一揆勢の頑強な抵抗に遭い、木曽川や長良川といった大河に守られた地を攻めあぐねた織田勢は5月16日、方々に放火しながら撤退を開始します。
大田口を引き上げていく柴田勢は勝家自ら殿軍を務めますが、傷を負ってしまいます。そこで2番目に殿を務めたのが氏家卜全。
ところが右は大河(揖斐川)、左は山(養老山脈)に挟まれた一騎打ちの狭い道。山々へ移った一揆勢の猛攻を受けて、卜全は敢えなく最期を遂げます。。。

地図のAが卜全塚の位置。大河と山に挟まれた地、まさに「信長公記」の記述通りの地形でした。少し南に「太田」という地名も見えていますね。おそらくこれが「大田口」の由来でしょう。

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卜全塚。田んぼの奥には揖斐川の堤防が見えています。

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反対側から。
山と大河に挟まれた場所は決して「一騎打ち節所の」と表現するほど狭くはありませんでしたが、当時この辺り一帯は湿地で、軍勢が通れる道は狭かったのかもしれませんね。


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こちらは現在の願證寺。
当時の願證寺跡地は長良川の川底に沈んでしまっていますが、長島の一向一揆は願證寺の住職が盟主となり、長島城を拠点に信長に抵抗しました。

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石山本願寺が「石山御坊」なら、こちらは「長島御坊」。

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菊の御紋に桐紋・・・

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長島一向一揆殉教之碑
400年追悼法要で建てられました。

織田軍の第ニ次侵攻も退けた一揆勢でしたが、天正2年(1574)7月の第三次侵攻で遂に殲滅されるのでした。。。

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美濃高須 -信長公を想う旅(番外編)

さて、勝幡城の次は県境を越えて岐阜県へ。
ちょっと織田信長公から離れ、幕末の「高須四兄弟」で有名な美濃高須(海津市)へ向かいます。

※「高須四兄弟」…美濃高須藩十代藩主・義建の子供たち。
・徳川慶勝:尾張藩主(2度)
・徳川茂栄:高須藩主、尾張藩主、一橋家当主
・松平容保:会津藩主(京都守護職)
・松平定敬:桑名藩主(京都所司代)


まずは海津市歴史民俗資料館へ。

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資料館の前庭に復元されていた「堀田」
輪中の低湿地で米の生産を守るため、周辺の土を掘って短冊状に土を盛り上げた田んぼ。掘った部分は低湿地であるがゆえに、ご覧の通り水が溜まって池のようになります。

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こちらが海津市歴史民俗資料館。3階部分には高須城の御館が復元されています。
それにしても1~2階部分の石垣のようなものが高くて不思議な姿形ですが、これにもちゃんと理由があります。

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長良川、及び揖斐川の堤防の高さが示されていました。
つまり、あれらの堤防が決壊するとそれだけの水が流れ込んできてしまうからなのですね・・・。周辺の家屋にも石積みなどで床下を高くした「水屋」と呼ばれる形式の建物が多く見受けられました。

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「御館」内部。容保は江戸藩邸で生まれているので、実際にお国入りしたかは不明です。かなり早い段階で会津藩に養子入りしていますので、おそらく来たことはなかったんじゃないかな。
展示品で一番目を引いたのは、明治になってこの地で謹慎していた会津藩公用人、手代木直右衛門・秋月悌次郎らの短冊。

1~2階のスペースでは輪中に関する展示や解説が充実していました。周辺地域の人々以外にはあまり馴染みのない輪中ですが、とても勉強になります。


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ちょっと車で移動して、高須城の堀跡。

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主水橋

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藩校「日新堂」跡


更に移動して、、、
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高須藩松平家菩提寺・行基寺。
結構急な山道を登って行った先にありますが、素晴らしい風情ですね~♪
※ここは元々、臥龍山城というお城でもあったらしいのですが、今回はお城として訪れていませんので個人的な訪城数にはカウントしません。

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山門には葵紋。

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本堂

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本堂の廊下。床板が黒光りして、とても重厚な雰囲気でした。。。

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おぉ・・・なんという眺め♪

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こちらの襖絵、実は薄く不動明王が描かれていました。ちょっと分かり辛いですね(^_^;)

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行基寺へ移動する辺りから降り出した雨は激しさを増すばかり・・・

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高須松平家廟所への門。残念ながら入ることは出来ませんでした。

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門の脇から。右奥に見えているのが廟所ですね。
・・・それにしても、この雨!(^_^;)

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とても立派な山門。

高須巡り。輪中のことを勉強できたし、良かったです。
行基寺はとても素敵な空間でした。是非ともまた訪れたい場所リストに加わりました☆


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こちらの道の駅で昼食を摂った後は、長島方面へ南下していきます。

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勝幡城 -信長公を想う旅⑤

さて、「信長公を想う旅」も2日目です。
早朝8時に集合(メンバーは初日の飲み会から伊藤さんだけ抜けた7名)、まず向かうのは勝幡城!

