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2013年10月

2013年10月19日 (土)

松坂城と城下

旅の4日目、最終日。
いつまでも鈴鹿の興奮の余韻に浸っていたいところではありますが、関東に帰らなくてはなりません。。。

でも、その前にちょっと寄り道♪

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松阪に来たらここは見ておかないとね、蒲生氏郷が築いた松坂城☆

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いきなりスケールの大きい石垣・・・

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松坂城の図面

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大手にあたる表門付近に建つ「松阪城跡」碑

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まずは歴史民俗資料館で松阪の歴史と文化のお勉強。
ちなみにこちらの建物、明治45年の竣工。

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本丸下段、多聞跡と太鼓櫓跡(奥)

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本丸上段、金ノ間櫓跡に建つ「松阪開府之碑」

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そして天守台
三層の望楼型天守が乗っていたそうですが、残念ながら正保元年(1644)の大風で倒壊。

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天守台の石垣。こういう風情も好きです。。。

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本丸上段。周囲をグルッと石垣が囲みます。

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天守台の南西側、きたい丸に残る角櫓跡。
横矢仕掛けの為の構造でしょうか・・・結構ツボです、こういう遺構(笑)

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きたい丸からの眺め

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いいねぇ…

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中御門跡の石垣

ところで、松坂城隠居丸には江戸時代の国学者として有名な本居宣長の旧宅が移築されています。
まずは「本居宣長記念館」で「古事記伝(傳)」や日記(共に重要文化財)などの貴重な資料を見学してから・・・

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本居宣長旧宅と書斎「鈴屋」
「鈴屋」は二階、障子が開いてうっすらと掛け軸が見えている四畳半です。掛け軸には「縣居大人(師・賀茂真淵)之霊位」とあります。
宣長はこの部屋で「古事記伝」などを著していったのですね…床柱には横板をはめ、鈴を下げて音を愉しんだと云います。だから「鈴屋」。そしてマンホールの絵柄にもなったエピソードもここからだったのですね♪

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鈴屋に上がるために使っていた階段

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何だか不思議な形・・・

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二ノ丸から見下ろすと、城を警護する武士団が住んだ「御城番屋敷」の瓦屋根が見えます。
あの辺りも城内、三ノ丸だった場所です。

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御城番屋敷には今も人が住んでいますが、一番お城側の一軒だけは当時のままの姿で公開されています。

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昔の武士の住まいを見るにつけ、質素な暮らしだったんだな~と実感。

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御城番屋敷の路地から松坂城の石垣。

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ちょっとお城から離れて町も散策します。

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松阪商人の代表格、「現金掛け値なし」の三井家発祥の地。

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松阪商人の館。豪商・小津家の旧宅で見学できます。

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敷地内から発見(発掘?)されたと云う「万両箱」
残念ながら、中身は空の千両箱が入っていただけだそうですが(笑)

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一介の武士などよりも遥かに裕福な暮らしぶりが伺えます。

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松阪商人の館を出て、一本裏の路地を進むと…

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本居宣長旧宅跡
ここに先程の、現在は松坂城跡内に移築されている旧宅が建っていたのですね。。。


さて、今回の旅はこれでおしまい。
お昼頃に松阪を発ち、東名の御殿場を過ぎた辺りからは渋滞にもハマりながら、何とか無事に帰宅致しました。

実は松阪周辺には来月(11月)にもまた来るんですよね、偶然ですけど…(^_^;)
今回の史跡巡りは駆け足になったので、見落とした箇所や回り切れなかった場所にも行けたらいいなぁ~

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2013年10月18日 (金)

F1日本GP 2013観戦!(決勝)

10月13日(日)、ついにF1日本グランプリ決勝の日を迎えました。
この日も前日同様のルート、時間でサーキットに到着。

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GPスクエアは早くもご覧の盛況ぶり!

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前座レースの一つ、S-FJチャレンジカップレース。
優勝した根本選手、まだ若干17歳ながらこれでシリーズ10戦10勝なんだとか…凄い!今後のフォーミュラ界、期待の新星ですね☆

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そして前日に引き続き、ポルシェ・カレラカップも。これが年間最終戦!

