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2013年12月

2013年12月26日 (木)

「名所江戸百景」巡り…Part2

前回の「虎の門外あふひ坂」、「糀町一丁目山王祭ねり込み」、「湯しま天神坂上眺望」に続く歌川広重『名所江戸百景』巡り第2弾です。

今回はまず、こちらから・・・
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「永代橋佃しま」
実は職場から歩いて3分くらいの場所・・・(^_^;)

浮世絵の方は橋脚が見えていますから、橋の下からの構図になりますかね。私は橋の上から。
ところでこの永代橋、実は江戸の昔と現在とでは少し位置がズレているのです。

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まずは江戸期の古地図から。
右上に永代橋が見えます。大きな流れの隅田川に注ぐ日本橋川の北(上)側に架けられていますよね?
※大きく「松平越前」と書かれた位置、現在はそこに「越前堀公園」があります。以前、会社の花見をした場所(笑)

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そして現在。
いかがですか?現在の永代橋は反対に日本橋川の南(下)側に架けられているのです。
私の撮影した写真はその分だけ、広重の浮世絵より佃島に近付いたということになりますね♪

それにしても古地図と現在の地図との比較。
例え川や堀が埋め立てられていても、その「ライン」はしっかりと現在の道路や区画などに悉く残されていることに気付かされる。本当に楽しい☆

更に・・・
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「日本橋雪晴」
なかなか同じ構図は難しい…(^_^;)

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「する賀てふ」
富士山は望むべくもありませんが…方角的には確かにこの方向。
そして・・・

藍色に染め抜かれた「三越」の暖簾!・・・それは現在もそのまま☆
(日本橋三越)

次は何処の街角に立ちましょうかね♪

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2013年12月21日 (土)

村雨城・寺前城・新宮城・新宮支城 -甲賀オフ延長戦

前回の記事でも書きましたがオフ会解散後、私はサイガさん・ゆっきーと共に延長戦へ。

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向かった先は寺前城・村雨城。連結するように築かれています。

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まずは村雨城から。枡形虎口と思しき遺構。

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村雨城主郭

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主郭を土塁の上から。素敵ですね♪

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村雨城と寺前城の間の堀切?に架かる土橋?

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寺前城の主郭にて。不思議なことに土塁が全くない面がありました。

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その反対側はこんな感じ。虎口が2つ設けられています。

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その虎口の外側。武者走りのような土橋というか土塁が連結されています。
埋み門のような工夫だったのでしょうか・・・?

私の帰りの新幹線の時間も気になるところですが、、、更に追加で、
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新宮城・新宮支城にも☆

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新宮城にも枡形虎口と思しきジグザグが・・・

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立派な土塁を見下ろす。

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新宮城の主郭・・・藪がキツイこともありますが、いまいちパッとしない印象(^_^;)

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そのまま新宮支城に向かいます。
写真では分かりませんが、既に足元が覚束ないくらいに暗くなってきました。

新宮城があまりパッとしない印象だったので、支城は・・・とあまり期待していなかったのですが、とんでもなかった…

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何この高さ・・・(゜o゜)!?
新宮支城主郭の土塁上から。

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なんちゅう土塁や・・・

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主郭に降り立って土塁を見上げる。
土塁の上にたつゆっきーの小さいこと!(笑)

さすがのサイガさんも、この土塁に「鳥肌もの!」と興奮気味・・・と思ったらやはり降ってきた、雨(笑)

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ちなみに、こちらにも横堀がありました☆

さて、、、日没も進み、辺りには闇が立ち込めてきました。
何より、この時点で時刻は午後5時。午後5時42分大津駅発の電車に乗らないと、京都発の新幹線に間に合わない!!

ということで、ここで撤収。大急ぎで大津へ向かって貰いました。
途中、渋滞になりかけた時は本気で指定券を諦めたものの、5時40分頃に大津駅に着いた!挨拶もそこそこに車を下り、ホームまで猛ダッシュ!!
・・・辛うじて間に合い、無事に帰路に就くことができました♪

ゆっきーには2日間、最後まで本当にお世話になりっ放し。本当にありがとうございました☆
これにて2日間に渡る旅もおしまい。


そして、、、2月の京都に始まり、近江八幡・安土、郡上・恵那、会津、堺・北近江、諏訪、福岡・佐賀、長島、山陰、伊勢×2と続いた2013年の旅路も打ち止め。
この間、多くの方に楽しい時間を頂き、大変お世話になりました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。
2014年もどうぞ、よろしくお願いいたします!

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和田谷の城館群 -甲賀オフ会

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12月15日(日)午前10時…油日駅前に、オフ会参加者たちが続々と集まります。
この日の参加者も総勢20名以上!

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それでは早速、出発~!!

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今回の甲賀オフはこちらの和田谷にある城館群を攻めます。
そう、あの和田惟政の本拠地☆
青文字の方を攻めました。

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地形図だと少し分かり辛いので航空写真も…。
一部ゴルフ場や田畑で造成されてしまっているようですが、「谷」の地形が分かると思います。

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では、まずは殿山城へ☆

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いきなり出迎えてくれる立派な堀切。これは殿山城の背面を守る堀。

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殿山城主郭部を見下ろす…そう、殿山城は尾根の最先端部分に築かれているのです。
和田谷の入り口、見張り台のような役割のお城ですね。立派な土塁が縦に走っています。この切岸の高さも凄い!

