山崎山城・常楽寺
清瀧寺徳源院がある滋賀県米原市からは湖東を南下、徐々に忘年会の会場である大津市に近づきつつ(笑)、
次に訪れたのは、、、
山崎山城☆ 石垣も残っています♪
山崎山城の主郭
代々、山崎氏の居城だったようですが、石垣などはその形状から織田信長の支配下で築かれたものと考えられています。信長公記にも;
信長公記 巻十五『信長公甲州より御帰陣の事』より抜粋
『・・・佐和山に御茶屋立て、惟住五郎左衛門一献進上。山崎に御茶屋立て置き、山崎源太左衛門一献進上候なり。』
という記述が出てきます。
甲州征伐からの帰り、信長はこちらにも立ち寄って休憩していたんですね♪
※山崎源太左衛門は山崎秀家のこと。
地図で見ると一目瞭然ですが、佐和山城と安土城のちょうど中間地点に築かれています。
※★地点が山崎山城
そして、佐和山から安土へと真っ直ぐ伸びる道は「下街道」(紫のライン。江戸時代には「朝鮮人街道」)と呼ばれ、信長によって整備されました。山崎山城の眼下、足元を通過しています。
こうしたことから山崎山城は、織田政権下に於いては佐和山から安土への繋ぎの拠点、且つ下街道を見張る役割を負ったお城だったのでしょうね。
この通り、佐和山城や彦根城もハッキリと肉眼で捉えることができます☆
そして、その下街道を車で少し南下すると、、、すぐに安土城が見えてきます♪
安土で立ち寄った先は常楽寺港跡。ここには常楽寺城というお城もあったそうです。
信長公記 巻三『常楽寺にて相撲の事』より抜粋
『三月三日に江州国中の相撲取を召し寄せられ、常楽寺にて相撲をとらせ、御覧候。』
そう、信長相撲興行の場所☆
例え今となっては見るべき遺構がなくとも、私にとってはやはり特別な場所の一つ♪
つづく…
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