さすがに決勝日。コース上のイベントも盛りだくさんで観客を飽きさせません♪
午後に入り、決勝のスタート時間がジワリと近づくに連れ・・・

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今度はレジェンドF1走行☆
中嶋悟・一貴・大祐親子3人によるデモ走行!(ロータス100T/ティレル019/ロータス101)

そして・・・
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マクラーレンホンダMP4/6!!
このエンジン・サウンドには心底痺れた~♪

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決勝レース前、最後のイベントは恒例のドライバーズパレード♪
前日の予選でP.P.を獲得したM.ウェーバー(レッドブル)

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今年はiPhoneで客席を撮影していなかったね(笑)、S.ベッテル(レッドブル)

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L.ハミルトン(メルセデス)

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予選でいい走りを見せ、4番手スタートとなるR.グロージャン(ロータス)
まさか彼がこの後のレースでも・・・!?

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アキバは満喫できたかい?(*≧艸≦) F.アロンソ(フェラーリ)

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「アイスマン」 K.ライコネン(ロータス)

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パレード開始当初からスクリーンに映し出されていた国際映像で、レポーターが一緒に乗り込んでインタビューしていたから嫌な予感はしていたんだよね…
オネーサン、邪魔っ!!・・・あ、J.バトン(マクラーレン)です(^_^;)

さ、パレードも終わり、各々思い思いに昼食やトイレ休憩(笑)を済ませた午後3時・・・

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F1日本グランプリ2013決勝、スタートッッ!!!!
今年も1コーナーでクラッシュが発生(左後方の砂煙)する中、ポールショットを決めて先頭に躍り出たのは・・・グロージャン!?

例年通りレッドブル勢の強さばかりが際立つ中、グロージャンの意外?な頑張りがレースを盛り上げてくれます☆
・・・いいじゃん?グロージャン!!ww

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レース終盤、2番手を走行するグロージャンを追い詰めるウェーバー。
この後オーバーテイクに成功し、結局ウェーバーが2位、グロージャンは3位でした。しかし、無敵のレッドブル勢2台に唯一真っ向から勝負を挑んだグロージャンの走りは光っていました☆

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5番手走行のヒュルケンベルグ(ザウバー)を追うライコネン。こちらも最終的にはライコネンがオーバーテイクに成功します。

そして、白熱のレースを制したのはやはり今年も・・・S.ベッテル!
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ウィニング・ランをするベッテル(右)
これでここ5年間の鈴鹿で4勝目!ちょっと速過ぎ・・・(^_^;)

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シャンパン・ファイト♪

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レースも無事終わり、撤収するマーシャルたち・・・ん?あの黄色いの、大きな「手」!?
観客席に手を振ってる♪

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夕暮れ迫る鈴鹿サーキット。今年もあっという間に終わってしまいました。。。

最後に西コース・ウォークへ。レース後に1時間だけ解放されます。
入場するための列に加わるのが遅れたため、入れた頃には真っ暗になってしまいましたが・・・

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縁石に残されたタイヤ痕を見たり、タイヤかすを探したりしながら進みます。

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デグナーから立体交差
シャッタースピードを遅くして撮影しているので、動いている人間がとても怖い感じに写っていますが・・・(^_^;)

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ヘアピンも☆

毎年、訪れる度に別れが惜しくなる鈴鹿サーキット。
きっと来年も来るからね…(;_;)/~~~

ところで、松阪に戻ってからの夕食は、ホテル横にあった焼き肉屋にて。結局この日も肉(笑)
松阪牛ではなかったので、安心してたらふく食べましたよー(≧▽≦)/

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2013年10月17日 (木)

F1日本GP 2013観戦!(予選)

旅の2日目。
今年もいよいよこの日がやって参りました、F1日本GP!まずは公式予選(10/12)。
朝7:30過ぎにホテルを出発、松阪駅から白子駅までは近鉄の急行で30分強です。

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駅までの道すがら、松阪のマンホール(笑) 本居宣長愛用の鈴がモチーフになっているそうです。

白子駅からはいつも通りシャトルバスで鈴鹿サーキットへ。

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サーキット周辺では朝から早くも「出待ち」の人だかり。

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そしてメインゲート!
今年で4年連続6回目の鈴鹿だけど、ここに立つといつも興奮が抑えきれなくなる☆
(ちなみに今年は、鈴鹿でのF1開催25回目の記念大会でした)

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ある意味お祭りだからねww
去年もいたなぁ~この人たち。海外クルーの取材を受けていました。

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グランドスタンドが近付いてきました!

