セミナリヨ跡

安土城下のセミナリヨ跡。
ところで、「信長公記」にこんな記述があります。
「信長公記 巻十四(天正九年辛巳)因幡国鳥取城取り詰めの事」の条の一部に、
『七月十五日、安土御殿主(ママ)、並びに、惣見寺に挑灯余多つらせられ、御馬廻の人ゝ、新道・江の中に舟をうかべ、手ゝに続松とぼし申され、山下かゞやき、水に移りて、言語道断、面白き有様、見物群集に候なり。』
と、この年の盆に常の年とは違って安土城天主や総見寺に提灯を吊り、道や琵琶湖に浮かべた舟にも松明を灯してライトアップさせた様子が簡潔に記されています。
ちょうどこの時、安土を訪れていたイエズス会巡察師ヴァリニャーノの通訳として同行していたルイス・フロイスが、その著書「日本史」の中でこの時の様子をより詳しく綴っていますので、少し長いですが引用します。
『すなわち信長は、いかなる家臣も家の前で火を焚くことを禁じ、彼だけが、色とりどりの豪華な美しい提燈で上の天守閣を飾らせた。七階層を取り巻く縁側のこととて、それは高く聳え立ち、無数の提燈の群は、まるで上(空)で燃えているように見え、鮮やかな景観を呈していた。彼は街路-それは我らの修道院の一角から出発し、前を通り、城山の麓まで走っている-に、手に手に松明を持った大群衆を集め、彼らを長い通りの両側に整然と配列させた。』
信長が安土城や街路をどのようにライトアップさせたか、太田牛一とフロイス、共に描写が完全に一致していますね。
そして、その松明でライトアップされた道はここ、セミナリヨ(『修道院』)から真っ直ぐに安土城へ向かって伸びていたのです☆

セミナリヨ跡から望む安土城。城山の麓に向かっている道(『街路』)もありますね☆
ここに光の列が出来ていたのですねぇ…♪
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