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勝幡駅前に建つ信秀・土田御前、そして赤子の信長銅像。
信秀の顔・・・( ._.)

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そして、勝幡城のジオラマ♪
信長公の生誕地についてはこれまで那古屋城説や古渡城説もありましたが、信秀による那古屋城奪取が信長誕生の後だったことが判明した為、現在では那古屋城奪取前に信秀が居城としていた勝幡城こそ、織田信長生誕の地として確実視されています。
(古渡城は那古屋城の更に後)

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城域近くの嫁振橋欄干にあった復元図。

これを現在の地図に当て嵌めると・・・

地図
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およそこんな感じになります。地図を見ても分かる通り、完全に宅地化されています。

では何故、あんなに詳しいジオラマを作れたり、復元図を描けたりするの?と疑問に思われるかもしれません。それは江戸時代、尾張藩によって作成された絵図が残されていたからなのです(「中島郡勝幡村古城絵図」)。

果たして完全宅地化された現在の地形に、何かしらの痕跡を見出すことが出来るのか?今回はそれを目的として訪れてみました。

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本丸の北、地図地点に建つ勝幡城址の石碑。

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地図1地点。ジオラマや復元図でも確認できる通り、かつてここには木橋が架けられていました。道の左右は堀と推定。

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本丸の西半分を南北に貫通する日光川。江戸時代、治水の為に開削されました。
信長公が生まれた場所、もしかしたらこの川の真上かもしれないんですね。。。

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地図2地点。こちらの本丸東側には土橋が架けられていました。
写真左右に横切る道路・・・盛り上がっていませんか?!もしや、土橋の痕跡!…と思いたい(笑)

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地図地点から南の本丸方面。
足元から徐々に窪んでいって10m程先でまた盛り上がっています。これは本丸北側の堀の痕跡ではないかと考えます。

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地図地点に建つ石碑。
「織田弾正忠平朝臣信定古城蹟」と読めます。信長公のお祖父さんですね。

住宅地の中をウロウロする7人の集団・・・完全に不審者でしたね(笑)
でも
いずれまた、機会があれば探索範囲をもっと広げて歩いてみたいです☆

(参考文献:「信長の城」 千田嘉博著 岩波新書)

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万松寺 -信長公を想う旅④

小牧を出た後はそれぞれが宿を取っている名古屋市内へ。
但し、ホテルに入る前にもう一ヶ所立ち寄り♪

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現在は大須にある万松寺。天文9年(1540)、織田信長の父・信秀が織田家の菩提寺として建立しました。
賑やかな商店街の真っ只中にありました…(^_^;)

その信秀が没すると、彼の葬儀も万松寺で僧侶300人を集めて執り行われたと云います。
そして・・・

信長御焼香に御出で。其の時の信長公御仕立、長つかの大刀、わきざしを三五なわにてまかせられ、髪はちやせんに巻き立て、袴もめし候はで、仏前へ御出でありて、抹香をくはつと御つかみ候て、仏前へ投げ懸け、御帰り。
(「信長公記」首巻 備後守病死の事 より抜粋)

髪は茶筅、袴も穿かず、両刀をしめ縄で巻いただけの姿で仏前に立ち、抹香を「クワッ」とつかんで位牌に投げつけた有名なエピソードの舞台でもあります。

※但し、創建当時の万松寺は現在地よりも那古屋城(名古屋城二の丸一帯)寄り、現在の中区錦~丸の内ニ、三丁目辺りにありました。
1610年、名古屋城築城の際に大須に移されたので、信秀の葬儀が行われたのも移転前の場所になります。

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信秀公の墓所にお参りします。。。

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織田信秀公墓碑

来れて良かった☆

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一旦各自のホテルにチェックインした後、夜はまっさん、misaさん、ゆっきー、海姫さん、そして桶狭間の伊藤さんも駆けつけてくださり、まっさんが手配してくださったお店で総勢8名の宴♪
皆大好きなお城や歴史の話で盛り上がり、夜は瞬く間に更けていくのでした・・・☆