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主郭の削平地に下りて、その土塁を・・・

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周囲にも土塁が築かれていました。

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殿山城からの眺め…この方向からの敵を監視していたのですね。

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少し尾根を引き返した先にも堀が…先の方でキュッとカーブしていて素敵♪

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このまま尾根伝いに次へ向かいます。

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公方屋敷跡

永禄八年、松永久秀・三好三人衆らによって時の将軍・足利義輝が殺害されると、義輝の弟で奈良興福寺一乗院門跡の覚慶(後の15代将軍・足利義昭)は奈良を脱出、幕臣だった和田惟政を頼って一時、ここ甲賀の和田谷に身を隠しました。

そういえば前日に訪れた立政寺のblog記事でも書きましたが、後に越前朝倉氏の元にいた義昭を美濃へ迎えるため、信長が派遣した使者の中にも和田惟政(信長公記「和田伊賀守」甲賀なのに伊賀守)の名前がありましたね☆

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更に谷間を行く…バカボン・ファミリーのお出迎え(笑)

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いや…ハットリくんは伊賀忍者だろ(笑)

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おや?…屋根の上にお猿さん!
ちょうど鯱鉾ならぬ、「猿鉾」みたいになってる♪

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さて、いよいよ和田城に到着♪和田谷城館群の本城だったと推定されている場所です。
ということは、和田惟政が住んでいた城・・・

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主郭となる曲輪の虎口

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その南側(縄張図a部分)の土塁の上。
縄張図にも描かれていますが、二段に築かれています。

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同じ位置から虎口を見下ろす。

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ここでもやはり、進入路である谷に対して背面側となる東と南面の土塁が高く築かれていました。
殿山城の堀切(切岸も)を含め、背面は守備を徹底的に固めて兵力を前面に集中させるための工夫でしょうかね。


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昼休憩は和田谷の中間地点、善福寺の門前で☆

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オフ会のラスト1城は、和田谷を離れて上野城へ☆

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ドドーンッ!と竪土塁ww

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ご紹介できる縄張図がないのが口惜しいですが…とても技巧的で素敵なお城です。
この折れ折れの土塁も…♪

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縄張図に描かれていた小さな方形状の土塁を探しに行った先は…竹藪!(笑)

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土塁に囲まれた広い曲輪

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主郭へと向かう虎口
あの先、一番高い部分が主郭です☆

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主郭内部
今更というか、当然ですが、、、方形状に土塁が築かれています。

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そして、上野城の主郭の脇には横堀が回されていました☆

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一番高い部分の土塁上(無論、背面側)から主郭内部を。
削平地は勿論のこと、対面の土塁との高低差も凄いです。

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先程の横堀。
一部、中洲のような土盛りが築かれて堀が二重になっている箇所もありました。

甲賀上野城、個人的な印象では今回訪れた甲賀の城館群の中では最も技巧的で規模の大きなお城でした☆

さて、オフ会はこれにて終了です。主催の流星☆さんや、いろいろ教えて下さったスペシャルゲスト様には本当に感謝☆
油日駅に戻り、最後に参加者全員で記念撮影をした後に解散。それぞれの帰路に就く皆さんをお見送り~(ToT)/~~~

・・・え?お見送り?!
私は帰らないのかって?・・・ふふふ。私は予約した新幹線まで少し時間が余っていたので、ゆっきー・サイガさんと共に延長戦に向かっちゃったのです(笑)

その様子はまた後ほど。

(という訳で)つづく…

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梅垣城・櫟野大原城

楽しかった宴の夜が明けた15日早朝、ゆっきーの車で大津を出て甲賀へと向かいます。
オフ会は午前10時に油日駅集合なので、それまでの間、私はゆっきー・寺さんと3人で朝駆けの城攻め☆

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甲賀の郷に入ると、街角のそこかしこに忍者が…♪

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写真左手の丘は多喜北城で右は梅垣城。
朝駆け1城めはあの梅垣城を攻めます!

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梅垣城縄張図
甲賀の城館の典型的な「単郭方形」ですね☆

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その主郭内部。
こちらの面の土塁はそれ程高くはありませんが・・・

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対面側は凄い!
この後に訪れる城館でもことごとく共通していたのですが、通りに対して背面側の土塁が一様に高く築かれていました。

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甲賀のマンホール…忍者☆

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立派なお屋敷・・・

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さて、朝駆け2城めは櫟野大原城!

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縄張図ⅠとⅡの間の堀切

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同じくⅡと書かれた主郭。背面側にあたる土塁上から虎口方向。
ここでも土塁の高低差がハッキリと見て取れます。

さ、そうこうしているうちに集合時間が迫って来ましたので大急ぎで油日駅へ。
この後はいよいよオフ会のスタートです!

つづく…

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2013年12月20日 (金)

沙沙貴神社・浅小井城

さて、初日(14日)の最後の立ち寄りスポットは・・・

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沙沙貴神社☆
宇多源氏佐々木氏の氏神です。

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残念ながら立派な楼門は修復中で観れませんでしたが・・・本殿も荘厳です♪

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境内で見つけた、天文十五年(1546)五月五日に行われた例祭の奉納額。
(額そのものは昭和の作)

総奉行 箕作左京太夫 源義賢
織田信長が足利義昭を奉じての上洛の折、観音寺城を捨てて逃げ出した後もしぶとくゲリラ的?抵抗を続けた六角承禎が総奉行を務めていたのですねぇ…。

馬乗頭 八幡左馬頭 源義昌
これは・・・まさか木曽義昌のことでしょうか?彼は天文九年の生まれなので、天分十五年時は数えで7歳。まぁ、名目上だけということは充分に考えられるけど、領地が随分離れている上に六角家との関係も…よく分かりません。

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観音寺城は神社から目と鼻の先♪

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撤収前に、六角家の家臣のものと云う浅小井城にも。
何も残っていませんが、畑の高くなっている部分が主郭跡かな?

