甲斐の城攻め③ 要害山城(&要害山出城:熊城)
さ、2日目。前日とはうって変わって雲一つない快晴です☆
2日目の集合場所もここ☆
朝陽が射して…神々しいですぞ、信玄殿w
要害山城は武田家の居館・躑躅ヶ崎館の詰城。北に2~3km程の場所に位置します。
甲府駅からも車で10分程度。
早速登城します。
つづら折れの山道を登ること10~15分。急な斜面に息も上がりがちですが、ようやく城域に到着。
登城口から城域に入ると、いくつか細かい曲輪が複雑に連なり、ご覧の様な枡形虎口や、、、
井戸などの遺構も残ります。
道なき道を行く、「遺構あるある探検隊」(笑)
道と言うより、ただの斜面ですね(^_^;)
この後、とても大きな竪堀も直登しました。
そんなこんなで遺構を求めて登っていくうち、いよいよ本丸に迫ります。。。
この虎口を抜けた先に・・・
要害山城本丸。土塁が素敵ですねぇ…
永正17年(1520)、躑躅ヶ崎館やこの要害山城を築いたばかりの甲斐国主・武田信虎は、今川家臣・福島正成の侵攻を受け、正室の大井夫人を要害山城に避難させた上で福島勢を迎撃、見事に撃退します。
この折、大井夫人は避難先の要害山城で信虎の嫡男を出産します。つまり・・・
ここ、要害山城の本丸こそ、武田信玄生誕の地と考えられるのです。
こうして見ると、土塁が長方形の本丸を綺麗に縁取っているのが分かりますね♪
本丸を東側に抜けてすぐの竪堀。
縄張図に石垣のような印が付けられていたので注意深く見てみると…!?
堀底から・・・ほぉ~♪
竪堀の切れっぷりも見事☆
更に別の竪堀・・・堀底に下りて何を熱心に見ているのかと思ったら・・・
こちらにも石積み☆
竪堀の起点の土留めの意味合いが強いのでしょうかね。
歩を進めるほどに、またまたスケールの大きい竪堀…もうキリがないくらい(笑)
木にしがみ付いて堀底を眺める・・・お猿さん?(*≧艸≦)
引き続きまして、要害山の出城・熊城に移動中~☆
まー初っ端から堀切の見事なこと!
ほら、こっちも。
あそこにいるのはkuroさんかな?堀の深さがよく分かるでしょ♪
大きな堀切を2本乗り越えると、サクッと本丸に到着。石積みも残っていますね。
しかし、熊城の本番はここから☆
縄張図に描かれた13本からなる畝状竪堀を求めて急斜面を転げ落ちた先に・・・
畝状竪堀。写真だと厳しいなぁ~
左上から右下に向かって幾筋もの竪堀が下っている様子、分かります?…地表面が波打ってるでしょ。
まぁ、写真では感動は伝わり辛いですが、圧巻の一言!
まともに立っていられない程の急斜面を下らないといけないので大変な場所ですが、これは必見です☆
これまた、どでかい竪堀を見つけてボーッと見入る探検隊の面々(笑)
こっちも切れてるね!
史跡境界線の石柱。
ここからは元来た道を引き返しました…が、既にバテバテの私は皆のペースに着いて行けず、一人遅れがち。限られた時間の中でご迷惑をお掛けしました m(_ _)m
やっとの思いで下山した後はこちらの温泉宿、その名も「要害」でランチ。
・・・燕の巣(^_^;)
(そう言えば下山した直後、ちょうどバスで乗り付けた団体さんの一人に「山に登って来たんですか?…汚れているから」と声を掛けられました…(^_^;) 全身の汚れが城攻めの険しさを物語るww)
まさか…現役?
こんな景色のいいラウンジで頂くランチは・・・
虹鱒の甘露煮定食♪
いや~それにしても疲れた!!(笑)
この後、ここでオフ会を離脱する寺さんを甲府駅で見送り、一行は次の目的地へ。。。
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