左義長まつり♪
旅の締め括りは近江八幡市の左義長まつり!
「左義長」とは本来、小正月に行われる火祭りの行事のことで、日本全国で見られる習わしだそうです。
そして、近江八幡のそれは織田信長にもとても所縁が深いのです!
「信長公記 巻十四(天正九年辛巳)御爆竹の事」に記述のある、
「左義長」とは本来、小正月に行われる火祭りの行事のことで、日本全国で見られる習わしだそうです。
そして、近江八幡のそれは織田信長にもとても所縁が深いのです!
「信長公記 巻十四(天正九年辛巳)御爆竹の事」に記述のある、
『正月八日、御馬廻、御爆竹用意致し、頭巾装束結構に致し、思ひゝゝの出立にて、十五日に罷り出づべきの旨、御触れあり。』
こそ、まさにこの左義長です☆
こそ、まさにこの左義長です☆
天正9年1月15日に行われた左議長、そこでの信長の出で立ちは、
『御馬場入り、御先へ御小姓衆。その次を信長公、黒き南蛮笠をめし、御眉をめされ、赤き色の御ほうこうをめされ、唐錦の御そばつぎ、虎皮の御行縢。蘆毛の御馬、すぐれたる早馬、飛鳥の如くなり。』
黒い南蛮笠を被って眉を描き、赤い頬当てに唐錦の袖無し羽織、虎皮の行縢・・・颯爽として得意気な姿が目に浮かぶようですね♪
信長の後には近衛前久を初め、織田一門が続きました。錚々たる行列だったでしょうねぇ☆
この安土での左義長の噂を聞きつけた正親町天皇の要望で、明智光秀を奉行とした馬揃えへと繋がるのです。
安土廃城後、豊臣秀次によって近江八幡の地に城と城下町が築かれると、左義長の風習もこの地に移ってきました。そのお祭りが今でも続いているのです☆

という訳で、我々も近江八幡の城下町をブラブラと練り歩きます♪

お、早速どこかの左義長(山車)が見えてきました。
実はこれら左義長の飾りは、その年の干支をテーマに制作されます。なので今年は馬☆

そして、材料にはなんと食材が用いられているのです!
こちらの左義長の場合、蹄が…スルメ(笑)

また別の左義長☆

この桜だか梅の花はポップコーン、木の幹はお煎餅♪

もうしばらく周辺を散策。
こちらは豊臣秀次の娘・玉姫の廟所がある洞覚院。

おや?扁額に「慈恩寺」の文字が…!?
もしかして浄厳院のように、元は「慈恩寺洞覚院」だったのかな?

玉姫の廟所

近江八幡といえば…こちらも忘れてはいけない、メンタームの近江兄弟社。

お昼は「左義長そば」(350円也)で腹拵えして・・・

頃合いとなり、祭りのメイン会場である日牟禮八幡宮の鳥居前で、続々と各地区から集まってくる左義長を待ち受けていたら、、、

早速おっ始めた!(笑) 左義長同士を組み合わせて争う“ケンカ”☆

日牟禮八幡宮境内のそこかしこでも!

「難波のことも 夢のまた夢」…豊臣秀吉の辞世ですね。
でも私が一番見たかった左義長は・・・

勿論こちら☆ 前日のコンクールでも優勝している左義長で、テーマは;
天正九年御馬揃
まさに左義長まつりにピッタリ♪
他にも;
桐紋透大鐔と村雨(先程の秀吉辞世の句の左義長)
井伊の赤鬼
松風 ―天下無双の歌舞伎馬―
など、武将好きには堪らないテーマで制作された左義長がノミネートされていましたよ♪

ちょっと油断していたらケンカに巻き込まれます…(^_^;)
とっても勇壮なお祭りでした☆

おっと、これも忘れちゃいけない…たねやの「つぶら餅」♪(笑)
もっちりとした食感がGoodでした☆
この後も近江牛串、近江牛のすき焼きコロッケと食べ歩きました♪・・・もはや、食道楽?(笑)

祭りの喧騒を離れて少し散策・・・近江八幡城下町に縦横に廻らされた背割排水(背割の溝)。

八幡堀♪

ヴォ―リース建築のアンドリュース記念館
しばらくして日牟禮八幡宮に戻ってみると・・・

絵に描いたような“祭りのあと”(笑)
境内でひとしきり暴れた?左義長は修復の為に一旦各地区へ戻り、夜の奉火(左義長を燃やす儀式)に備えます。
その時までいられないのが残念!
しかし左義長同士のケンカなど、たっぷり祭りの雰囲気も楽しめたし、大満足です☆
近江八幡であっぴん。さんとはお別れし、ゆっきーの車で米原まで送ってもらうことに。