日没も近かったので、この後は真っ直ぐ浜大津へ向かいました。
一旦ホテルに入った後、午後6時30分より、浜大津駅近くのこちら↓のお店で忘年会☆

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参加者総勢22~23名の大所帯!
スペシャルゲストもお迎えしての宴会は、貴重な城郭のお話なども聞けてとても充実したものでした♪

2日目へつづく…

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山崎山城・常楽寺

清瀧寺徳源院がある滋賀県米原市からは湖東を南下、徐々に忘年会の会場である大津市に近づきつつ(笑)、
次に訪れたのは、、、

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山崎山城☆ 石垣も残っています♪

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山崎山城の主郭

代々、山崎氏の居城だったようですが、石垣などはその形状から織田信長の支配下で築かれたものと考えられています。信長公記にも;

信長公記 巻十五『信長公甲州より御帰陣の事』より抜粋

『・・・佐和山に御茶屋立て、惟住五郎左衛門一献進上。山崎に御茶屋立て置き、山崎源太左衛門一献進上候なり。』

という記述が出てきます。
甲州征伐からの帰り、信長はこちらにも立ち寄って休憩していたんですね♪
※山崎源太左衛門は山崎秀家のこと。

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地図で見ると一目瞭然ですが、佐和山城と安土城のちょうど中間地点に築かれています。
地点が山崎山城

そして、佐和山から安土へと真っ直ぐ伸びる道は「下街道」(のライン。江戸時代には「朝鮮人街道」)と呼ばれ、信長によって整備されました。山崎山城の眼下、足元を通過しています。
こうしたことから山崎山城は、織田政権下に於いては佐和山から安土への繋ぎの拠点、且つ下街道を見張る役割を負ったお城だったのでしょうね。

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この通り、佐和山城や彦根城もハッキリと肉眼で捉えることができます☆

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そして、その下街道を車で少し南下すると、、、すぐに安土城が見えてきます♪

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安土で立ち寄った先は常楽寺港跡。ここには常楽寺城というお城もあったそうです。

信長公記 巻三『常楽寺にて相撲の事』より抜粋

『三月三日に江州国中の相撲取を召し寄せられ、常楽寺にて相撲をとらせ、御覧候。』

そう、信長相撲興行の場所☆
例え今となっては見るべき遺構がなくとも、私にとってはやはり特別な場所の一つ♪

つづく…

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2013年12月19日 (木)

竹中半兵衛の故郷・関ヶ原・京極家菩提所

軽海を出発した後はマックのドライブスルーで遅めの朝食(昼食?)を仕込みつつ、あっぴん。さんが待つ関ヶ原方面へ。
・・・でも、その前にもう少し寄り道(笑)

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垂井町にある竹中半兵衛重治の菩提寺、禅幢寺です。

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こちらには何故か小西行長の墓石があるのですが、真偽の程は…(以下自粛)

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竹中半兵衛(左)と、その奥方のものと伝わる廟所。
彼は播磨の三木城攻めの最中に陣没していますので、ご遺体は兵庫県三木市に眠っています。

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禅幢寺のすぐ近くには竹中陣屋跡。
半兵衛重治の子、重門が築きました。江戸時代、竹中氏は将軍家の旗本となったため「城」ではなく「陣屋」と呼ばれました。

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ゆっきーが頼んでくれて、すぐ隣の公民館に併設された資料館も開けて頂きました。
陣屋周辺や、竹中氏の元々の居城・菩提山城の模型などがあります。

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背後に聳える菩提山城。てっぺんの辺りが本丸跡。

さて、あまりノンビリしてあっぴん。さんを待たせ過ぎちゃうと怒られるので、関ヶ原へ(^_^;)

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石田三成が陣を構えた笹尾山の麓。

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そして石田三成陣跡からの関ヶ原古戦場。2年半ぶり。

ここであっぴん。さんと合流し、関ヶ原ふれあいセンターへ。

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お目当てはこちら。
長野先生ご本人もいらっしゃいました。私は信長公のクリアファイルを購入♪


次に向かった先は・・・

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京極家(佐々木源氏)の菩提所、清瀧寺徳源院。
滋賀県に入りました。

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「婆娑羅大名」として有名な五代・佐々木道誉(高氏)お手植えの「道誉桜」

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京極家菩提所。左手前が高次(浅井三姉妹の次女・はつの夫)の霊廟。

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こちらにもズラーッと・・・
手前から4番目が佐々木道誉の墓。

周辺の宿場町の風光も含め、とても趣のあるお寺さんでした♪

つづく…

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立政寺・北方城・軽海合戦

12月14~15日は城好き仲間との「忘年会in大津」と甲賀の城館を巡るオフ会。

14日の忘年会は当然夜からなので、それまでの時間は参加者それぞれで思い思いに過ごしました。
私はまず、午前10時にフォロワーのゆっきーと岐阜駅で合流☆

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岐阜に来たら…当然、黄金の上様にご挨拶♪ おはようございます!!

