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2014年3月 6日 (木)

富岡製糸場

先日(3/2)参加したバスツアー「北条氏の上州戦跡を歩く」では、富岡製糸場にも訪問しました。

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製糸場周辺の町並み・・・

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富岡製糸場
煉瓦の褐色が鮮やかです。

幕末~明治初期にかけて、日本の絹産業の中心は「桑の都」と呼ばれた八王子と、その周辺でした。
新選組絡みでご紹介した小野路の小島家や、日野の土方家(土方歳三実家)などでも養蚕を行っていたと云います。
諸外国との通商が開始されると、日本の最大輸出品目は生糸になりました。一大集積地である八王子から輸出貿易港である横浜へと生糸を運んだ道(神奈川往還)は「絹の道」と呼ばれ、現在でもその一部が八王子市の鑓水に残っています。

ところが輸出量が増えるにつれ、大量生産の煽りを受けて生糸の品質が悪化します。
外貨獲得のためにも安定的生産と品質の改善が急務となった明治政府は、最新の西洋式繰糸器械を導入した官営の製糸工場を設立します。
これが明治5年に誕生した富岡製糸場です。これにより、生糸は日本の輸出貿易高の50%以上を占めるようになった時期もあったそうです。

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木骨煉瓦造」という建築様式なのだそうです。和洋折衷、といったところかな?(笑)
明治5年といえばまさに文明開化の端緒。西洋化への過渡期に建造された様式として大変興味深いです。

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繰糸場にて。生糸の品質などに関するノルマが記されているそうです。
・・・ガイドさんの説明を真面目に聴いていなかったので、詳細は忘れましたが…(^_^;)

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ズラッと並ぶ繰糸器械。。。

ところで、敷地内にはこんな光景も。。。
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この2週間前の大雪で倒壊してしまったそうです。現在、世界遺産登録に向けて申請・審査中の富岡製糸場。こちらの建物は復元するのでしょうか…?
いずれにしても、決定は今年(平成26年)6月とのこと。果たして登録なるのか否か。

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富岡市のマンホール。

帰りがけ、製糸場前にあるお店で「絹シュウマイ」なるものを土産に購入しましたが、これがなかなかイケる!お肉たっぷりで美味しかったです☆

そうそう、「富岡」といえば先日訪れた館林での「サムライたちのメール」展で目にした;
滝川一益が富岡秀高に宛てて出した天正10年6月12日付書状
が記憶に新しい(詳しくはコチラですが、こんなところでも「神流川の戦い」に繋がりましたね♪

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