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小牧山城 -信長公を想う旅③

永禄6年(1563)、織田信長は小牧山に城と城下町を建設、清州から居城を移しました。
では早速、小牧山城攻めスタート☆

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山麓、城山をグルッと囲む土塁。その断面が展示されています。
ちなみにこの土塁は信長築城当時のものではなく、天正12年(1582)の小牧長久手の合戦時、小牧山に陣を布いた徳川家康による改修で築かれたものと推定されています。

図1
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「帯曲輪地区」と呼ばれている山麓東側の図面。
堀と土塁に守られた内側に水路?のようなもので区画された曲輪がいくつも並んでいる様子が分かります。おそらく身分の高い武将たちの館があったのでしょう。

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その「帯曲輪地区」。現在は公園のように整備されていますが、曲輪を区画する水路状の溝はちゃんと残っていました。

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図1を付けた曲輪。他の曲輪と違い、ここだけは周囲を立派な土塁で囲まれていることから特別な場所=織田信長の居館だったのでは?と考えられています。北側の一辺には他の曲輪群と一線を画すように立派な堀も(写真)。
山頂の本丸が彼のプライベートな居館だったとすれば、山麓のこちらは外交や政治を司るオフィシャルな場所だったのかもしれません。

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小牧山城と南側の城下町の様子。
一番手前(南)にも城下町を守るように土塁と虎口(2ヶ所)が築かれていた様子が再現されています。もしこれが現在でも残っていたら感動ものだったよな~

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木橋がとーっても邪魔ですが(^_^;)、立派な虎口。
こちらも家康による築造。

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では、主郭部へ♪
真っ直ぐ伸びる大手道を行くあっぴん。兄やんと、城ガール隊々長。

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山麓から一直線に伸びていた大手道も、中腹に掛かり主郭が近付いてくると途端にクネクネと左右に折れ始めます。
・・・安土城にソックリですね☆

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中腹で突如として現れる横堀。これもおそらく、徳川軍の手によるものと思います。

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本丸下に露出している石垣。
発掘調査の結果、信長が築いた小牧山城は主郭の周囲を石垣(段石垣)で固めたお城だったことが判明しました。
段石垣になっていたのは小牧築城時点ではまだ、安土のような高石垣を積む技術が無かったからではないかと考えられています。

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最後に小牧山城を訪れたのは8年前の2005年。その後に行われた発掘調査の成果をこの目で見れるかも、と期待して来ましたが、、、残念ながら既に埋め戻された後。
発掘の様子を伝えるパネルはいくつも展示されていましたが・・・。

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小牧山々頂の主郭に建つ天守風建物・・・(^_^;)
小牧市歴史館です。

手前に見えている銅像の台座の岩ですが・・・
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現在は石段のように上下2段に分かれています。
しかし、ご覧のように手前(上)の岩の縁に残る矢穴の跡と下の段に残る矢穴の形状が一致することから、元は一つの巨岩だったことが分かっています。
(岩が割られた時期は江戸期初頭と推定)

そしてこの岩、小牧山では産しない花崗岩なのです。この周辺で花崗岩が採掘出来る岩崎山は小牧長久手合戦時は秀吉の勢力下。当然家康が採掘できるはずもありませんので、まず間違いなく信長が運ばせて、この場所に据え付けさせたのです。
理由は様々考えられますが、主郭の入口部分にあたりますので鏡石的な意味合いもあったのかもしれませんね。

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歴史館最上階の展望回廊から。正面に岐阜城の金華山が見えています♪

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石垣に使用されていた石や裏込め石など。

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この記事を書きながら、8年前の自らの訪城記を読み返してみましたが・・・ホントに適当、甘かったね(^_^;)
多くの人に出会い、こうして一緒に城巡りをさせて貰っているうちに少しは成長できたってことかな?(笑)

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最後に中腹北側に残る出枡形。こちらも徳川軍による築造と思われます。

信長による築城と家康による陣城改修。2つが入り交じった遺構もまた、歴史を雄弁に物語っていました。

(参考文献:「信長の城」 千田嘉博著 岩波新書)

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2013年9月 4日 (水)

聖徳寺跡 & 総見院 -信長公を想う旅②

中村公園を後にして、次に向かったのは「聖徳寺跡」。

「信長公記」首巻の中に;

