松江城 -山陰への旅④
旅の3日目。こちらも念願だった松江城を巡ります。
・・・と、折角なので前日に楽しんだ堀川めぐり(遊覧船)も合わせてご紹介します。
松江城絵図
あえて北を上に向け、ご紹介していく順に赤文字で番号をふりました。
まずは前日の堀川めぐりから。
絵図1のカラコロ広場から遊覧船に乗り、外堀を反時計回りに進みます。
・・・脱いである靴の数を見て!まさかの貸切(笑)
堀に面した民家の裏手には、かつて堀の水を生活用水として利用していた名残の石段も。
絵図2地点。ここで左に折れて外堀(米子川)を北上します。
写真をご覧頂くと分かる通り、松江城の堀に架かるいくつかの橋は水面から高さがあまりなく、そのままでは通れないので船の屋根を下げ、乗船客も屈んで通過します。
東面の外堀から米子橋(絵図3)方面。
もう少し進むと…見えてきましたね、松江城天守♪
内堀に入り、絵図4地点の石垣。
長閑な時間が流れます・・・
絵図5の塩見縄手を眺めやる・・・
折角なので一旦絵図6で下船し、塩見縄手を歩いてみることにしました。
あちらの亀の石像、、、
甲羅にハートマーク♥
おっと、すぐに塩見縄手へ向かおうと思ったのに…こんな看板を目にしたら・・・
入っちゃうじゃない(笑)
丁度良かったので昼食も。ビールは季節限定の黒ビール、昼食メニューは出雲蕎麦にしじみご飯、しじみ汁♪
この日(2日目)の夜もしじみのだし巻き卵を食したし…これだけしじみ尽くしで過ごしたら、肝臓治っちゃうかも!?ww
…さて、今度こそ塩見縄手へ。武家屋敷や、、、
小泉八雲旧家跡などが建ち並びます。
(入りませんでしたけど…)
軽く散策を終えて再び遊覧船に乗船。絵図7の堀(城山西堀川)を南下します。
途中、こんなに狭い橋も通過、最初に乗船したカラコロ広場まで乗船しました。
さて、ここからは3日目に入ります。
前日に遊覧船でも通った、絵図3の堀。
米子橋を左折して大手に向かいます。
大手前から見上げる中櫓と南櫓(絵図8、9)
いきなり感動もののスケール!
そして、堀尾吉晴さんの銅像。
二ノ丸下ノ段の石垣(絵図でいうと「現在地」の文字がある辺り)
二ノ丸上ノ段の南櫓を内側から(絵図9)。中に入れます。
興雲閣(明治36年の完成)
当初は明治天皇をお迎えしようとしたが日露戦争の勃発によって山陰行幸は実現せず。その代わり、明治40年には当時の嘉仁皇太子(後の大正天皇)が山陰行啓の際にお泊りになったそうです。
ところで、興雲閣の現地説明板に一ヶ所ツッコミどころが…
「当時はロシア宮殿風といわれ、その名は広く近隣にとどろいた。」
って…どっちやねん!(笑)
松江神社
二ノ丸上ノ段から太鼓櫓(絵図10)
本丸へと続く一ノ門。そして・・・
遂にやって参りました、松江城天守!(絵図11)
全国に12ある現存天守の一つです。そして私にとり、12番目に訪れた現存天守。そう、遂に全国12現存天守をコンプリートしました!!
昨年9月に福井の丸岡城を訪れてリーチをかけてから丸一年、本格的に城跡巡りを始めてからは足掛け9年での達成です☆
実はこの時、まだ朝の8時頃で天守の中に入れなかった(午前8:30~)ので、しばし本丸内を散策。
天守を正面から…
天守の足元には埋め込まれた瓦・・・これは雨水による浸食防止の為、だったかな?
野面積みの石垣、好きだな~♪
ここで登閣時間になったので天守内へ♪
現存建築物のこの木材の感じ、いいね☆
天守最上階から。宍道湖が見えています。
北ノ門から本丸を抜けた先にある枡形。
搦手(絵図12)
この複雑に折れ曲がった道が、枡形虎口の名残かも♪
この日も遊覧船はひっきりなしに通ります☆
脇虎口ノ門(絵図13)から北惣門橋。
橋の向こうに見えているのは松江歴史館。その昔は重臣たちの屋敷があった場所です。
松江歴史館では天守を眺めながら抹茶などを頂くことが出来ます♪
勿論私も一休み☆
LEGOで出来た松江城天守。石垣まで本当によく出来ています。
松江城と城下のジオラマ。
大坂冬の陣で真田幸村が真田丸の櫓から松平直政(結城秀康三男。初代松江藩主)に投げ与えたと云われる軍扇(複製/本物は松江神社蔵)
100年毎の松江城下のパネル。こういう比較、好きよ♪
いや~すっかり満喫しました☆
帰りしな、大手門前では甲冑姿の武士がお見送り?!
松平直政像
最後にもう一度振り返って、松江城天守☆
うん、私にしてはじっくり時間をかけて観た方(笑)
やはり素敵なお城でした☆
| 固定リンク
「お城、史跡巡り 中国」カテゴリの記事
- 布勢天神山城(2018.04.24)
- 鳥取城、他(2018.04.23)
- 因島水軍城、金蓮寺、青陰城(2014.09.17)
- 萩の城下町♪(2014.04.18)
- 萩城(2014.04.18)
コメント