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2014年1月 5日 (日)

武田勝頼の滝山城攻城ルート(「私的」考察)

永禄12年(1569)、関東へ侵入した甲斐武田軍は小田原への途次、北条氏康の子・氏照が籠もる滝山城に攻め寄せました。

※武田軍による滝山城攻めの様子は江戸期に書かれた『武田三代軍記』などに描かれていますが、言い慣わされてきた合戦の詳細については、その出典も含めて不明です。
従いまして、本記事でも以降は口伝・通説を元に考察していきますので、あしからずご承知置きください。


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武田軍総帥・信玄は図のように多摩川を挟んで滝山城の対岸、拝島大師のある辺りに本陣を構え、滝山城攻めの指揮を任された四郎勝頼は南方、尾崎山(現・八王子インター一帯。地形は改変されて残らず)に陣を布いたと云います。

2014010502
尾崎山の勝頼本陣があったと云う場所付近から、滝山城方面の眺め。
正面、印を付けた丘が視界を遮って、高い建築物が無かった当時でも滝山城への視界は効かなかったと思われます。
(地図も地点)

2014010503
ちなみに信玄本陣付近からの滝山城の眺めはこんな感じ。

尾崎山に陣取った武田勝頼はまず始めに、北方にあった左入城に攻めかかったとも伝わります。
※地図左入城地点

20150913
なお現在、勝頼陣所跡すぐ北西近く(地図地点)にも「左入城祉」の石碑が建ちますが、丘(山)に挟まれた窪地の地形、勝頼本陣や滝山城との距離・位置関係等を考え合わせてもここに将兵が籠もる理由がなく、少なくとも合戦が行われた時点で「城」として機能したとは思えません。
なのでここでは、国道16号沿いの尾根上を「左入城」と推定して話を進めます。

とすると、勝頼が左入城を攻略した(と仮定して)その目的は何か。
おそらくは滝山城に攻め寄せるルート(地図赤ライン)確保のためだったのではないかと考えました。
※武田軍は滝山街道沿いに進軍して滝山城の「大手」とされる小宮曲輪・三の丸下から攻め寄せた、とする見解もあるようですが、現地を訪れれば一目瞭然の通り滝山街道は常に尾根筋の眼下に収められており、進軍するには危険極まりないルートになります。

折角近所に住んでいるので、そのルートを歩いてみることにします。

2014010504
左入城推定跡地。
すぐ脇(下)を国道16号線が通ります。

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国道16号線。こうして見ると、道路によって尾根が分断された様子がよく分かります。
尾根は実際には更に東(写真左)へ続き、現在のJR小宮駅手前まで伸びていました。

国道16号のすぐ東、多摩川の南岸には平町という集落があり、その昔には「平の渡し」という多摩川の渡し場が設けられていました。
そのルートは多摩川を挟んで南北に連なる現在の都道162号線に該当し、小田原攻めに向かう上杉謙信の軍勢や、関東に入封した徳川家康も通行したと伝えられていることからも、この付近が歴史上、重要な交通路であったことは確かで、左入城も或いは滝山城の東方を守備すると共に、この街道を押さえる役目も負っていたのかもしれません。

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16号線から脇道に逸れると、すぐに尾根道に入ることができます。

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しばらくは尾根道としては幅広な道が続きます。

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そうかと思ったら、急に雰囲気が変わったりしつつ・・・

2014010509
分岐点。ここは左へ・・・

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てくてくてく・・・

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少林寺真裏の地点。
正面に見える段差の奥(上)は削平地になっていました。堀切のように切り立った自然地形(写真手前)を利用した防禦(監視)施設の一部かもしれません。

なお、この付近を鎌倉古道の一つが南北に横切っています。

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更に道は続き・・・

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滝山丘陵の見晴らし♪

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気がつけば呆気なく城域に到達してしまいました。。。「刑部屋敷」先端の堀。

ここに至るまで、尾根上にはこれといって防禦の為の遺構は見当たりませんでした。
立地からするとあまりに無防備。やはり左入城と呼ばれるような出城なりは尾根上にあって然るべしと思いました。

ちなみに勝頼は、滝山城の二の丸前(ニ階門:『武田三代軍記』より)まで攻め寄せたと云いますから、この先の進軍ルートは以下のようになります。
2014010515
このルートはそのまま、滝山城の本来の「大手」だったとも考えています。

ところで、我が自宅から滝山城域まで要した時間、尾根伝いに徒歩で僅か1時間20分。
脇目も振らずに歩けば1時間以内で行ける♪・・・今後は駐車場を気にすることなく、歩いて行こうかな?(笑)

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滝山城」カテゴリの記事

コメント

こんばんは、先日滝山城に行きましたが、山の神郭の下の道を挟んだ向かいの山には外郭があるそうなのですが見落としました、何か明確な遺構はあるのでしょうか?ご存知でしたら教えてください。
遠方でなかなか行けないので機会が有れば、一度そちらの特集をお願いしたいです。

投稿: マサヤ山 | 2014年1月12日 (日) 19時29分

マサヤ山さん
コメントありがとうございます。城址公園周辺にも切岸や削平地等の遺構が残っているらしいのですが、山林も含めて私有地の為、トライできていません。
滝山城から尾根続きに北西1kmには高月城があり、主郭周囲には空堀がよく残っています。

投稿: しみず@管理人 | 2014年1月19日 (日) 06時34分

ご返事ありがとうございました、スマホから書き込み出来ず遅くなってしまい申し訳ありません。
なんとか時間を作り訪れましたが、ざっと見て回りましたが、平場と言うかほぼ平らな地形がずっとある位で、これと言う遺構は無かった様でした。

投稿: マサヤ山 | 2014年4月20日 (日) 17時13分

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