万松寺 -信長公を想う旅④
小牧を出た後はそれぞれが宿を取っている名古屋市内へ。
但し、ホテルに入る前にもう一ヶ所立ち寄り♪
現在は大須にある万松寺。天文9年(1540)、織田信長の父・信秀が織田家の菩提寺として建立しました。
賑やかな商店街の真っ只中にありました…(^_^;)
その信秀が没すると、彼の葬儀も万松寺で僧侶300人を集めて執り行われたと云います。
そして・・・
信長御焼香に御出で。其の時の信長公御仕立、長つかの大刀、わきざしを三五なわにてまかせられ、髪はちやせんに巻き立て、袴もめし候はで、仏前へ御出でありて、抹香をくはつと御つかみ候て、仏前へ投げ懸け、御帰り。
(「信長公記」首巻 備後守病死の事 より抜粋)
髪は茶筅、袴も穿かず、両刀をしめ縄で巻いただけの姿で仏前に立ち、抹香を「クワッ」とつかんで位牌に投げつけた有名なエピソードの舞台でもあります。
※但し、創建当時の万松寺は現在地よりも那古屋城(名古屋城二の丸一帯)寄り、現在の中区錦~丸の内ニ、三丁目辺りにありました。
1610年、名古屋城築城の際に大須に移されたので、信秀の葬儀が行われたのも移転前の場所になります。
信秀公の墓所にお参りします。。。
織田信秀公墓碑
来れて良かった☆
一旦各自のホテルにチェックインした後、夜はまっさん、misaさん、ゆっきー、海姫さん、そして桶狭間の伊藤さんも駆けつけてくださり、まっさんが手配してくださったお店で総勢8名の宴♪
皆大好きなお城や歴史の話で盛り上がり、夜は瞬く間に更けていくのでした・・・☆
| 固定リンク
「織田信長・信長公記」カテゴリの記事
- 九十九髪茄子を拝観(2021.07.10)
- 織田信長が初めて目にした富士山(台ケ原宿、他)(2021.04.13)
- 池田近道(姫街道)(2020.12.10)
- 当目の虚空蔵菩薩(2020.11.11)
- 花沢城、花沢の里(2020.11.10)
コメント