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2014年5月

2014年5月24日 (土)

貞源寺 伊庭八郎の菩提寺

西武新宿線「沼袋」駅から徒歩数分・・・

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浄土宗の貞源寺へ。
そう、幕末に活躍した伊庭八郎の菩提寺です。当時は浅草にありましたが、大正年間にこちらの中野区沼袋へ移転しました。
来週の函館行きを前に、箱館戦争で散った彼にもご挨拶をと思い立ち、お墓参りに来ました。
※伊庭八郎の活躍については、箱根山崎の戦いの記事などもご参照ください。

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ズラリと並ぶ心形刀流歴代宗家らの墓石。
八郎は八代・秀業の嫡男として生まれますが、秀業が急死した時にはまだ16歳と若かった為に宗家を継げず、父の一番弟子だった垪和想太郎が養子に入って秀俊を名乗り、九代目を襲名しています。
※十代目は八郎の弟、伊庭想太郎。

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向かって左が伊庭八郎のお墓。
(右は弟・伊庭想太郎。政治家の星亨を刺殺し、獄中で病死)

箱館で死去した後、八郎の遺体は五稜郭に埋葬されましたが、遺髪は従者だった荒井鎌吉によって持ち帰られ、伊庭家の菩提寺だった貞源寺(浅草)に葬られました。

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秀業次男 秀俊養子 俗称 伊庭八郎
秀穎院清誉是一居士 明治二年己巳 五月十二日

と刻まれています。何故か秀業次男となっていますが、彼は長男の筈…?
※右側は八郎の母の戒名
そして彼の命日については諸説ある中(私は5月15日前後ではないかと考えています)、こちらでは5月12日とされています。

八郎が奮戦した木古内周辺の古戦地にも足を運べるといいな♪
思いも新たに、いざ函館へ☆

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2014年5月18日 (日)

土方歳三 現存最古の全身写真

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本日(5/18)はフラッと新選組のふるさと歴史館へ。
先週もひの新選組まつりで来たばかりですが…(^_^;)

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でも今回はこちらの企画展が目当てだったのです。

同館と;
土浦市立博物館
壬生町立歴史民俗資料館
板橋区立郷土資料館
による四館共同企画「幕末動乱 ―開国から攘夷へ―

通常ですと、ふるさと歴史館での企画展といえば2階の1室のみでの展示なのですが、さすがに今回は四館共同企画。
その分、展示資料も豊富で常設展示スペースも全て入れ替えての充実の内容でした。

ふむふむ…としたり顔で見学し、展示ケースも終盤に差し掛かった時、私の視線はある一点に釘付けになりました・・・!?

そう、土方歳三の有名な全身写真です!
なんでも野崎村(現東京都三鷹市)の名主の子、吉野泰之助という人物が明治34年頃に北海道へ旅行した際に入手し、持ち帰ったものだとか。
歳三の全身写真としては現存する最古のものなのだそうです☆
(※市村鉄之助が函館から日野の佐藤家へ届けたものは半身)

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勿論、現物は撮影できないので、こちらでご容赦を…(^_^;)

この共同企画展に合わせ、所有者の吉野氏(おそらくご子孫の方でしょう)のご厚意により実現した特別公開

新選組のふるさと歴史館では僅かに;
5月17日、18日
6月1日、15日
7月6日、12日、13日
7日間のみの展示。

5月18日の今日という日に訪れた偶然に、ただ感謝あるのみ☆
やはり月末の函館行きに向けて、何か見えない力に導かれている気がしてならない…
そんなことを考えてしまう、素敵で幸せな偶然との出会いでした♪

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2014年5月13日 (火)

第17回 ひの新選組まつり

5月10日(土)~11日(日)の2日間、東京都日野市で「第17回 ひの新選組まつり」が開催されました☆
足を運ぶのは今年で3度目。今回は初めて初日の土曜日から祭りの雰囲気を楽しんで参りました♪


□5月10日(土)

この日はバスで日野駅に出た後、日野宿交流館に立ち寄りながら旧甲州道中沿いを万願寺方面へ向かって歩きました。
最初に目指したのは、、、

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土方歳三の墓所がある石田寺
実はこの日、午前11時より彼の墓前で歳三忌という法要が行われており、私もそちらに参加するつもりで訪れたのですが・・・家を出たのが遅れたため間に合わず…(;^ω^)

