田丸城 & 松ヶ島城
岡崎市の大樹寺をあとにして高速に乗り、例年通り伊勢湾岸自動車道の刈谷PA(ハイウェイオアシスがあるところ)で昼食を摂った後に向かった先は・・・
◆田丸城
三重県玉城町にある田丸城跡!
町役場の駐車場に愛車を停めると早速、素敵な石垣がお出迎え♪
田丸城跡の石碑
永禄12年(1569)、織田信長は伊勢掌握の為に総勢7万ともいわれる大軍を率いて北畠具教・具房親子が籠る大河内城(松阪市)を包囲します。
北畠氏の籠城は1ヶ月強に及びますが、最終的には信長の次男・茶筅(信雄)を具房の養嗣子にすることで和睦、事実上の北畠氏の降伏で戦いは幕を下ろしました。
伊勢入国後、信雄は元々あった城を改修してここ田丸城に本拠を移します。(後に火災で焼失した為、更に松ヶ島に城を築いて移っていきます)
田丸城の図面(現地案内板より)
東(写真下)が大手となっており、三の丸を経て西(同上)に築かれた主郭部は天守台を擁する本丸を中心に、北(同右)に北の丸、南に二の丸という3つの大きな曲輪が南北に並ぶ構造となっています。
大手門の先にある内堀。大きな蓮で覆われていました。
町役場隣にある郷土資料館で田丸城に関する簡単な史料を入手してから主郭部に向かいます。
おや?何故かSLが…そういえば阿波の徳島城などでも見かけたなぁ。お城とSL、何か関連でもあるんですかね?ww
富士見門。移築されてはいますが現存。
北の丸から本丸の石垣を眺めやる・・・これは期待できるぞ♪
本丸の石垣。いいねぇ☆
本丸と奥に天守台
往時はあそこに三層の天守が建っていたと云います。
天守台内部
天守台からの眺め…逆光ゴメンw
本丸内には小和田先生の記念植樹も☆
本丸(右)と二の丸(左)の間の堀。
二の丸側からの本丸虎口。写真右隅には土橋も。ここもいいね♪
田丸城、石垣は期待以上の規模で楽しめました。いいお城ですね☆
さて、田丸城をあとにして夕暮れ迫る中、次に向かったのはこちら・・・
◆松ヶ島城
天生8年(1580)、田丸城が焼失したのを受けて、織田信雄が新たに築いて居城とした松ヶ島城(松阪市)。
周囲は広大な田園風景、一応ご覧のような看板が出てはいますが・・・
とても車で入っていけそうにない路地の為、手前に路駐して徒歩で進み・・・
更に農家の方が作業している脇をコソコソ?と抜けた先に・・・
松ヶ島城の碑と天守台(跡)
近くにお住いのフォロワーさんから教えていただいたのですが、このこんもりとした土盛り、昔から地元では「天守山」と呼ばれてきたそうです。そのことから察するに、やはり天守台だったのでしょう。
しかし残念ながら、天守や石垣の石材なども後に築かれた松坂城に転用されたため、遺構は悉く残っていません。。。
天守山の上から。ベンチがあるけど…草がっ(汗)
ま、松ヶ島城の方はほぼ何も残っていませんでしたが、「信長公記」などでも度々目にするお城。一度訪れてみたいと思っていたので、来れて良かったです☆
さて、初日の行程を終えて松阪駅近くのホテルにチェックイン。
夕食は「松阪だけに、やっぱり牛でしょう!」ってことで早速街に繰り出しました☆…が、意外な程お店が少ない…(^_^;)
駅前の商店街など、雰囲気も匂いも完全に昭和。ネームバリューからすると、もっと大きな街かと思っていましたが、、、四日市とはだいぶ違う印象。
とりあえず適当なお店に入って一杯やりながら、翌日以降は予め松坂牛を食べられるお店を調べておこう、と心に誓ったのでした(笑)
| 固定リンク
「お城、史跡巡り 東海」カテゴリの記事
- 馬伏塚城(2022.12.10)
- 久野城(2022.12.09)
- 勝間田城(2022.12.08)
- 旧東海道、藤川宿~池鯉鮒宿(2022.11.15)
- 岩津城、他(2022.08.11)
コメント