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最初に連れて行って貰ったのは岐阜駅からも程近い、立政寺。

信長公記 巻一『信長御憑み御請けの事』より抜粋。

『永禄十一年七月廿五日、越前へ御迎へのため、和田伊賀守、不破河内守、村井民部、島田所之助を進上なされ、濃州西庄立正寺に至りて、
 公方様御成り、末席に鳥目千貫積ませられ、・・・』


そう、越前一乗谷の朝倉氏の元を離れ、信長を頼って美濃(濃州)へ移ってきた足利義昭(後の室町幕府十五代将軍)を迎え入れた場所が、こちらの立政寺(立正寺)なのです!
織田信長×足利義昭が初めて相見えた場所。ここから歴史は一気に「天下布武」へと動き出します。
※ちなみに周辺の地名は今でも「西荘(西庄)」です。

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境内には足利義昭の御座所が置かれていたと云う塔頭・正法軒跡の碑♪

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何かと思えば…「吾・唯・足・知」ね。なるほど…面白い☆


次に立ち寄ったのは北方町にある安藤守就戦死の地。

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武田家との内通を疑われて織田信長から追放されていた安藤守就は、本能寺の変による信長の死を知ると蜂起、自らの居城であった北方城を奪って立て籠もります。
…が、信長の命で北方城を預かっていた同じ西美濃三人衆の一人、稲葉一鉄の攻撃を受けて敗北、一族諸共この地で敢え無い最期を遂げました。。。

という訳でこの付近一帯が北方城の跡地で、近くには城跡の石碑も建っているらしいのですが完全に宅地化されており、遺構は何も残っていないと思われます。


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更に車で進んで向かった先の交差点…!?

信長公記 首巻『十四条合戦の事』より抜粋。

(永禄四年)五月廿三日、井口より惣人数を出だし、十四条と云ふ村に御敵人数を備へ候。即ち洲股より懸け付け、足軽ども取り合ひ、朝合戦に、御身方、瑞雲庵おとゝうたれ、引き退く。此の競ひに御敵北かるみまでとり出だし、西向きに備へ候。信長懸けまはし御覧じ、西かるみ村へ御移り候て、古宮の前に東向にさし向ひ、御人数備へられ、・・・』

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こちらは現在の周辺地図。
井ノ口(井口/現在の岐阜)から兵を出した斉藤勢と、墨俣(洲股)から出撃した信長勢が五月廿三日の朝に合戦に及んだ「十四条」という地名も南側に見えていますね♪

一旦兵を退いた後、斉藤勢が北かるみ西向陣を構えたのを自ら確認した信長は、西かるみ村古宮の前に東向に陣を構えました。
地図地点には軽海神社があります。創建時期は不詳らしいのですが、それだけに古いということでしょうから或はこちらが「古宮」かもしれませんね。
また、「軽海」の文字が見える辺りが軽海地区の北東端。斉藤勢が陣したのはこの辺りか…。
いずれにしても、かなりの接近戦だったと思われます。

この後、両軍は夜になって再び合戦に及び(軽海合戦)、この時は斉藤勢が先に兵を退いて井ノ口へ引き返し、信長は朝を待って墨俣へ引き上げました。

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ところで、軽海神社の背後には「軽海西城址」の石碑が建っていました。
※地図地点

説明版にも;
「永禄四年(一五六一)軽海合戦の折り重要な役割を果たしたものと推定される。」
とありましたが、詳細は分かりません。

※同じ説明版に「軽海城址と推定し、」と書かれているのに、どうして軽海“西”城なのか…(;´・ω・) 軽海地区の西に位置していることは確かですが。

う~ん、岐阜はやっぱりいいなぁ…信長好きにとっては夢のような場所がそこかしこに!☆

旅は始まったばかり。まだまだ続きます。

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2013年12月 8日 (日)

布田道 - 近藤・土方らが通った古道

本日は夏頃から機会を窺っていた「布田道」歩きに出掛けました♪

「布田道」とは新選組結成前、近藤勇らが小野路の小島鹿之助邸へ天然理心流の出稽古の為に通った道。土方歳三や、或いは沖田総司なんかも歩いたかもしれませんね☆

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今回歩いたルートはこちら。
小田急線「黒川」駅から出発し、出稽古先である小島鹿之助邸(現・小島資料館)までの約7kmの道のりです。
先日からスマートフォンの調子が悪く、GPSも全く使えない状態での不安のスタートとなりました…(^_^;)

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一旦、黒川交差点から鶴川街道に出ますが、、、

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交通量が多いので脇道に逸れることにします。
右手の丘の上には黒川地区の鎮守、汁守神社があります。

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長閑です。。。

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既に古道の雰囲気たっぷりと・・・

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道は続く・・・そして、

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いよいよここから、布田道のスタート☆ あの階段を登って行きます。
※地図1地点

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一旦大きな墓苑の入口に至りますが、ここで右に逸れていきます。

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グッと雰囲気が増してきましたね♪

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すぐにこんな案内板が・・・脇にはお地蔵さん♪

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まだまだ続きます・・・ここの雰囲気も惚れた☆

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更には竹藪に覆われた箇所もあり・・・

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しばらく進むと西東京電力の敷地にぶつかるので、布田道も迂回します。
※地図2地点

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電力会社の近くだから無骨なものも建ち並びますが・・・里山の雰囲気はバッチリです☆

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西東京電力の敷地を迂回した先、ここの四差路は正直迷った・・・(^_^;)
しかし、用意した地図を信じて正面真っ直ぐ、一番狭い道を行きます。

