阿弥陀寺、報恩寺 (「第48回 京の冬の旅」)
2月8~9日は京都へ。
8日未明から関東では大雪になるとの予報もあり、前日から新幹線に乗る新横浜駅前に前泊する万全の態勢での上洛路。
一夜明け、早くもうっすらと雪が積もり始める8日午前8時に出発した新幹線は小田原で雪落としの為の停車があったり、姫路~相生間での倒木の影響もあって遅れがどんどんと大きくなっていく・・・。
この日、最も楽しみにしている阿弥陀寺の拝観時間は午前中に限定されていたため、遅々として進まない新幹線車内で気が気ではない私・・・(^_^;)
それでもどうにか定刻よりちょうど1時間遅れの午前11時に京都駅に到着。着いてみてビックリ!京都、雪が全くない…(@_@;)?!
お陰で市バスにもすぐに乗れ、何はともあれ先ずは阿弥陀寺へと向かう。
市バス205系統「河原町今出川」の一つ先、「葵橋西詰」で下車。寺町通りを進む。
天候は生憎の雨・・・。
そしてこちらが阿弥陀寺。なんとか間に合いました・・・。
正式名称「蓮台山 捴見院 阿弥陀寺」。開山は勿論、清玉上人です。
先ずはこちらの本堂でガイドさんのお話を聞いた後;
・織田信長、信忠父子の木像(一周忌に家臣が作成)
・本能寺で討ち死にした百余名の合祀位牌
・信長の手槍先、弓掛、鞍覆
・明智光秀、木下藤吉郎の書状、etc...
などを拝観しました。
そして、信長・信忠父子の墓前にもお参り。
向かって左には蘭(乱)丸・坊丸・力丸の森三兄弟や、二条御所で信忠と共に討ち死にした猪子兵助らのお墓。
同じ墓地内には清玉上人のお墓もあり、無論そちらにもお参りいたしました。
※猪子兵助は斉藤道三と信長が相見えた「正徳寺の会見」の際、道三の家臣として同席していた人物。道三死後、信長公に仕えました。
阿弥陀寺に伝わる「信長公阿弥陀寺由緒之記録」によると;
本能寺の変勃発を知った清玉上人は、僧徒20人余りを引き連れて本能寺へと駆けつけました。
「裏道」(裏門か?)からどうにか寺内に入ると堂宇は既に炎上し、近くの竹林で信長の遺骸を隠すため、火葬しようとしている武士10人余りと出くわします。そこで上人は自らが火葬は勿論、将来に渡って追悼していくことを願い出ると、その武士らは大いに喜んで上人に遺骸を託し、敵に向かって行きました。
彼らが敵兵を防いでいる間、上人は信長の遺骸を火葬して白骨を法衣に包み、逃げ惑う本能寺の僧徒らに紛れて本能寺を脱出。阿弥陀寺に戻って土中深くに埋葬したと云います。。。
まぁ、寺の外にいた信長の家臣の中には、変の勃発を知って本能寺に駆けつけた者もいたし、案外と明智勢の包囲は甘くて上人らが忍び込むことも可能だったのかもしれませんが、近くで戦闘が行われている中、遺骸を荼毘に付してお骨にする余裕があったとは到底考え辛いと思います。
この由緒之記録は江戸期に一度焼失しており、現在に残るものはその折に記憶を頼りに書き直したものらしいので、果たしてどこまで真実か・・・。
ただ、大正6年に信長へ「正一位」の追贈があった際は勅使が阿弥陀寺に参向し、信長の墓前で儀式が執り行われました。
また一つ、信長所縁の場所を訪れることが出来て感慨も一入です。
最後に庫裡で御朱印を頂き、阿弥陀寺をあとにします・・・。
とここで、市バスの一日乗車券を紛失していることに気付く!まだ1回しか乗ってないのに!!・・・仕方ないので、次の目的地まで歩くことにしました。
そのお陰?という訳でもないですが、阿弥陀寺が秀吉によって現在の地に移される前、本能寺の変当時に存在していた推定跡地にも立ち寄ることができました。
その推定地とはこちら。おおよそ薄く赤で塗った辺りになります(今出川大宮東)。結構広大な寺域を有していたようです。ちなみに本能寺があった四条西桐院までは3km程の距離。
★印は現在の寺町阿弥陀寺。
その推定跡地を今出川通と堀川通が交差する「堀川今出川」交差点から。
もし仮に阿弥陀寺の由緒之記録が真実であったとするならば、この付近の何処かが信長が最初に埋葬された地ということになります。。。
さて、更にてくてくと歩き、次に向かった先は・・・
こちら。
「鳴虎」で有名な報恩寺。
元和9年には入洛した黒田長政が宿舎とし、そして病を得て亡くなっています。
こちらでは;
・「鳴虎図」(複製。本物は寅年の三が日のみ公開)
・黒田如水・長政父子位牌
・黒田長政終焉の間
・豊臣秀吉肖像画
などを拝観致しましたが、私的には何といっても;
・織田信長肖像画
です!
近衛龍山(前久)の賛が付されており、信長の七回忌がこの肖像画の前で執り行われました。
他に残る信長の肖像画とは表情とか少し違う印象ですが、面長で鼻が高くて大きい点は共通していました。
報恩寺の枯山水の庭園。
「京の冬の旅」
この後は淀へ向かうことにしていたので今回は2寺だけでしたが、とても有意義な時間でした。
またこういう機会には訪れたいと思います☆
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