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グランドスタンド裏のGPスクエアも朝から大盛況☆
HONDAブースでは歴代マシンの展示や・・・

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LIVEなど、様々なイベントも開催されいていました。
(現在開発中の2015年向けF1エンジンの音をスマホにDL出来るサービスも♪)

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中島悟さんのブース?では、ご覧の通り・・・
(この時代はF1観ていなかったから、あまり分からないけど…)

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毎年オープニングラップで何かが起きる1~2コーナー♪

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そして今年の観戦場所はこちら!
1~2コーナーを立ち上がってS字を抜け・・・

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逆バンクに入っていく辺りまで。
昨年は2コーナーとS字の間くらいだったので、少し左にズレた感じ。

午前11時からのフリー走行を堪能し、、、

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マーシャルたちによるパフォーマンス(今年はセーフティー・カーを停止させてのピット/タイヤ交換作業の真似事でした♪ いろんな意味で鈴鹿のマーシャルは世界一☆)も楽しませて貰ったりしながら過ごして、、、

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いよいよ公式予選のスタート!!

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ウィリアムズの2台

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ここ数年、特に鈴鹿では無敵の強さを誇っているS.ベッテル(レッドブル)

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F.アロンソ(フェラーリ)

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K.ライコネン(ロータス)
唯一この1枚だけだったなぁ、この日まともに撮れていたの。。。

ところでF1は1チーム2台、全く同じカラーリングでマシンを走らせますので、サーキット観戦の際はヘルメットのデザインでドライバーを見分ける(カーナンバーはまず見えません)のですが・・・
中にはチームメイト同士、似たような色合いのヘルメットを被っているドライバーがいて迷うことがあります。
今年のロータスの2人、ライコネンとグロージャンも結構難しかったのですが・・・

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特に難しかったのはメルセデスの2人!(笑)
こちらはL.ハミルトンで・・・

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そしてこちらがN.ロズベルグ。
ヘルメットに注目!黒いラインの位置までソックリでしょ?これをコースで走行している最中に見分けるのは、結構難易度高いですよ…(^_^;)

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J.バトン(マクラーレン)
当然のことながら今年も鈴鹿に来ていましたね、ジェシカも♪

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さて、予選の結果はご覧の通り。今年はレッドブルのM.ウェーバーがポールポジションを獲得☆

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F1の公式予選後には、ワンメイク・レースとしては世界最速のポルシェ・カレラカップも☆

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帰りはこれまた例年通り、混雑するシャトルバスを避けて平田町駅まで歩きます(片道1時間程度)。
ここの夕日はいつも綺麗だな~

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鈴鹿でもマンホール探し(笑)
もしかしたらサーキットやレースのデザインかも?と期待していましたが、違いました…(^_^;)
こちらは鈴鹿山脈の峰々から湧き出た清水が、伊勢湾に流れ込む様子をデザインしたものだそうです。

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もう一つ。
一昔前までは当然のように見られたという、小川を泳ぐメダカのデザインだとか。
下水道事業によって、こういった光景を取り戻そうとの願いが込められているそうです。

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松阪に戻ってからは、前日の反省を活かして予めアタリを付けておいたお店で肉!陶板焼きでいただきました☆
勿論、正真正銘の松阪牛ですよ♪もう美味しいのなんのって・・・(´艸`*) 甘くてトロけるような、とはまさにこのこと☆
お値段?・・・この薄いすき焼き肉1枚で…約2,000円(^_^;) 顔のサイズくらいありましたけどね!(笑)

さ、次は決勝ですよー!

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2013年10月16日 (水)

田丸城 & 松ヶ島城

岡崎市の大樹寺をあとにして高速に乗り、例年通り伊勢湾岸自動車道の刈谷PA(ハイウェイオアシスがあるところ)で昼食を摂った後に向かった先は・・・

◆田丸城

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三重県玉城町にある田丸城跡!
町役場の駐車場に愛車を停めると早速、素敵な石垣がお出迎え♪