途中、安土城に寄り道し、、、

彦根城や佐和山城の山麓も通過するルートを走ってくれて、最後まで楽しい旅になりました♪
あっぴん。さん、ゆっきー、本当にありがとうございました!
『御馬場入り、御先へ御小姓衆。その次を信長公、黒き南蛮笠をめし、御眉をめされ、赤き色の御ほうこうをめされ、唐錦の御そばつぎ、虎皮の御行縢。蘆毛の御馬、すぐれたる早馬、飛鳥の如くなり。』
黒い南蛮笠を被って眉を描き、赤い頬当てに唐錦の袖無し羽織、虎皮の行縢・・・颯爽として得意気な姿が目に浮かぶようですね♪
信長の後には近衛前久を初め、織田一門が続きました。錚々たる行列だったでしょうねぇ☆
この安土での左義長の噂を聞きつけた正親町天皇の要望で、明智光秀を奉行とした馬揃えへと繋がるのです。
安土廃城後、豊臣秀次によって近江八幡の地に城と城下町が築かれると、左義長の風習もこの地に移ってきました。そのお祭りが今でも続いているのです☆

という訳で、我々も近江八幡の城下町をブラブラと練り歩きます♪

お、早速どこかの左義長(山車)が見えてきました。
実はこれら左義長の飾りは、その年の干支をテーマに制作されます。なので今年は馬☆

そして、材料にはなんと食材が用いられているのです!
こちらの左義長の場合、蹄が…スルメ(笑)

また別の左義長☆

この桜だか梅の花はポップコーン、木の幹はお煎餅♪

もうしばらく周辺を散策。
こちらは豊臣秀次の娘・玉姫の廟所がある洞覚院。

おや?扁額に「慈恩寺」の文字が…!?
もしかして浄厳院のように、元は「慈恩寺洞覚院」だったのかな?

玉姫の廟所

近江八幡といえば…こちらも忘れてはいけない、メンタームの近江兄弟社。

お昼は「左義長そば」(350円也)で腹拵えして・・・

頃合いとなり、祭りのメイン会場である日牟禮八幡宮の鳥居前で、続々と各地区から集まってくる左義長を待ち受けていたら、、、

早速おっ始めた!(笑) 左義長同士を組み合わせて争う“ケンカ”☆

日牟禮八幡宮境内のそこかしこでも!

「難波のことも 夢のまた夢」…豊臣秀吉の辞世ですね。
でも私が一番見たかった左義長は・・・

勿論こちら☆ 前日のコンクールでも優勝している左義長で、テーマは;
天正九年御馬揃
まさに左義長まつりにピッタリ♪
他にも;
桐紋透大鐔と村雨(先程の秀吉辞世の句の左義長)
井伊の赤鬼
松風 ―天下無双の歌舞伎馬―
など、武将好きには堪らないテーマで制作された左義長がノミネートされていましたよ♪

ちょっと油断していたらケンカに巻き込まれます…(^_^;)
とっても勇壮なお祭りでした☆

おっと、これも忘れちゃいけない…たねやの「つぶら餅」♪(笑)
もっちりとした食感がGoodでした☆
この後も近江牛串、近江牛のすき焼きコロッケと食べ歩きました♪・・・もはや、食道楽?(笑)

祭りの喧騒を離れて少し散策・・・近江八幡城下町に縦横に廻らされた背割排水(背割の溝)。

八幡堀♪

ヴォ―リース建築のアンドリュース記念館
しばらくして日牟禮八幡宮に戻ってみると・・・

絵に描いたような“祭りのあと”(笑)
境内でひとしきり暴れた?左義長は修復の為に一旦各地区へ戻り、夜の奉火(左義長を燃やす儀式)に備えます。
その時までいられないのが残念!
しかし左義長同士のケンカなど、たっぷり祭りの雰囲気も楽しめたし、大満足です☆
近江八幡であっぴん。さんとはお別れし、ゆっきーの車で米原まで送ってもらうことに。

途中、安土城に寄り道し、、、

彦根城や佐和山城の山麓も通過するルートを走ってくれて、最後まで楽しい旅になりました♪
あっぴん。さん、ゆっきー、本当にありがとうございました!
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