和田谷の城館群 -甲賀オフ会
12月15日(日)午前10時…油日駅前に、オフ会参加者たちが続々と集まります。
この日の参加者も総勢20名以上!
それでは早速、出発~!!
今回の甲賀オフはこちらの和田谷にある城館群を攻めます。
そう、あの和田惟政の本拠地☆
※青文字の方を攻めました。
地形図だと少し分かり辛いので航空写真も…。
一部ゴルフ場や田畑で造成されてしまっているようですが、「谷」の地形が分かると思います。
では、まずは殿山城へ☆
いきなり出迎えてくれる立派な堀切。これは殿山城の背面を守る堀。
殿山城主郭部を見下ろす…そう、殿山城は尾根の最先端部分に築かれているのです。
和田谷の入り口、見張り台のような役割のお城ですね。立派な土塁が縦に走っています。この切岸の高さも凄い!
主郭の削平地に下りて、その土塁を・・・
周囲にも土塁が築かれていました。
殿山城からの眺め…この方向からの敵を監視していたのですね。
少し尾根を引き返した先にも堀が…先の方でキュッとカーブしていて素敵♪
このまま尾根伝いに次へ向かいます。
公方屋敷跡
永禄八年、松永久秀・三好三人衆らによって時の将軍・足利義輝が殺害されると、義輝の弟で奈良興福寺一乗院門跡の覚慶(後の15代将軍・足利義昭)は奈良を脱出、幕臣だった和田惟政を頼って一時、ここ甲賀の和田谷に身を隠しました。
そういえば前日に訪れた立政寺のblog記事でも書きましたが、後に越前朝倉氏の元にいた義昭を美濃へ迎えるため、信長が派遣した使者の中にも和田惟政(信長公記「和田伊賀守」…甲賀なのに伊賀守)の名前がありましたね☆
更に谷間を行く…バカボン・ファミリーのお出迎え(笑)
いや…ハットリくんは伊賀忍者だろ(笑)
おや?…屋根の上にお猿さん!
ちょうど鯱鉾ならぬ、「猿鉾」みたいになってる♪
さて、いよいよ和田城に到着♪和田谷城館群の本城だったと推定されている場所です。
ということは、和田惟政が住んでいた城・・・
主郭となる曲輪Ⅰの虎口
その南側(縄張図a部分)の土塁の上。
縄張図にも描かれていますが、二段に築かれています。
同じ位置から虎口を見下ろす。
ここでもやはり、進入路である谷に対して背面側となる東と南面の土塁が高く築かれていました。
殿山城の堀切(切岸も)を含め、背面は守備を徹底的に固めて兵力を前面に集中させるための工夫でしょうかね。
昼休憩は和田谷の中間地点、善福寺の門前で☆
オフ会のラスト1城は、和田谷を離れて上野城へ☆
ドドーンッ!と竪土塁ww
ご紹介できる縄張図がないのが口惜しいですが…とても技巧的で素敵なお城です。
この折れ折れの土塁も…♪
縄張図に描かれていた小さな方形状の土塁を探しに行った先は…竹藪!(笑)
土塁に囲まれた広い曲輪
主郭へと向かう虎口
あの先、一番高い部分が主郭です☆
主郭内部
今更というか、当然ですが、、、方形状に土塁が築かれています。
そして、上野城の主郭の脇には横堀が回されていました☆
一番高い部分の土塁上(無論、背面側)から主郭内部を。
削平地は勿論のこと、対面の土塁との高低差も凄いです。
先程の横堀。
一部、中洲のような土盛りが築かれて堀が二重になっている箇所もありました。
甲賀上野城、個人的な印象では今回訪れた甲賀の城館群の中では最も技巧的で規模の大きなお城でした☆
さて、オフ会はこれにて終了です。主催の流星☆さんや、いろいろ教えて下さったスペシャルゲスト様には本当に感謝☆
油日駅に戻り、最後に参加者全員で記念撮影をした後に解散。それぞれの帰路に就く皆さんをお見送り~(ToT)/~~~
・・・え?お見送り?!
私は帰らないのかって?・・・ふふふ。私は予約した新幹線まで少し時間が余っていたので、ゆっきー・サイガさんと共に延長戦に向かっちゃったのです(笑)
その様子はまた後ほど。
(という訳で)つづく…
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