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またまた別れ道。ここは右へ。

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三社権現の建つ丘の辺りで、道は更に心許なくなりました…(・_・;)

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一旦住宅の建ち並ぶ車道に出ましたが、またも悩ましい別れ道が・・・左へ進みました。
※地図3地点

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天気が良ければ、富士山も頭を覗かせるらしいのですが、、、この日は予報に反してあいにくの曇り空。

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現在の鎌倉街道と交差するポイントまで来ました。
※地図4地点

目指す小野路宿までは、更に正面に見える尾根を越えていきます。

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鎌倉街道と交差する別所交差点。
ここまで、あの尾根を越えてきました。

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鎌倉街道を越えても、布田道はまだ続きます。

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舗装されてるけど、、、いい感じ☆

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ひたすら歩く・・・

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そして別れ道。お散歩中の地元の爺様と会ったので、確認の為とお愛想で声を掛けたら、、、思いの外の長話に…(^_^;)
宿場町巡りが趣味だそうで、日本全国の宿場に話が及びました(笑)
…左へ進みます。

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小野路谷戸の田園に伸びる布田道。
とても心奪われる光景でした♪

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更に進むと・・・

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キタ―ッ!関屋の切通し!!
※地図5地点

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何だか嬉しくなるね、こういう案内板♪

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それにしても見事です、この切通し☆
ここには関所も置かれていたみたいです。

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切通しを抜けて振り返る・・・ん~ナイス・クランク☆(笑)
実際に現地に立つと、特に写真左側の切岸なんかその高さに圧倒されますよ!

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関屋の切通しを抜けると、目指す小野路宿はすぐそこです☆
お、右手にはお稲荷さん♪

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さぁ、小野路宿が見えてきました☆

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遂に小野路宿に到着~♪

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本日のゴール、近藤らの出稽古先でもある小島鹿之助邸。
今回は中には入りませんが、以前訪れたことがあるのでご興味がお有りの方はコチラも。

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帰りはバスで多摩センターへ。

布田道歩き。黒川駅から小野路宿までの7km、所要時間はお気楽に歩いて1時間3~40分程度でした。
長閑な田園や里山の光景を眺めながらの散策はとても清々しく、次はもう少し天気が良くて草花が芽吹く春先に歩いてみたいと思いました♪

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2013年12月 6日 (金)

名所江戸百景「虎の門外あふひ坂」…の今

とある本で見かけた1枚の浮世絵・・・
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江戸後期を代表する浮世絵師・歌川広重の「名所江戸百景」シリーズの1枚、「虎の門外あふひ坂」です。
ふと何気なく眺めているうちに、中央右に堰堤が描かれているのが気になってきました。虎の門外」で堰堤があるということは・・・あの先は溜池ですね☆

平成の現在、広重と同じ視点からの眺めがどのように変わっているのかを確かめてみたくなり、現在の地図と江戸期の古地図をじっくりと見比べてみました。すると・・・

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町の区画だけでなく、今は埋め立てられて跡形もないと思っていた溜池のラインに至るまで、想像以上に現在の道路区画に残っていることに気付きました!

それぞれに対応する箇所を同じ色のラインで示しています。
水色で塗った部分が溜池(と外堀)です。特に北側のM字曲線とか、見事に現在の道路と一致していますよね♪

そして、地図を見比べながら浮世絵に描かれた堰堤を部分と特定し、描かれたアングルから広重が立っていた位置を地点と見定め、早速現地へ向かいました。

それがこの写真↓
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「虎の門外あふひ坂」の今…
ちょうど古いビルを壊して工事中だったので見通しがきいていました。

写真左手前、虎の門病院(切れちゃって殆ど写っていませんが…)からJTビルにかけての坂が「あふひ(葵)坂」です。
今では地形も削られて、すっかり緩やかな坂になってしまっていますが・・・(^_^;)

そして中央奥の信号が見えている辺りに、件の溜池堰堤が築かれていた筈です。。。

林立するビル群に隠れて見えませんが、浮世絵に描かれた右奥の建物が建っている丘、あの丘の地形は今でもハッキリ残っています。

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ほら、特許庁付近や、、、

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「溜池」交差点からも高低差がハッキリと確認できますよね♪
あの高台の上、樹木が生い茂っている場所は総理大臣官邸になっています。

こうした地形を利用して外堀を堰き止めて溜池を築き、この水が、特に上水が整備される以前の江戸市民の生活を支えていたのですね。


ついでにもう1枚。

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同じく名所江戸百景の一つ、「糀町一丁目山王祭ねり込み」。江戸城半蔵門の土橋を向こうに見た構図です。こちらは全く同じですね☆
※糀町=麹町

更に・・・

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「湯しま天神坂上眺望」
湯島天神の女坂上からの1枚です。これ以上後ろに下がるスペースがなくてアングルを揃えることはできませんでした。
今となっては不忍池を眼下におさめることは叶いませんが・・・石段と鳥居、建物の位置関係が全く同じでした♪

時空を超えて広重と同じ場所に立ち、同じアングルを眺める・・・これ、案外楽しいです♪
これからも折を見て続けます(笑)

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2013年12月 1日 (日)

横須賀~浦賀散策…と、浦賀城(笑)

11月30日は横須賀~浦賀散策に出かけました。

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集合時間より少し早く着いたので、京急汐入駅から少し歩いた先のスタバで優雅な珈琲タイム♪

