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2014年2月11日 (火)

京都新選組巡り♪

今回の京都への旅、2日目は新選組関連史跡巡りです。
案内(講師)役はフォロワーのみかんさん。生徒役は私を含め4人。総勢5名での散策♪
みかん先生の教え記憶の限り、参加者中最も不真面目?な生徒だった私がここにまとめさせていただきます(笑)

朝9:30に京都駅で集合し、先ずは・・・

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不動堂村屯所跡へ向かいます。写真は「不動堂村」の由来となったお不動さん。

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こちらが不動堂村屯所跡。現在はリーガロイヤルホテル京都の敷地となっています。

それまで新選組に北集会所を屯所にされていた西本願寺が土地や資金を用意し、新選組の希望を盛り込んだ設計で建てられました。その目的はやはり、境内からの追い出しか?
鳥羽伏見の戦い勃発直前の慶応3年12月に伏見奉行所へ移るまでの僅か数ヶ月間だけ利用された、京での最後の屯所です。

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屯所跡からほんの2~30m程北へ進んだこの付近の堀川通りの真ん中には、近藤勇の休息所があったそうです。(妾の深雪太夫を囲っていた所か?)

慶応3年11月18日、近藤の招きに応じた御陵衛士の伊東甲子太郎はここを訪れ、暫し会見の後、帰路へと就きます・・・

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その帰路、休息所を出てすぐの油小路に差し掛かったこの場所で、待ち伏せしていた新選組の大石鍬次郎らの襲撃を受け、伊東は致命傷を負います。
写真は大石役のみかんさんの襲撃を受ける、伊東あっぴん。さんの図(笑)

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致命傷を負った伊東甲子太郎はヨロヨロと油小路を北へ進み、襲撃現場から10m程の場所にあるこの本光寺前の石塔に倒れ掛かり、奸賊ばら!」と叫んで絶命したと云います・・・。
ところがこの日は暦でみると満月に近い夜で、暗殺に適した日取りではなかったようです。何故この日に実行されたのか。何か差し迫った事情があって急遽決行されたのか・・・。謎が残るところです。

残念ながらこの日はお寺さんに用事があったようで、門内の石塔は拝観出来ませんでした。

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伊東の暗殺に成功した新選組はその遺骸を更に北へ100m、油小路が七条通りと交わるこのまで運んで放置し、御陵衛士らに使いをやって伊東が暗殺“された”と伝えさせます。
そして、御陵衛士のメンバー7名が伊東の遺骸を引き取りに来たところを、予め伏せておいた40名もの隊士らが襲い掛かりました。つまり罠。
これが「油小路の変」と呼ばれる事件で、試衛館時代から近藤らの仲間でもあった藤堂平助もここで命を落とします。その場所は、写真左にある自動販売機の前辺りであったとか・・・。

ところがこの事件、戦闘のプロである新選組が40名もの人数で僅か7名を包囲・襲撃しておきながら、なんと半数以上の4名も取り逃がしているのです。ここにも不思議な謎が・・・。
結果、この時取り逃がした連中に近藤は肩を狙撃されますし、流山での投降後、板橋で尋問を受ける大久保大和を「近藤勇である」と証言?したのもまた、御陵衛士の残党だったかと記憶しています。その後の近藤の運命は言うまでもなく・・・。


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さて、こちらは天満屋事件跡。
慶応3年12月7日、この年の11月15日に坂本龍馬・中岡慎太郎を暗殺された海援隊・陸援隊は、いろは丸沈没事件で事故後の損害賠償交渉に於いて龍馬にまんまとしてやられて多額の賠償金を支払わされることになり、龍馬に恨みを抱いている(であろう)紀州藩を暗殺の首謀者と疑い、同藩の公用人・三浦休太郎を襲うことを計画、16名で三浦が滞在する天満屋を襲撃します。
この時、三浦には紀州藩から会津藩を通して依頼された新選組から、斉藤一を筆頭に7名が護衛に就いていました。

戦闘はすぐに灯りが消されて暗闇の中で行われ、襲撃側は十津川郷士の中井庄五郎が落命し、新選組側は宮川信吉、他1名が命を落としました。三浦自身は頬にかすり傷を負っただけですみました。

この事件、ちょっと裏話があるそうで、襲撃された側の誰かが機転を利かして襲撃側を装ったものか、それとも暗闇の中で味方同士間違えたのか、突然、
「三浦の首を討ち取った!」
という声が上がったそうです。襲撃側からすれば、三浦さえ討ち取れば目的は達成。急いで現場を離れ、改めて討ち取った首を確認すると・・・それは味方であるはずの中井庄五郎の首だったとか・・・。
しかも、陸奥陽之助(後の外務大臣・陸奥宗光)らは悔しさのあまり?、あろうことかその仲間の首を捨ててしまったそうです・・・哀れ中井庄五郎。

何故、天満屋跡に建つ石碑が中井庄五郎だけなのだろう、と思ったけど、確かにこうでもしないと浮かばれないよね・・・。


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さて、お次は西本願寺へ。この太鼓楼が建つ境内北側一帯に、新選組が屯所を置く北集会所がありました。
隊士だった島田魁は明治以降、謹慎を解かれると京に住み、道場を営む傍ら西本願寺で夜景の仕事をしていました。
そして70歳も過ぎたある夜、この太鼓楼の辺りで亡くなっていた云います。。。

ちなみに北集会所は新選組退去後に取り壊され、後に火事で焼失した姫路の亀山本徳寺に再建され、現存しています。早く行ってみたい!