でも人影もまばらで静かな中、墓前に月末の函館(箱館)行きを報告できたので、かえってよかったと思います♪

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その後は歳三の菩提寺、高幡不動尊へ。

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当初の予定では歳三忌に参加する流れで、こちらの信徒会館で行われる講演にも出席するつもりでいましたが、、、
そもそも墓前法要に間に合わなかったのと、何となく気が進まなくなってきたのでパス。
境内をブラブラしながら、お祭りの雰囲気を楽しむことにしました。

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この数日前にも拝観したばかりですが、大日堂近藤勇・土方歳三の位牌に改めてご挨拶?しようと思ったら、、、新選組隊士総慰霊法要のため、祭り期間中は五重塔にご出張で再会叶わず…(;・∀・)

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それならばと、法要会場である五重塔ホールへ。

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・・・きちんとお焼香させていただきました。
法要後のご住職のお話も興味深く拝聴☆

この後サイガさんと合流し、奥殿で展示されている資料の数々を見学しつつ、、、

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再び五重塔ホールに戻って隊士コンテストや、、、

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歴史系アーティスト「さくらゆきさんのステージ♪

などなど、新選組好きの皆さんの熱気を肌で感じながら、祭りの初日を堪能しました☆

夜は立川へ移動してサイガさん、立川で合流したnikkoさんと乾杯☆


□5月11日(日)

2日目。
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午前10時前にはサイガさんと集合し、まずは八坂神社へ。
勿論、天然理心流奉納額目当てですよ~♪

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境内ではチビッ子剣士たちが奮闘中☆

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ところで、日野の街角には所々にこうして昔の写真が展示されています。
こちらの写真の場所の現在は・・・

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こんな感じ。奥の高台は校舎が大きくなって見えなくなっているけど今もしっかり残っていますし、用水路は暗渠で塞がれているだけでソックリそのまま歩道になっています♪
その先のカーブ具合まで同じ☆

そして、昔の写真中央にポツンと写っているお地蔵さんのような影。あれも・・・
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こうして残っていました。佐藤彦五郎の菩提寺・大昌寺の参道です。雰囲気は随分変わったのですね。

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佐藤彦五郎新選組資料館。こちらでは限定公開されている;

・市村鉄之助が函館より佐藤家へ届けた土方歳三肖像写真
・甲州遠征前に立ち寄った近藤勇が彦五郎に手渡したと云う自らの肖像写真

をメインに見学。

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こんな素敵なグッズも販売しています☆
件の肖像写真のレプリカ♪表面は勿論、、、

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裏書まで忠実に再現されていて、とってもデキがいい☆
即決で購入いたしました♪

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続いて新選組のふるさと歴史館まで来たところで、近くの日野中央公園で西洋流砲術の演習が行われている、との情報をキャッチ!
実は私、鉄砲の演習を観るのはこれが初めてだったのですが、その音の大きさにはビックリしました Σ(・ω・ノ)ノ!

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そして歴史館では特別展示の大和守秀国を拝観♪
土方歳三が会津藩士の秋月種明(土方と共に宇都宮城攻略に活躍した旧幕府脱走陸軍先鋒隊長・秋月登之助)に贈り、その後紆余曲折を経て明治30年頃、歳三の兄が養子入りしていた糟谷家に伝わったと云う刀です。
長らく行方入れずとなっていましたが、とある刀剣コレクターの所持品から発見され、糟谷家での由緒記録と一致することから本物にほぼ間違いないと判断されました。
和泉守兼定」よりも大身でごっつい印象を受けました。柄の部分に幕府侍土方義豊戦刀と刻まれています☆

そんなこんなで午前中を過ごすうちにパレードの時間が近づいてきたので、日野宿界隈へ戻ることにしました。
甲州街道でnikkoさんと再会し、日野宿本陣へ。

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歳三が昼寝をしていた、との言い伝えも残る玄関・・・
みんな歳三を真似て、横になって写真を撮っていました(笑)

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函館から肖像写真など、歳三の遺品を届けた市村鉄之助が二年間匿われた部屋。

サクッと日野宿本陣見学を終えたところで・・・いよいよ隊士パレードですよ☆

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チビッ子たちの行進を先頭に隊士パレードが始まったと思いきや、主役の土方さんいともアッサリと通り過ぎていく…(;・∀・)

