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2013年11月11日 (月)

聖天院 - 高句麗渡来人の記憶

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聖天院
高句麗から渡来した高麗王若光の菩提を弔うため、天平勝宝3年(751)に創建されました。

高句麗滅亡後、多くの高麗人が日本に帰化していましたが、716年、朝廷は駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の7ヶ国に居住していた高句麗移民1799人を現在の日高市と飯能市の一部に移します(「続日本記」)。
これが高麗郡の始まりで若光はその初代郡司でした。

高麗郡は明治29年(1896)に入間郡に編入されて消滅しますが、その頃には郡域を鶴ヶ島市、川越市、狭山市、入間市の一部にまで広げていました。

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てっきり仁王門かと思っていましたが、後で調べてみるとこちらは風神・雷神を祀る「雷門」なのだそうです。

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雷神(左)と風神(右)
この時点で、どこか日本の寺院と違う雰囲気は感じていました。

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風神も雷神も共に、爪が異様に鋭いです・・・
手は3本指で、、、足は2本指か?!

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雷門の天井絵・・・

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高麗王廟…若光を祀ります。

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あちらの中門の先には・・・

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とても広い庭園と、山を登った先に本堂が見えています。

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中門の・・・まさしく“鬼”瓦。

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本堂…平成12年に新築されています。随分と立派だこと☆

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本堂前からの眺め・・・

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こちらは本堂新築の際、山を造成していたら出てきたという岩。
「雪山」と名付けられています。

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在日韓民族慰霊塔…なんだか日本にいる気がしなくなります。

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ついつい「ここ、日本の埼玉県だったよね?」と確認せずにはいられなくなるような、不思議な空間が広がるお寺でした。

今回は時間の都合で寄りませんでしたが、近くには高麗神社や「高麗家住宅」(高麗神社神職の旧宅)もあります。いずれ機会があれば、そちらにも足を運んでみようかな。

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