聖天院 - 高句麗渡来人の記憶
聖天院
高句麗から渡来した高麗王若光の菩提を弔うため、天平勝宝3年(751)に創建されました。
高句麗滅亡後、多くの高麗人が日本に帰化していましたが、716年、朝廷は駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の7ヶ国に居住していた高句麗移民1799人を現在の日高市と飯能市の一部に移します(「続日本記」)。
これが高麗郡の始まりで若光はその初代郡司でした。
高麗郡は明治29年(1896)に入間郡に編入されて消滅しますが、その頃には郡域を鶴ヶ島市、川越市、狭山市、入間市の一部にまで広げていました。
てっきり仁王門かと思っていましたが、後で調べてみるとこちらは風神・雷神を祀る「雷門」なのだそうです。
雷神(左)と風神(右)
この時点で、どこか日本の寺院と違う雰囲気は感じていました。
風神も雷神も共に、爪が異様に鋭いです・・・
手は3本指で、、、足は2本指か?!
雷門の天井絵・・・
高麗王廟…若光を祀ります。
あちらの中門の先には・・・
とても広い庭園と、山を登った先に本堂が見えています。
中門の・・・まさしく“鬼”瓦。
本堂…平成12年に新築されています。随分と立派だこと☆
本堂前からの眺め・・・
こちらは本堂新築の際、山を造成していたら出てきたという岩。
「雪山」と名付けられています。
在日韓民族慰霊塔…なんだか日本にいる気がしなくなります。
ついつい「ここ、日本の埼玉県だったよね?」と確認せずにはいられなくなるような、不思議な空間が広がるお寺でした。
今回は時間の都合で寄りませんでしたが、近くには高麗神社や「高麗家住宅」(高麗神社神職の旧宅)もあります。いずれ機会があれば、そちらにも足を運んでみようかな。
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