まぁ土方役が先頭なのは例年通りなのですが、今年はなんだか特に呆気なく感じました

大体、近藤・土方両長の周辺に隊士の姿が殆どなく、後方の諸隊とも離れていてポツンと単独で行進してくる様子は何だか寂しいし、いきなり先頭で通り過ぎていくのもねぇ…。

あくまでも個人的な感想ですが、もう少しこう、大勢の隊士を引き連れている感じだとか、主役は満を持して登場してくる雰囲気が欲しいなと思いました。
今年の土方や近藤はまるで「露払い」でしたからね。

一通り全参加者が通り過ぎてパレードも終了かと思いきや、すぐにもう一度リピート行進した意味もよく分からない(既に沿道のお客さんはかなり減っていた)。
来年以降に向け、演出や進行を検討し直していただきたいと思った第17回のパレードでした。

ま、それはさておきパレードの様子をもう少しご紹介しますね。

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一番隊を率いる沖田さん。笑顔がとっても素敵です☆

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永倉さんの二番隊。

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三番隊は無論、斉藤さん

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日野のもう一人のヒーロー、六番隊の源さん

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宮古湾海戦の会」の皆さん。
こちらに参加されていた相馬主殿(主計)役の方、実は相馬さんの本当のご子孫とか…!?

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会津新選組同好会
2度目のパレードでは戦闘シーンも演じてくれましたし、頑張っていましたよ☆

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中野竹子さんと娘子隊

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蝦夷新選組
こちらの土方さん、歩き方に風格もあってなかなかカッコ良かった♪

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〆はやはり局長で(笑)

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沿道では石田散薬の原料、牛革草も鉢で売ってました(笑)

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パレードの後は殺陣の演舞も☆

「実際に新選組が着用した期間はごく僅か!」
とか言われてしまいそうですが…やっぱりだんだら羽織を着ての殺陣は文句なしに格好良い!!と思いました♪

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パレードには若干の不満も残るものの、好天に恵まれた2日間☆
とても楽しい時間を過ごせました♪

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2014年5月 6日 (火)

雨中の水戸城散策。

茨城県立歴史館での見学を終えた後は偕楽園を散策し、そのまま歩いて水戸城跡へ・・・
の予定でしたが、歴史館を出たところで非情の豪雨!(ToT)

私一人ならともかく、この日は母や弟を連れていたので無理も出来ず、偕楽園は諦めて車で水戸駅近くまで移動。駅前に残る水戸城の遺構をサクッと観て回ることにしました。

水戸城郭図
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水戸駅前に設置されていた案内図。
このように現代の地図に城の縄張を落し込んであるので、大変分かり易いです(^^)b

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まずは三の丸にある藩校・弘道館へ。
江戸時代後半の天保期に作られた、日本最大の藩校です。

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一応中も見学しましたが、説明が長くなりそうだったのでボランティアガイドさんのお話はパス…(^_^;)

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弘道館の目の前には、二の丸へと続く大手橋

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大手橋が架かる、三の丸と二の丸の間の堀。かなりの深さです。

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橋を渡って二の丸に入ると虎口のクランクが待ち受けます♪

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大日本史編さんの地
二代藩主・徳川光圀が取り掛かり、彼の死後も「大日本史」編纂事業は代々継続されました。結局、完成したのは明治に入ってからとか。

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二の丸は現在、茨城大学附属小学校や県立水戸第三高校などの敷地となっていますが、ここにはかつて、御殿三階櫓などが建ち並んでいました。

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前出の水戸城郭図にも描かれている(「杉山門」と書かれている部分の左上)堀跡。

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本丸(前方)との間に架かる橋。

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ここの堀がまた凄かった・・・☆

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橋を渡った先、本丸の虎口は県立水戸第一高校の校門でもあります…(^_^;)

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第一高校の敷地内に建つ薬医門

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二の丸の南面。お城の遺構がハッキリと地形に残っています。

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光圀公生誕の地

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これも忘れちゃいけないね、水戸のマンホール。
黄門様じゃないんだ・・・( ._.)

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水戸駅前ロータリーの2階デッキより。地形でお城の位置がハッキリ分かりますね☆

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最後に水戸黄門と助さん・格さんの像。

本当はもっとじっくり観て回りたかったんですけどね…この天気では致し方なし。
高速道路上り線の渋滞も怖かったし、駅ビルで食事した後はさっさと引き揚げました (^_^;)

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2014年5月 5日 (月)

「水野忠重宛織田信長朱印状」 拝観♪

GWも終盤の5月5日。
「たまには何処かへ連れて行け」という母の要望を受け、「じゃあ何処へ行きたい?」と問い返した答えが・・・何故か「水戸」 (・o・)?