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田丸城跡の石碑

永禄12年(1569)、織田信長は伊勢掌握の為に総勢7万ともいわれる大軍を率いて北畠具教・具房親子が籠る大河内城(松阪市)を包囲します。
北畠氏の籠城は1ヶ月強に及びますが、最終的には信長の次男・茶筅(信雄)を具房の養嗣子にすることで和睦、事実上の北畠氏の降伏で戦いは幕を下ろしました。
伊勢入国後、信雄は元々あった城を改修してここ田丸城に本拠を移します。(後に火災で焼失した為、更に松ヶ島に城を築いて移っていきます)

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田丸城の図面(現地案内板より)
東(写真下)が大手となっており、三の丸を経て西(同上)に築かれた主郭部は天守台を擁する本丸を中心に、北(同右)に北の丸、南に二の丸という3つの大きな曲輪が南北に並ぶ構造となっています。

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大手門の先にある内堀。大きな蓮で覆われていました。
町役場隣にある郷土資料館で田丸城に関する簡単な史料を入手してから主郭部に向かいます。

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おや?何故かSLが…そういえば阿波の徳島城などでも見かけたなぁ。お城とSL、何か関連でもあるんですかね?ww

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富士見門。移築されてはいますが現存。

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北の丸から本丸の石垣を眺めやる・・・これは期待できるぞ♪

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本丸の石垣。いいねぇ☆

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本丸と奥に天守台
往時はあそこに三層の天守が建っていたと云います。

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天守台内部

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天守台からの眺め…逆光ゴメンw

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本丸内には小和田先生の記念植樹も☆

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本丸(右)と二の丸(左)の間の堀。
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二の丸側からの本丸虎口。写真右隅には土橋も。ここもいいね♪


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田丸城、石垣は期待以上の規模で楽しめました。いいお城ですね☆

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さて、田丸城をあとにして夕暮れ迫る中、次に向かったのはこちら・・・


◆松ヶ島城

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天生8年(1580)、田丸城が焼失したのを受けて、織田信雄が新たに築いて居城とした松ヶ島城(松阪市)。
周囲は広大な田園風景、一応ご覧のような看板が出てはいますが・・・

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とても車で入っていけそうにない路地の為、手前に路駐して徒歩で進み・・・

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更に農家の方が作業している脇をコソコソ?と抜けた先に・・・

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松ヶ島城の碑と天守台(跡)
近くにお住いのフォロワーさんから教えていただいたのですが、このこんもりとした土盛り、昔から地元では「天守山」と呼ばれてきたそうです。そのことから察するに、やはり天守台だったのでしょう。
しかし残念ながら、天守や石垣の石材なども後に築かれた松坂城に転用されたため、遺構は悉く残っていません。。。

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天守山の上から。ベンチがあるけど…草がっ(汗)

ま、松ヶ島城の方はほぼ何も残っていませんでしたが、「信長公記」などでも度々目にするお城。一度訪れてみたいと思っていたので、来れて良かったです☆

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さて、初日の行程を終えて松阪駅近くのホテルにチェックイン。
夕食は「松阪だけに、やっぱり牛でしょう!」ってことで早速街に繰り出しました☆…が、意外な程お店が少ない…(^_^;)
駅前の商店街など、雰囲気も匂いも完全に昭和。ネームバリューからすると、もっと大きな街かと思っていましたが、、、四日市とはだいぶ違う印象。

とりあえず適当なお店に入って一杯やりながら、翌日以降は予め松坂牛を食べられるお店を調べておこう、と心に誓ったのでした(笑)

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2013年10月15日 (火)

大樹寺

法蔵寺に引き続きましては、これまた徳川家の菩提寺・大樹寺へ。

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大樹寺の山門

成道山大樹寺
徳川家康生誕の地であり、最初の居城でもある三河岡崎城の北、約3㎞ほどの場所に位置します。初代・家康~14代・家茂までの歴代徳川将軍の位牌も安置されているそうです。
※15代・慶喜の位牌がないのは本人の遺言によって神式で葬られたため、だとか。個人的な思いとしては、、、然るべし。

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山門、及びその先の総門は本堂から見て南向き、岡崎城の方向に向かって真っ直ぐに配置されています。
現在でも条例の定めによって、本堂・山門・総門~岡崎城を結ぶライン上に視界を遮るような高い建物を建設することは禁じられており、お蔭で総門(写真)越しに岡崎城の天守を確認することができます。
※総門が建つ位置は現在、小学校の敷地になっていて山門側から近づくことはできませんが、校庭越しでも辛うじて・・・

