鎌倉古道を歩く…御殿峠、他
「御殿峠」とは現在の町田市相原町から八王子市片倉町に位置する峠のことです。この峠には中世以来の「鎌倉街道(往還)」と呼ばれる主要道の一つが通っていました。
更にこの古道、永禄12年(1569)の甲斐武田軍による関東侵攻の折、滝山城(八王子市)を攻めた後に武田軍が北条家の本拠・小田原を目指して南下した際に通ったとも伝わる道なのです!(復路は手前で三増~津久井方面に逸れています。→参照)
この古道が現在でも往時の遺構をよく残しているというので、早速歩いてみることにしました。
御殿峠 踏査コース
踏査日:2014年1月13日
スタートはJR横浜線「相原駅」から。武田軍とは逆に御殿峠を北上します。
朝9時、鎌倉古道について熱心に勉強されているフォロワーのなっちさんと合流し、ウォーキング・スタート。
相原駅のすぐ近くには幕末期の豪農の家屋である「青木家住宅」。(地図1)
文久2年頃に建てられたと推定される、名主造りという建築様式なのだそうです。門で見え辛いですが、母屋は茅葺☆
そして驚くことに、現在は医院を営まれています。…そっか、患者として来れば中も見学できる?!(笑)
後日教えていただいたのですが、天然理心流二代目の近藤三助はよく、地元の戸吹からこちらの青木家まで出稽古に赴いていたそうです。しかも、三助は相原で客死したと云われていますので、或いは・・・。
現在の建物は文久2年頃の創建とのことなので、三助が通っていた頃のものとは違うのでしょうが、意外なところで繋がりました。
この通りのすぐ南(写真左)側を現在の町田街道が並行して通っていますが、これだけのお屋敷が門を構える道・・・往時はこちらが街道筋だったのでしょうね。
(現在の)町田街道に出た後、少し東に進んで八王子バイパスの高架と交差する手前を左折。
暫くだらだらと続く上り坂を行きます。峠に差し掛かった証。途中でちょいと振り返ると・・・
ご覧の絶景☆富士山も頭を覗かせています♪
実はここまで上って来たこの道、これも鎌倉街道だったのです。(地図2)
さ、いよいよ♪
一見、右の山道を鎌倉古道と勘違いしてしまいそうですが、本当はその左に並行して走る“窪み”が鎌倉古道です。この写真では藪で分かり辛いですが…(^_^;)
空堀のように掘り通されているのも、鎌倉街道の一つの特徴なのだそうです。これを「堀割状遺構」と呼びます。
暫くは藪がきつくて、しっかり見通せなかったのですが・・・ようやく藪が薄い箇所がありました!
ドーンッ!これぞ鎌倉古道の堀割状遺構!!こんな山の中で真っ直ぐに伸びています☆
後ろを振り返っても、ドドーンッ!!
真横から・・・楽しい♪
すぐ脇にある写真左手の土手(?)の上は削平地になっており、按察使大納言の御殿跡という説や、関東武士団・横山党の一人である藍原孝遠(「相原」の由来か?)の館跡という説もあるようです。
これが「御殿峠」と呼ばれる所以かもしれません。(地図3)
さて、更に進んだ先。道の左側にはとても高い(場所によっては2m以上)土塁状の土盛りがあるのに、右はコンクリートの塀しか見えない・・・。
妙に違和感を覚え、念の為に塀の中を覗いてみました。すると・・・
やっぱりこっちにもあった!土盛り☆
片側がコンクリート塀によって遮られていますが、ご覧の通りここもしっかりと堀割状の道になっているのです♪
更には、こんな藪に包まれた山道のすぐ横にも・・・
こうして堀割状遺構が並行して続いています☆
結婚式場「日本閣」の脇を通る車道によって尾根は一度分断されているのですが、その少し手前(南)の「殿丸」と呼ばれるポイント。(地図4)
おそらくは切通しでしょう。凄い・・・
写真の両サイド共に、この上は少し平らに開けていて「殿丸城」の遺構ではないか、という説があるそうですが・・・現地を見る限り「お城」と呼べそうな遺構は見当たりませんでした。
地形からして関所・番所の類はあったのかもしれませんが。
上からも。こうして見たら立派な堀切だね☆
さて、一旦車道に降り立って横切った後、日本閣の駐車場脇を通らせていただいて更にその先へと抜けます。
その駐車場で見かけた、気になる土盛り。
日本閣の敷地を抜けた辺りで待ち構えていた遺構が凄かった・・・
これぞ鎌倉古道・堀割状遺構の傑作!?(笑)
幅といい深さといい・・・見事という他はありません。感動。。。。(地図5)
一つ前の写真の突当り部分でカーブしています。
まるで山城の横堀!…前出の殿丸“城”、或はこちらに築かれていたのかも?とも思いました。
本道の遺構の脇には鎌倉支道の跡も残っていました。
さて、先程の堀底道のカーブを抜けた所で鎌倉古道の遺構は途切れており、藪と急斜面でほぼ行・き・止・ま・り(笑)
どうにかこうにか藪を掻き分け、斜面を滑り下りた先は国道16号線沿い、東京工科大学の向かい側・・・の、とある会社の敷地(滝汗)
不審者感丸出しで通り抜ける(笑)
御殿峠の鎌倉古道、遺構の残存状態も良くて楽しい散策になりました♪
そのまま国道16号を歩いて北上・・・
普段は車で通り過ぎているだけなので、こんな素敵な雰囲気のカフェの存在も初めて知りました☆
片倉城にも立ち寄り。写真は本丸と二の丸の間の堀跡。
曲輪跡は公園化されているので軽くスルーして、こんな竪堀や、、、
二の丸西側の堀跡を見たりしながらサクッと切り上げました。
この後は片倉駅から電車→八王子駅でバスに乗り継いで都立小宮公園がある「ひよどり山」に向かいました。
先日も当ブログでご紹介しましたが、滝山城を攻める武田勝頼が陣を置いたとされている「尾崎山」があった辺りと考えられています。
ひよどり山付近にも鎌倉街道が通っていたらしく、周辺道路の様子・方角から、小宮公園の西沿いに繋がるこちらの道がそうではないかとアタリをつけました。
上ってみます。
とすると…これも堀割状遺構か?!
道は小宮公園(右)の脇を抜けて、、、
頂上付近で「ひよどり山中学校」にぶつかります。さすがに中学校の敷地には勝手に入れないので、回り込んで一段下がった場所から見た滝山城方面。
軍勢の移動に街道を使ったであろうことを考慮すると、この中学校周辺も勝頼陣跡の候補地の一つだと考えます。
このまま歩いて滝山城を目指します。
ひよどり山を振り返って・・・果たして勝頼が布陣した場所は何処であったか。
ひよどり山の北、中央高速を跨いだ場所で「尾崎」を見つけました。
今回は滝山城の東山麓にある少林寺付近からアプローチします。
幹が9本に分かれた「九本桜」
そしてお馴染み?滝山城域の東端、刑部屋敷跡の堀。
既に日が陰り始めていましたので今回はお城見学はせず、引き返して尾根伝いに解散場所の小宮駅を目指します。
前回も思ったけど、このポイントには尾根を見張る番所なりがあったと思う。
ここにも・・・
最後に国道16号で分断された尾根を。
一日でいったい何km歩いたんだろう…(^_^;)
とりあえず怪我もトラブルもなく、小宮駅でなっちさんを見送って無事に解散しました。
昔の街道・峠道歩き、とっても楽しいですよ♪
八王子周辺には他にも興味深い「道」がまだまだたくさんありそうなので、これからも折に触れてチャレンジしていきます☆
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