・・・しめた!水戸ならちょうど行きたい所があったんだよね~♪

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という訳でやって参りました、茨城県立歴史館
そう、私が水戸へ来たかった理由は、5月18日まで開催されているテーマ展「戦国から江戸へ ―大名水野家3代―」です☆

結城藩主・水野家は元々、徳川家康の生母・於大の実家。その関係で於大の弟である水野忠重は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった天下人たちに引き立てられ、彼らからの数多くの発給文書が残されています。
それらの書状が公開されていると聞けば、見に来ない訳にはいきません☆

豊臣秀吉や徳川家康、織田信雄、徳川家光(忠重の子・勝成宛)など、錚々たる面々からの書状がこれでもか!と並べられていましたが・・・

私の一番のお目当ては勿論、こちら☆

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水野忠重宛織田信長朱印状」です♪
(写真は館内配布リーフレットより)

天正九年、武田方の岡部元信が籠る遠州高天神城を包囲する徳川軍。当時、徳川家中にいて高天神城攻めに参陣していた水野忠重に宛てて信長は;

『(高天神)城方より降伏開城の申し入れがあったそうだが、確かにその申し入れを受けた方が城の奪取も早いし、包囲を続けるのは苦労も多いだろう。
しかし勝頼は今、高天神に援軍を送れる情勢ではない。ここで勝頼が援軍を出さずに城が玉砕したとあれば、勝頼の威信は失墜するであろう。
私も一両年中に武田攻めを実行するつもりである。従ってここはどちらが得策か、よくよく考えるよう、家康殿にも申し伝えよ。』
※但し「私は現場にいなくて家康殿や兵たちの苦労を計りかねるので、(徳川)家中の宿老どもとよく相談して決めるように」と、あくまでも結論は徳川家に委ねてもいます。

と書き送っているのです。(一月廿五日付)
実際にこの後の同年三月、高天神城は落城して城将の岡部元信らは玉砕しました。信長が朱印状の中で「一両年中に実行する」と書いていた武田攻め~武田家滅亡の一年前のことです。

図録が発行されていなかったのは残念でしたが、他の展示品を見ては信長の朱印状に引き返し…繰り返し繰り返し何度も、力強く捺された「天下布武」印を眺めていました♪

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2014年5月 3日 (土)

絹の道

本日は八王子市鑓水に残る絹の道へ。

地図
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以下、現地案内板より。

市指定史跡 絹の道
指定区間 御殿橋から大塚山公園(道了道跡)まで
指定年月 昭和四十七年十月二十六日

安政六年(一八五九)の横浜開港から明治はじめの鉄道の開通まで、八王子近郷はもとよ
り長野・山梨・群馬方面からの輸出用の生糸が、この街道(浜街道)を横浜へと運ばれた
八王子の市にほど近い鑓水には生糸商人が多く輩出し、財力もあって地域的文化も盛んとなり、鑓水は「江戸鑓水」とも呼ばれた。
なお、この「絹の道」という名称は、地域の研究者が昭和二十年代の末に名づけたものである。

平成五年五月三十一日

八王子市教育委員会


元々、八王子と横浜方面を結ぶ街道として整備されていた道で、神奈川往還八王子道とも呼ばれます。
生糸は明治の日本にとって一番の貿易輸出品目でした。長野山梨群馬などで生産された生糸は八王子に集められ、この神奈川往還を通って貿易港横浜へ運ばれて行ったのです。
群馬には言わずと知れた富岡製糸場がありますね。

そういった歴史にちなんで「絹の道」と名付けられたのですね♪
特に未舗装部分の約1km区間(地図:濃いグリーン区間)は、文化庁が選定する「歴史の道百選」にも選ばれています☆

絹の道資料館の駐車場に車を停めた後、資料館より少し南にある小泉家屋敷から散策を開始します♪

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小泉家屋敷
明治11年に再建された木造平屋建て入母屋造りの家屋で、屋根は茅葺きです。東京都指定有形民俗文化財に指定されています。

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御殿橋
ここからが市指定史跡に指定されている「絹の道」のスタートです。

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御殿橋を渡ってすぐ、袂には八王子道の道標。(地図:
正面に「此方八王子道
右側面は「此方 はし本 津久井 大山
左側面には「此方 はら町田神奈川 ふじさわ
と彫られています。そして建立はなんと、慶応元年(1865)!

