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2014年8月23日 (土)

舟で巡る江戸城の外濠

本日は「お江戸日本橋舟めぐり 神田川コース」を仲間内10人で借り切り、舟から見る江戸城外濠巡りに出掛けてきました。

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発着場所は勿論、日本橋の袂から。


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以前、外濠歩きをした時に使っていた地図を再び。
日本橋からスタートし、常盤橋御門跡を手始めに日本橋川を北西へ進み、神田川に合流してからは東へ→隅田川で南へ進路を変えて永代橋の手前で再び日本橋川に入る時計回りのコースです。

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早速、常盤橋御門跡から。

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外濠に設けられていた諸門の中では、最も残存状態がいいです…が、

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2011年3月11日の東日本大震災以降、常盤橋は通行止めになったままです。
ようやく本格的な修復工事が始まったようですね。石材の位置を記録するラベルがたくさん貼ってあります。完成までにはあと1年半ほどかかるようです。(2014年8月現在)

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濠端に置かれた常盤橋の石材
石を痛めないように木の杭が挟み込まれています。

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更に進みます。この辺りは首都高の橋脚部分を除いて、石垣がよく残されていますね。

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一ツ橋御門
下から見上げると少し迫力が出る?

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神田橋御門
ちょこんと隅石も残っています。

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この辺りもいい感じ。

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雉子橋御門跡付近
意図的に隅石を残してくれたのかな? 奥に見えるのが、現在の雉子橋です。
そして、よく見ると水面に接したタイルが石垣模様になっていたりします。

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雉子橋付近が、江戸城の内濠と外濠が最も接近するポイント
現在は暗渠になって塞がれていますが、往時はここで内外の堀が繋がっていました。
写真は、その部分に架けられていた橋の欄干。ひっそりと残されています。

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堀留橋(図地点)
その名の通り、江戸城の外濠は本来ここまで。この先は1900年代初頭に開削して、神田川と繋げられました。
従って、奥に見える赤い橋の名前は「新川橋」=新しく開削された川に架けられた橋。

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江戸時代には埋め立てられて陸地だった部分。

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日本橋川が神田川と合流する付近、JRの線路が架けられた橋。
明治期の甲武鉄道時代の煉瓦積みが残ります。

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神田川に入って、小石川橋御門跡。

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JR御茶ノ水駅が見えてきた辺り。
この付近一帯の開削は仙台藩伊達家が受け持ったため、仙台濠と呼ばれていました。

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聖橋を潜ります。酷い写真…(^_^;)

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鋼ラーメン橋脚と呼ばれているそうです。

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万世橋と、万世橋駅(停車場)の名残の煉瓦造り。
この付近に、筋違橋御門がありました。

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神田川を暫く進み、屋台船群の奥に浅草橋。
無論、浅草橋御門があった場所です。

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さて、外濠を抜けて隅田川に出ました。両国橋。
隅田川は江戸時代初期、武蔵と下総の国境になっていて、防衛上の理由から橋は架けられていませんでした。
しかし、明暦の大火で逃げ場を失った多くの江戸市民が犠牲になるという惨事があり、それを受けて初めて敷設されました。
武蔵と下総の両国に架かる橋だから「両国橋

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あちらの水門の先に続くのは小名木川
江戸に入った徳川家康が、行徳の塩を江戸に運び入れるために開削させた、いわゆる運河です。

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重要文化財にも指定されている清洲橋越しに見る東京スカイツリ―。

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永代橋越しに佃島

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江戸湊の玄関口、湊橋を潜り、、、

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江戸橋JC付近で複雑に入り組む首都高の橋脚を過ぎると、ゴールの日本橋に至ります。

所要時間およそ1時間45分のゆったりとした舟旅。
陸地からとはまた違った視点で外濠を眺められて楽しかったです。
幹事のなっちさん、ご一緒頂いた皆様、ありがとうございました。

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