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本堂

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本堂の瓦にもびっしりと葵紋。

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徳川家墓所
永禄3年(1560)の桶狭間の戦いに今川軍の部将として参戦していた家康(当時は元康)は敗戦後、岡崎まで撤退。それまで今川家の管理下にあった岡崎城ではなく、こちらの大樹寺に引き上げています。
一説では先祖の墓前で腹を切ろうとしたが、和尚の説得を受けて思い止まったとか・・・
(大坂夏の陣で真田幸村の襲撃を受けた時のエピソードといい、意外と諦めの早い性格?ww)

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一番手前から家康、広忠、清康、、、と順に遡り、初代・松平親氏までの歴代のお墓が並びます。

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家康の父・広忠(左)と祖父・清康(右)のお墓。

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こちらは二代・泰親が岩津城を奪取したことを起源とする岩津松平家歴代の供養塔(非公開)

この後は伊勢松阪方面へ向かいます。

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2013年10月14日 (月)

法蔵寺 -「近藤勇の首塚」 私的見解

10月の体育の日を絡めた3連休といえば…そう、F1日本GPです!
今回も3泊4日の旅程を組んで10月11日(金)、毎年一緒に観戦しているTomoを拾って出発!!

初日は例年通り鈴鹿サーキット近くの宿泊地までの移動日。私の趣味で史跡巡りをしながらユルユルの行進?です♪(笑)


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最初の訪問地は愛知県岡崎市の本宿。旧東海道の趣ある通り沿いに・・・


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二村山法蔵寺
飛鳥時代、行基によって創建されました(創建当時は出生寺)。平安時代には空海の来訪を受けて真言宗となったものの南北朝期に竜芸上人が浄土宗に改宗、寺名も法蔵寺に改められました。
徳川家の始祖・松平親氏が松平家の菩提寺としたことから、後に家康も幼少時にこちらのお寺で読み書きの手習いを受けたのだそうです。


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…なので、山門の前には家康(竹千代)の手植えと伝わり、手習いのおり草紙を掛けていたことから「御草紙掛松」と呼ばれる松も。勿論、何代か代を重ねていますが。
(「御茶屋の松」「御腰掛の松」とも…)


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鐘楼門も素敵・・・


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本堂。至る所に徳川家の葵紋がちりばめられています。


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御本尊の阿弥陀如来像


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境内の高台には家康を祀る東照宮もありました。


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東照宮が建つ高台から。

竹千代手習いの寺、法蔵寺。こちらにはその竹千代ゆかりの品として;

・竹千代八歳時の書き初め
・竹千代の落書きが残る文机


なるものが残されているということだったので、何としても拝観したかったのですが…寺務所の呼び鈴を押してお伺いしたところ非公開とのことでした。
こればかりは致し方ないですね。
お寺の方には丁重にご対応いただきました。ありがとうございました。


竹千代ゆかりの品は残念でしたが…でも、いいんです!今回法蔵寺を訪れた一番の目的はこちらですから・・・

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新選組局長、近藤勇の首塚とも伝えられてきた石碑(右)です。

板橋での斬首後、勇の首は京に運ばれて三条大橋の近くで晒されていましたが、その後の行方が分からなくなっています。
それが何故こちらに?という疑問も当然湧きますが…


それについて法蔵寺案内板によりますと;

『近藤勇首塚の由来


新撰組隊長近藤勇は、慶応四年(明治元年)四月二十五日三十五才で東京都板橋の刑場の露と消えました。
刑後、近親者が、埋められた、勇の死体を人夫に頼んで夜中ひそかに掘り出してもらい、東京都三鷹の竜源寺に埋葬しました。
また、勇の首は、処刑後、塩漬にして、京都に送られ三条大橋の西にさらされました。それを同士が三晩目に持出し、勇が生前敬慕していた新京極裏寺町の称空義天大和尚に、埋葬を依頼することにしました。
しかし、和尚は、その半年前から、三河国法蔵寺の三十九代貫主として転任されていたので法蔵寺に運ぶことにしました。この寺は山の中にあり、大木が生い茂っていて、ひそかに埋葬するのに好適の地でした。
しかし当時は世間をはばかって、石碑を土でおおい、無縁仏の様にして沓華していました。
そしていつか石碑の存在も忘れられてしまいました。
昭和三十三年総本山の記録等に基づいて調査した結果埋葬の由来が明らかになりました。
今回、石碑をおおっていた土砂を取り除き、勇の胸像をたてて供養することにいたしたのであります。