元々は橋を渡る手前、川の南側に建っていたそうですが川の改修工事に伴い、昭和63年に現在の位置に移されました。

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最近すっかり、こういう古街道歩きにもハマってます…f(^_^;

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長閑でいい所♪

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しばらく北へ進むと、右手に「絹の道資料館」があります。
入館無料なので、お越しの際は是非お立ち寄りください。

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さ、いよいよ本格的に峠に掛かります☆
このちょっと先からが、「歴史の道百選」に指定されている区間になります。

と言っても、まだしばらくは舗装路が続くし、それ程期待してはいなかったんだけどね・・・ところが!

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突如現れたこの光景に、もうウットリ…♪

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見事な堀底道に惚れ惚れします☆
しかも、生糸を積んだ荷車を通り易くするためでしょうか、路面には細かい石で敷かれた石畳がまだ残っていました♪

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ほら♪

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途中、ちょっと雰囲気が変わりましたが、こういう里山の風情もまたいいね!

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更に進むと…奥に見えてきましたね、大塚山公園が。

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大塚山公園入り口に建つ「絹の道」道標。
ここまでが市指定史跡に指定されている区間となります。

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大塚山公園の・・・古絵図?
中央上部に描かれているのが、道了堂です。

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絵図の左下に描かれている石段と全く同じですね☆
早速登ってみます。

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道了堂跡
明治7年、鑓水商人が浅草花川戸から道了尊を勧請し、同8年にお堂を建てたのが始まりで、横浜鉄道(現JR横浜線)の開通で絹の道が徐々に衰退していくと、道了堂も昭和58年に解体されました。

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お地蔵さんを損壊するなど・・・言語道断!
新しいお顔が付けられていますが・・・稲川淳二による「首なし地蔵の怪談」の舞台にもなっているとか…(;-_-)

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他にも堂守の老婆が殺害されたり、某大学教授による不倫相手の教え子殺害事件の遺体遺棄現場になったり、、、いろいろある場所らしいです。。。


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峠道って緩やかに登って行くから分かり辛いけど、こうして見ると結構な高さまで登って来たんだね☆

さて、本日の散策はここまでです。

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帰り際にもう1枚♪

また一つ、地元の歴史を体感することが出来て良かったです。

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2014年5月 2日 (金)

箱根山崎の戦い ―伊庭八郎 受難の地―

今回は幕末戊辰戦争の一つ、箱根山崎の戦いが繰り広げられた古戦地を巡ります。

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その前に、ちょっと所用があったので小田原で途中下車。
…早雲さんが兜被って陣羽織をお召しになってる!?


箱根山崎の戦い
慶応4年(1868)5月、箱根関所を廻る一連の争いの過程で倒幕→佐幕→倒幕と再三掌を返した小田原藩との最終的な交渉決裂を受け、遊撃隊を率いる林忠崇(元 上総請西藩主。藩主ながらに脱藩した「脱藩藩主」)、人見勝太郎、そして伊庭八郎らは協議の末、小田原からの敵の進軍に備えて湯本の台の茶屋を本陣と定め、人見の第一軍と伊庭の第二軍は更に東、小田原寄りの山崎に布陣することにしました。
※人見はこの後、旧幕府海軍を率いる榎本武揚の元へ援軍要請に向かったようなので、必然的に遊撃隊の指揮は第一軍・二軍とも伊庭が執ることになります。

そこへ5月26日正午頃、小田原藩兵を先陣とした新政府軍が(旧)東海道沿いの風祭まで進軍してきます。

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小田原から箱根登山鉄道で2駅の「風祭」駅。そう、新政府軍が着陣した場所です。
今回はここから旧東海道を湯本方面に向かって歩くことにします。

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雰囲気のある旧東海道をてくてく・・・

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左(南)に目を向けると、豊臣秀吉が後北条家の小田原城包囲の為に築いた石垣山城の山容が迫ってきます♪
とってもいい陽気に恵まれました☆

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更にてくてくてく・・・

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入生田」駅付近から東を振り返って。
新政府軍の風祭着陣を知った伊庭八郎は、この入生田辺りまで物見を出したと云います。

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入生田地区にはこんなお寺もありました。長興山・紹太寺。
小田原城主だった老中・稲葉正則の開基で、稲葉一族や正則の祖母・春日局の墓所があるそうです。

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旧街道にはやっぱり欠かせないですよね♪

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本当にいい味出してます☆

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景色に見とれてボサーッと歩いていたら…ウオッ!?・・・マジか(^_^;)

