本田家 & 富澤家
11月3日の文化の日。
訪れてみたい場所があったので電車でフラッとお出掛け。
JR南武線「谷保」駅で下車。こんな雰囲気のある小路をてくてくと歩くこと6~7分で・・・
旧本田家住宅に到着♪
代々、谷保村(国立市谷保)の名主を務めた家柄で、幕末期の当主・本田覚庵はかの新選組副長・土方歳三の書の先生としても知られています。
歳三が日野からここまで通っていたのかぁ~と思うと感慨も一入。
ちなみに電車で動いていると分かり辛いですが地図で確認すると、谷保と歳三の住んでいた石田は多摩川を挟んで直線距離でほんの3km程度。ちょうど万願寺の渡しを越える江戸時代初期までの甲州道中のルート上だったみたいですね。
※歳三が生きた時代には、既に甲州道中はルートを変更されています。
普段は非公開ですが、2013年は10月26日~11月4日の間、「東京文化財ウィーク」なるものが開催されており、この期間だけ特別に敷地内に入ることができます☆
なので、普段は閉ざされている薬医門も今日は♪
こちらの薬医門、江戸後期の創建で当初はもう少し向かって左手(主屋正面)にあったそうですが、甲州街道の拡幅工事に伴い現在の場所に移されています。
では早速☆
本田家主屋
建物から享保16年(1731)の祈祷札が見つかっていることから、築280年以上とも考えられています…凄い!
嘉永2年(1849)に増築されているそうですが、さすがに老朽化が進み、現在はかなり傾いていました。。。
主屋、本来の玄関
こちらは現在、玄関として用いられている所。
ここの土間の部分だけ中に入ることができます。中では・・・
ちょっとした展示も。
お庭
横に回って、こちら側には奥から手前に向かって;
奥の間・中の間・書院
が配されています。
この写真、私がヘタクソで斜めになっている訳ではないですよ…(^_^;)
これだけ老朽化が進んでいるということ。いずれ何らかの手を加えなければ保存が難しいことは明白。有形文化財に登録した以上、国が何とかしないとね。
奥の間
そして中の間(右)と書院(左)
歳三も、これらのいずれかで覚庵に書を習っていたのでしょうね…
奥の間のすぐ外には、富士塚らしき築山もありました。
古い建造物からは歴史の流れがダイレクトに伝わってきて、本当に来れて良かったです♪
※本田家住宅については、コチラの記事も。
さて、旧本田家住宅を辞した後は再び電車で移動します。
多摩センターで下車して、多摩中央公園の奥の方まで足を運ぶと・・・
旧富澤家住宅が移築されています。
富澤家の先祖は駿河今川家の家臣と伝わり、今川家滅亡後、この地に逃れて土着したとか。
以来代々、当主は忠右衛門を名乗り、連光寺村(多摩市連光寺。多摩中央公園から北東方向に4~5km)の名主を務めてきました。
幕末期には日野の佐藤家、小野路の小島家らと共に新選組を支援していて、時の当主・富澤忠右恵門政恕は京都に旅した際、近藤や土方、山南、沖田らといった試衛館時代から親交のある面々から歓待を受けています。
※彼はこの旅の様子を「旅硯九重日記」として書き残しています。
※元治元年四月十日 土方歳三→佐藤彦五郎(「尊兄」)宛
「余は富沢君より御聞取之程奉願上候」
そんな関係で現在、こちらの家屋内部では特別展が開催(~11/24)されており、新選組に纏わる史料などが展示されています。
家屋内は写真撮影禁止なので、ご紹介は出来ませんが…(^_^;) 印象に残っているのは近藤勇から贈られた陣羽織かな。史料は殆ど複製が中心です。
池も綺麗だったので少し散策・・・
文化の日に地元・多摩の歴史に触れる・・・いい休日になりました♪
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