法蔵寺 執事』


とのこと。
しかし、どうにも根拠が薄い(失礼)気がしたので、個人的にもう少し掘り下げて調べてみることにしました。


石碑の台座には・・・

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ご覧の面々の名前が刻まれています。

土方歳三
戸村静一郎
小笠原新太郎
内田良太郎
鈴木萬之助
佐藤善二郎
鈴木源兵衛
菰田幸之助
松下信三郎
市橋鐘太郎
大田政一郎


世話人
清水三右エ門
堀川廉之助


慶応?年
内山勝行
建立

おそらく案内板にもある昭和33年の調査で、この台座の連刻名も発見されたのでしょう。
案内板では調査の結果明らかになったという『埋葬の由来』について、根拠が具体的には記されていません。が、土方歳三の名があったこと、そして当初は土方と共に名が刻まれていた人々は新選組隊士たちの変名と考えられたことなども、これが近藤勇の首塚であるとされた理由の一つだったようです。

ところが実は土方以外の面々も変名などではなく、ちゃんと実在した人物なのです。

小笠原/内田/鈴木萬之助(蕃之助)は伝習第一大隊、
戸村/鈴木源兵衛/市橋/大田は回天隊、
佐藤/菰田/内山も回天隊→伝習第一大隊に所属していました。


そしてここからが肝心なところ…
名前を刻まれた人々について調べてみると、戸村静一郎という人物、相馬左金吾という変名?を用いていますが回天隊の隊長を務めています。そのため他の人物よりも情報が多くて助かったのですが、彼は慶応4年4月19日、宇都宮での戦闘で戦死しています。(大田政一郎もかな?)

・・・そう、近藤勇の板橋での処刑は慶応4年4月25日、近藤より先に亡くなっている人物の名前が、近藤の首塚の石碑に刻まれるなどということがあり得るでしょうか?しかも処刑後、板橋で数日晒し首→京へ移送→三条大橋で晒し首という一ヶ月近くの時間経過を経た末に・・・。

という訳で、私の見解は言わずもがな。私はこちらの石碑は近藤勇の首塚ではない考えます。

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もう一度台座をよく見ると、建立年を示す部分だけが(不自然に)削られていて読めませんが…

そもそも、これが近藤を供養したものであるならば、土方以外に当時の新選組隊士の名前が一人も刻まれていないというのも可笑しな話。

土方歳三と伝習第一大隊や回天隊らは慶応4年4月の国府台集結から始まる北関東転戦で行動を共にしますが、ここは愛知県…。
まぁ、鳥羽伏見の戦いの折にも伏見奉行所付近で接点があったようなので、石碑は鳥羽伏見の戦い前後~戸村戦死までの期間に築かれたのではないでしょうか。(無論、近藤勇もその時点では存命)
理由・趣旨は分かりませんが刀も出土しているらしいので、伏見での戦死者を祀ったものか、はたまた江戸での再起を期したものであったか…或いは国府台出発を前に、内山某に依頼したものなのか(それにしても何故愛知県岡崎市に?という疑問は残る)・・・現時点ではそれ以上は知る由もない、かな。


さて、法蔵寺はあとにしますが旅はまだまだ続きます。

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2013年10月 5日 (土)

石田寺 -土方歳三の墓参

本日は石田寺へ土方歳三のお墓参りに行って参りました。

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殆ど地元みたいなものなので、もう何度目になるか…
生憎の雨模様ではありましたが、明日(10/6)は日野にある各資料館の開館日なので混むだろうと思いまして。。。

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お陰で境内には人の姿もなく、静かにお参り出来ました。

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歳進院殿誠山義豊大居士

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俗名 土方歳三義豊
明治二年五月十一日 箱館一本木関門に於て戦死
享年三十五才

そして裏を見ると、こちらの墓石は平成12年に新しく建てられたことが分かります。

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こちらが平成12年以前までの墓石。

日野、そして幕末の英雄・土方歳三。
彼のお墓の前で厳粛な気持ちで手を合わせていると、いつも心がゆったりと静まる気がいたします。そんな心の拠りどころのような場所が近くにある幸せを噛み締めつつ…合掌。
また来ます。

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