貞源寺 伊庭八郎の菩提寺
そう、幕末に活躍した伊庭八郎の菩提寺です。当時は浅草にありましたが、大正年間にこちらの中野区沼袋へ移転しました。
来週の函館行きを前に、箱館戦争で散った彼にもご挨拶をと思い立ち、お墓参りに来ました。
八郎は八代・秀業の嫡男として生まれますが、秀業が急死した時にはまだ16歳と若かった為に宗家を継げず、父の一番弟子だった垪和想太郎が養子に入って秀俊を名乗り、九代目を襲名しています。
※十代目は八郎の弟、伊庭想太郎。
向かって左が伊庭八郎のお墓。
(右は弟・伊庭想太郎。政治家の星亨を刺殺し、獄中で病死)
箱館で死去した後、八郎の遺体は五稜郭に埋葬されましたが、遺髪は従者だった荒井鎌吉によって持ち帰られ、伊庭家の菩提寺だった貞源寺(浅草)に葬られました。
秀業次男 秀俊養子 俗称 伊庭八郎
※十代目は八郎の弟、伊庭想太郎。
向かって左が伊庭八郎のお墓。
(右は弟・伊庭想太郎。政治家の星亨を刺殺し、獄中で病死)
箱館で死去した後、八郎の遺体は五稜郭に埋葬されましたが、遺髪は従者だった荒井鎌吉によって持ち帰られ、伊庭家の菩提寺だった貞源寺(浅草)に葬られました。
秀業次男 秀俊養子 俗称 伊庭八郎
秀穎院清誉是一居士 明治二年己巳 五月十二日
と刻まれています。何故か秀業次男となっていますが、彼は長男の筈…?
※右側は八郎の母の戒名
と刻まれています。何故か秀業次男となっていますが、彼は長男の筈…?
※右側は八郎の母の戒名
そして彼の命日については諸説ある中(私は5月15日前後ではないかと考えています)、こちらでは5月12日とされています。
八郎が奮戦した木古内周辺の古戦地にも足を運べるといいな♪
八郎が奮戦した木古内周辺の古戦地にも足を運べるといいな♪
思いも新たに、いざ函館へ☆
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