山城道三と信長御参会の事
一、四月下旬の事に候。斎藤山城道三、富田の寺内正徳寺まで罷り出づべく候間、織田上総介殿も是れまで御出で候はゞ、祝着たるべく候。対面ありたきの趣、申し越し候。


という記述があります。そう、有名な織田信長・斎藤道三による正徳寺の会見です。(天文22/1553年)

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聖徳寺跡
いつ、どんな事情で「正徳寺」が「聖徳寺」に変わったのかは調べがついていないので分かりませんが、まさしくここで信長と道三は相見えたのです!
会見の場をセッティングしたという堀田道空が地盤を持つ津島の北で、岐阜県(美濃=斎藤領)との県境をなす木曽川の畔(東岸)という立地にも完全に納得です。

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周辺の地名は今でも「富田」・・・

「信長公記」の中で;

富田と申す所は、在家七百間もこれある富貴の所なり。

と紹介されている名残か、目の前を旧街道が通り、とても趣のある家屋が建ち並んで往時の繁栄を偲ばせる素敵な場所でした。機会があればこの辺りの街道歩きもしてみたい♪


お次は清州(清須市)にある総見院へ。

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元々この地には天正年間に信長の次男・織田信雄が父の菩提を弔うために建立した総見寺がありましたが、「清州越し」によって名古屋へ移転します。
その跡地に1644年、尾張初代藩主・徳川義直によって再興され、「総見院」と名付けられたのが始まりです。
こちらを訪れた最大の目的は・・・

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本能寺の変直後、焼け跡から信雄が見つけ出したと伝わる(伝)織田信長所用の「焼け兜」(写真提供:海姫さん)
信雄から秀信(信長嫡孫)へと渡り、最終的には1785年に柏原藩織田家より総見院へ奉納されました。箱の由緒書きは時の柏原藩家老、生駒主水方綱・津田内蔵助頼利の筆によります。
前立ても装飾も全て焼け落ちていますが、形状からして相当身分の高い武将のものであったことは確かでしょう。本当に織田信長のものであった可能性は高いと信じます。

実はこの焼け兜、拝観には要予約です。私は事前にそのことを全く把握していなかったのですが、ちゃんと流星☆さんが予約してくれていました。感謝☆

総見院を出た後は小牧方面へ。
既に午後2時になっていたので、小牧山城下で遅めの昼食♪

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名古屋グルメの一つ、あんかけスパゲティ♪
濃いめの味付けと太めの麺の相性がGood☆ 美味しくいただきました。

さ、腹拵えも済んだところで次は小牧山城に登ります!

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秀吉清正記念館、他 -信長公を想う旅①

8月31日~9月1日は名古屋へ!
フォロワーさんたちとともに織田信長公所縁の場所を巡りました。

まずは新幹線→地下鉄を乗り継いで中村公園へ。

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駅を出て歩いていると…千成瓢箪♪
そう、この辺りは豊臣秀吉や加藤清正の出生地と云われています。

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豊国神社にお参りした後、、、

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流星☆さん、あっぴん。さんと合流して「秀吉清正記念館」へ。ここへ来た最大の目的は・・・

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こちら、信長公が天正元年(1573)の朝倉軍追撃戦の折、刀根山で敵将の首を持参した家来の兼松正吉(「信長公記」では「金松又四郎」)の足が血に染まっているのを見て、自らの腰に下げていたものを手ずから与えたという足半です!
※このエピソードについてはコチラの記事もご参照ください。

兼松家累代の家宝として大切に保管されてきたそうです。6月に刀根を訪問して以来の念願叶い、やっと拝むことが出来ました☆

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中村公園内に立つ「日吉丸となかまたち」の銅像ww

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公園隣の妙行寺境内に建つ加藤清正像。
妙行寺は別の場所にあったものを、加藤清正が両親・先祖の菩提を弔うために自らの出生地に移転させたと伝わります。

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境内庭園には「加藤清正公出生之地」碑も。
境内至る所に「蛇の目」と「桔梗」の紋が使われています。

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周辺の歩道で足元に目をやると・・・♪

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お隣の常泉寺には豊臣秀吉像。
こちらの常泉寺は秀吉を祀るために、やはり清正によって創建されました。

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「豊太閤産湯の井戸」・・・ホンマかい!?というツッコミはこの際、ご無用に…(^_^;)

「信長公を想う旅」(ネーミングは流星☆さん)と銘打っておきながら、最初の記事は秀吉や清正ばかりになりましたが・・・中村を訪れたのはあくまでも「足半」が主目的ですからね!(笑)

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