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箱根登山鉄道と交差する旧東海道。
当然のことながら箱根に向かってダラダラと上り坂が続きます。この地形が古戦場踏査としては重要

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一旦新道(国道1号)に合流し、、、

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すぐにまた分かれ、、、

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更に西へ進み、遊撃隊が布陣した山崎から登ってきた東の方角を・・・
遊撃隊はこの付近に土嚢などを積んで街道を封鎖し、それを胸壁として新政府軍を待ち受けました。
山崎一帯の街道沿いで、この写真のポイントが一番東側との高低差が大きかったので、恐らくはこの辺りではないかと…。

そして、風祭から前進してきた新政府軍とまさにこの地で、激戦が繰り広げられたのです。
それを証明するかのように、近くには「山崎ノ古戦場跡」の石碑がある筈、でしたが、、、何故か見当たらない…(;´・ω・)?

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近くで工事が行われていたので嫌な予感はしたのですが、立っていた警備員のオッチャンに聞いてみると案の定、工事期間中は資材置き場に移動していて見れないとのこと…(>_<)
工事が終われば元の位置に戻すそうですが・・・( ´・ω・`)

気を取り直して・・・

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先陣の小田原藩兵との戦いは戦意に勝る遊撃隊が、地形の利も活かして優位に進めたものの、後方に控えていた新政府軍が参戦すると徐々に包囲され始め、伊庭八郎らは三枚橋方向を指して撤退していきます。


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山崎から歩くこと7~8分ほどで…三枚橋が見えてきました♪
実はこのアングル、撮影年代は不明ながら古写真が残されているので合わせてみました☆

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ほら♪

三枚橋まで撤退してきた伊庭八郎、ここで彼は近づいてきた敵兵を味方と誤り、その油断から左手を斬られてしまいます。その傷は手首が辛うじてぶら下がっている程の重傷でした。それでも怯まずに戦う八郎・・・

『・・・八郎望み見て、以て我兵と為す。近ば即敵なり。一人八郎を撃て其左腕を断つ。八郎屈せず、右手を揮い、斬て之を倒し、三枚橋の中央に屹立し、敵を待つ。敵、恐て散ず。』
(「岡崎脱藩士戊辰戦争記略」)

ところで、伊庭八郎が左手を斬られたのは実は三枚橋の上ではなく、三枚橋地区の街道(旧東海道)から二間ほど離れた松林の中だった、という伝承もあるそうです。
…が、伊庭八郎の従者だった荒井鎌吉は後年、以下のように証言しています。

『先生(伊庭八郎)は腰を撃たれ尻餅をつかれましたが其時二、三人を斬り倒されました。手を斬られたのは三枚橋の上でした。』

私も「三枚橋の上」説を採りたいと思います。

この後、彼の左手は2度の「切り落とし」手術を経て、肘から下が失われることになりました。。。

元々、若い時分からその容姿を;

眉目秀麗、俳優の如き好男子

と形容されていた男。後に最期の地となる箱館でも活躍し;

隻腕の美剣士

と謳われることになります。
※ちなみに江戸では、試衛館時代の後の新選組メンバーとも交友があったそうです。

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三枚橋の上
まさにこの場所で、「それ」は起きたのですね・・・

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こちらからのアングルも古写真に残されています。

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ね♪

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橋そのものは後世の架け替えですが、渡った先からはご覧のように旧東海道が続いていますので位置は変わっていないと思います。

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という訳で河原に下り、当時の橋の痕跡が何か残っていないか探してみましたが…さすがに無理ですかね(^_^;)

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もう少し旧東海道を進みます。その先に・・・

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早雲寺。無論、あの北条早雲(伊勢宗瑞)縁のお寺です。
豊臣秀吉による北条征伐の際、前出の石垣山に城を築く前に彼が本陣とした地でもあります。

実はこの早雲寺には、人見勝太郎によって建立された遊撃隊士たちのお墓もあるらしいのですが場所がよく分からず、墓地内をあまりウロウロしたくもなかったので代わり(?)に、、、

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北条五代の墓所をお参り。

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最後は箱根湯本駅から帰宅しました。

古戦場跡の石碑は残念ながら見れませんでしたが、旧東海道の風情ものんびりと楽しめたし、いい休日になりました♪
気がつけば暦も5月に突入! という訳で今月はいよいよ、伊庭八郎も散った「あの地」へ行きますよ☆

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