高台寺、方広寺
京都、どすなぁ…♪ww

さ、高台寺に到着です☆

京の冬の旅で特別公開されている貴重な伽藍や品々を拝観いたします♪
まずは本堂である方丈で、上の写真右側の看板に出ている豊臣秀吉・高台院(おね)の木像を拝観(撮影不可。基本的に建物内は撮影不可です)。
この木像、本来は御霊屋に納められていますが、修復が完了したのを記念して方丈に移して公開されています。
なんでも表面に微かに残っていた顔料を綿密に調べた上で、同じ塗料を用いて塗り直したそうです。その為、とても綺麗で真新しく見えます。

さて、境内を散策します♪

開山堂
こちらでは狩野派が描いたという「天井龍図」などを拝観。

おねの墓所である御霊屋
須弥壇や厨子に用いられた高台寺蒔絵が荘厳で見事でした☆

ちょっと高台に登って傘亭(手前)と時雨亭(奥)
共に千利休の意匠によるもので、伏見城からの移築。「時雨」に「傘」だなんて…風流ですな(笑)
そして慶長20年5月、大坂夏の陣で夫・秀吉と築いてきた豊臣家が滅びるその時、北政所(おね)はこの時雨亭の二階から大坂落城の様子を見ていたと云います。その胸に去来したものは果たして・・・。

高台寺を出て、次の目的地までしばらく歩きます。

訪れた先はこちら、方広寺。

高台寺で大坂の陣のエピソードが出てきたからという訳でもないですが、訪れた目的は勿論こちらの鐘。

この鐘に刻まれた銘文の一部、「国家安康」「君臣豊楽」。
・・・もはや有名過ぎて今更言わずもがな、ですね。
しかし、この鐘も銘文もこうしてそのまま残されているところを見ると、家康も特別怒っていた訳ではなく、開戦の口実として利用できればよかっただけなのかな、と思ってしまいますね…(^_^;)
普通であれば戦後、鋳潰されていても不思議じゃないのに。

方広寺石塁

方広寺の近くには、文禄・慶長の役で戦功の証に首級の代わりに送られた耳や鼻を埋めて供養した耳塚(鼻塚)も。
上に載っている五輪の石塔は、寛永2年の古絵図には既に同じ形状で描かれているそうです。
さて、今回の京都市内散策はここまで。
この後は少し移動します。

さ、高台寺に到着です☆

京の冬の旅で特別公開されている貴重な伽藍や品々を拝観いたします♪
まずは本堂である方丈で、上の写真右側の看板に出ている豊臣秀吉・高台院(おね)の木像を拝観(撮影不可。基本的に建物内は撮影不可です)。
この木像、本来は御霊屋に納められていますが、修復が完了したのを記念して方丈に移して公開されています。
なんでも表面に微かに残っていた顔料を綿密に調べた上で、同じ塗料を用いて塗り直したそうです。その為、とても綺麗で真新しく見えます。

さて、境内を散策します♪

開山堂
こちらでは狩野派が描いたという「天井龍図」などを拝観。

おねの墓所である御霊屋
須弥壇や厨子に用いられた高台寺蒔絵が荘厳で見事でした☆

ちょっと高台に登って傘亭(手前)と時雨亭(奥)
共に千利休の意匠によるもので、伏見城からの移築。「時雨」に「傘」だなんて…風流ですな(笑)
そして慶長20年5月、大坂夏の陣で夫・秀吉と築いてきた豊臣家が滅びるその時、北政所(おね)はこの時雨亭の二階から大坂落城の様子を見ていたと云います。その胸に去来したものは果たして・・・。

高台寺を出て、次の目的地までしばらく歩きます。

訪れた先はこちら、方広寺。

高台寺で大坂の陣のエピソードが出てきたからという訳でもないですが、訪れた目的は勿論こちらの鐘。

この鐘に刻まれた銘文の一部、「国家安康」「君臣豊楽」。
・・・もはや有名過ぎて今更言わずもがな、ですね。
しかし、この鐘も銘文もこうしてそのまま残されているところを見ると、家康も特別怒っていた訳ではなく、開戦の口実として利用できればよかっただけなのかな、と思ってしまいますね…(^_^;)
普通であれば戦後、鋳潰されていても不思議じゃないのに。

方広寺石塁

方広寺の近くには、文禄・慶長の役で戦功の証に首級の代わりに送られた耳や鼻を埋めて供養した耳塚(鼻塚)も。
上に載っている五輪の石塔は、寛永2年の古絵図には既に同じ形状で描かれているそうです。
さて、今回の京都市内散策はここまで。
この後は少し移動します。
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