「天下布武」印を求めて♪
前回の記事で館林城や館林の史跡をサクッとご紹介しましたが、そもそも館林を訪れた本来の目的はこちら。
館林市第一資料館で3月16日まで開催されている「サムライたちのメール」展です♪
昨年(2013)末、前橋藩松平家の家臣だった八木家より前橋市に寄贈された1750点に及ぶ古文書の中から、「天下布武」印が押された織田信長の書状2点が発見されました!
その実物が今回、館林で開催されている同企画展で展示されているというので、矢も楯もたまらず駆けつけました☆
発見された信長書状2点は、いずれも本願寺宛で;
・「天下布武」の朱印が押された方は本願寺との石山合戦真っ只中の「天正四年(1576)二月十五日」付。停戦中の本願寺に対し、
「私に歯向かったことは許すので、不穏な動きはするな」と牽制する内容のもの。
・もう1点の「天下布武」は黒印で、本願寺から贈られた太刀や馬に対するお礼状(「正月二十八日」付。年未詳)。
残念ながら私が訪れた時は何故か朱印状の方はパネル展示でしたが、黒印状は実物を拝することができました♪
さて、ここまで信長の書状のことばかりご紹介しましたが、その他にも;
・新田義貞や足利尊氏・直義に始まり、
・室町期の関東公方・足利家や同管領・上杉家、
・戦国に入って関東越山を繰り返した上杉謙信、
・その謙信と争い、越相同盟も結んだ後北条家、etc...
錚々たる面々の書状が88点ほど展示されています。
これらの書状、その殆どが館林など北関東の国人領主層に宛てられたもので、大勢力の狭間で揺れ動く国人領主たちの苦労が垣間見えて大変興味深いです。
個人的には特に、滝川一益が天正10年6月12日、上野小泉城主・富岡秀高に対して;
「京都の儀(本能寺の変)はそれ以降、何も聞いていません。別に変わったことはありません」
と書き送った書状が、何とか動揺を抑えようと苦心している様子が伺えて感慨深かったです。。。
無料ですし、展示されている88点の書状の相当数を網羅した読み下し文もリーフレットで置いてあります。
関東の歴史に興味のある方には特にオススメです☆
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