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西本願寺の西側近く、この路地の奥に島田魁の住んだ家があったそうです。

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その路地(写真右、某タイヤメーカーの看板が掛かっている箇所)と突き辺りに見える西本願寺の距離感。

そのまま西へ歩いて、、、
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遊郭・島原へ。

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置屋「輪違屋」
現在も太夫を抱え、且つ宴席も営んでいる島原で唯一営業し続けているお店。
玄関には「観覧謝絶」、一見さんおことわりです…(^_^;)

浅田次郎氏の「輪違屋糸里」(芹沢と共に襲われるも逃れた平間重助の馴染み)でも有名ですが、輪違屋側には「糸里」が在籍した記録は無いそうです。

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そして「角屋」
新選組がよく宴席を設け、芹沢鴨がいろいろとやらかしたエピソードも残っていますね(笑)

その芹沢の最期の夜となる日も新選組はこの角屋で彼の慰労会を開き、心地よく酔いが回った芹沢が輿に乗って壬生の屯所(八木邸)へ戻り、愛人と寝入ったところを土方や沖田らが襲い、暗殺しました。

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という訳で我々も、暗殺される当日に芹沢らが通ったと思われる道を壬生へ向かいます。

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途中、個人の方が営まれている資料館にも立ち寄りつつ、、、
(中は乱雑ですが、よくよく見れば掘り出し物もあるかも?ww)

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今でこそ拡幅された五条通りが横切っていますが、道はこうしてしっかりとその先に続いています。

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壬生寺に到着~
境内で沖田総司が子供たちと遊んでいたことや、新選組が調練をしたエピソードなどが残っています。

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こちらで芹沢さんらに墓参。

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芹沢鴨暗殺現場となった八木邸の門前から、、、

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前川邸の、土方が古高俊太郎を拷問にかけた部屋の窓を覗き込む(左奥)。

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前川邸にも立ち寄り、、、

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そのまま山南敬助が眠る光縁寺へ。
彼がここに葬られた理由としては、光縁寺と山南の紋が同じだったこや、寺の門前に新選組の厩があり、親しく顔を合わせていた可能性が考えられるそうです。

勿論、山南さんや他の隊士たちのお墓にもお参りしました。
実は光縁寺墓地のすぐ北には嵐山本線が通っており、山南らのお墓は本来、その線路の辺りにあっそうです。
それが線路敷設にあたり、お墓の移動を余儀なくされ、墓石だけ現在の位置に移したのだとか。つまり、彼らは今も嵐山本線の下に眠る。。。もう少しどうにかならなかったのだろうか。

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こちらの路地の奥が、新選組の厩があったと推定されている場所です。

この後はこの日初めてバスで移動。

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もう一人のフォロワーであるちーさんと合流し、ランチタイム♪

昼食後、このお店の目の前にある、、、

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金戒光明寺、通称「くろ谷さん」へ。
言わずと知れた京都守護職・会津藩の本陣です。

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とても立派な御影堂。
この御影堂は普段から公開されていて中に入れるそうですが、この日は障子が閉められて中からは読経の声が聞こえる・・・。
どうしたものかと逡巡していると、、、みかんさんとちーさんが障子の隙間からしきりに中を覗き始めた(笑)

はい、無事に入れてお参り出来ましたよ。
ここで急遽駆け付けてくれたちーさんは時間切れでお別れ。ありがとうございました、またお会いしましょう☆

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有名な?アフロ地蔵♪

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徳川家光生母・江の供養塔

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そして、墓地の高台奥には会津藩殉難者墓地。200名以上もの墓石が並びます。
合掌。

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くろ谷さんが守護職本陣に選ばれた理由、それは江の供養塔があることからも分かる通り、徳川家所縁の寺であったこと。そして高台にあって、いざという時の防備の備えが施されていたことなどが考えられるそうです。

この眺めを見ればさもありなん。最も守るべき御所もしっかりと視界に捉えています。


さぁ、これにて京都新選組巡りも、雪への対応で思いがけず2泊3日に及んだ今回の旅も終わりです。
いろいろと準備を整え、一日丁寧に教えてくれたみかんさんを始め、あっぴん。さん、そして今回初めてお会いしたすばるさんにみらいさん、ありがとうございました☆
是非またお会いしましょうね♪

・・・と帰りの新幹線で旅の感慨に浸っていたら、忘れていたよ( ._.)

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関東では45年ぶりという記録的な大雪が降っていたことを…(^_^;)
まさか次週の八王子オフにまで影響を及ぼしてくれるとはね。。。

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