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最初の目的はコチラ、横須賀軍港巡り♪

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この遊覧船に乗って45分の船の旅です☆
乗船中、添乗員さん(とっても美人で素敵な方でした)が軍艦一隻一隻詳しく説明してくれますが…覚えきれなかったので適当に流します(笑)

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アメリカ海軍のイージス艦たち

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こちらは観ることが出来てラッキーだったそうです、引退した潜水艦。

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今年3月にデビューしたばかりという、海上自衛隊の掃海艇。
なんと、特殊プラスティック製だそうです!勿論、機雷撤去の際に磁気を発しないためですが・・・

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これまでの掃海艇、こちらは木製だそうです。

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アメリカ軍によって陸地を切り通して築かれた水路を通ります。
それまで陸続きだった左側の土地も、これにより孤島となりました。現在も米軍の管轄、何に使用されているかは謎なんだとか。

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残念ながこの日は、アメリカの原子力空母「ジョージ・ワシントン」は出航中で観れませんでしたが、他にも様々な軍艦がひしめき合っていました。

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遊覧船下船後は暫し、どぶいた通りを散策・・・

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足元を見ると、いろんな著名人の手形があったり、、、

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排水溝の蓋まで楽しませてくれます♪

そして次に訪れたのが、、、

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三笠公園!戦艦三笠☆ Z旗が翻っています!!

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・・・ほら(笑)
皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ!

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先日、秩父の東郷公園を訪れたばかりだからね…感慨深いです。

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ほぉ~

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ここ…艦長の伊地知や参謀・秋山真之らも交えて作戦会議が開かれた長官公室!

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格好いい・・・☆

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戦艦三笠、楽しい訪問になりました♪

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横須賀のマンホール…ペルリ♪

お次は電車で浦賀まで移動して・・・

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東叶神社

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日本で初めて太平洋横断に成功した咸臨丸の勝海舟は、航海前に境内にあるこちらの井戸で身を清めた後、裏山に登って断食をしたそうです。

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その裏山にある碑。
この時、地元の小学生2人組と一緒に登ったのですが、そのうちの一人がこの碑を読んで;
「かつかいしゅう“だんしょく”のあと」
・・・思わず爆笑してしまいました(笑)

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ところでこの東叶神社の裏山、事前に全く下調べをして来なかったので山頂で説明板を見るまで知らなかったのですが、実は浦賀城跡でもあるそうです。
房総の里見水軍に対する北条水軍の最前線!確かに山頂からは対岸の房総半島が目と鼻の先。。。
※ちなみにペリーが四隻の艦隊を率いて姿を現したのも、この写真左手前辺りだそうです。

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それと知って慌てて遺構探しに移るも、時既に遅し。暗くなり始めてよく分かりませんでしたが、主郭を囲む土塁はしっかり残っています。

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下山後、渡し船で湾を横切って、、、

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最後に西叶神社にも参拝。

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西叶神社から浦賀駅方面へ続くこの通りは「浦賀道」という旧街道だそうです。

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足元には咸臨丸の銅板。

浦賀駅で東叶神社から一緒に散策した小学生2人組と分かれ、我々は京急線で移動・・・

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伊勢佐木町でお疲れさま会へと移行したのでした(笑)

横須賀の軍港巡り、日によって当たり外れ(軍艦が停泊していたりいなかったり)があるみたいですが、三笠公園とセットで充分楽しめます♪おススメ☆

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松坂城&宮山城 城友会2013 ⑥

今年の城友会、最後の記事です。

田丸城下で美味しいうどんを頂いた後は松坂城へ向かいます。
ちなみに松坂城も10月に続く再訪。
10月14日訪問時の記事

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どうしても松阪城+もう1城回りたいこばたかさんの意向もあり、松坂はササッと見て回るそうです(笑)
そういえばよほど気に入ったのか、田丸城では時間制限のこと言わなかったな、こばたかさんww

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資料館へ100名城スタンプを貰いに行く御一行。
勿論、時間制限があるので資料見学はパス(笑)

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個人的に石垣のお城には、桜よりも紅葉の方が合うと思ふ・・・

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なに、この素敵なジグザグ・・・
(中御門付近にて)

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奥に天守台を見ながら・・・

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前回訪問時に一目惚れ?した、きたい丸の角櫓跡。

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そしてジグザグ・・・

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こっちも折れ折れ♪
今回は「折れ」「ジグザグ」が私の松坂城攻めのテーマでした(笑)

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それに加えてこの高さ!凄いわぁ~

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最後は御城番屋敷から・・・


さ、日没までのタイムリミットと戦いながら、城友会2013最後の城攻めは・・・

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敏太神社(写真)の裏山?に築かれた宮山城です。
木造具政によって築かれ、織田軍の伊勢侵攻により落城しました。

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神社裏から緩やかな斜面を登ること数分で遺構に到達します。

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主郭と思われる郭の南東コーナー。
堀と土塁のカーブが綺麗に残っていていい感じ♪

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主郭
手前の石積みは後世のものですが、土塁の残存状況は良好です。

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こちらも堀と土塁、それに守られた郭(右)の様子がよく分かりますね☆

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虎口も♪

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日没迫る中、駆け足での訪問となりましたが、なかなかどうして、とても雰囲気のいい遺構が残る城跡でした♪

ここで、車で群馬まで戻るあいすさんとはお別れ。
2日間、運転ありがとうございました☆

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残る面々は四日市周辺の渋滞状況を睨みながら名古屋へ向かう。
ゆっきーの的確な判断で上手いこと渋滞を避けることができ、全員無事に新幹線、バスに乗車出来ました。
新幹線の号車までこぼたかさんと一緒だった私は、結局彼の最寄り駅まで帰路をご一緒させていただいたのでした☆

改めまして、主催の流星☆さん、運転してくれたゆっきーにあいすさん、楽しい時間を一緒に過ごしてくれた参加者の皆さん、本当にありがとうございました。
また必ず、どこかのお城、史跡、飲み会?!でお会いしましょうね☆

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田丸城 城友会2013 ⑤

お次は田丸城です。
実は私、一ヶ月前の10月にも訪れています。よろしければ、その際の記事も合わせて…
10月11日訪問時の記事

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さ、田丸城の石垣が見えてきましたよ~
・・・って、ほんの一ヶ月前にはあんな櫓、無かったぞ??

