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2013年9月 7日 (土)

美濃高須 -信長公を想う旅(番外編)

さて、勝幡城の次は県境を越えて岐阜県へ。
ちょっと織田信長公から離れ、幕末の「高須四兄弟」で有名な美濃高須(海津市)へ向かいます。

※「高須四兄弟」…美濃高須藩十代藩主・義建の子供たち。
・徳川慶勝:尾張藩主(2度)
・徳川茂栄:高須藩主、尾張藩主、一橋家当主
・松平容保:会津藩主(京都守護職)
・松平定敬:桑名藩主(京都所司代)


まずは海津市歴史民俗資料館へ。

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資料館の前庭に復元されていた「堀田」
輪中の低湿地で米の生産を守るため、周辺の土を掘って短冊状に土を盛り上げた田んぼ。掘った部分は低湿地であるがゆえに、ご覧の通り水が溜まって池のようになります。

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こちらが海津市歴史民俗資料館。3階部分には高須城の御館が復元されています。
それにしても1~2階部分の石垣のようなものが高くて不思議な姿形ですが、これにもちゃんと理由があります。

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長良川、及び揖斐川の堤防の高さが示されていました。
つまり、あれらの堤防が決壊するとそれだけの水が流れ込んできてしまうからなのですね・・・。周辺の家屋にも石積みなどで床下を高くした「水屋」と呼ばれる形式の建物が多く見受けられました。

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「御館」内部。容保は江戸藩邸で生まれているので、実際にお国入りしたかは不明です。かなり早い段階で会津藩に養子入りしていますので、おそらく来たことはなかったんじゃないかな。
展示品で一番目を引いたのは、明治になってこの地で謹慎していた会津藩公用人、手代木直右衛門・秋月悌次郎らの短冊。

1~2階のスペースでは輪中に関する展示や解説が充実していました。周辺地域の人々以外にはあまり馴染みのない輪中ですが、とても勉強になります。


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ちょっと車で移動して、高須城の堀跡。

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主水橋

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藩校「日新堂」跡


更に移動して、、、
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高須藩松平家菩提寺・行基寺。
結構急な山道を登って行った先にありますが、素晴らしい風情ですね~♪
※ここは元々、臥龍山城というお城でもあったらしいのですが、今回はお城として訪れていませんので個人的な訪城数にはカウントしません。

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山門には葵紋。

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本堂

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本堂の廊下。床板が黒光りして、とても重厚な雰囲気でした。。。

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おぉ・・・なんという眺め♪

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こちらの襖絵、実は薄く不動明王が描かれていました。ちょっと分かり辛いですね(^_^;)

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行基寺へ移動する辺りから降り出した雨は激しさを増すばかり・・・

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高須松平家廟所への門。残念ながら入ることは出来ませんでした。

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門の脇から。右奥に見えているのが廟所ですね。
・・・それにしても、この雨!(^_^;)

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とても立派な山門。

高須巡り。輪中のことを勉強できたし、良かったです。
行基寺はとても素敵な空間でした。是非ともまた訪れたい場所リストに加わりました☆


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こちらの道の駅で昼食を摂った後は、長島方面へ南下していきます。

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