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2014年2月22日 (土)

古代の道「東山道武蔵路」を歩く

「東山道武蔵路」をご存知でしょうか。
上野・下野から武蔵国府(東京都府中市)に跨って南北に築かれていた古代(7~8世紀頃)の官道の一つです。

そんな古い道が西国分寺駅周辺で発掘され、現在では埋め戻されていますが再生展示されているというので、ちょっと足を運んでみました。
※府中市は西国分寺からちょうど真南に位置します。

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東山道武蔵路の再生展示。
中央の芝生部分が道路面で、左右に分かれて左から順に茶色・肌色・茶色・肌色のラインが表現されています。これは側溝が発掘された位置を示しています。

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東山道武蔵路の再生展示があるのは、JR西国分寺駅の南東側、地図に黄色の線が引かれた位置になります。
先程の写真はその南端、赤で「現在地」と書かれた位置で撮影しました。このまま黄色の線に沿って北上します。

ところで先程の側溝、同時期に東西(左右)各2本ずつ、計4本掘られていた訳ではありません。

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側溝の展示を見ると「第1期」「第3期」の文字が・・・

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当初、東西に肌色で展示された位置に側溝を掘って築かれていた道(第1期)は、側溝の埋没後にその上面を路面としていた時期(第2期)を経て、新たに第1期の側溝位置から西側(茶色の展示)にずらして側溝を掘削し直して利用していた第3期へと移っていきました。

だから、現在の再生展示では4本の側溝跡が表現されているのです。

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いずれの場合も側溝間の道幅は約12m。
織田信長が領国内に整備させた街道のうち、主要なものでも道幅約6mくらいだったというので、如何に巨大な道であったかが偲ばれます。

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第1期の側溝跡に重なるように黒で展示されている部分、ここからは竪穴住居の跡が発掘されています。
この住居跡からは9世紀後半の遺物が見つかっていることから、少なくとも第1期の側溝は9世紀後半までには埋没していたことが判明しています。

東山道武蔵路の再生展示は一旦住宅街に遮られますが、、、

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少し北へ迂回すると再びドーンと真っ直ぐに伸びています。
本当に見事なまでに直線に築かれていたんですねぇ・・・。

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勿論、ここにも側溝跡。

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本当は車道をもっと広く取りたかったんだろうけどね…(^_^;)
古代道の遺構が発見されたことにより、それを残すために歩道の方が圧倒的に広い!何とも贅沢な歩道(笑)

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写真では読み取り辛いですが、「東山道武蔵路」と彫られています。

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更に北上していくと古道は、車道やその先で中央線の線路に遮断されていますが、その線路の北側にも少し残されているみたいです。

しかしまぁ、これほど見事な古代の道が、長い年月を経て再び現代の我々の前に姿を現すとは・・・ちょっとしたロマンに浸れる散策になりました♪

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