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北側の堀。掘れてるねぇ~

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本丸の石垣を見上げる。やっぱり天守台に何か建ってる・・・

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西側の空堀。ここも規模が大きい☆

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器用な場所に生えているな~あの木。

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とっても素敵な二ノ丸の枡形…♪

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こちらも…♪

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崩落した石垣

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そして、二ノ丸と本丸を結ぶ土橋で、、、城ガール隊員たちによる、お決まりのポーズ☆
あんこさんは初土橋ポーズ\(^o^)/

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本丸天守台
謎の櫓の正体は、季節限定のライトアップ用天守でした。鳥羽城といい、三重県の城跡では定番なのかな?

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本丸から三ノ丸(現在は学校)方面へと下りていく虎口。ここの折れ具合も好き☆

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本丸と北の丸の間の堀。

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北の丸から見下ろす北側の堀。規模の大きさに感嘆の溜息・・・

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折角なので下りてみた☆

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だいぶ崩落していますが、まだこうして石垣が残っている部分も☆

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この辺りはかなり荒れていますが、それがまたいい雰囲気を醸し出していました♪

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やっぱりいいわ、田丸城☆

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ところで、田丸城ではこんな一幕も。
以前訪れた際、この斜面でとんでもない滑落をしたという流星☆さん(写真)。今回同じ場所でリベンジに挑戦し、見事成功しました☆
(密かに滑落の再現を期待していただなんて、間違っても口には出来ないww)

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お昼は田丸城近くのうどん屋さんで。伊勢うどん(卵入り)♪
数年前、おかげ横丁のお店で食したものより数段美味しかった☆

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鳥羽城 城友会2013 ④

さて2日目。
一人駅前のホテルに宿泊した私(他の方は全員合宿方式)は朝7:45にお迎えに来て貰ってから出発。
途中、あいすさんの牛乳休憩などを挟みながら、まず向かった先は、、、

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九鬼嘉隆が築いた鳥羽城!
西の搦手側に車を停めて登城開始です♪

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鳥羽城縄張図

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三之丸からの眺め。
正面に見えるミキモト真珠島も昔は「相島」と呼ばれていて、鳥羽城の出郭・出城的な役割を担っていました。

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大手口を見下ろすと、枡形虎口が綺麗に復元されています。

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そして、鳥羽城と言ったらこれ☆の段石垣♪

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大手の虎口まで下りてみました。

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江戸期に描かれた鳥羽城。

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段石垣も下から見上げれば石垣の壁だね☆

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本丸へと向かう城友会メンバーたち・・・

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段石垣を上から・・・

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本丸下の石垣。荒々しさがいい☆

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本丸付近から搦手側を見下ろす。あの川が堀の名残でしょうか。

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本丸
長いこと学校の校庭として利用されていたこともあるくらい広いです。
正面奥にライトアップ用の櫓(鉄骨のみ)が組まれていました。

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あいすさんの足元、芝が禿げている箇所は発掘調査の跡ではないか、とのことです。

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本丸から大手、海側の眺め。
写真下に写っている鳥羽水族館の手前の道路辺りまで、二之丸が広がっていました。

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ところでライトアップ用の櫓、ちゃんと鯱鉾が付いていました(笑)

サクッと見て回った後は田丸城へ向かいますよ!

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その道すがら、伊勢安土桃山文化村の…アレ(笑)

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紀伊京城 城友会2013 ③

赤木城の次は京城(みやこのじょう)に向かいます。
こちらも北山一揆鎮圧のため、新宮城主の堀内氏が築いたお城と伝わります。新宮から北山に至る北山街道を押さえる位置に築かれました。

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京城の麓から。土砂崩れの爪痕が痛々しいです・・・

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その脇を抜けて登城開始。

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後日写真を整理している時、暫くは何を撮ったものか自分でも分からなかった一枚…(^_^;)
実は畝状竪堀を横から写しているのですが…分からないですよね(笑)

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この土塁は割とハッキリ確認出来ましたが・・・
とにかく全体的に藪がきつくて遺構が分かり辛かったです。。。

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チョロっと顔を覗かせていた石積み。

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山頂の主郭周囲も石積みで固められていました。

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こんな感じ。

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そして主郭。ここも藪・・・

しかし、侮るなかれ京城。ここからが凄かった!

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樹木が生い茂って分かり辛いですが、堀切が2本連続しています。
特に奥の2本目が凄いの何のって・・・

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ドーンッ!!(笑)

土ではなく岩盤を掘り切っているので長い年月を経ても埋もれることなく、当時の築城者の闘争本能というか、防衛本能がダイレクトに伝わってくるような鋭さです!

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一部、石積みで高さを補っている箇所も♪

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もう一枚、逆方向から。岩盤の堀切、、、やっぱりいいねぇ!
(八王子城太鼓曲輪の堀切群もいいよぉ、とこっそりアピールww)

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その堀切(右)を抜けて振り返ると、更にもう1本、薄いですが堀がありました(左)。
3本も連続していたんですね☆

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もう少し奥に進んだ先のこちらの石垣、斜面に沿って下へ目を移していくと、、、

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手持ちの縄張図には載っていなかったのですが、登り石垣の様に竪土塁を固めていました☆

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反対側も♪

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もう一度上から・・・

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いやぁ~あの堀切と登り石垣(と決めつけるw)、最高でした☆

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帰り道、車窓から「獅子岩」
焦って撮ったのでズレてしまいましたが・・・(^_^;)

城友会、初日の城攻めはこれにて終了です。
この後は宿泊地である松阪(個人的にはF1観戦に続く2ヶ月連続の訪問)まで戻り、misaさん・さらさんとはお別れ(また忘年会でお会いしましょう)。

一旦ホテルに入った後は松阪駅前の居酒屋で懇親会&城友会では慣例となったカラオケ♪
今年もこばたかさんによる城攻め替え歌ワールド炸裂で盛り上がった宴は深夜に及ぶのでありました…(笑)

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赤木城 城友会2013 ②

津駅前で全員集合した後は、車2台に分乗して熊野市を目指して一気に大移動☆

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途中、名勝の「丸山千枚田」のビューポイントにも立ち寄りながら、約3時間の道程を経て辿り着いた先は・・・

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赤木城☆


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天正16年(1588)の大和大納言・豊臣秀長による北山一揆征伐後、翌天正17年にこの地方を押さえるため、秀長の家臣(寄騎?)だった藤堂高虎によって築かれたと伝わるお城です。

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東郭から西郭(左)と主郭(右)の石垣を見た様子。

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主郭の石垣…と、城ガール隊隊長♪

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主郭の虎口

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主郭

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主郭から東郭を見下ろすと、連続する虎口の様子がよく分かります。
折ってるねぇ~♪(笑)

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こういう複雑な構造の立体感、好きですよ~

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北郭の更に先にある堀切。
城友会メンバーのサイズで、深さを推し量ってください(笑)

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山の風景に石垣…最高だね☆

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ここも・・・

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もう溜息しか出ない…最高♪

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こちらは南郭。三段で構成されています。

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藤堂高虎が一揆勢を処刑したと云う田平子峠にも立ち寄り。

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紅葉がとても綺麗でした♪

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処刑された一揆勢の供養塔・・・

赤木城。
遠くてアクセスが大変な場所ですが、長閑な山里の風景に溶け込んだ石垣がとても素敵なお城でした☆

さ、初日はもう一城攻めますよ!

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津城 城友会2013 ①

さて、いよいよ城友会のスタートです。
集合は午前7時にJR津駅前だったのですが、前日の飲み会での打ち合わせの結果、
「少しでも多くのお城に回りたい!」
という、普段は家族からお城規制を布かれているこばたかさんの強い希望で、名古屋前乗り組は5時に集合して早朝追加城攻めを決行することになっていました・・・が。

いざ朝になってみると・・・しみずがいない!?

…はい、やってしまいました・・・飲み過ぎです( -_-)
misaさんとホテル前で待ち合わせしていたのが午前4:50。目が覚めたのは同4:30過ぎ。しかも準備は何も出来ていない上に、頭が重くてすぐに動ける状態じゃなく・・・大変申し訳ないことに早朝城攻めはパスさせて頂きました。
これで城友会では2年連続の寝坊。といっても昨年は何とか集合時間に間に合わせてご迷惑をかけることはなかったのですが、今年は・・・m(_ _)m

という訳で私は一人、電車で津へ向かいました。
津駅前で流星☆さん、ゆっきー、りりおさん、そして初めましてのあんこさんと合流し、津城へ。車に乗り込んで早々、「酒臭い」と言われてしまう私・・・ホントに申し訳ない。

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お久しぶりの津城♪ 8年ぶりかな?

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まずは公園になっている本丸周辺を散策…石垣の上。

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天守台

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東海以西は石垣のお城がたくさんあっていいねぇ…

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連続する横矢掛け☆


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ひとしきり本丸を回った後は藤堂高虎ゆかりの高山神社にお参りして、今は住宅地に埋もれてしまった二ノ丸や外堀の名残を求めて街中を探索します。

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図のA地点から同じく②の虎口方面。
写真右手、家屋が建っている辺りはお堀だったことになります。

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B地点から。
こんな感じで鉤状の土橋が架けられていたのかな?

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津のマンホール

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細い路地に何気なく残るこの段差も、堀の名残♪

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C地点。当時の堀(曲輪)の形通りに、路地が斜めに走っています。

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周辺には「丸之内」や「西丸之内」といった地名も残ります。
こういう町歩き、大好き♪


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もう一度城址公園に戻って、藩校有造館の講堂正門だった入徳門。

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高虎の石垣は基礎部の犬走りも特徴的だよね☆
(例:今治城など)

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最後に、高虎さんの銅像にご挨拶♪

津散策中に早朝城攻めに出ていた(そして欲張り過ぎて津には遅刻した)misaさん、あいすさん、こばたかさんと合流し、更に駅前に戻ってさらさん、あむさんとも合流して全員集合☆
次の目的地を目指して、大移動の開始です!

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